第36話 過去の彼女と今の彼女
ぼーっと考え事をしている間にも授業は進んでいく。今の授業は、古文だ。正直、あまり興味が無い方で退屈な授業だ。歳のいった50代くらいの先生で、淡々と授業を進めることに定評がある。
「さて、今日は『古今著問集』からです。「僧正おどろきてのち、ここにもちたりつる餅はとたづ ねられければ」に続く、「その餅は、はやくへと侯つれば、食べ侯ぬ」。この一文を現代語訳してみましょう。誰か、わかる人はいますか?」
古文の教師が周囲を見渡すが周りはしーんとしている。僕も、ぱっとは答えが出てこない。えーと、その前文の現代語訳は……と考えていると、
「はいっ」
と元気の良い声が。見たら、セシリーが手を挙げていた。
「「そのお餅は早く食べろとのことでしたので、食べました」あたりでしょうか?」
そう落ち着いて答える様子は、とても堂々としている。
古文の問題にイギリス出身の女の子が答えている情景には見えない。
「正解です。セシリアさんはさすがに優秀ですね。これは、「侯つれば」の訳し方が問題で……」
淡々と解説をしながら授業を進める古文の教師。こんな風に、特に、日本や日本文化に絡む問題は特に真剣に取り組むのも彼女のいつものことだ。
「リアちゃん、古文とか現国の授業はすっごい得意だよね。一体、どうやって勉強してるの?」
セシリーによく絡む女子生徒が休み時間になると寄ってきた。名前は確か、
「リアちゃんは止めてって、
それに、笑いながら答えるセシリーもほんとに凄いものだと思う。
いくら日本語が堪能になったとはいえ、古文はまた別だろう。
「ほんと、イギリス出身とは思えないよね。私たちよりも日本人らしいかも」
「私は日本が大好きですから」
「ほんと、リアちゃんは日本が大好きなんだから。後で、古文、教えてよ」
そう言って去っていく、菜々ちゃん。
ちょくちょくこんな光景を目にする。
にしても、彼女がこんな風に堂々と僕を介さず人と接するようになったのはいつの事だっただろうか。
「セシリーはそんなに長時間勉強していないのに、凄いよね」
隣にいる彼女に声をかけてみる。
彼女がそんなに勉強に必死になっている姿は滅多に見ない。
「朝早く起きて勉強すれば、こんなものよ。キョウヤもやってみたら?」
笑顔で、事も無げに返事をする彼女。
朝のほうが効率がいいと言われているけど、簡単に実践できるのは凄い。
「僕は遠慮しとく。にしても、ちょっと懐かしくなっちゃったよ」
会ったばかりの事を回想していたからか、つい、思ったことを口に出していた。
「なぁに、それ?」
「小学校低学年の時は、さっきから考えられないくらい、僕にべったりだったからさ。さっき思い出したんだけど」
「そうだったわね。でも、それも、キョウヤが教えてくれたことなのだけど?」
何かを思い出したのか、愉快そうに告げる彼女だけど、はて。
「ええ、ほんと?何か言うほどのことをしてあげた覚えはないんだけど……」
そんな人生を変えるくらいいい言葉をかけてあげたのだろうか。
「当時の私はすっごくショックだったんだけど。いい薬だったわね」
と思ったら、どうも僕が厳しい事を言った話らしい。
「うーん。気になるなあ。教えてよ」
そう聞いてみるも、
「秘密。これは私の思い出だから」
と笑顔で拒否されてしまう。
気にしてないからいいんだけど、過去の僕は何を言ったのだろう。
そんな事が少し気になったのだった。
中学に上がる頃には、あの凄い人見知りは治っていたっけ。
だとすると、小学校の頃なのだけど……。
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