第32話 彼女の一家と朝食

 5月18日の月曜日。徐々に外も暑くなってきたある日の朝のこと。僕は、アイバーソンIverson家を訪れていた。「久しぶりに、私の家で朝ご飯食べていかない?」というセシリーのお誘いを受けてのことだ。


 まだ準備中の看板が立っている「Joseph's Ramen」を横目に階段を登って2階に行くと、そこには、セシリーたちアイバーソン家の面々が住んでいる部屋がある。


 チャイムを鳴らして、少しするとドタドタドタと元気のいい足音がする。あ、これはセシリーだな。なんて思っていると、


「お帰りなさい。キョウヤ。もうすぐご飯できるから、入って、入って」


 と笑顔のセシリーが出てきた。既に着替えていて、愛らしいパジャマ姿を拝むことはできなかった。ちょっと残念。て、


「なんで、「お帰りなさい」?」

「ちょっと、新婚さんごっこやってみたくなったの。駄目?」


 上目遣いで、そう可愛らしく言われると、駄目とは言えない。


「ううん、駄目じゃない。じゃ、お邪魔するね」


 と言って入ろうとすると、


「ダメダメ。そこは「ただいま」よ」


 とセシリー。その言い様に少し苦笑いしながら、


「じゃあ、「ただいま」」


 と言い直す。食卓に座ると、セシリーのお袋さんであるナタリーNatalieさんと、親父さんであるジョゼフJosephさんが既に着席していた。


「おはよう、キョウヤ君」


 朗らかな笑顔で話しかけてくるナタリーさん。


「ご無沙汰してます、ナタリーさん」

「そんな他人行儀にならなくていいのよ」


 などと日本人らしい挨拶を交わす僕たち。ナタリーさんは、ある外資系企業の日本支社で働いており、マネージャーをやっているのだとか。その経歴もあってかやっぱり日本語が堪能だ。セシリーと同じく、茶色の髪に碧い瞳。一方、ちっこいセシリーとは反対に長身でグラマーな女性だ。背と胸は遺伝しなかったらしい。


「おお、キョウヤ君。セシリーとはうまくやっているかい?」


 今度は、ジョゼフさんが話しかけてくる。


「うまくやってますよ。セシリーから聞いてませんか?」

「さんざん惚気話は聞いているけどね。君の目から見てどうかなと」


 その言葉に、少し最近の僕と彼女の関係を考える。大きな喧嘩らしい喧嘩もしていないし、愛情表現も十分……だと思う。最近変わった事と言ったら……ああ、そうだ。


「人前でも気にせず甘えてくれるようになりましたね。可愛いのでいいんですが」

「そうなのかい。でも、昔は引っ込み思案だったセシリーが変わったものだね」


 日本に越して来たばかりの頃を思い出しているのか。懐かしげな表情をして語るジョゼフさん。


「良かったら、私達の前でやってみてくれる?」


 少しからかうような声でいうナタリーさん。大方、娘の反応を肴にして楽しもうというのだろう。その声に振り向いたセシリーと僕は目が合った。と思ったら、飛びつくように抱きついて来て、ちゅっと頬にキスをされた。さすがに不意打ちだったので、少し照れる。


「ちょ、ちょっとセシリー……」


 こうも即座に反応されるとは思わず、少し動揺してしまう。


「いいでしょ?百聞は一見に如かずってね。というわけよ、ママ」


 少しだけ照れながらも、そう堂々というセシリー。人前で恥ずかしがる彼女を弄っていた頃が懐かしいくらいだ。そして、その光景を見ていたセシリーの両親はと言えば。


「あらあら。ジョゼフと付き合い始めの頃を思い出すわね」

「ナタリーは所構わず愛情表現して来たものだったね」

「あらやだ。ジョゼフだって、相当なものだったじゃない?」


 などと、仲よさげに会話を交わす様子は、見ていて少し恥ずかしくなってくる。仲睦まじいカップルというのは外から見るとこんななのか。


「ちょっとは自重した方がいいのかなあ……」


 とぽつりとつぶやく。


「別にいいじゃないか。キョウヤ君は今の方が、らしいよ」

「そうでしょうか……」


 思い返せば、確かに僕は慎ましさというものは無縁だった気がする。そんなこんなで談笑している内に、セシリーの手による朝食が完成したらしく、手際よく配膳してくれる。料理の腕が壊滅的なナタリーさんは手出し厳禁なので、最近はセシリーが食事を作る事が多い。


「「「「いただきます」」」」


 しっかり手を合わせて、「いただきます」をしている様子は日本人以上に日本人らしい。まずは、味噌汁を一口。


「相変わらず、セシリーの作るお味噌汁は美味しいね」


 具はなめこだけのシンプルな赤だしだけど、出汁がしっかり出ている。しかし、何の出汁だろうと思っていると、


「これは……あごだしかな。うんうん。美味しい」


 とジョゼフさんのコメント。あごだし……飛び魚から取った出汁だったっけ。


「正解!パパの作るラーメンを参考にしたのよ!」


 嬉しそうに言うセシリー。さすがに、ジョゼフさんは、ラーメン店を開業しただけあって、舌が肥えている。


「仕事の休憩時間に、ちょっと欲しくなる味ね」


 とナタリーさん。


「じゃあ、後でポットに入れてあげる!」


 そんな風に微笑ましい光景が繰り広げられているのを目にすると、心が温かくなるのを感じる。


 つづいて、いい感じに炊き上げられた白米とキュウリのぬか漬け、焼き鮭、卵焼きといった純和風朝食を堪能してしまった。極めつけには、食後のデザートにコーヒーゼリー。


「なんか、凄く豪華な気がするんだけど」

「この子ったら、久しぶりに招待するんだって、張り切ってたのよ」

「ああもう、ママ。そんなの言わないでよ!」


 食卓に、一家の笑い声が響き渡る。なるほど。セシリーが和食好きとはいえど、豪華過ぎると思っていたのだけど、僕のためだったか。


 しかし、僕の方も大概だけど、完璧に外堀を埋められている気がするな。


 食事を終えた僕たちは、手早く準備をして、学校に向かうことにする。


「行ってきまーす!」

「ああ、行ってらっしゃい。セシリー」

「お邪魔しま……いえ、行ってきます」


 この雰囲気に、「お邪魔しました」というのも違う気がして、恥ずかしいのを抑えて「行ってきます」を言ってみた。


「あらあら。キョウヤ君が家族になる日も近いわね」

「いやいや。せめて、大学生になるまではね」

「……もう、キョウヤったら」


 朝、「ただいま」を言えと言った張本人であるセシリーが照れくさそうなのが少し意外だったけど、悪い気分じゃない。


 こうして、普段と少し違う登校となったのだった。


 そういえば、こうやって食事の席に招かれるのはかれこれ1年ぶりくらいになるのか。どんな気持ちで彼女は僕を誘ったのか、そんな事が少し気になったのだった。

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