第35話 彼女との過去〜彼女が転校した頃〜

 授業をぼーっと聞きながら、僕は一つのことについて考えていた。それは、セシリーから出された「宿題」のことだ。小学校4年生の頃の約束と言っていたけど、あの頃、約束はいっぱいしたような気がして、なかなか思い出せそうにない。


 さらに遡って、セシリーと出会った小学校3年生頃を思い出そうと唸っていると、当時の情景が少しずつ蘇ってきた。


◆◆◆◆


 当時の僕は、毎週のように「Joseph's Ramen」に通って、なんとかあの妖精のように可愛い(当時の僕補正)セシリーとお近づきになろうとしていた。


 通いつめて何週目だったか、初めて「キョウヤ」という名前をきちんと発音してもらえたときは嬉しかった。当時の僕は彼女の名前を英語でうまく発音することはできずに、カタカナで「セシリア」と呼んでいたけど。


 初めて彼女を愛称で呼んで以降。まだまだ引っ込み思案で人見知りだった彼女は、僕には心を開いてくれるようになった。


「ねえ、キョウヤ?」

「なんだい、セシリア?」

「きょうからは、セシリーってよんでほしい。なかよくしてくれてるから」

「OK. |I'll call you Cecily from now on《これからはセシリーって呼ぶよ》」

「キョウヤのえいごがききとれないのだけど」

「これからはセシリーって呼ぶね。って言ったつもり」

「わかったわ。むりにえいごつかわなくてもだいじょうぶよ?」


 当時の彼女はといえば、まだ頭の中で漢字を思い浮かべられる程じゃなかったので、ひらがなとカタカナで日本語文を考えていたそうな。


 僕はといえば、彼女の日本語上達速度よりも英語上達速度が遅かったので、お互いに意思疎通が取れるようになった頃には、彼女に日本語でOK的なことをよく言われていた。昔の僕、意外と情けないな。


 いつしか、彼女が僕と一緒の学校に行きたいと思うようになったのが、年度の後期だったか。確か、秋頃だったかに「キョウヤといっしょのがっこうにいきたい!」と言い出して、ジョゼフさんたちを困らせたのだった。悩んだ彼女の両親は、僕が一緒ならという条件で折れたのだった。


 そして、転校初日。


「はい。今日からは、このクラスに新しいお友達が加わります。イギリスから引っ越してきた、セシリアさんです。まだまだ日本に慣れていませんから、皆仲良くしてあげてね。セシリアさん、自己紹介はできそうですか?」


 担任の先生は、外国人を受け入れるのは初めてだったので、色々気を遣っていたようだった。


「みなさん、はじめまして。私は、セシリア・アイバーソンといいます。セシリアがなまえでアイバーソンがみょうじです。まだまだにっぽんのぶんかはわかりませんが、キョウヤといっしょのがっこうにいきたいとおもっててんこうしました」


 漢字の習得こそまだまだだったけど、彼女の語学力はたいしたものだった。発音はまだまだイギリス訛りがあるし、言葉も堅いものの、しっかりと日本語で自己紹介をしたのだった。


 そして、思わぬところから出た名前にクラスは色めき立った。


「キョウヤって雨次あめつぎのこと?」

「おまえ、セシリアちゃんと知り合いなのか?」

「セシリアちゃん、かわいいー」

「お人形さんみたい」


 などなど。白人の女の子ということで物珍しさはあっただろうけど、幸い、好奇心が勝ったようで、クラスからは好意的に受け入れられたのだった。


 ただ、彼女は僕とは既に打ち解けていたものの、まだまだ人見知りで引っ込み思案だったから、彼女に興味を持った女の子が、


「ねえねえ、セシリアちゃん。好きな食べ物はなあに?」


 と何気なく質問するや否や、


「え、えーと……キョウヤ」


 助けを求めるような視線を僕に送るセシリーがいつものことだった。


「セシリー、おちついて?きみのすきなたべものをきかれてるだけだよ」

「う、うん。それなら、ラーメン、よ」

「へー。イギリス人なのに、ラーメンが好きなんだ。なんで、なんで?」

「その……キョウヤ」


 再び助けを求める視線。


「あー、その。セシリーの家はラーメン屋さんなんだ。だから」

「イギリス人なのに、ラーメン屋さん。すっごいねー!」

「う、うん。えーと、キョウヤ……」

「えーとね。お父さんが日本好きで、最近ラーメン屋を立ち上げたんだ」


 終始こんな具合で、何かにつけ、僕が会話の間を取り持つものだから、いつの間にか彼女のそばで僕が面倒を見るのが当たり前。セシリーに何か聞きたいときは、僕に取り持ってもらうのが当たり前という空気ができていった。


 幸か不幸か、それ以来学校でもそれ以外でも彼女は僕にべったりとなって、何かにつけて僕と一緒の行動をともにするようになったのだった。


 それこそ、学校だけじゃなくて、友達と遊ぶ時も僕にくっついて来たし、家に帰るときにまでついてきたことがあった。まあそれで、母さんとセシリーが知り合ったのだけど。


「まあ、恭弥きょうやったら、こんなかわいいお友達ができたのね」


 なんて母さんに言われたのを覚えている。セシリーはといえば、


「はじめまして。セシリア・アイバーソンといいます。キョウヤのお母様」

「お母様、ですって」


 母さんはお母様と呼ばれたのがどうも嬉しかったらしく、それ以来彼女のことをなにかにつけて気にかけるようになった。


◇◇◇◇


「思い出すと、ほんと、セシリーは僕にべったりだったなあ」


 正直な感想がそれだった。だから、人間関係の問題に敏感だった僕は、セシリーの交友関係が心配になったものだったっけ。


 そして、僕にべったりだったことが軋轢を生むこともあった。やたら僕にくっついているセシリーを快く思わないやつもいた。他にも、イギリス人なのに金髪じゃないのをネタにからかわれたり。そのたびに僕が防波堤になって、


「きみのことはぼくがまもるから」


 なんてかっこつけたことをいったものだから、ますますセシリーは僕にべったりとなったのだった。思えば、当時の彼女にとって、家族以外で僕はたった一人の味方だったんだろう。


 今、僕の助けなしに、独自の交友関係を持っていることを考えれば、ほんとに雲泥の差だ。少し、感慨深いものを感じたのだった。


 しかし、この頃だと何か、今につながる約束はなかった気がするな。小学校4年のときといってたし、その次の年か。また今度、考えてみよう。


 こうして、彼女からの「宿題」を少し進めてみたのだった。

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