篝火崎善人は人を焼き■したい
始まりは、小さな火だった。
善人の家族は毎年、夏になったらキャンプに行くのが恒例だった。
家族五人、海に行ったり、山に行ったり、湖に行ったり…
善人は、そこでやるキャンプファイアーが大好きだった。
今時、ガスコンロの家は殆どなくなり、こうやってまともに火を見る機会は限られている。
だから、こうして火をじっくり見られる機会が来るのを、毎年楽しみにしていた。
火を前にすると、どこか心が落ち着かなくなる。
燃え始める前の高揚感。
煌々と燃える火をじっと見つめ、それを楽しみ。
燃え尽きた後の灰、それを見た時のどうしようもないもの哀しさと、燃え尽きた後の灰の匂い、それを胸いっぱいに吸い込み、来年のキャンプを待つ。
それが善人にとってのある種の儀式であり、一年のルーティーンであり、彼の人格の一部を形成していた。
仮に、完璧に頭の中を文字として映し出せる脳内メーカーがあったのだとしたら、善人の頭のど真ん中には、『火』という漢字が、存在するだろう。
それだけ、善人は火に魅せられていた。
大きくなり、スマートフォンを持たせられたら、動画サイトで焚火の動画を流したり、生放送で24時間焚火を燃やし続けるという企画があれば、それを24時間流し続け、それを見て楽しんだ。
都合が合わず、キャンプが出来ない年が出来たのなら、花火で我慢をし、来年を楽しみに待った。
火は更に大きくなる。
そして善人は大学生になり、一人暮らしをするようになった。
住んだアパート築30年ちょっとで、まだガスコンロを使っている時代遅れと言えるアパートだった。
親兄弟から、もう少しいいアパートがあるんじゃないかと説得されたが、大学から一番近いとゴリ押して、そこにした。
ガスコンロが付いているアパートがそこしかなかったからというのが、本当の理由だが。
善人は、IT関連を専攻として学んだ。
昨今、ITなら遠隔からでも、都心の会社で働くことが可能だというのは、有名だ。
善人も、父が見ている土曜日のセカンドライフの番組でよく知っていた。
善人は将来、田舎に家を建て、そこに薪を燃やす暖炉を作り、そこで住むというのを目標としていた。
結婚だの、何だのは兄弟が何とかしてくれる。
自分一人が田舎に引っ込んで好きにしてても許されるだろう。
そう考えていた。
大学のサークルはキャンプ同好会にし、季節を問わず、キャンプし、そこでキャンプファイアーに興じていた。
そうして何事もなく1年生は過ぎていった。
火は燃え広がってゆく。
大学2年の夏、転機が訪れた。
善人の友人に、サーフィンをする奴がいた。
そいつが、湘南にサーフィンしに行ったときに、生シラス、しかも生きたままの奴を送ってきたのだ。
サーフィンをした後のハイテンションのまま、土産を選び、送り付けてきたのだ。
善人が生の魚が苦手だということを忘れて。
踊り食いなんてできやしない、だからと言って茹でて食べるというのもなにやら勿体ない気がして憚られた。
そこでインターネットを調べて、生シラスのかき揚げにして食べることにした。
楽をするためにてんぷら粉を使い、そこに生シラスを入れて混ぜた。
生シラスはぴちぴちと跳ねている。
そしてそのまま油の中に、ぶち込んだ。
途端、それまで以上に生シラスは踊り狂い、油が跳ねる。
跳ねる油を危ないと思いながらも、善人はそこから目が離せなかった。
出来上がったかき揚げは絶品で、かき揚げ丼にして美味かったと友人に連絡してやったら喜んでくれたような気がした。
朧気にしか覚えていないのは、あの時の事が頭から離れなかったからだ。
あの時一瞬、ひどく心が躍った。
大好きな火を前にした時のように。
心が潤い、全身の細胞が歓喜の雄叫びを上げる、そんな風に。
愉しかった。
それからしばらくして、サークルの友人たちと、キャンプに行った。
そこでも、キャンプファイアーをした。
楽しみにしていたはずの、キャンプファイアー。
しかしいつものように、楽しめなかった。
何かが、欠けている。
何かがこの炎に足りない。
何が?
