3章6話 - 灰被りの姫1
目を開くと、視界すべてが
これが地獄なのだろうか。ヒロとパンドラはどうなったのだろう。勇気をだして
「……? ……ベアトリーチェ?」
視界こそ
「ベアトリーチェなの? お願い、答えて!」
もしも彼女がまだ生きているなら、今度こそ守らねば。
もはや一体誰が敵で、誰が味方なのかさえ混沌しきりの状況下、彼女だけがシャロンの揺るぎない支えだった。
「お願い、返事をして! ベアトリーチェ! ……ねえ、ビーチェ!」
だが
狂ってしまったのだろうか。……普段なら
「しっかりしろよ、馬鹿女。……まあ俺の〝本体〟も結構ヤバいことになってるんだから、あんまり
「あ、あなた……!」
黒一色だけの世界に、ゆらりと闇が
日高直紀。アリアス・リークス。半吸血鬼。
「ナオでいいぜ、シャロン。いまや俺たちは
「……っ!? ここから出られるの!?」
「出られるさ。お前が
「おおっと、おっかねえなぁ」
「
彼は現状をつくりだした張本人だ。わざわざ脱出方法を教えるわけがない。
だが当の本人はどこ吹く風で、シャロンの
「もし罠だとして、だからなんだ? 自力でここから脱出できねえくせに」
「……それは……」
悔しいが彼の言う通りだ。ヒロやパンドラを守るために、いつまでもこんな場所で足踏みしていられない。それに冷静に考えてみれば、ああもたやすく致命傷をあたえた男なのだ。今さらシャロンを
わからないのは彼の目的と脱出方法。
やるべきことは初めから決まっている。人類を守る。世界を守る。ヒロとパンドラを魔の手から救いだす。――そのために騎士として戦う。
「……あなたを信用したわけじゃないわ」
「でも私は未来がほしい。可能性がほしい。私が矜持の騎士であるために。そんな私で
「……いい返事だ」
ナオも手をのばす。彼女の手を
「動くなよ。――今からお前の記憶をよみがえらせる」
身体の内側が書き換えられる不快感。これが記憶をよみがえらせるということなのか。
……怖くないといえば嘘になる。罠ではないという完全な保証もない。
だが怖いというならば、シャロンはつねに恐怖と戦ってきた。神魔に殺される恐怖。心身を奪われる恐怖。ベアトリーチェが完全な
それに比べれば、過去を乗り越えることくらいなんでもない。
なんでもない、はずだ。
「……ぅ、あ、……ぐ、ううッ……!」
そう気を張っていられたのは本当に最初だけだった。
何度、心臓を潰される感覚に酔っただろう。
怖い。痛い。苦しい。やはり罠だったの?
そう思って彼の手をひきはがそうにも、うまくいかない。ちからが入らないせいもあるだろうが、動くなという
「や、やあ、あぁッ……やめ、痛、あアっ……!」
「地獄ってのは、対象者が忘れたい、認めたくない、なかったことにしてしまいたい記憶なわけだが。……お前の場合は少々
ナオがなにかを言っている。だがそれどころではない。
気持ち悪い。吐きだしたい。
「吸血鬼の体液には〈記憶の操作・改変〉能力がある。かつて俺が機関に捕まった理由だよ。血を奪われてミイラみたくなっちまった。だから今頃、俺の〝本体〟は
必死でもがくシャロンに
「話をもどす。つまり〈霊液〉の原材料っつうのは俺の血液なわけだ。ところでお前の
「ぃ、いや、やめてっ、こわい……!」
「見えないから怖いんだ。
「いや……いやああああッ!」
闇は
それは地獄の
走っている。
もう何年も
「はっ、はあっ、はっ、……あ! あった!」
背後に忍び寄る暗雲などまるで気にもとめず、少女は転がるように
「やったあ……まだ誰にも
赤髪の少女は、
割れた窓際で羽をやすめていた
まばらな雨が降りはじめていた。
強盗か、雨宿りか。そのまま家のなかに入るかと思われたが、予想外にも少女は笑顔をうかべて膝をつき、
「待っててね、みんな。いま、お菓子、持って帰るからね……」
壁面に爪を食い込ませ、
ようやく〝シャロン〟にも
「――……
これは、そのほんの一例なのだ。親がなく、学や
暗闇の世界で感じた子供たちの気配は、その孤児たちのものなのだ。
「だめ……待って、持って帰っちゃ……食べちゃだめっ……!」
少女の
彼女は知らない。それがお菓子ではないことを。
彼女よりも幼く
彼らがあまりに喜ぶから、少女は自分のぶんまで彼らにあたえた。結果、彼女以外の全員が死んでしまう――殺してしまうことを。
「……う、ぅ、あぁ、ああああッ」
吐いた。泣いた。絶叫した。
今見たもの、感じたものすべてを、捨てたい。忘れたい。消し去ってしまいたい。
あれがシャロンの過去なのか。これが、かつての自分が忘れたいものだったのか。
「いや、いや、いや、……こんなの、やだぁっ……」
耳を
だが塞いだてのひらをこじあけようとする者がいた。
ナオだろうか。地獄まで導き、
「……ひっ、」
「可哀想に。認めたくないのね。……でもこれがあなたなの。学がなければ家もない。お金どころかその日食べるものすらない。唯一の家族すら殺してしまった。殺したことすら忘れることを選んだ、救いようのない人殺し」
幼きシャロンが静かになじる。けれど言い返すことはできない。
「今ならわかるでしょう。あなたはパンドラを守ることで自分は悪くないって心のどこかで言い聞かせてたこと」
いや、ただ
シャロンもそれに
〈
事前にミルディンから聞いた通り、想い出は
赤髪は魔女の色で不吉だから、とか。新しく生まれ変わった自分に
やがてベアトリーチェにパンドラの役目がまわってきた。記憶はなくとも、きっとどこかであの孤児たちと
「やめて、……やめてっ……、もうやめてえぇええッ……!」
どうして対決を選んでしまったのだろう。
こんな悪夢をみるくらいなら、ずっと
「いや、いやあっ……! こんなの、こんなの私じゃないっ……!」
「うん、そうだね。つらいね、苦しいね……」
赤茶けた髪を揺らして、〝あたし〟はシャロンを抱きよせる。
「あたしだってお腹がすいてた。あたしだって、みんなのことが大好きだった。みんなのためにずっと頑張ってきたのに、こんなのってないよね。……だから、」
髪に口付けるほど身を寄せて、もうひとりの自分が
「もういいの。もう
「……え?」
「もうじゅうぶん頑張ったんだから、あとは幸せになるだけでいいの」
悪夢の
いつのまにかシャロンは〝あたし〟に戻っていた。赤茶けた
長身で、シャロンのような
まるで映画のなかから抜け出たかのような英雄。
はたまた絵本のなかの王子様か。
お手をどうぞ、シンデレラ。そんな歯が浮くような
彼が
なんということだろう! 彼は王子様で、魔法使いでもあったのだ。
おなじように身なりを整えた子供たちが元気よく
めくるめく輝きに満ちた世界。
「――みっともねえな」
その声が、
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