3章3話 - カイン vs 大淫婦
「ようやく会えたなァ、
カインの発するかつてないほどの殺意が、ローズを
「一対二? いいえ、むしろ一対数千ですわ!」
いや、確実に死んでいるのだ。双眸は
「Cosa c'era ne'l fior che m'hai dato?
(なにが隠れていたんだい、キミのくれたこの花に?)」
まぎれもなく〈世界再構築〉の詠唱だった。
「Forse un filtro, un arcano poter!
(媚薬、それとも秘密のちから?)
Ne'l toccarlo 'l mio core ha tremato,
(この花に触れるとボクの心は震え、)
m'ha l'olezzo turbato 'l pensier!
(その香りはボクを
彼女たちの足下から、まるで地獄の
「Ne le vaghe movenze che ci hai?
(あなたの振る舞いになにが宿っていたのだろう?)」
「Un incanto vien forse con te?
(素晴らしい魔法がかけられていたのか?)」
「Freme l'aria per dove tu vai,
(あなたの歩みに空気は震え)」
「spunta un fiore ove passa 'l tuo pie!
(あなたの足下から花が咲きでる)」
ローズは聖餐杯に
男の精気を奪い、
それがこの薔薇――神魔バビロン。
「ふふ、
「……あァ、そうだな。てめえがぶち壊して以来の光景だ」
黄金の城。広大な薔薇園。ふたりの
「そういえば聖書にあるカインとアベルの物語。あなたが植物を育てることができず地上の放浪者となるのは、わたくしがあの薔薇園を燃やしてしまったから、かしら?」
「……ッ! バビロン、てめえッ……!」
黄金の館と薔薇園を破壊され、従僕ふたりを
「ふふふ。今のわたくしならローズとお呼びくださいませ」
「O, my love's like a red, red rose
(我が恋人よ、あなたは赤い薔薇だ)」
「That's newly sprung in June
(六月に咲いた赤い薔薇だ)」
〝薔薇〟を補強するように、
だが、いつまでも
「動かない獲物なんざ格好の的なんだよ!
宣誓が、
攻勢は一方的。
カインが
だがそれだけだ。大淫婦の薔薇はつきはてることを知らず、よって世界はいまだ〈傲慢〉〈色欲〉どちらの色にも染まりきらない。よくいえば
ただ両者ともに余力はある。特に大淫婦はこの状況を
「ふふ、どうしたのかしら? あなたの復讐心はこんなものでしかないの?」
「
秘密の小箱を開けるような、好奇と興奮に満ちた手つきで。
「そう、本当に……今すぐにでも、ここにあなたを迎えいれてさしあげたい……」
あまく
くだらないとばかりに金銀
当然、その死者を
「てめえら……ッ!?」
見間違えるはずがない。かつての
過去バビロンの襲撃をうけた際、
「ニーニャ……サトクリフ……!」
意識が彼らにむいた
「――ぐ、あッ!?」
カインの両足が凍りつき――
たった一撃で
「てめえ、なにしやがった……!」
おのれの足に。そして従僕どもに。
「わたくし、
「バジリスクだとォ!?」
神魔たるカインの従僕を〝薔薇〟の一部にできるならば、他の神魔を隠し持たないわけがないということか。
「カイン。あなた、先ほどなんと
「くっ……!」
事態はただ攻守がいれかわっただけではない。カインはバビロンに
「わたくしとて鬼ではありません。せめてもの情け。彼らに
「
バビロンの
ぱた、ぱたり、と血の
「なッ、クソバカ野郎! あれほどでるなと言ってあっただろうがァ!」
「……カ、イン」
決して聞き取りやすいとはいえない声が、
それでもグレンデルは踏みとどまる。ここで
「どうか、お逃げ……ください……!」
グレンデルは主人を
ほぼ同瞬、グレンデルの
「……クソが! やはり精神汚染の異能か……!」
従僕ふたりが敵の
かすめるだけで精神を汚染する
戦意喪失するには充分。
だが
誰が見捨てるものか。ニーニャも、サトクリフも、グレンデルも、カインこそが真の所有者。絶対に奪いかえす。そのために
「Quando coltiverai il suolo, esso non ti dara piu i suoi prodotti, e tu sarai vagabondo e fuggiasco sulla terra
(汝が土地を耕そうと、もはや土地は実を結ばず。汝は地上の放浪者となるだろう)」
石化はいまだ
いや、それだけではない。恩恵はカインの縁者――末孫と従僕にまでおよぶ。彼がなんなく着地するのと時おなじくして、グレンデルたちも淫魔の
けれど、とローズは
「いつまでもやられっぱなしでいられるかよ。オレ様はてめえをぶち殺すために強くなったんだ」
「……なら、わたくしはそれにお
それは満天を埋め尽くすがごとく。
たとえ石化の縛鎖がなくとも、かならず捕らえ、撃殺するという害意。
それは界を満たす
たちまち荊棘がさながら
しかし耐えたところで
「名を、カイン
月にあっては
地獄の底にあっては
血まみれの
底なしの怒りに
「高貴なる神は
カインが
――カインを
カインがシャツを切り裂くと、心臓のうえ、茨の紋様があらわとなった。
「
「……な、ッ」
敵を
「つくりものの伝承で……恩恵を享受するとは……!」
カインとアベルの物語――カインが弟アベルを殺害した罪で追放された物語は、完全なる創作物にすぎない。それは当事者たるふたりが誰よりもよく知っている。それでも人の世ながら全世界最大の発行部数を誇る聖書は、すくなからぬ時のなかで人口に
「……いいえ、ここは
薔薇のごとき真紅を吐き散らかしながら、それでもローズは
「けれど
もはや〈創世記〉に有効打となる〈恩恵〉は残されていない。先ほどの〈
「そして――わたくしの
ローズの言葉に、
「And fare thee weel, my only love,
(さようなら、我が唯一の恋人よ)」
「And fare thee weel awhile!
(ほんのわずかの間だ、さようなら)」
「And I will come again, my love,
(私は必ずもどってくる、おゝ、我が恋人よ)」
「Tho' it were ten thousand mile.
(
宣言通り、一度は
圧倒的に不利な状況下、カインはそっと
「まがいもので作り物なのはてめえも同じだろうがよ! ローズを名乗りながら〝バベル〟を〝
古代メソポタミアのセム系言語「
アルファベットとはAとBを繋げて読んだ「アレフベートゥ」なのだ。
セム系言語だけではない。シュメール語の「母」が「家」のなかに「神」と書きあらわす象徴文字であるように。アッカド語の「所有物」「創造物」がアルファベットのBで
だからこそカインは〝彼〟を〝アベル〟と呼んだ。バビロンの
名前という存在を
そこに
「いいえ、それでもわたくしこそがバベルの母! その証拠に、我が薔薇による精神汚染の
植物の
たとえバベルがヒロ、バビロンがローズと名を変えようと、ふたりの戦闘形式は驚くほど似通っている。だからこそバベルがもつ
「その証拠を、今、お見せいたしましょう!」
彼女によって傷付けられた――精神を汚染されたであろう対象は、なにもカインの従僕や子孫だけではない。
「さあ、裏切り者は裏切り者らしく、さらなる
「――ぐ、がッ……!」
ローズの
もはや騎士と狩人は、
生ある者を死に導く、まさに
「ふふっ、あははっ! わたくしからバベルを奪いとろうとする邪魔者どもめ! 我が薔薇の
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