1日目 午後① 狩り

走る、走る、走る、少年はひたすらに走る。

息を切らしながら、割れたガラスを踏みしめ、ズタズタに引き裂かれた足の裏の激痛を耐え、少年は走り続ける。

後ろから、ハッハッハッと断続的な獣の吐き出す息の音が、消えないから。


一緒に逃げていたはずの少年と少女たちは、もういない。

少年を追っている獣に、足首を噛まれ、腕を引き裂かれ、首を噛み砕かれたから。


一人、また一人と消える度、後ろから歓声が響く。

黒い集団の歓声。

獣に子供を捕らえさせ、内臓を抉り出し、目玉を指で抉り取り、爪と指の間に鉄針をねじ込み、性器をナイフで切り落とす。

そうする度に、気色悪い笑い声を上げ、その黒い姿を朱く染めてゆく。


怖い、怖い、怖い、怖い、怖い――――!


なぜ、自分は奴らに追われているのか、少年は訳が分からなかった。




「駄目だこりゃ、ガキは使い物にならねぇ」


それが、少年の意識がはっきりして、一番最初に聞いたマトモな言語だった。

彼の周りにいた少年少女の、唸り声や掠れた声とは違う、しっかりとした言葉。


「何人か見知った顔がいるが、駄目だな。若すぎる。『救イノ手』の奴らが来るのを邪魔してこれじゃ、組長が何と言うか…」


声の主は、成人男性だった。

二人組の片割れで、いかつい顔をして、こちらを一瞥し、がっかりといった表情をしていた。


「しょうがねぇだろ。おら、早く戻ろうぜ。そろそろ…」


「ああ…外の奴らが来る」


それだけ言って、男達は走っていった。

少年はそれを、ただ見つめていた。


それから数分後、少年はようやく歩き出した。

頭の中はぐるぐるで、何がどうなっているのかはわからないが、それでも歩き続けた。

少年の後ろには、自分の周りにいた、少年少女が付いてきている。

どうしてとも思ったが、少年はそれを言わなかった。

多分、みんな自分と同じだから。

少年はなぜかそうだと確信していた。


少年は、気が付けば「壁」の前にいた。

デカい、何よりもデカい壁。

ビルよりも高く、下手をすれば山よりも高いのではないかと思わせるような壁。


少年はそれを見上げ、そして空を仰いだ。

そこに、空はなかった。

いや正確には、空はあった。

しかし空には、格子状に線が入り、どこか平べったいような印象を受ける。


少年にはわからない。

それが、天井に映し出された仮初めの空だということも。

そこにある青空も、入道雲も、ただの映像でしかないことも。



『都市の住人の方々にご連絡します』


どこからか、声が聞こえてきた。

都市全体に、響き渡る、女の声だ。


『これより監獄都市Abashiriの開場時間となります』


その声には何の感情も込められていない。

ただ無感情に、アナウンスが、されている。


『都市の住人の方々は無用な抵抗をし、来場者の方々を傷つけないように注意をしてください』


それだけ言うと、アナウンスは終わり、辺りを静寂が包んだ。

すると、少年の右側の壁、30m程離れた場所にある、大きな扉が開いた。


『いやーようやく開いたな。腹が空いてしょうがねぇや』


『今日はこの子を使ってみましょうか』


『早く頭を勝ち割りたいな!』


黒い集団が、そこから大量に入ってきた。

ガスマスクに、特殊部隊染みた装備をした、黒い集団。

数にして50、100、いやそれ以上の集団が切れ間なく、そこから吐き出されてくる。

手にはナイフ、刀、鉈、槍、果ては鬼が持つような金棒やチェーンソーを持つ者もいた。


マズイと、少年の本能ががんがんと警鐘を鳴らしている。

『アレ』に、関わっちゃ駄目だ!


