第2話 No.13 vs『タフダイバー』ギャレット

 飛び込んだ瞬間に異臭が鼻を叩く。

 下水、生ごみ、腐臭、糞尿。

 それらの悪臭が混然一体となり、濃密に層を成してハルカの体を包む。


 地面はなかった。


 足を踏み入れたのは、汚物が堆積したであろう陸地とは言えない軟泥の場所。いきなりくるぶしまでその汚物に沈んでしまう。


 足場が悪すぎる。

 一旦、後方へ。


 そんなハルカの想いをあざ笑うかのように、入ってきた扉は霧散した。


「不味いな。嵌められた」


 かろうじて呼吸はできるが、その暴力的な悪臭の為にせわしく呼吸するなど無理だった。


 黎明の薄暗い地平から、陽光が煌めき始める。

 途端に周囲の状態が浮かび上がってくる。


 ここは湖。

 どす黒い湖面はさざ波もなく静かだ。


 恐らく、直系1㎞ほどの広さがある。その中央部分に汚物が島状に堆積している。

 ハルカはそこに立っていた。


 ハルカの見た目は日本人。色白で赤い瞳が特徴だ。

 赤い髪のショートヘア。髪飾りはつけていない。

 半袖の白いブラウスにピンク色のベストを身に着けている。合わせてあるミニスカートもピンク色だ。今日はガイドの制服に合わせたピンクのスニーカーを履いていたのだが、それは既に汚物に沈んでいる。


「おろしたてのスニーカーをドブに捨てたようなものだな。それにしても意地悪な女神だ。しかし、これはどうする? 動けば汚物まみれになって沈んでしまうし、かといって他に足場はない。ここで誰と戦えと言うのだろうか」


 鏡のように静かな湖面。

 こんな汚物にまみれた湖に生物が生息しているとは思えない。


 戦う相手は?

 ロボットかサイボーグか。それとも、潜水艇のような兵器か。この汚水の中に潜んでいる何かが相手だと考えて間違いないだろう。ここは防御優先で相手の初撃を無効化する。そう判断したハルカは右手を高く上げた。


「雷鳴の盾」


 ハルカの体から幾条もの雷が放たれ、それが球形のフィールドを形成した。その瞬間、ハルカの背後の湖面が揺らぎ、その中から半球状の物体と銃身が顔を出す。そして、その銃から破裂音が響く。


 ボボボボボ……。


 連続した発砲音。しかし、火薬式の銃と違って音は小さく低い。何か違う方式で発射された弾丸だった。

 それはハルカの背後、死角からの完璧な奇襲なのだが、弾道はことごとくハルカの「雷鳴の盾」に逸らされていく。


 背後からの銃撃に、ハルカは即時反応した。振り向きざまに右腕から電撃を放つ。しかし、雷が水面を打った時には半球状の物体は既に水面下へと消えていた。


「間一髪で防御成功した……やはり相手は水の中。潜水用のパワードスーツかサイボーグか。どちらにしろ水中戦が不利なのは間違いない」


 ハルカは自身のポケットをまさぐり所持品を確認する。

 持っていたのは手帳とボールペンが二本、そして小銭入れだけだった。


 朝日が昇る。

 眩しい光が湖面を照らし始める。


 その光芒の中でわずかに湖面が揺らいだ。ハルカからは逆光。眩しい太陽光でその位置は確認しづらい。


 ボシュー!


 黒い水しぶきを上げて銀色の飛翔体が飛んできた。同時にハルカは雷を帯びた10円玉をその湖面へと投げつけていた。


 飛翔体は水中発射のロケット弾だった。湖面から飛び出てきた瞬間に弾体は破裂し、爆風と無数の破片をハルカに叩きつけた。しかし、それらもハルカの雷鳴の盾を貫けなかった。


 一方、雷を帯びた10円玉は黒い湖面に落ち、少し沈んでから放電、爆発した。


「この真っ黒な湖水じゃ目視での探知は不可能だろう。だったらあいつは音でこちらを探知している。威力はないけど、この音響でかく乱できるはずだ。1回10円ってのも安くていい」


 ハルカは次々と10円玉を湖へと放り投げる。雷を帯びた10円玉は湖面へと落ちる度に放電して爆発する。いくつもの黒い水柱が上がり、そして湖面が荒く波立っていく。


 そして比較的波立っていない湖面。そこはハルカがわざと10円玉爆雷を投げていない領域なのだが、そこへ例の半球形のものが浮上してきた。


 光学的な観測装置?

