2章7話 - 罪

 寮の相部屋にたどりついても、ナオは部屋の灯りをつけなかった。就寝時刻が近いこともあるだろうが、施設にいたときからそれが当たり前だったからだ。


 明るい場所が嫌いだとか、暗い場所が好きだからじゃない。むしろ悪夢をほう彿ふつとさせるぶん、暗い場所には苦手意識さえある。それでも灯りをつけることすら、自身のあずかり知らぬ場所でとうせいがあるのではと考えてしまうヒロにはいりょして、いつしかふたりきりの夜は月光を頼りにするのがあんもくりょうかいだった。


 もう養護施設をでたのに、……もうなにも知らなかった頃のままではいられないのに、変わらないものもある。それがなんだかせつない。


「俺、上な」


 親友は月影を頼りに、慣れた様子で二段ベッドのはしをのぼり、上段をせんきょする。ヒロも、ベッドを使うという行為すら正直好きではないけれど、いくらかしゅんじゅんしたのち、やわらかいそこに腰かけた。


 ぼんやりと窓の外を見つめる。げんに近付きつつある月が、春のうんにふわりとぼかされていた。ナオといるのに、否、彼と一緒にいるからこそ、不安のじんが今日の夜空をいろどっている。


 ぴたりとあわさったくちびるすきをつくるのは親友が先だった。


「倒れたんだって?」

「……あ、えっと。そのときのことは、その、あまりよくおぼえていなくて」


 がしら公園ではぐれて以来の再会だ。あの出来事は彼からどのように見えていたのだろう。やぶをつついてへびをだすわけにもいかず、あいまいな受け答えをするしかなかった。


「保健室に行ってたんだな。いやさ、どこ行ったんだろうなって思ってはいたんだけどさ、こっちもごたごたしててそこまで頭がまわらなかった」

「うん、僕こそごめん」

すごいよな、この学校。こくせきもんってのは知ってたけど、生徒にも普通に外国人っているんだな。しかも日本語ペラペラだし」

「そうだね」

「生徒って言えばさ、――なんであいつは外にいたんだろうな?」


 思わず息がとまる。


 しらを切ろうにも完全にタイミングをいっした。

 嫌な汗がてのひらににじみ、心臓が壊れたようにはやがねをうつ。


「だってそうだろ? 全寮制で、許可なく敷地外にでられない校則があるのに、なんであいつは公園で倒れていたお前を見つけられたんだ?」

「それは……きっと部活動かなにかで……」

「ああ、なるほどな。部活動で外にでていた。他に部員がいたから、救急車を呼ぶよりもお前をかついで学校にもどることを選んだ。だとしたら、なにもおかしくないな」


 みょうな間があったことを物ともせずに、ナオは相変わらずひょうぜんとした態度をつらぬく。だが追求の手はとまらない。


「お前、最後になにか言いかけてたよな。こんな時間に女が一人歩きしたらあぶないから、女子寮まで送っていく。そう言おうとしたけど、やめたんじゃないのか?」

「……」

「俺たちは男だし、ふたりいるんだからさ。女子寮まで送り届けるのに躊躇ためらう理由なんてないはずだろ? なんで提案しなかったんだ?」


 ふたたびみょうな沈黙がひろがった。


 完全に嘘がばれている。……いや、そもそも隠し通せると思っていなかった。ただ今回もどこ吹く風と聞き流してくれるものだと思っていた。そうでなければ、もう終わったものとして水に流してくれるに違いないと、勝手にあまえ、期待していた。


 ――違う。あのときは本当になにをどう言えばいいかわからなくて。


 そう言いたいけれど、なにを言ってもけつるだけの気がして咽喉のどをつまらせる。これでは騎士になるよう命じられて、泣きながら吐くことしかできなかったのと同じだ。


 ざまで、情けなくて、どうしようもないおくびょうもの

 けれどいつだってそんなヒロに助け船をだしてくれるのは彼だった。


づかってくれたんだろ」

「……え?」

「俺があのシャロンってやつと相性悪そうだから、おたがい嫌な思いをしなくてすむようにここで別れたほうがいいって判断したんだろ? お前はああいうピリピリした空気、苦手だからな」


 はっとした。彼は怒っているのではない。めているわけでもない。――づかってくれているのだ。

 嘘をつくことすら苦痛なヒロが、隠し事をしていることをまないように。嘘がばれやしないかとおびえなくてもすむように。あえてだまされてやる。そういうことにしておいてやる。げんがいにそう伝えているのだ。


「ナオ……」

「さてと、そろそろ寝ろよ。明日から忙しくなるんだからな」


 ――明日。

 その明日にヒロはいない。具体的になにがどうなるのかわからないけれど、すくなくとも〝消毒〟によって彼の記憶からみなもりひろは消える。

 そのまえに感謝と……謝罪をするべきだろうか。


 いや、しなくてはならない。

 ヒロは人殺しなのだから。



 シャロンは言った。十五年前、東京バベルタワーを戦場にして、神魔と騎士が争ったと。神魔は人間にひょうし、肉体を奪えるのだとも。


 あの瞬間、すべてがみあった。きっと自分こそがその神魔だ。十五年前、数多くの人々をまきぞえにして騎士を殺害した裏切り者、あるいはそのいちに違いない。


 毎日のように見る悪夢がある。物心ついたときから繰り返される無限の地獄だ。大勢の人々がヒロをのろう。自分がいるだけでみんなが死んでいく。死ねというあく、助けてくれといういのちい。――あれはきっと十五年前の再現なのだ。


