1日目 午後② 他者の飢えは最高のスパイス

老爺は、ひどい飢えと渇きで目を覚ました。

ハッと目が覚めるのではなく、寝る体力もなく、起きてしまう。

それが老爺の現状だった。

なにせ、三日も何も食べず、磔にされているからだ。


「はぅっ…はうぅっ…」


老爺ははくはくと口を動かす。

その口に歯は一本もなかった。

ペンチで一本一本、丁寧に折られたからだ。

麻酔もなく、抜いた後の処置もせずに。

口の周りに付いた血も既に渇き切り、変色している。


老人の下、磔台の根元に糞尿が積み重なり、すえた臭いが辺り一面に漂う。

注射された下剤により、我慢することも出来ず、垂れ流している。

そんなものがあれば、蠅の類が寄ってきそうなものだが、この三日間一匹も虫が寄ってくるようなことはなかった。

その理由は、この都市内部に虫が存在するエリアは、一つしかないからだ。

スズメバチや毒虫の類が存在するエリア、そこにしか存在しない。


この監獄都市だけはなく、全ての監獄都市がエリア分けされているのだ。

都市に来る人間の中には、爆弾を爆発させたい、殺人兵器、毒ガス、そういった類のものをばら撒いて人を殺したい。

そのような願いを持つ者もいる。

それ故に、一つのエリアで全てを賄おうとしたら、都市外部の人間にも被害が及びかねない。

だから、したいことによってエリアを分けている。

爆殺がしたいならば爆殺エリアにといった具合に分かれているのだ。


老爺がいるのは、最も大きく、都市住人が最も住んでいる、一般エリアだった。

最も多くの殺害方法を満たし、最も多くの悪意を満たすことが出来る場所。

そのど真ん中、いくつか木製のコテージが存在する場所に、老爺はいた。

いや、老爺だけではない。

何人もの都市住人が、老爺と同じように磔にされ、その下に糞尿を積み重ねている。

老若男女問わず、果ては赤ん坊まで無理やり磔にする始末だ。


磔にされているものの中には、既に息絶えている者もいた。

しかし、都市の清掃を行うロボットはその死体を磔から解放することはなかった。

都市外部の人間が、磔にしたままにしろと、命令したからだ。


老爺の耳が、悲鳴を聞いた。

近い、老爺の遠くなった耳でも聞き取ることが出来る大絶叫だ。

奴らが、老爺を捕らえ、この磔台に磔にした奴らが、来る。


ガスマスクの集団が、やってきた。

先頭に立つガスマスクは、右手に、少女のロングヘアを掴み、引きずって歩いている。

少女に四肢はない。

断面から血液をボタボタと落としながら、泣いている。


「ママ…ママー…」


少女は、母親を求めて泣いている。

それを聞いてガスマスクの集団の一人が、生首を少女の前に突き出した。


『ハァ~イママでちゅよ~!』


男の野太い声が少女を嘲る。

生首は女のもので、指でぐにぐにと顔を歪ませ、無理やり笑顔を作らせた。


「ママー!ママー!」


少女の泣き叫ぶ声が更にでかくなる。

それにイラついたのか、少女を引きずっていたガスマスクが、少女の後頭部を掴み、何度も何度も地面に叩きつける。


「…っ!…っ゛!!…!!!!!!!」


叩きつけられる度に、少女の歯が折れ、鼻は折れ、血が溢れてゆく。


『うるせえよ結婚詐欺師風情が。家族ごっこしてんじゃねぇよ』


『アレ?こいつの大本の情報知ってんの?』


『知りてぇってロボットどもに言ってみな。教えてくれっからよ』


老爺は、今死に行こうとしている少女を、哀れに思った。

あの少女は、あのような仕打ちをされるようなことをしたのか?

