第33話 出会った頃

 5月の晴れ渡る空の下を歩いて、東風高校とうふうこうこうに向かう僕たち。今日の最高気温は25℃を超えるらしい。


「んー。日向ぼっこでもしたくなるわね」


 そう言いながらも、いつものように腕を絡めてくるセシリー。こういうスキンシップは大好きなのだけど、今日はちょっと暑い。


「あのさ、セシリー。ちょっと暑いんだけど」

「むう。キョウヤは離れろとでも言うの?」

「い、いや。そういうわけじゃないけど……暑いでしょ」

「私は平気よ!」


 横目で彼女を見やると、確かに元気で、暑いといった様子を感じさせない。


「それじゃあさ、帰りは思う存分こうしていいから」


 とはいえ、僕が暑いのは確かなので、条件を出してみる。


「しょうがないわね。約束よ?」


 ようやく腕を離してくれたセシリー。密着していた時の暑さが和らいで少しほっとする。


「ところで、今日ってさ、何かお祝い事でもあるの?」

「え?」

「招待してくれたの久しぶりだし、メニューが豪華だったし」


 どこか気分屋なところのある彼女だ。特に、何もなくて気分で誘ったという事も考えられるのだけど-


「もしかして、忘れたの?」


 口をへの字にして、見るからに不満そうな様子を見せるセシリー。でも、


「忘れたって……君の誕生日は6月だし、僕は9月だし。他に何かあったかな」


 首を捻るけど、何か特別な記念日だった覚えはない。


「私とキョウヤが出会った日よ!」

「あ!確かに!」


 言われてみれば、この頃に初めて彼女の家……というかラーメン屋さんを訪れた気がする。


「懐かしいね。初めて会った時は、店の隅っこにちょこんって座ってたよね」

「キョウヤが興味深々って感じで見つめてくるから、私、怖かったのよ」

「あの頃の君は人見知りだったからね」


 近づこうとするたびに後ずさった当時の彼女の様子を思い出す。


「キョウヤは人見知り、なんて簡単に言うけど、パパとママ以外には知っている人が居ないし、言葉も通じないし、ロンドンに居た頃とは周りの人も全然違うし……大変だったのよ。キョウヤが逆にロンドンに引っ越してたらどう思う?」

「僕がロンドンに……か。うーん」


 あの頃の僕はといえば、割と何にでも首を突っ込んでいる子どもだったと思うけど、それでも、周りが日本語が通じない人ばっかりで、見慣れた日本人じゃない人ばっかりが周りにいたらと思うと……


「たぶん、大変だったと思うけど……それはそれで楽しかっただろうな」


 当時の僕にしてみれば、イギリスやロンドンには華やかなイメージがあったし。と、正直に感想を口にしてみたものの。


「はぁ。キョウヤはそうよね。言葉も通じない私に物怖じせずに、どんどん距離を詰めてくるくらいだもの」


 セシリーはといえば、なんだか呆れ顔だ。


「アレはアレで苦労したんだよ?和英時点使って、まず、"Hello"から始めてさ」


 慣れない和英辞典を引いた日々を思い出す。


「あの頃のキョウヤ、そのまんまカタカナで「ハロー」って感じだったわよね」


 思い出したのか、セシリーは少し愉快そうにそんな事を言う。


「いきなり英語の発音はできないからね。仕方ないと思うよ」


 思えば、発音記号も載っていた気がするけど、いきなり発音記号などわかるはずもない。


「でも、最初、「ハロー」と「Hello」が結びつかなかったのよ」

「じゃあ、どんな風に聞こえたの?」

「「Haro」って感じだったわよ。だから、何?って思っちゃったわ」


 くすくすと笑うセシリー。確かに、「Haro」だと何がなんだか、かもしれない。


「ああ、それで、ジョゼフさんが間に割って入ったのか。納得」

「そうそう。パパが、「彼はHelloって言ってるんだよ」って」


 和英辞典で伝えられたつもりだったけど、実際にはもう少し複雑だったようだ。


「でも、途中からは僕の拙い英語でも通じるようになってきた気がするけど?」

「私もカタカナを覚えはじめてたもの。カタカナを英語に翻訳してたの」

「思ったより、ややこしい事してたんだね、僕ら」


 僕は僕で、少しずつ発音記号を学んで、それっぽい発音を心がけるようになっていったのだった。


「いきなり「君はとっても綺麗だねYou are so beautiful!」なんて言うものだから、私はビックリだったわよ」

「ちょっといきなりだったよね。ナンパみたいだ」

「ママもパパもクスクス笑ってたし、私はすっごく恥ずかしかったんだから」


 その頃の事を思い出したのか、少し頬を染める彼女。


「まあ、あの頃は若かったからさ。忘れてよ」


 仲良くなろうとした事は後悔してないけど、誰かの口からその言葉を聞かされると色々いたたまれない気持ちになる。


「忘れないわよ。恥ずかしかったけど、嬉しかったもの」

「嬉しかったの?」


 それは意外だ。


「だって、ロンドンに居た頃は単に背のちっこい女の子だったし。日本に来てから、最初通ってたインターナショナルスクールでも言われた事無かったわよ?だから、そんな言葉を言ってくれるこの男の子はどんな人なんだろう、って思ったの」


 相変わらず、少し恥ずかしそうにしながらも、嬉しそうに語ってくれるセシリー。


「そっか。じゃあ、言って良かったのかもね」

「ねえ。今、もう一度言ってくれない?」


 急に意地の悪い顔になって、そんな事を言ってくる彼女。


「う、うーん。ちょっといきなりは……」


 それに、彼女は綺麗というよりやっぱり可愛いというのが近い。


「ええー?普段、あれだけ堂々と愛の言葉を囁いてくれるのに」

「愛の言葉はよくても、それは別!」

「それくらい別にいいじゃない」

「良くないの」


 そんな事を言い合った末、かろうじて言わないで許してもらえることになった。

 あー、恥ずかしかった。

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