1日目 午後③ 見捨てればいいのに
105番は、寝床で息を殺していた。
暗闇の中で、ただ時間が過ぎるのを待っていた。
昼飯ももう食べきり、あとは終わるまでの耐久レース。
蒸し暑い、屋根裏の暗闇の中で、気配を殺し続ける。
ペットボトルの水はもう温く、ペットボトルの表面の結露ももう消えている。
14番も15番も、73番の言いつけを守って、水を飲む量はセーブできているだろうか。
都市は、住人に優しくない。
夏の設定の時はとにかく暑く、冬の設定の時は、身を切るような寒さになる。
冬の設定の時に。都市外部の奴らは、冷たい池の中に、何人もの都市住人を沈める。
そして次の日に、凍った池の上で、スケートをする。
沈んだ都市の住人たち、凍って絶望の顔のまま固まった彼らの上で、楽しむ。
補充されたての住人は、どうしたらいいかわからず、喉の渇きを潤すために、一気に飲み切ってしまう。
そして、水を探して、捕まる。
都市外部の奴らが飯を食べている場所にフラフラとおびき出され。
あるいは毒をまかれた池の水を、劇薬が塗りたくられた蛇口に口をつけ、死ぬ。
ある程度生き残った奴らは。この500mlしかない水でやりくりをする。
目の前でそうやって死なれて、嫌でも理解するからだ。
安全な水はこれしかないと。
だから、チビチビと、本当に必要だと思った時だけ飲む。
それが出来なければ死ぬだけだからだ。
時刻はもう午後の3時半を過ぎた当たりだった。
あと1時間半で、奴らは帰る。
105番は、じっと動かなかった。
例え、周りに誰もいないとしても。
都市外部の奴らに、屋根裏まで探そうとする奴なんて、いない。
そこまで探さなくても、少し歩けば見つかるからだ。
それに、言ってしまえば、屋根裏を探そうとする奴自体、105番は見たことなかった。
いるかどうかわからない場所に行くより、絶対いるに決まっている場所しか探さない。
良く言えば、確実性を求め、悪く言えば、可能性を調べ、確かめる前に自分でありえないと潰し、不利益を自分から被る。
それが、105番の知っている都市外部の奴らの分かりやすい考え方だった。
だから、105番はここに隠れる、確実に見つからない場所に。
下水道に隠れるという手段もあるかと思うが、下水道は酷い臭いがする。
それが体に染みついたら、追跡が容易になってしまうし、場合によっては『ヤツら』と鉢合わせる可能性も否定できない。
105番は、考える。
何時、73番達から離れるか。
そもそもが、勝手に73番が付いてきて、勝手に14番と15番を拾って、今に至るだけだ。
105番がわざわざ守ってやらなければいけない理由なんて何一つ、何一つないのだから。
見捨てればいい。
例え幼児嗜好の男が14番と15番を捕らえようとも。
73番が生きたままミンチにされようとも。
見捨てればいい。
それが賢い選択だ。
わざわざ、助けなければいけない理由なんてない。
忘れるな、105番。
お前はしなければいけないことがあるのだから。
塔悟に託されたことを忘れるな。
お前は会わなければいけない奴が、取り戻さなければいけないものが、殺さなければいけない奴がいることを。
忘れるな。
俺は、その為だけに生きているのだから。
「やけに熱いな…?」
105番ははたと気づいた。
やけに、気温が高いことに。
もう昼はとっくに過ぎているのに、体感気温が徐々に上がっている気がした。
いくら、都市外部の奴らが夏の設定でも快適でいられるように、特別な装備を着ているとはいえ、それでもこの気温だと不快感を感じてしまいかねないほどだ。
嫌な、予感がした。
あの日と同じ、肌がひりつく様な…あるいは、死の予兆。
耳を、澄ます。
唸るような、あるいは軽い地響きのような音。
何かわからない。
少しだけ、屋根裏の天井板をずらし、押し入れに頭を少しだけ出し、異常がないか確認をした。
すぐに分かった。
何かが燃える臭い。
肉以外の。
木が、建造物が燃える臭い。
「まさか!」
周りの気配を感じることも忘れ、105番は急いで押し入れへと降り、襖を音を立てて開けた。
瞬間、茜色の光が、窓から差し込んできた。
それが夕日じゃないことは嫌でも理解できた。
真正面、73番達が隠れている家の両隣、誰もいないは無人の家屋が、燃えていた。
「っ!」
すぐに、窓のそばまで走り、外を確認した。
73番の家の両隣だけではない。
他にも何件か、燃えている。
遂に、ここに何者かがやってきたのだ。
明確な悪意を秘めた何者かが。
105番は走り出した。
家に誰かがいるという可能性はハナから頭の中になかった。
都市外部の奴らは、安全圏に居ながら、目の前で人を殺すということを好む。
燃える家の中までわざわざ入る奴なんかいるわけがない。
多分、適当な家に火を放って、炙りだそうとしている。
そう当たりを付けていた。
階段を駆け下りる。
1階のリビング、隣の家の方を向いている窓から、隣の燃える家が見えた。
この家の隣も、燃やされていたのか。
そのことに気づけなかったのを、105番は悔やんだ。