頭の中にあの時、生きたまま揚げられたシラスたちが頭の中に残っていた。
火が彼を焼いて行く。
あれから善人は海でキャンプをするようになった。
検証を行うために。
海でキャンプをし、魚を釣り、その魚を生きたまま焼き、あるいは油の中に投げ込み、その様を観察するようになった。
その時、かつてと同じように楽しかったことにひどく困惑した。
その答えを、善人はまだ言葉にする手段を持ち合わせていなかった。
それから何度もキャンプをし、魚を焼いて行ったが、ある時から、それでも足りなくなっていった。
火が精彩を欠き、とてもつまらない。
そう感じていた。
己は何を求めているのか?
善人はその探求を始めた。
それから善人は多くの海産物を生きたまま焼いては食らっていった。
それで腹は満たされど、心が、魂が満たされることは一度もなかった。
こんな感情を抱くのは初めてで、相談できるような相手もいなくて、善人はひどく苦しんだ。
世界が色を欠いて行く。
誰も、自分を救う手段を持ち合わせていないのかと、善人は絶望した。
しかし、突如天啓は訪れた。
大学帰りの際、帰り道にある3階建てのマンションで、火事が起きていた。
夕方、自分以外に帰る学生や、会社帰りのサラリーマンも多かったのを、善人は鮮明に記憶していた。
「誰か助けて!」
3階、火事になっている部屋のベランダに、女がいた。
恐らく30代前半、後のニュースで天ぷらを揚げていた時に電話が鳴って、出ている際に火事になったらしい。
善人は周りを見た。
多くの人が、3階を見上げていた。
そしてスマートフォンを掲げ、3階を撮影していた。
その時、善人は嫌な予感がした。
――こいつら、まさか消防に連絡してないんじゃないだろうな?
SNSで見た消防車が呼ばれてないだのなんだのの画像を思い浮かべ、善人の脳裏にその考えがよぎる。
野次馬は誰も、自分の耳にスマートフォンを当てず、3階の事件へと向けている。
自分が連絡するしかない。
善人はそう思い、スマートフォンを取り出し、119を押した。
そして耳元に持ってゆく。
あとは連絡をするだけだ。
そのはずだった。
その時、大きな爆発音が聞こえた。
3階の火が更に燃え広がり、女がその火に巻き込まれた。
野次馬が悲鳴を上げる。
更にスマートフォンの数が増える。
「っ!っ!っ!」
女の言葉はもう言語化された物ではなく、しゃくりあげるような悲鳴になっていった。
その姿を見て、善人はスマートフォンを取り落とした。
その女の姿を見て、ひどく心が躍った。
今までのどんな火よりも、どんな魚が生きたまま焼けていく時よりも、素晴らしかった。
そして善人は理解したいや、理解してしまった。
自分は、人間が焼き殺される様が見たかったのだと。
それに気づいて、愕然としてしまった。
自分が、そんな人間だったのかと。
それと同時に、頭の中にいる冷静な自分が、納得していることにも気づいた。
何故最近火を見てもそこまで楽しくなかったのか。
それは要素が欠けていたからだったのだ。
火で、熱で苦しみ、死んでゆく生き物がいなかったから、楽しくなかったのだ。
『もしもし?もしもし?』
かすかに、落ちた自分のスマートフォンから声が聞こえていた。
消防車は全焼するまで来ず、女は当たり前に焼け死んだ。
火が彼を焼き尽くす。
それから、善人は苦しんだ。
当たり前だ、自分がそんな異常者だということに気づいてしまったからだ。
それに開き直るにしても、早々人間が焼け死ぬところなんて生で見れるわけがない。
そして、人殺しになるつもりもさらさらなかった。
映画で誤魔化そうともした。
火事の映画や、戦争、あるいは犯罪。
それで焼け死ぬ演技をする俳優や女優。
駄目だった。
現実を一片も表現できていないチープな演技に、鼻で笑うだけだった。
ニュースの映像で焼け死ぬとこなんて流されるわけがない。
その場にいた野次馬たちがうらやましくて歯噛みするだけだった。
消防官になる?
