1日目 午後④ 炎の逃走劇
105番は遮二無二、走り出した。
火炎放射器、それを向けられ、そして火を放たれるのは、105番と言えども初の経験だった。
銃口やナイフ、そしておおよそ人を殺すためとは言い難いチェーンソーすら向けられたことはあった。
ショットガンや弾が広範囲にばら撒かれるもの以外の、大体の銃は分かりやすい。
弾が真っすぐ飛ぶのだから、とにかく走り続けたり、壁に隠れたりすれば、当たる確率はそれなりに低くできる。
ナイフやチェーンソーは言わずもがな、近づかず、とにかく逃げればいいのだ。
健康的な肉体で製造された105番は、その健脚を持って、逃げることが出来た。
まあ、両方ともそもそも見つからなければいいだけの話なのだが。
その点、火炎放射器は対処のノウハウが105番にはまるで存在しなかった。
射程が、どれほどあるのかわからない。
あれはどこまで逃げれば届かないのか?
範囲はどれほどあるかわからない。
扇状なのか?
本当に真っすぐ、長方形や線状なのか?
はたまた、どう炎が放たれるのか、あの己を燃やさんと息巻く男ですら、どうにもできないものなのか。
故に、105番が出来るのは、走って逃げ出すことだけだった。
「待ってよぉ!多分地獄みたいな苦しみは最初だけで、あとは走馬灯見てたら終わるからさぁ!」
ガチャガチャと音を立てながら、理解不可能の理論を捲し立てながら、男が追いかけてくる。
時折、空に向けて威嚇射撃のつもりなのか、はたまた怖くないよと言いたいのかわからないのか、炎を放つ。
その火の粉や炎が電線に当たり、空に炎の線を生み出す。
木が植えられた家の木に炎が燃え移り、新たな火事を生み出す。
今や住宅街は大火事が発生していた。
「はぁ…はぁ…ふぅー…」
男は息を上げ、立ち止まって腰にある黒い水筒の蓋を開け、中の液体を飲み干す。
恐らく中身はキンキンに冷えた水かお茶か、はたまた酒か。
男は火炎放射器の燃料タンクを背負いながら、105番を追いかけ続けている。
その疲労たるや、尋常のものではないだろう。
そのうえ、男はマスクの類を付けていない。
火事の照り返しでわかりずらいが、男の顔は茹蛸のように真っ赤だった。
相当汗をかき、喉も乾いたことだろう。
「ハッ、ハッ、ハッ」
105番も息を上げ、まだ燃えていない家のブロック塀の影に隠れる。
105番を苦しめているのは、喉の渇きと、熱さだった。
ペットボトル一本の水でやりくりし、暑い屋根裏に隠れていた105番は、言ってしまえば脱水気味だ。
終わるまで待ち、そして夕食時に足りなくなった水分を補給するつもりだった105番にとって、この状態を長く続けるのは文字通り命を削る行為に他ならない。
更に、105番はラフな、量販店で売ってるような白いシャツにズボン、そしてスニーカーだ。
男の様な特殊な装備、火事の真横を走っても熱から体を守れるような恰好ではない。
火事の横を走るだけでも、体温は上がり、体力を奪われる。
ブロック塀から体を少しだけ見せ、ここにいるのだと男にわからせる。
馬鹿だと思うかもしれないが、そうしなければいけない理由が105番にはあった。
男はもともと14番と15番を狙っていた。
今105番を焼き殺そうとしているのは、男の気まぐれなのか、よくわからない理論によるもの。
105番を逃がした、あるいは見つからないと決めつけたのなら、早々にあの家に戻り、14番と15番、73番がいる家に火を放つだろう。
故に、あれから今逃げ切るわけにはいかない。
少なくとも、73番達が逃げ切れるだけの時間を稼ぐ必要がある。
しかし、それは厳しい条件でもある。
今や多くの家が燃え、火の手や黒煙が立ち上っている。
これだけ燃えれば、誰かが、ガスマスクの集団がやってくる。
そうなれば逃げ切るのが更に難しくなる。
ドローンや猟犬が追い立て、容易く105番の命を奪い去るだろう。
だから、早々に逃げなければならない。
矛盾、長く逃げ73番達の逃げる時間を稼がねばならず、他の奴らが来る前に早々に逃げ去らねばいけない。
105番には、都市住人には、都市外部の人間を害する方法は『ほとんど』存在しない。
例外は存在するには存在するが、正攻法はあるにはあるが、性行為中にブツを噛みちぎってしまっただの、転んでしまってぶつかっただの、偶発的な事故でしか傷つけることはできない。
だから、不可能なのだ。
105番があの男を撃退し、この場から早々に逃げるというのは。
105番は走り出した。
またあの男が走ってきたからだ。
先ほどよりも、男の走るスピードが上がっていた。
あの飲み物になにか、身体能力を上げるドーピング性能でも入っているのか?
はたまた単純に背中に背負った燃料タンクの中身が減っただけなのか?