 あらためて考えてみれば、ヒロが人間であるどうなど、最初からなにひとつ存在しない。せっしょくする、という生きていくための最低限の行為すらも苦痛だった。空腹や咽喉のどかわきを感じたことはなく、ふくめいひとつしたことがない。今日だって丸一日なにも食べていない。水すら飲んでいない。昨日も、いっさくじつも、……最後になにかをくちにしたのはいつだっただろう。まるで思いだせない。


 人よりも胃が小さいのだろう。草花を踏むことを恐れてまともに出歩かないから、お腹がすかないのだろう。今までずっとそんな理由で片付けてきたけれど。そう信じて疑わなかったけれど。ヒロが人間ではなかったとしたら、そういった異常さに説明がついてしまう。

 


「……ナオ、寝る前にちょっといいかな」

「ん?」

「もしも十五年前の事件が、僕のせいだとしたらどうする?」


 きょうな問いかけだった。彼は神魔や騎士のことをなにも知らない。ヒロのせいと言ったところで皆守紘が人間ではないという発想にはいたらないのだから、本当にもしない仮定としてでしか受けとめられない。

 けれどこんなみゃくらくのない問いかけでもちょうしょうしたり、おっくうにならないのが、日高直紀という人間の優しさだった。


「ああ、あれか。俺はお前と違って変な夢とか見るわけじゃないから、いまだに実感とかないんだけどさ。……そうだな、罪を憎んで人を憎まずって言うだろ?」

「うん。でも〝罪の価は死なり〟とも言うよ?」

「残念だったな。そもそも俺は宗教の『わたしを信じて従っているかぎりあなたは善である』ってシステムが大嫌いなんだよ。ほら、ヨハネの福音書にもあるだろ? 俺なしじゃ幸せになれない、俺がいなきゃなにもできないんだってやつ」

「〝わたしから離れては、あなたがたはなにひとつすることができないのだから〟?」

「そうそれ。そんなのはきずなじゃなくて、ただののろいだ。本当に相手の幸せを望むのなら、自分とは全然関係ないところでも幸せでいてもらいたいのがどうなんじゃねえの」


 ――大体ね、彼はあなたの所有物じゃないの!

 シャロンに言われた瞬間、彼の雰囲気は一変した。

 あの一瞬だけは、親友が、まったく知らない別の誰かにみえた。


 彼はいつだって自由気ままの自然体だ。だからこそぞんしたりしゅうちゃくされることをぎらいするし、そう見られることを嫌がるのかもしれない。


「だから俺さ、ヒロになにか俺には言えないようなことがあるって知って、すげえ嬉しいんだ。だってそれはだましてやろう、出し抜いてやろうって理由じゃない。俺とは全然違う場所で、お前がひとつ居場所をつくったってことだ。だからさ、それでいいんだよ」


 自由であれ。


 地獄にとらわれ続けている自分とはたいしょてきなナオのざまが、まぶしくて、輝いていて。

 そんな彼が、今までずっと本心からそばにいてくれた事実が、たまらなく嬉しくて。


 ――だから、つらい。


「でも、僕は――ナオを裏切っているのかも」


 彼はそう言ってくれるけれど。かつて騎士アベルを裏切り、今は過去におかした罪をすっかり忘れ、犠牲の子羊の皮をかぶり、今まさに彼の好意をにしている可能性は、誰にだって……それこそ自分自身ですら否定できない。


「僕は、本当はものすごくひどいやつで、極悪人で、……生きている価値もないようなやつなのかもしれない。ナオはそれを知らないだけで、知ったら、僕を殺したくなるかもしれない」


 きしり、と音がして、ナオが上段から顔をのぞかせた。

 室内の暗闇に目が慣れてきたとはいえ、表情まではうまく読み取れない。それでもほほんでいるとわかるのは、彼のまとうやさしい雰囲気のおかげだった。


「言っただろ、罪を憎んで人を憎まずって。俺は神様なんて信じちゃいねえけど、お前なら信じて、だまされるのも悪くはないって思ってるよ」

「――……」


 だかなお。その名前に、ヒロは空の広さや雲の自由気ままさ、水のじゅうなんさをみた。


 けれど今になって思う。シャロンが太陽ならば、彼は夜闇なのかもしれない。見たくなかったものをあばきだすせいれつの光ではなく、どんなざいごうだろうと受けとめるうんしんげっせいさい


「それに俺も、ヒロに言ってないことなんか山ほどあるぜ。友達だから言えることがあるなら、友達だからこそ言いたくないことだってある。そのせいで相手を傷付けてしまうかもしれない。……でも、それでいいんだ。神様じゃないならお互い様。間違えながら、失敗しながら、何度だってやりなおしていけばいいんだよ」


 彼にしてはめずらしいじょうぜつは、次の言葉でめくくられることとなった。


「十五年前の事件が僕のせいだったらっていう問いの、これが俺の答えだ。どんどん迷惑かけろ。どんどん傷付けろよ。そのかわり俺もお前に迷惑かけるし、傷付ける。今から覚悟しとけよな?」

「……うん、ありがとう」


 人だから間違えることもある。

 ――きっと自分は人間ではなくて。


 友達だから言えないことがあってもいい。

 ――ゆるされない罪をおかし、それでも黙っているきょうもので。


 皆守紘だから信じられるし、その結果、だまされても構わない。

 ――これから異なる世界で生きることになる以上、彼のそばつぐなうこともやりなおすこともできないけれど。それでも。


「……ありがとう、ナオ」


 泣き声を感謝の言葉にかえて、ヒロは笑った。


 

 月いっこんが、春の瑞々みずみずしい湿気にぼかされながらも半分に笑う、静かな夜。

 騎士とはくの少女が、誰にも知られず世界の安眠を守る、変わりばえのない一日の終わり。



「……言っただろ。――俺もお前に言ってないこと、山ほどあるって」


 その言葉は闇ににじみ、誰の耳にも届かなかった。

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