006 共感と敬語
それから三日後の夜、バイト中だった俺に、また
依頼を受けた俺は、親子丼を店から受け取って、今日も例の高級マンションへ向かう。
たぶん、静樹の方でも俺が配達していることは確認済みだろう。
キャンセルされないところを見るに、前回の一件で静樹も納得してくれたらしい。
インターホンを鳴らすと、静樹の声がした。
『はい』
「イツイツでーす」
『……
「イツイツでーす」
『……』
少しの無言の後にオートロックが開き、俺はエレベーターを使って四階へ。
仕事中の俺は蓮見くんではなく、あくまでイツイツの配達員なのだ。
部屋の前に辿り着き、呼び鈴を鳴らす。
静樹はすぐにドアを開け、なにやらジト目で俺を睨んだ。
ちなみに、今日も静樹の格好は華やかなギャルモードだった。
ゆるくカールした黒髪と、派手めの化粧が眩しい。
思えばあの地味な姿は、まだ一度しか見せていない。
「イツイツでーす」
「……ありがとうございます」
箱を開けて、親子丼が入ったビニール袋を静樹に手渡す。
相手が誰であっても、あくまで事務的に。
今までは静樹のおかしな対応のせいで崩れてしまっていたが、これが本来の俺のスタンス。
バイトで余計なストレスを溜めないための秘訣だ。
「……蓮見くん、ロボットみたいですよ」
「愛想振りまかなくていいのが、このバイトのいいところだからな」
「クラスメイトなんですから、もう少し砕けてもいいのに」
「相手によって態度変えるの、苦手なんだよ」
「……」
静樹は少しだけ、神妙な顔でこちらを見つめていた。
俺はその間にスマホで配達完了ボタンをタップし、報酬を確定させる。
「でもそれを言うなら、静樹だって敬語じゃん。学校では普通なのに」
「あっ……! そ、それは……」
前々から気になっていたことを、ついに聞いてみた。
が、静樹は気まずそうな顔をして、そのまま黙り込んでしまう。
「べ……べつに敬語じゃない、もん」
「あ、変わった」
「か、変わってない! 元々こうだもん!」
「って言われてもなぁ」
さすがに今さら、はいそうですか、とはならない。
つまり、静樹は化粧や服装だけじゃなく、キャラ自体が家と学校とでかなり違うんだろう。
派手で元気な学校での静樹と、地味でおとなしい家での静樹。
その二つを使い分けている、ということか。
「どっちが“素”なんだ? って言っても、そりゃあ家の静樹か」
「……そんなことありません」
「ほら、なってるぞ、敬語に」
俺が指摘すると、静樹は慌てたように口に手を当てた。
それから観念したような顔で、ゆっくりと深い息を吐く。
「心配するなよ。それもちゃんと黙ってるから」
「……はい。……ありがとうございます」
静樹は明らかにしょんぼりしていた。
が、同時に少し気楽そうにも見える。
かえって肩の荷が降りたのかもしれない。
「もうバレてるんだから、イツイツの受け取りの時も、ラフな格好してればいいのに」
「そ、それは……ダメです」
「なんで。毎回そうやって準備するの、手間だろ」
俺がそう言っても、静樹は拗ねたように口を尖らせて、ぷいっとそっぽを向いてしまった。
そんな仕草もやたらと可愛く見えるのは、さすが超絶美少女、静樹
「なら、なにもイツイツに拘らなくてもいいんじゃないか? コンビニとかスーパーとか、いくらでも方法があるだろ」
「そ、それもダメです! このあたりは同じ学校の人も多いですし、できるだけ買い物は……」
「……なるほど」
要するに、外で知り合いに会うのはもっと嫌ってことか。
そうなると、静樹がイツイツを使ってる理由も見えてきたな。
「……」
……いや、そうだとしても、これ以上は俺が首を突っ込む問題じゃない。
変なところでお節介を焼きそうになるのは、俺の悪い癖だ。
俺は一度目を閉じて、余計なことを言いそうになっていた自分を
「……それに、出来合いのものだと栄養も偏りますし」
「たしかに、イツイツなら普通の出前と比べても、選択肢は多いな」
「はい。出前って本来、ピザとかファストフードとか、そういうイメージですから」
言って、静樹は腕を組んで難しそうな顔をした。
「食材を買い込んで、自炊すればいいんじゃないか?」
「り……料理はまだ修行中です」
「そうか。まあ、面倒だもんな、自炊」
「は、蓮見くんと一緒にしないでください!」
静樹は不愉快そうに目を細める。
が、それからすぐに、何かに気がついたようにピクッと頭を動かした。
「あれ? もしかして……蓮見くんもひとり暮らしなんですか?」
「ん、ああ。まあ、近いな」
意外と鋭いやつだ。
「どういうことですか?」
「親父とふたり暮らしだけど、仕事でほとんど家にいないんだよ。だからまあ、ひとりみたいなもんだ」
「そ、そうなんですね……。それじゃあ、バイトも家事もしてるんですか?」
「そうなるな」
「そ、それは……すごいですね」
静樹は感心したような声を上げた。
なんとなく、くすぐったいような気分になる。
「べつにすごくなんてないよ。部活もないし、友達もまともにいないからな。時間はたっぷりだ。それに、バイトは俺が好きでやってるだけだし」
「いえ、それでもすごいです。家事、大変ですもんね」
静樹はしみじみと頷いていた。
たしかによく考えれば、俺と静樹は同じような苦労を味わっているのだ。
共感できて当然、なのかもしれない。
「そろそろ冷めるぞ、親子丼」
「あっ、そうでした! すみません、変に話し込んでしまって……」
「いや、こっちこそ」
そんな言葉を交わしてから、静樹はひらひらと小さく手を振った。
俺も軽く手を挙げて、それに応じる。
ドアが閉まるのを確認してから、背を向けてマンションを出た。
あくまで、事務的に。
自分でそう言ったくせに、随分とお喋りしてしまったな。
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