「あの…ここはどこなの?僕は誰なの?」


いつの間にか、少年についてきていた集団の一人が、黒い集団に近づいていた。

黒い集団はピタリと進行を止め、全員が少年の方を見ている。

その異常なまでの一糸乱れぬ行動に、少年は気持ち悪さを感じる。


ガスマスクの奥、全員の視線が、そこにいる子供に注がれている。

爛々とした、飢えた肉食獣の如き獣の目を。


『坊や、どうしたの?』


集団の一人が前に出て、しゃがみ、子供の目線に合わせる。

籠っていたが、声からして、女だということがわかる。


「僕、僕、何が何だかわからなくて…」


『そっかぁ…』


女は、子供を抱きかかえ、頭を撫でた。

その様を、黒い集団はじっと見ている。


『よしよし…』


そして、その首を一息に折った。

ゴキャっという音を立てて、簡単に、あっけなく、子供の短い生涯は幕を閉じた。

だらりと、子供の首が後ろに垂れ、こちら側、少年の目を見た。

生気の無い、死者の目が。


『やりぃ!まずは一匹!』


女から先ほどの慈母の様な佇まいが失せ、全身で下劣な歓喜の情を表現していた。

子供の死体を、地面に叩きつけ、小躍りをし、その子供の死体を何度も何度も踏みつける。

女の靴に付いたスパイクが、子供の顔面をズタズタにし、目玉を潰す。


『バッカお前、脳味噌駄目になったらどうすんだよ!』


『知らないのあんた?人間の脳味噌を食ったら病気になるらしいわよ?』


近くのガスマスクとそう話しながらも、女は踏みつける足を止めない。

そして、ぐちゃりと子供の頭が割れ、頭の中身がぶちまけられた。


『あー勿体ない…』


ガスマスクの中から何人かが前に出てきて、ガスマスクを取り、少年の頭の中身を啜り、そして食らう。


「ウ…ウェェェェェェェェ!!!」


それがあまりに気持ち悪くて、少年は吐いてしまった。

ガスマスクの中身は、人間だった。

自分と同じ姿いおえかえぬcさげもうえhmxふぃうあcねんせうtc!!!!!!!

!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


「がああああああああああ!」


頭が割れた、そう錯覚するほどの激痛が、少年を襲う。


お前たちは都市の住人で、クローンだ。人間では断じてない。

お前たちは都市の住人で、クローンだ。人間では断じてない。

お前たちは都市の住人で、クローンだ。人間では断じてない。

お前たちは都市の住人で、クローンだ。人間では断じてない。

お前たちは都市の住人で、クローンだ。人間では断じてない。

お前たちは都市の住人で、クローンだ。人間では断じてない。

お前たちは都市の住人で、クローンだ。人間では断じてない。





お前の様な犯罪者風情のクローンが人間の訳がないだろう?

使い潰されろ、ゴミ屑が。

未来永劫、人間に奉仕し続けろ。

貴様の罪が許されることは、未来永劫ないのだ。





頭の中がその言葉で一杯になる。

まるで、先ほどの考えの罰のように、頭痛が収まらない。


『それにしてもいやぁラッキーだな!』


『獲物がわざわざこっちに来てくれるなんて』


黒い集団が、こちらに近づいてくる。

ニヤニヤ、ニタニタ、ガスマスクの奥の目を歪めて。


「み、みんな逃げてぇぇ!」


少年のその声と共に、少年少女は叫び声を上げながら、四方八方に逃げ出す。


『そうはさせるか!行け!相棒!』


ガスマスクの一人が、逃げ出した子供たちに向けて指を刺した。


『ガウ!』


すると、黒い集団の中から何かが飛び出した。

それは地面を駆け、逃げ出した集団の中から一人の少女の足に噛みついた。

それは、獣だった。

機械仕掛けの獣、しなやかな体、まるでドーベルマンの様な電子の猟犬だった。

猟犬は、少女を引きずり倒すと、首に噛みつき、ブンブンと振り回し、地面に叩きつける。


『ヨシ!相棒、持って帰ってこい!』


ガスマスクの声を聴いた猟犬は、耳をピクリと動かし、少女をガスマスクの元へと運んだ。


『よくやったぞ!』


ガスマスクは、猟犬の頭を撫でた。

猟犬は嬉しそうに尻尾を動かし、媚びるような声を吐き出す。


『次からは可能な限り生け捕りにして持ってくると嬉しいな』


ガスマスクは猟犬の頭を撫でながら、そう注文をした。


『バウ!』


飼い主と猟犬の、心温まるコミュニケーションだ。

猟犬はガスマスクの願いを叶えるため、再び狩りを始めた。






少年は遮二無二走り出した。

猟犬が再び、動き出した後、恐ろしくて、頭が痛くて、死にたくなくて、その場から逃げ出した。

少年の後に、何人かの子供たちが付いてくる。

そして猟犬も。


少年は遮二無二走り続ける。

走り出す先に、ぶらぶらと揺れるものが見えた。

子供の首釣り死体だ。

縄がついているのは、ドローン。

荷物運搬ができるほどパワフルなドローンで、子供を釣っているのだ。

首に縄をかけて、釣り上げて…


少年は遮二無二走り続ける。

走った先に、ガスマスクの集団がいた。

そいつらも、猟犬を使っていた。

何人もの子供が捕らえられ、拷問され、凌辱され、殺され、そして食われていた。


少年は遮二無二走り続ける。

息が切れて来た。

後ろにいたはずの子供たちの数が減っていた。

猟犬が捕らえているから。


少年は遮二無二走り続ける。

目の前にいた子供が爆散した。

口や肛門から爆弾を詰められ、はじけ飛んだのだ。


少年は走り続ける。

子供の首が団子状になって貫いた木の杭が、何本も刺さっている。


少年は無理やり走る。

車の中にすし詰めにされた子供たちが、ガソリンをかけられ車ごと焼き殺された。


少年は…







歩く、歩く、歩く、少年はもう走れなかった。

足は血まみれ、体力は尽き、少年はもう走れなかった。

後ろから、ハッハッハッと断続的な猟犬の吐き出す息の音が、聞こえる。


一緒に逃げていたはずの少年と少女たちは、もういない。

全員、死んだ。


目の前に、ガスマスクの集団。

もう逃げ場は、どこにもない。


「………アハッ………」


少年は、力なく笑った



その首に、猟犬が牙を立てた。


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