それこそごめんだ。
特等席だと思うだろうが、これから焼け死ぬはずの奴をわざわざ救うなんてことをしなくちゃいけないのだから。
そんな折、小学校の同級生から同窓会を開くという誘いが来て、善人は参加することにした。
久々に会う同級生たちは、自分と同じように大学生だったり、あるいはすでに働いていたり、中には結婚して子供を産んでいる奴もいた。
酒も入り、話が進む。
今はどうしてるかだの、いい相手がいるのかとか。
そして、ある話が話題になった。
学校で飼っていたウサギの話だった。
善人が小学生だった頃、クラスで飼っていたウサギがいた。
夏休み中、そのウサギがいる飼育小屋まで行って掃除をして、餌をやったり、昼休みや放課後に餌をやったり…
その中に、ひときわ乱暴ですぐ噛もうとして来るウサギのボスがいて、そいつに左手の甲を噛まれたのは今でも長い苦い思い出だ。
善人の左手の甲にはまだその時の傷跡が残っている。
そして、善人は気づいた。
「そっか…また別の何かを焼いて我慢すればいいんだ…」
人を焼き殺されるのを生で見る機会にそうそう恵まれず、人を焼き殺して罪に問われたくないのなら。
そこまで重い罪に問われない生き物を焼いて我慢すればよいのだ。
かつてと同じように、だが今度は探求ではなく、いつか訪れる幸運を待ちながら。
火事が起き、人が死ぬのを待ちながら。
そうと気づいたら、善は急げとばかりに、善人はガソリンが入ったプラスチックの保存容器と、とライターを片手に、善人は母校に急いだ。
善人の母校はまだそこまで監視カメラが付いている数も少なく、飼育小屋の辺りには一つもついていないはずだった。
そう思い、慎重に監視カメラが付いていないか警戒しながら歩く。
幸い、小学生時代と変わらず、監視カメラの数は増えていなかった。
それに、警備の男もあの時と変わっていないのなら、そこまで熱心に辺りを歩き回っていることもないはずだ。
高いびきをかいている頃だろう。
飼育小屋に付いている鍵は、そこら辺に落ちていた石で何回か殴りつけたら簡単に壊れてくれた。
PTAが知っていればこんなボロくて錆びついた鍵なんて、すぐに取り換えろということ必至だろうと思いながら、善人は飼育小屋の中に忍び込んだ。
飼育小屋の中には、外からもう分っていたが、ウサギが何羽かいた。
善人はそこに、ガソリンをまいた。
ウサギはガソリンの匂いを嫌ってか、既に自分たちのこれから辿る末路に気づいてか、暴れだした。
あの時は怯え、手を噛まれるだけだったが今は違う。
まいた後、扉を閉めた善人は、火をつけたライターを、飼育小屋の中に投げ入れた。
途端、気化していたからか、爆発的なまでの勢いで、火は燃え広がった。
「うぉっ!」
それに驚き、善人は尻餅を付いた。
だがすぐに立ち上がり、飼育小屋の中を覗き見た。
ウサギが暴れ狂っていた。
焼かれ、小屋の外に出ようと暴れ狂い、そして死んでゆく。
その様を見ると、胸の中にスッと涼やかな風が吹き抜けていくようだった。
己の中にある蟠りがほどけ、体の外へと風と共に消えてゆく。
そんな感覚が、善人の中にあった。
でもいつまでもその感覚を味わっているわけにはいかない。
そろそろ、誰かが通報するか、警備が駆け付ける頃だろう。
証拠品を残さず、鍵を壊した石もポッケの中に押し込み、善人は燃え盛る飼育小屋を背にし、夜の闇に消えていった。
一度事を起こせば、タガが外れるのが人間である。
善人はそこから、休日になったら警備の薄い学校を探し、そこで飼われている動物を焼き殺して行った。
一番最初の失敗を反省し、ガソリンから灯油に変えて。
必要なものを買う時には友人から車を借りて、他県まで足を延ばしそこで買っていった。
県を跨げば、警察の捜査も面倒になるだろう。
そうして犯行件数を重ね、より巧妙化させて、ばれないようにした。
だがいつまでも続けられるとは善人も思ってもいない。
次辺りで、犯行は一時中断。
また別の何かを探して始めるか。
その程度に考えていた。
そして最後の犯行で、更に善人の人生は捻じれ狂った。
いつも通り、まだ警備が甘い、監視カメラも少ない小学校。
いつも通り、バールで飼育小屋の鍵を開け、灯油をばら撒き、焼いて、鑑賞し、立ち去る。
それだけ、それだけの、はずだった。
パキャリ、枝の折れる音が、後ろから響いた。
「やべ!」
子供の声、すぐさま振り返ると、三人、男の子が一人、女の子が二人。
手にスマートフォン、そう言えばこの学校には怪談があった、肝試しに来てたのか。
撮影を示すランプがついている。
撮られた。
逃げようとしている。
ま
ず
い
気が付けば目の前に、頭から血を流した子供が三人いた。
1,2回バールで殴ったのだと思う。
まだ息があったから。
善人は焦った。
スマホはこの場で壊しても多分情報が洩れる。
海にでも投げ込まなきゃ駄目だ。
バールもだ。
子供はどうする?