脇腹の痛みをこらえ、前方を見たら、何か、炎のゆらぎの中に、透明ななにかが飛んでいた。
105番はそれが何かわかった。
己を、ドローンが撮影している。
あの男が撮影サービスでも頼んでいたのか、はたまたここらに罠が仕掛けられているのか。
そのドローンに向け、105番はビッと中指を立ててやった。
これを見てる、あるいは見ることになるだろうクソッたれに、己の意思を表明してやった。
すると己の頭上を、何かが飛び越えていった。
目の前で割れ、そこから炎が迸る、火炎瓶だ。
105番は無理やりブレーキをかけ、すぐ横のブロック塀に手をかけ、登った。
すぐにその場に、炎の塊が殺到した。
火炎瓶は陽動、驚いて止まった時に、火炎放射器で焼き殺すというのが男の策だったようだ。
ブロック塀の上で振り返り、男を見た。
男の左手から肩にかけて、先ほどなかった手甲の様なものがある。
その後ろに、さっきまでいなかったロボットを引き連れて。
あのロボットから、追加の装備を受け取ったのか。
それで、腕力か投擲力を上げて、105番の目の前に火炎瓶を投げつけて来たのか。
そこで、105番は、気づいた。
男はあくまで、その手にある火炎放射器で焼き殺そうとしていることに。
火炎瓶は、建物から対象を炙りだす為か、先ほどのように足止めにしか使っていない。
その気になれば、その火炎瓶で簡単に焼き殺せるだろうに。
その妙なこだわりに、105番は感謝した。
すぐに、105番はブロック塀の上を、まるで猫のように走り出した。
「待ってよぉ!」
男もブロック塀の上に登ろうとしているが、装備が重くて登れない。
時折グイっと体が上がるのは、ロボットが押し上げようとしているからだ。
踏み台になって男の悪意を叶えさせようとしているが、とても持ち上がらない。
男は苛立ってロボットを何度も足蹴にしては、バランスを崩しかけていた。
ブロック塀から降りた105番は、73番達が隠れた家の目の前まで辿り着いた。
1階はもう隣の家から飛んできた火の粉によってかもう燃え始め、中に入るのは相応の覚悟が必要そうだった。
2階を見上げるも、そこにはもう73番達の姿は見えない。
決められた場所まで逃げられればいいがと105番が考えた時、足元をチュンッ!と音を立て、何かが跳ねた。
飛んできたものの正体を察した105番は、すぐにまたブロック塀の上に登った。
直後、銃弾の嵐が吹き荒れる。
『バカ!逃がしてんじゃねぇよ!』
『わりぃわりぃ!一発で仕留めようとしたんだけどな!』
ガスマスクの集団の到着だ。
何が起きてるのかわからず撃ち殺そうとするその様は恐れ入る。
すると、105番を追いかけていた男が、ガスマスクの集団の前に辿り着いた。
「はぁ…はぁ…」
『お?アンタは焼死フェチの』
どうやら、男はガスマスクの集団の中でもそれなりに有名だったらしい。
実際、男はそれなりに有名だった。
多くの殺人手段を得られることの都市内において、特定の殺害方法だけを取り続けるのは、それなりに目立つのだった。
『悪いが俺達も混ざらせてもらうぜ』
集団の一人が歩み出て、男の肩にポンッと手を置いた。
すると男はその手を即座に払いのけて、頭を掻きむしりだした。
「俺の!俺の獲物に手を出すんじゃねぇ!」
男は火炎放射器のノズルをガスマスクに向け、炎を放った。
集団は炎に包まれ、大絶叫を上げる。
男は最初から防刃や防弾性を捨て、対炎に特化した装備をしているが、ガスマスクの集団の基本的な装備は、防刃、防弾、瓦礫や何やらからは身を守れるが、炎の中に飛び込むのは想定されていないのだ。
炎に飛び込ませるのは都市住人の方だからだ。
何より105番が驚いたのは、都市外部の奴が都市外部の奴を殺せたことだった。
105番は知っている。
都市外部の奴らが使用する武器の大部分が、都市住人には扱えないことを。
使えるのはナイフだの鉈だの原始的なもの、あるいは都市外部の奴らが都市住人を自爆させるための手榴弾か。
銃だの何だの、そういったものを都市住人が使おうとしても安全装置が働いて、引き金をいくら引いても使えない。
そして、そういった銃を都市外部の奴が都市外部の奴に向けて撃とうとしても、安全装置が働き、仕えない。
だから、都市外部の奴が都市外部の奴を、都市の武器で殺そうとしても、殺せないはず。
そのはずだ。
そのはずだったのだ。
しかし今、目の前でそうならなかった。
何かが、何かが105番の知らないうちに起こっている。
「お前らの走馬灯を見せろ!その人の獲物を横取りしようとする薄汚ねぇ性根を培った走馬灯を!」
男はまだ炎を放ち続けている。
「ロボット!おいロボット!」
男の怒鳴り声が響く。
すぐそばのマンホールが開き、ロボットが這い出してきた。
『何でしょうか』
「ドローンを何機か出せ!俺が追いかけるまで、あの俺から逃げてたガキをこの住宅街から一歩も外に出すな!」
『わかりました』
しまった。
今の出来事を見たらすぐに走らなければ、いけなかったようだ。
仮に走っても逃げ出せたかわからないが。
どちらにせよもう遅い。
ドローンはもう105番の事を発見し、ここから出ようとしたら、こちらの体を備え付けられた銃で撃ち、動けなくし、男に献上するだろう。
105番の体力ももう限界に近い。
早くどこか、火が回らないどこかで、休まなければ。
「…ここで、使うべきか?」
105番は、己の左腕、二の腕に当たる部分を、握った。
「塔悟…」
105番は思い返す。
この腕の本来の持ち主のことを。
今、ここで死ぬべきではない。
彼に、託されたことを果たすために。
そうだ、だからこそ。
今、ここで使うべきなのだ。
105番は、呟いた。
「システム…起動。ジャミングを、開始しろ」
この瞬間、この都市において、105番は幽霊となったのだ。
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