 それともロボットの頭部?

 

 ミラーコーティングが施してあるキラキラと輝くそれ目掛け、ハルカがボールペンを投げた。

 雷をまとったボールペンの手裏剣がその半球形の何かに突き刺さった。


 刺さったとは言うものの、たかがボールペンである。芯の部分が少しだけそこに刺さっていた。しかし、刺さったボールペンを中心に、蜘蛛の巣状のヒビが入る。


 ハルカは最後の小銭数枚をそこへと投げつけた。

 半球形の物体の周囲から爆発したように黒い水しぶきが上がる。そしてそれは空中へと飛び上がった。


 それはロボットか、パワードスーツか、そんな印象の人型兵器であった。半球形の部分は頭部。その他の部分は白色で凹凸がなく、ずんぐりした体形だった。背中に備えられた推進器バーニアを吹かしていた。


「ふん。破損したら汚水が侵入してくるからな。しかし、それじゃあ的になってくれって言ってるようなものだよ」


 ボボボボボ……。


 そいつは空中に静止し、あの火薬式ではない銃で射撃をしてくる。しかし、ハルカがまとう「雷鳴の盾」は貫通できない。


 弾が切れたのかその銃を放り投げ、そいつはハルカに向かって一直線に降下してくる。右腕から刃渡り50㎝ほどの剣が伸びていた。


 ハルカは左手を前に出してから叫ぶ。


「EMPバースト」


 ハルカの開かれた左手から、小さな雷球が数個飛び出していく。それはそいつにぶち当たってから一つになって膨らんだ。


 ドゴーン!


 落雷のような閃光と轟音がまき散らされる。

 そいつはコントロールを失いハルカの手前1mの地点に頭から墜落した。


「私のEMPバーストは強力でね。電子機器は全て焼き切れるんだよ。残念だったな」


 白い、大根脚をバタバタと動かしているそいつに向かってハルカがつぶやく。しかし、返事をするはずもない。


 そうこうしているうちに、ハルカは腰までその汚物に沈んでしまう。そしてそいつは相変わらず大根脚をジタバタと動かしている。


「殺し合いをしろと言っていたが、こんなんで良かったのかね。という事は、この大根脚は生きている何か。パワードスーツかサイボーグって事か。こいつを殺さんことにはこの勝負は終わらない。しかし、私の手の内にあるのはこのボールペンが一本だけ……しかもここから脱出する手段はないと……。完全に嵌められたな。もし帰ることができたなら、あのタントロンをもう一発ぶん殴る。そして、女神とやらもぶん殴ってやる。全く、ふざけやがって」


 ハルカはボールペンを取り出し、そいつの真っ白な尻に落書きを始めた。


 貧乳天使のタントロンは氏ね。

 貧乳女神(名前は知らん)も氏ね。


 お前らはAカップ未満。私はFカップ。

 (* ̄▽ ̄)フフフッ♪


「こうなったらチ〇コも書いてやる……あ。上下逆さまだこりゃ。それにこっちは尻だから……まあ関係ねえな。尻にもチ〇コだ。どうせ前側に行くの無理だし」


 ハルカが落書きを初めて十数分。目の前の白い大根脚が動かなくなった。


「火星からの刺客『雷神のアナトリア』様と、女神さまの刺客『タフダイバー』ギャレットの勝負でございますが、只今、『タフダイバー』ギャレットの死亡を確認しました。よって『雷神のアナトリア』様の勝利が確定いたしました。おめでとうございます」


 汚水湖にハルカの勝利を告げるアナウンスが流れた。そしてハルカの体は眩い光に包まれ、その汚染湖から転送された。

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