3章8話 - 薔薇園

「カイン様、どうかなされましたか?」


 ひかえめに肩を揺すられて、カインの意識はほうまつのように浮かびあがる。


「……あァ? てめえ、なんでここに……ッ!?」


 シスターの顔をとがめ、反射的に立ち上がろうとして――強烈な眩暈めまいに襲われる。専属椅子と化したグレンデルに腰を落ち着けなおせば、なんだなんだとじゅうぼくの視線がつきささり、背後から困惑する気配がふりおちた。


「いけません、急に立ち上がられては。お身体にさわります」


 眩暈めまいはいまだやわらぐ気配をみせない。それでも目をそばめ、恋人を視界のなかに囲い入れた。


 なつかしい。じゃくはんだらけで、鼻は不格好で、歯並びも悪い。どれほどかせても決して美人とはいえない顔。だが世界中で誰よりも愛した女の顔だった。


「……いるのか、ここに。オレ様のそばに」

「……? ええ、私はいついかなるときもカイン様のお傍に」


 なんだノロケかよ。遠くから半吸血鬼のが飛び、ついで懐かしい声がそれをとがめた。


 状況がわからない。カインはけんしわをほぐしながら、あらためて周囲をいちべつする。


 黄金色の館。美しくみだれる薔薇園。いつものようにグレンデルのきょが椅子がわりで、なにをやってもドジばかり踏むシスターが傍にひかえている。すこし離れた場所には従僕ふたりが薔薇の世話をして、ガゼボではていとその友人を名乗る下等雑種がにこやかにだんらんしていた。


「……夢、か」


 これは夢だ。願い、もとめ、つくりあげようとした楽園にちじょう

 だがシスターはそうとらえなかったようで、あどけなく首をかしげる。


「あら、はくちゅうでも見ていたのですか?」

「……いや、」


 こちらこそが現実なのだと暗に告げられ、それもそうかと考えなおす。

 ならば先に見たものこそ、夢は夢でも悪夢のたぐいだ。従僕たちを見殺しにした。恋人を守りきれる自信がなく、人の世に帰した。復讐を誓い、ようやくバビロンにあいまみえるも、ちたおす道はなかばで閉ざされた。……そんな悪夢。

 もし彼女にそう告げたところで、見た目はもとより頭すら出来損なった女のことだ。失望はされないだろう。


 だがカインは雄。彼らの主人であり所有者である。従僕たちを見捨てるしかなかった、あまつさえ敵に寝取られたなど。所有印を刻まれたせいで何度生まれ変わろうとカインのものでありつづける彼女を、何百年もひとり寡婦おんなやもめにさせたなど。たとえ悪夢だろうが、一体どうして愛する女にしゃできようか。

 否。相手が従僕だろうが義弟だろうが同じことだ。に、あるいはに、どうして夢とはいえ無能で無様だったなどと打ち明けられようか。


「カイン様? まだご気分がすぐれませんか?」

「……うるせェ。ちったァ黙ってオレ様に抱かれてろ」


 顔色を確かめようと近付いたシスターを抱き寄せる。まったく色気のかけらもない悲鳴をあげながら、恋人は腕のなかに収まった。


 やはり懐かしい。そんなはずがないのに、ただただ懐かしい。百歩どころか千歩ゆずっても美しいとはいえない女だから、いつだって彼女は隣にいることを嫌がった。けいですからと半歩どころか二歩さがる彼女を抱き寄せるのは、いついかなるときもカインの役目だった。


 生きていること、すぐ傍にいることを実感したくて、ほっそりした首筋にきばをたてる。


「……ッ、あぅ、」

「黙れよ、客人あいつらにばれるぜ」


 急所をなぶられ、たいを震わせるシスターにささやけば、もんとはまた異なる了解の震えが返る。


 所有物だと公言してはばからぬといえ、義弟やその友人にじょうまがいのを目撃されるのは、ていしゅくな性格がゆるさないのだろう。しかし抵抗されないよう仕向けたとはいえ、反応らしい反応がないのはごうはらだ。

 どうせこの場の処女童貞は恋人と義弟のみ。こちらがなにをしているかなど、義弟よりも先に従僕や雑種が気付くだろう。ならば勝手に対応するはずだ。

 そんな命令不要の信頼関係があるのをいいことに、カインのそうは修道衣を引き裂く。あらわになった胸元にくちけようと顔を寄せ――……。


「……?」


 に、視界がかげる。

 目線だけを動かせば、義弟とだんしょうしていたはずの半魔が、いつのまにかすぐそばに立っていた。


「いいのかよ、カイン」

「あァ? なにがだ、下等雑種」

「それでいいのかって聞いてんだよ」


 しゅうもくかんで〝事〟におよんで構わないのか、という意味合いにしては、ずいぶんぶっそうなんの色をおびていた。カインがひそめているあいだにも、ぴんと張りつめた緊張を緩ませないとばかりに、彼はさらなる言葉を重ねる。


「逃げてばっかりじゃ事態は好転しない。――偉そうな態度でシャロンに言ったのはお前だろ?」

「……てめえ、なぜそれを知って……」


 なぜ夢のなかで刃をまじえた少女の名前を知っているのか。カインですら早くも頭のかんにしまい、このさき一度として思いだすかどうかというあいまいなものに変えてしまったのに。


「知ってるに決まってるだろ。誰が台本を書いたと思ってるんだ?」

「…………」


 カインはシスターの手をとり、握りしめた。

 彼女がすぐ傍にいると確認するために。決して離さないために。


「お前は知っている。お前だけは痛感してる。ヒバリみたく注意を買ってアベルを逃がしたときも、部下連中がおとりになって逃がしてもらったときも。逃げてばかりじゃなにも解決しないと、身をもって理解している」


 おんな気配を察して、がわりのグレンデルが牙をあらわに、薔薇の手入れをしていたはずの従僕たちが武器をむける。それでも彼の余裕はくずれない。


「今度は逃げんなよ。お前にれた女が、――お前の惚れた女が、何度転生しても処女のまま待ち続けてるんだ! こんなところでだかせいだかしてないで、さっさと事を終わらせて! 薔薇の花束片手にあいつのこと迎えに行けよ!」


 だいかつに、従僕とグレンデルが動いた。恋人を抱きかかえたまま一足早く距離をとったカインの視界で、爆轟音といくまんごくの黒煙があがる。だがめいぼうたる黒煙からにじみでたのは、ゆうこくの半魔ただひとり。


 一撃のうちにされたをみて、シスターが恐怖のこうじるままにすがりついた。


「カイン様っ……私、怖いです」

「……ああ、そうだな」


 カインは彼女の胸元に手を置いて。


「そりゃ怖ェだろうなァ、予想外すぎてよォ!」


 ――素手で胸をつきやぶり、つかみとった心臓ごと、きようはいを貫通させた。


「があッ、あッ――……な、なぜッ、カイ、ンッ!」

「あいつらの所有印をみて勘違いしたんだろォが……〈主従の契約〉と〈恋人の契約〉は薔薇紋の形状が違うんだよ、だいいん!」

「ぐっ……!」

いんばいごときがオレ様にさわってんじゃねえッ!」


 カインのはてしなき怒りは燃える氷となり。

 楽園ばらえんを、悪夢こいびとを、――そしてこの世界じごくを砕く。


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