断じて否である。

この都市の中で、悪事を望んで働くものなどほとんど存在しない。

いるとしたら、それはオリジナルに強制された住人だけだ。


都市の外部から来るものの中にはしばしば、都市の住人と、その住人の大元とを混同するものはいた。


―――犯罪者が。


―――殺人鬼め。


―――ゴミ屑。


そう言って、怒鳴りながら、笑顔で奴らは都市の住人を嬲り、殺し、犯し、食らう。


ふざけるな、私たちは何もしていない。

お前たちは私たちを、犯罪者と罵るが、一体どちらが犯罪者なのかわからんぞ。


そうやって、殺される前に罵った結果、老爺はこうして、磔にされた。



『よう!お前ら元気にしてるか?』


ガスマスクの集団の一人、若く快活な声の男が老爺の前に立った。

そして、磔にされた老爺の腹を撫でた。


『んー。これで一夜干しならぬ三夜干しになると思ったんだけどなー』


老爺はぞっとした。

この男、私を食べる気か。


『ちょっと!バーベキュー始めるわよ!』


『わかった!こいつらは余興代わりにあとで調理するか』


そうして、老爺たちの前で豪勢な食事が始まった。


「んっんっんっんっ!」


「ワーッハッハッハッハ!」


「たまらんな!」


ガスマスクの集団は、ガスマスクを外すと、ロボットが運んできた生ビールのジョッキを傾け、喉に流し込む。

磔にされた子供以外の成人している年齢の体の都市の住人は、唾を飲み込んだ。

彼らはこのように、磔にしたものの前で、食事を楽しむ。

極限状態まで飢えた住人を前に、彼らが苦しむ様を横目に、満足するまで暴飲暴食をする。

それが彼らの楽しみの一つだ。


「見ろよこのホタテ!」


「馬鹿でけぇな!」


「この野菜の甘さ!」


「鶏肉も焼こうぜ!」


ご丁寧に、彼らは何を焼いているか、どんなものなのか、味の感想をバカでかい声で都市の住人に聞こえるようにしている。

目を瞑っていても、目玉を抉られていても、頭を持ち上げられるだけの体力がなくても、わかるように。

磔にされた者たちもそれがわかっていても、目をそらせず、彼らが食事に興じる様を眺め続けている。

中には飢えと渇きで発狂する者もいる。

そうなったら見苦しいという理由で早々に殺される。


「オウェ…ちょいと飲みすぎたな…吐いてくるか」


呑んでは食べ、そして吐く。

呑んでは食べ、そして吐く。

まるで古代ローマの貴族の宴会染みた行いが常態化し、延々と宴は続く。

そして酔いが回れば、悪ふざけをする者も現れるのが、世の常だ。


「よっしゃぁ!ダーツしようぜ!」


老爺の右隣、磔にされた青年の体に、油性ペンで的が描かれ、猿轡を噛ます。


「腹が10点、胸が20点、もし心臓をぶち抜いたら100点だ!」


ご丁寧にこの場にダーツの矢を持ってくるようなものなど誰もいない。

だから、ダーツの矢の替わりになるのは…


「オラァっ!」


バーベキューで使う包丁やハサミ、貝剥きのナイフだ。


「ン゛ン゛ーーーー!」


青年の腹に、包丁が突き刺さる。


「ウォーホォー!命中したぜぇ!」


「いいぞぉー!」


「もっとやれー!」


見事的に当てた参加者の一人に、惜しみない万雷の拍手が送られた。

狂っている。

どいつもこいつも、命を弄んでいる。

老爺は、むかっ腹を立て、都市外部の奴らを睨む。


「オイジジイ、てめぇ何こっちを睨んでやがるんだ?アッ?」


集団の一人の男が、それに気づき、老爺の頬を掴む。


「きひふが…ひははらにひほのほほろはないのか…」


「鬼畜?鬼畜って言ったのか?歯抜けジジイ。テメェに言われたかねぇよ。無差別児童30人殺しの虐殺者が」


まただ、また、こいつらは私を通して別の誰かを見ている。


「わはひは…ほほもを殺してなんか…いない…」


「うるせぇ、テメェは俺たちに使い潰されるのが仕事なの。説教するのが仕事じゃないの。ワカル?」


まるで子供にでも言い聞かせるような声でこちらに話しかけてくる男。

しかしその目は、どうやってこのジジイを調理してやろうかという嗜虐心に満ち満ちていた。


「このジジイを干し始めてから3日か…そろそろ糞も何もかも出尽くしたころだろ…」


「こいつとかどうよ」


男の後ろから、下卑た表情をした男が現れ、赤い果実、唐辛子を差し出した。


「そう言うのもありか…ヨシ!」


男は調理場へと行き、唐辛子を刻み始めた。

10本、20本、いや100本以上の唐辛子を切り刻み、唐辛子の山を作る。


「ンンー!ンンー!」


そうしてる合間にも、ダーツは続く。

的の内臓がゴボリと零れた。


「菜種油はっ…と。あったあった」


中華鍋に油を注ぎ、そして火にかける。

油の良い匂いが漂い始める。

唐辛子と油とくれば作られるのは一つだ。


「ジジイ、お前に飯を食わせてやるよ。お前ら手伝え!」


集団の中から口を開ける器具を持った女が近づいてきた。

男の意図を察したのだろう。


「ふがっ!アーッ!」


老爺は抵抗するものの、3日呑まず食わずの老人と、活力に満ち溢れた若者では勝負にならず簡単に器具をはめられてしまう。


「いくぜ!辛そうで辛くない、少し辛いジジイの調理スタートだ!」


老爺の口に目いっぱい唐辛子が詰め込まれ、熱された油が注ぎ込まれた。


「!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


老爺の視界と意識は、容易く弾けた。





「ハッハッハッ…!」


「それでよぉ…!」


宴は2時間続いた。


席には辛そうな肉が皿に乗せられ、それを肴に話をする。

大体の席でそうなっていた。


「眠いから俺は寝るわ…夕方飯食う時間になったら起こしてくれや…」


そう言って横になるものも多数いた。


ここで食事をした後、満腹感と体に回ったアルコールで眠りにつく者もいれば、人肌が恋しくなり女漁りや男漁りに行く者、都市を満喫することを再開する者等、思い思いの事をしていた。

いつもなら、このまま都市住人が狩られるペースも下がり、105番は何事もなく、今日もやり過ごすことが出来たはずだった。


しかし、今まで何もなかったからといって、今日も何もないと確定されるわけではない。


「………」


一人のガスマスクが己の獲物を取り、この場から何も言わずに離れた。


「………てぇなぁ」


ガスマスクがボンベを背負い、ぼそりと呟いた。


「殺してぇなぁ………」


「焼き殺してぇなぁ…」


「3日前はオスの大人を焼き殺したなぁ…」


「2日前はメスの大人を一気に10人焼き殺したなぁ…」


「昨日はオスのガキをキャンプファイアーに突っ込んで殺したなぁ…楽しかったなぁ…」


「今日は何を焼き殺そうかなぁ…何を焼き殺したいんだろうなぁ…」


「ああ…そうだぁ…」


「焼き殺してぇなぁ…メスのガキを焼き殺してぇなぁ…」


「まだ希望を抱いてるようなメスのガキを焼き殺してぇなぁ…」


「謝れば許してもらえると思ってもらえるメスのガキを焼き殺してぇなぁ…」


「まだ笑顔が輝いているメスのガキを焼き殺してぇなぁ…」


彼の名は篝火崎善人、彼の進む先にあるのは、住宅街。

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