119番に通報する?
いいや顔を見られた。
殺す…しか…
「どうせ…どうせ殺すなら…」
後ろにあるのは、あとは燃やすだけの飼育小屋。
「うぅん…」
少年が呻きながら頭を持ち上げた。
そして周りを見渡す。
ウサギ、飼育小屋の中にいたことに気づく。
そして、外を見た。
そこにいたのは、ライターに火をつけていた、男。
「バイバイ」
そう言って、男はライターを飼育小屋の中に、投げ入れた。
「ーーーー!----!」
途端、男の子は叫びながらガシャガシャと金網を揺らす。
少女たちも起き上がり、炎に焼かれながら逃げ出さんと金網を揺らす。
「ああ!ああ!ああ!」
その姿を見て、善人は最高に幸せだった。
これだ!これを求めていたんだ!
今までのどの火よりも、どの焼け死んでゆく生き物よりも、素晴らしかった。
子供たちはもうちゃんとした言葉を話せていない。
ただ絶叫するだけだ。
しかし、善人はそこから何が言いたいのか、何故かわかった。
炎の揺らめきのように、走馬灯を見ている。
それも、善人は一緒に見ているのだ。
三人とも家族に愛されて、友人が多くて…
「そうか!君たち二人はその坊やが好きだったんだね!」
「それで一緒に居たくて今日の肝試しについてきたんだね!」
「ありがとう!三人とも!今日ここに来てくれて!」
「俺に焼き殺されてくれてありがとう!走馬灯を見せてくれてありがとう!」
「忘れないよ!俺は君たちのことを絶対忘れないよ!」
いつの間にか、子供たちは動かなくなっていた。
善人は走り出した。
この喜びを噛み締めて、次は誰を焼き殺すか考えながら。
それから、善人は何人も焼き殺した。
公園に段ボールハウスを作って寝泊まりしていたホームレス。
あるいはあの少年たちのように肝試しをしようとしていた大学生。
寝ているところを、怯えているところを、襲って、焼いて、楽しんだ。
そんな折、監獄都市の話を聞いた。
何人もの犯罪者をぶち込み、殺してもいいというではないか。
それから、善人はお行儀よく、殺人を止め、待った。
彼ら彼女らは死ぬとき、どんな走馬灯を見るのだろうか?
それらが炎と混然一体となった姿は、どれほど美しいのだろうか?
訳の分からない犯罪者を守ろうとしている集団が出てきたときは、早く全員死なないかと願った程だ。
そして出来上がった監獄都市を、善人は満喫した。
詐欺師を焼き殺した。
強姦魔を焼き殺した。
通り魔を焼き殺した。
殺人鬼を焼き殺した。
善人は世界に感謝した。
こんな、合法で人を焼き殺せるなんて。
しかし、それもすぐに終わってしまった。
都市住人のほぼ全てがクローンになってしまった。
クローンは、焼き殺しても、とてもつまらない。
浅いのだ、人生が。
見る走馬灯なんて、逃げてるか、怯えてるか。
そんなとても短くて代わり映えがない者しかない。
オリジナルとかいうクローンじゃない犯罪者は多くの者がこぞって狙っているし、オリジナルたちも、隠れるか、クローンを束ねて抵抗してくる。
それでも、焼かないよりマシだった。
「どこだぁ…どこにいるんだい?」
善人は年を重ねたが、今もこの都市に来る。
「お嬢ちゃん出ておいでぇ…」
世界が変わろうが、死ぬまでここで人を焼き殺すのだろうと、確信していた。
外ではもう満足に人を焼き殺せそうにもないから。
このクローンで我慢する。
「ん…おぉ!これは!」
「髪の毛!長くて輝いている!」
親兄弟もしばらく顔を見ていないが、まあどこかで楽しく暮らしてるか、もう死んでるかだろう。
「スゥーッ…満足に体も洗えず、汗の匂いを感じる…これは女の子の髪の毛だ!」
「方向からして…あそこの住宅街かなぁ…?」
善人は持っていた火炎放射器のノズルを、近くにある家に向けた。
「出ておいでぇ!でないと、焼け死んじゃうぞぉ!」
そしてトリガーを、引いた。
善人のめくるめく火の世界が始まる。
火は、彼と彼の世界を焼き尽くした。
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