気づけていたのならば、まだ何かしら行動を起こせたはずなのに…
玄関をわずかに開け、外の確認をした。
開けた途端、火に焼かれた空気が我先にと家の中に入り込み、105番の鼻腔から肺へと熱い空気が入り込む。
105番は、シャツの首元を上にあげ、鼻と口を覆った。
煙を吸ったらまずいと言うのは、105番の植え付けられた知識の中にあった。
だから、効果があるかどうかわからないが、シャツで口と鼻を覆ったのだ。
外から誰かがしゃべる声は聞こえない。
この火事を起こした犯人は近くにはいない。
そう判断した105番は、玄関から出ようとして、足を止めた。
誰かが、こちらを見ている。
73番ではない。
ネットリとした、こちらを見定める目だ。
73番や、あの子供たちがそんな目でこちらを見るわけがない。
なによりこんな、どこから見てるかわからなくても、その見てる人物がこちらに対して、出鱈目なまでの悪意を持ってるとわかる目でこちらを見るなんて。
何かがこちらへ放物線を描きながら、投げ込まれた。
それが何か、僅かに確認できた105番は、即座に玄関の扉を閉じた。
火炎瓶だ。
瓶の割れる音と共に、玄関の上の曇りガラスが真っ赤に染まった。
105番は走り、玄関の反対側、キッチンの窓を開け、外へと飛び出した。
この家は、いずれ燃え尽きる。
隠れていても焼け死ぬだけだ。
飛び出した勢いのまま、105番は目の前にあったブロック塀を乗り越え、更に隣の家のブロック塀をも乗り越え、息を殺した。
恐らく相手は、こちらがキッチンの窓から逃げ出すことも想定済みだ。
砂利を踏みしめる音が、聞こえてきた。
「あれぇ?もういないのかぁ」
中年の男の声だ。
耳にこびりつくどころか、べたつく様な、こちらを不安にさせるような声だった。
「足跡から見てー…高校生ぐらいの男かぁ…イラネ。別の家を探すか」
男の足音が遠ざかってゆく。
105番はそれで安堵せず、更にその男から離れようとした。
男は少なくとも火炎瓶を持っている。
その気になれば、こちら側の家を燃やすことも十分可能だ。
105番は、道路に顔を出し、周りを確認した。
誰もいない、男は一人でここまで来たのか?
105番は道路に出て…出て…
「………チッ」
舌打ちして、105番は2軒隣の家まで走り、そこから家の裏のブロック塀を越え、73番の家が見える場所まで走った。
先ほどの男を探す。
恐らく近い。
この道路のどこかにいる。
「どこにいるんだぁーい!お嬢ちゃあーん!?」
大声で男が喚く。
炎の塊が、空へと吐き出された。
火炎放射器、初めて見る。
男は、ガスマスクを着けていなかった。
異様な痩身。
ボサボサの髪の毛、まだ後ろ姿しか見えない。
タンクを背負って、他の都市外部の奴らに近い装備をしている。
こちらを向きかけた。
だが途中で止まる。
ある家を見た。
73番達がいる家だ。
「今度はこの家にしよっかなぁー?」
誰に聞かせるわけでもなく、ハイテンションな声で、男は叫ぶ。
駄目か。
105番は、後ろに一歩下がった。
その時、家の2階の窓から誰かがこちらを見た。
73番だ。
73番の口が、動いた。
『タ、ス、ケ、テ』
見捨てればいい。
あの三人は、お前と何の関係もない。
血が繋がった家族でもなければ、ただ犯罪者のクローンで都市外部の奴らに殺されるだけの消費物だ。
だから、だから………
「………、~~~~~~ッ!」
105番は言葉にならない大声を上げ、足元の石を拾いあげ、男に投げた。
男の足元に石が転がる。
男は首だけこちらに向けた。
落ちくぼんだ目が、こちらを射抜く。
目の奥に爛々と燃える、そこらで燃えてる火事よりもどす黒く輝く炎を宿した目。
腰に数本、火炎瓶に使うのだろう酒瓶を吊り下げ、火炎放射器のノズルを73番の家に未だ向けている。
口はへの字、不愉快な様が見て取れる。
「君はぁ…さっき玄関にいた子かい?………オスかぁ。今日はメスのガキを焼き殺したい気分なんだよなぁ」
男は独り言のように――実際独り言か――捲し立てている。
男は、どのようにしてかわからないが、14番と15番の素材を嗅ぎ取りこの住宅街までやってきた。
しかし、どの家にいるかわからないから、手当たり次第に焼いているといったところか。
105番はそう考えていた。
実際の所は、男の強運と、変態的な嗅覚によって、ここにやってきているのだが。
「どうでもいいや。どこにでも行きな」
男はそっぽを向いたが、すぐにこちらを振り向いてきた。
「…いや、君は他のクローンどもとどこか違うな…」
「…まさか君…結構長生きしてるね?」
そう言い切る前に、男はこちらに火炎放射器のノズルを向けた。
105番はそれを認識した途端、横っ飛びをした。
105番のいた場所に、炎が殺到した。
「メインディッシュの前に君を焼こう!さあ!君の走馬灯を見せてくれ!」
男の絶叫が住宅街に響き渡る。
勝ち目のない逃走劇が、幕を開けた。
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