2章4話 - パンドラ
『わたしは騎士じゃないけれど、……そうね、あなたの友達としてちからになれたらいいなと思っているわ』
それはシャロンが
『あなたは騎士じゃないの……?』
なにもわからない
だからきっと名のある騎士なのだと勝手に思い込んでいたのだけれど。
『ビーチェでいいわ。そうよ、シャロン。わたしはパンドラ
『パンドラ……?』
――寮への案内がてら説明するわ。
そう言って舞い戻った廊下は、無機質で、がらんどうで、嫌でも王城を
それもそのはず。この空間はすでに機関側を領地としている。表看板たる〝学園〟の理事長室から隠し階段をおりた先の、いわゆる地下空間なのだ。窓がなく、余計な外観が得られないため、なおさら王城にいたころを思いだす。
「あなたは〈パンドラの
沈黙を
「パンドラという名前の女性が、開けてはいけないと言われていた
「まあ、世間一般に伝わっている物語の大意はね」
「実際には違ったってこと?」
こちらとしても意味深に終わらせるつもりはない。
だから語る。創作でしか有り得ないような幻想の
「機関によれば、かつて神話の数だけ〝世界〟が独立していたそうよ。ギリシャ神話、メソポタミア神話、……この国にだって日本神話がある。神話の数だけ異界があり、今では
たとえば日本神話に登場する
「けれどあるとき、ある界で、パンドラと呼ばれた女性がなにか取り返しのつかないことをした。結果、各界を〝異界〟たらしめるなにかを失い、神魔が簡単に人々を襲えるようになってしまったの」
界を界たらしめる
そんなものが完全になくなってしまえば、ただの人間はひとたまりもない。現代でさえ大混乱は
「もちろん彼女は
「犠牲って……」
「いいえ、犠牲よ。パンドラの継承者は〈
「シャロン?」
思わず立ち止まれば、ヒロが
カチューシャを握る手が震えていた。
今の〝パンドラ〟が嫌いなわけじゃない。でも本当のベアトリーチェは。初めての友達になってくれた彼女は。今のあの子ではない。見た目も、性格も、記憶も、なにもかもが違う。
「髪は
パキン。
手のなかで、
「――……ぁ、」
壊れてしまった。壊してしまった。直せないのに。おなじものを探したって、それはかたちが変わらないだけで、中身はまったく別のものなのに。
「……つらいことを聞いてごめん」
「謝らないで! あの子は知ってたわ。パンドラは世界を背負うかわり、あらゆるものを奪われる。
「……シャロン、もう、」
「いいえ、聞いて。私も知ってた。あなたも知らなきゃいけない。――騎士は世界を守るため、生きながらにして死者となる。パンドラが死ぬか殺される日まで、彼女の
本部のあるイギリスを離れ、極東の学園を目指したのは、なにもローズが待機しているからだけではない。ここで次代のパンドラを探しだす意味合いもあった。
学園がほぼすべての国家に設置され、年齢や国籍すらも問わず生徒として迎え入れるのは、パンドラや騎士の素質がある者を囲うため。許可なく敷地外にでることを禁ずる唯一絶対の校則は、
『あなたにはがっかりだわ』
精一杯の演技だった。仮面で、
どうか気付かれませんように。
どうか彼女のほうこそ失望してくれますように。
『……どうしたの、シャロン』
『あなたがなにもしなかったから言っているのよ、ベアトリーチェ』
この頃はもうビーチェと愛称で呼ぶのが当然だったから、なおさら彼女は悲しげに目を
『私があなたに近付いた理由はね、正騎士に
どうか怒って。最低だと踏みなじって。
こんなやつと一瞬でも友達ごっこをしていたなんて馬鹿みたいだと、そう切り捨てて。
『……そうだったの。わたし、あなたが初めての友達だったから浮かれていたみたい。気付かなくてごめんなさい。でも、わたしにそんな
『本当に使えないのね。だから親にも捨てられたんじゃないの?』
そう言ってベアトリーチェを突き飛ばした。
どれほど精神的に強くとも、当時、彼女は九歳。たとえ殺意はなくとも、乱暴に突き飛ばされて無事ですむわけがない。まともに受け身もとれず、冷たい廊下のうえに倒れてしまう。
シャロンの
シャロンは
振り返ることはできなかった。振り返ってしまえば、この涙を知られてしまうから。
抱きおこすことも、抱きしめることもできなかった。昼夜とわず剣をふるうてのひらに、爪が喰いこみ、血の
パンドラを継ぐには、世界の――人類のために犠牲者となることを、心の底から望まなければならない。いくら適性があろうとも
パンドラになれなかった少女の
生きたい。知らない場所を旅行して、色んな景色をみて、おいしいものを食べたい。学校に行って勉強して、友達をつくって、遊んで、恋をしたい。好きな人と結婚をして、子供を産んで、お母さんになりたい。
そんな人間として、女の子として当たり前の願いを叫んで、
だから、ただの〝友達〟程度の
その日、ベアトリーチェは〈パンドラ〉を継承し。
その日、シャロン・アシュレイは〈矜持の騎士〉となった。
……白銀の少女は、騎士のことをなにひとつ
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