005 キャンセルとお礼
俺が部屋でのんびり英単語を覚えていると、スマホが鳴った。
『イツイツ』からの依頼メールだ。
届け先は偶然にも、また例の高級マンションだった。
しかも部屋番号は401。
つまり、静樹
どうやら切れたと思っていた糸が、まだ繋がっていたらしい。
注文はイタリアンチェーンのパスタとサラダセット。
なんとも女子っぽいというか、健康的なメニューだ。
もちろん、今回も増額ボーナスありの好条件。
ちょうど、勉強も切り上げようと思ってたところだ。
俺は迷わず受注ボタンをタップして、出かける準備をした。
◆ ◆ ◆
「たしか、こっちだったな」
車体の軽いクロスバイクをスイスイ漕いで、昨日も通った道を進む。
相変わらず坂道が多いな。
“ピロン”
「ん?」
ポケットからスマホの通知音がして、俺は自転車を道路脇に停めた。
この音はイツイツからのメールだ。
だが、配達中の人間には依頼のメールは届かないはず。
いったい、なんの連絡だろうか。
「えっ」
メールには、『注文キャンセルのお知らせ』とあった。
どうやら、配達中にキャンセルになったらしい。
要するに、俺の背中の箱の中にあるパスタは、もう届けなくていいってことだ。
途中キャンセルでも多少は報酬が入るので、俺にそこまでの損はない。
ただ、注文者の静樹はキャンセル料が掛かってるはずだ。
そのせいで、途中キャンセル自体は普段滅多にないんだが。
まあ、急に気が変わったとか、そんなところだろう。
気にしても仕方ない。
俺は来た道を戻って、パスタの店を目指した。
どうせ廃棄されるだけだろうが、一応返しに行かなければならない。
“ピロン”
「おっ?」
またイツイツからのメールだ。
今度は間違いなく依頼なので、自転車を停めて内容を確認する。
一度外に出たからには、一件くらい仕事をこなしておきたい。
「……んあ?」
不思議なことに、注文はまた同じ住所、つまり静樹だった。
今回は、さっきとは違う店のパスタだ。
なるほど、後になってこっちの店が食いたくなったのか。
意外と気まぐれなやつだ。
俺はまた受注ボタンをタップし、自転車を走らせた。
一軒目の店に料理を返し、二軒目に寄って商品を受け取る。
けっこうな移動距離になっているが、まあこれもいい運動だ。
今度はキャンセルされることもなく、無事に例のマンションにたどり着く。
部屋番号を入れてインターホンを鳴らすと、すぐに応答があった。
『……どうぞ』
短い言葉の後で、無機質な音を立ててオートロックが開く。
俺はそのままエレベーターで四階に上がり、静樹の部屋の前へ。
呼び鈴に応じるようにして、こころなしか乱暴な足音が響いてきた。
“ガチャリ”
「イツイツでーす」
「……」
ドアを開けた静樹は、今日学校で話した時と同じ、学生服にギャル風メイクだった。
ドアから半身を出して、不服そうな目で俺を睨んでいる。
「ほら、パスタ」
「……
「なんだよ」
「な、なんだよ、じゃないです! せっかく一回キャンセルしたのに!」
静樹は突然叫ぶようにそんなことを言った。
至近距離なので、普通にうるさい。
「どういうことだ?」
「アプリで見たんです! 注文したら蓮見くんが配達になったから、急いでキャンセルして注文し直して……なのに、どうしてまた受けちゃうんですか!」
なるほど、そういうことだったのか。
イツイツは専用のアプリを使えば、配達する人間の名前とプロフィールが確認できるようになっている。
静樹はその機能を使ったのだ。
だが、それにしても。
「なんでわざわざそんな」
「だ、だって……! もう昨日みたいにメイクも落として、服も着替えちゃってましたし……」
「でも今は普通じゃん」
「メイクし直したんですっ! 制服ももう一回着たんですからね! 仕方なく!」
「べ、べつにそんなことしなくても……」
「ダメなんですーっ!」
ダメらしい。
もう昨日の地味モードは見てしまったんだから、気にしなくていいと思うんだが。
「どうして私の注文を受けるんですか!」
「いやぁ、だって静樹の注文、報酬が高いから」
このマンションは配達可能エリアの端にあるためか、報酬にボーナスが加算される。
そのおかげで、時給換算しても他の案件より効率が良い。
アルバイターとしては、逃すのは惜しい仕事なのだ。
「……じゃあ、どうして連日、連続で蓮見くんになるんですか!」
「それはもう運だろ。この辺はまだイツイツのサービス始まったばっかりだし、配達員の母数が少ないんじゃないか? 同じ人に配達することなんて、よくあるぞ」
俺の言葉に、静樹は「うぐぐ……」と唸って唇を噛んでいた。
どうやら、俺に配達されるのが相当嫌なようだ。
だが、こればっかりは俺も譲れない。
「そういう仕組みなんだから仕方ないだろ? システム上、注文する側は配達員を選べないんだよ」
「そ、そうかもしれませんけど……」
「そんなに嫌なら、自分で受け取らなくても、家族に頼めばいいだろ」
「……無理ですよ。……ホントは一人暮らしですから」
そう言った静樹は、なにやら居心地の悪そうな顔をしていた。
もしかすると、昨日の双子の嘘を思い出して、また気まずくなっているのかもしれない。
それにしても、高校生で一人暮らしとは珍しい。
まあ、俺も似たようなもんだが。
「どっちにしたって、考えてもみろ。この学校でイツイツの配達人をやってるのは、俺だけじゃないかもしれない。そういうやつに当たってまた口止めするより、もう知ってる俺が届けた方が、リスクは低いだろ」
「うっ……そ、それは……そうですけど」
「わかったら、そろそろ受け取ってくれ。完了報告しないと、次の仕事のメールが来ないんだよ」
言って、俺は静樹にパスタの袋を渡した。
「じゃあ」とだけ告げて、さっさと背を向ける。
「あ……蓮見くん」
「ん?」
「……配達、ありがとうございます」
「……まあ、バイトだからな」
それっきり、静樹はなにも言わなかった。
そのままエレベーターに乗って、マンションを出る。
今日の
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