2章4話 - パンドラ

『わたしは騎士じゃないけれど、……そうね、あなたの友達としてちからになれたらいいなと思っているわ』


 それはシャロンが王城キャメロットに来てすぐの、正騎士となるためのこくな訓練に泣きじゃくってばかりいたころ。傷の手当てをしながらベアトリーチェは言った。


『あなたは騎士じゃないの……?』


 なにもわからないくしとはいえ、いくつか読み取れるものもある。たとえば王城の誰もが彼女をするかたわら、ていちょうにあつかっていることだとか。彼女はシャロンより幼いにもかかわらず、誰よりも凜々りりしい立ち振る舞いしていることだとか。

 だからきっと名のある騎士なのだと勝手に思い込んでいたのだけれど。


『ビーチェでいいわ。そうよ、シャロン。わたしはパンドラこうとしてここにいるの』

『パンドラ……?』





 ――寮への案内がてら説明するわ。

 そう言って舞い戻った廊下は、無機質で、がらんどうで、嫌でも王城をほう彿ふつとさせた。


 それもそのはず。この空間はすでに機関側を領地としている。表看板たる〝学園〟の理事長室から隠し階段をおりた先の、いわゆる地下空間なのだ。窓がなく、余計な外観が得られないため、なおさら王城にいたころを思いだす。


「あなたは〈パンドラのはこ〉を知っているかしら」


 沈黙をみ、しゅんじゅんくし、かんしょうをふりはらってようやく言葉にできたのは、かくしんに近いとも遠いともつかぬ問いかけだった。質問を質問でかえすのはマナー違反だろうに、彼は気にする素振そぶりもなくあんげな顔つきになる。ええと、といつものようにたよりない前置きをして、記憶にあるかぎりの情報をそらんじた。


「パンドラという名前の女性が、開けてはいけないと言われていたはこを好奇心から開けてしまう。中にはありとあらゆるわざわいが封じ込められていた。あわてて匣を閉めるものの、もはや災いは世にあふれ、しかし希望だけは残されたので人々は生きていける……だったかな」

「まあ、世間一般に伝わっている物語の大意はね」

「実際には違ったってこと?」


 こちらとしても意味深に終わらせるつもりはない。

 だから語る。創作でしか有り得ないような幻想のすいいろどられた彼女をして、それは一体どんな夢物語なのかといっしょうす、おとぎばなしのような世界観を。


「機関によれば、かつて神話の数だけ〝世界〟が独立していたそうよ。ギリシャ神話、メソポタミア神話、……この国にだって日本神話がある。神話の数だけ異界があり、今ではくうの存在として知られている異形異類もそれぞれに存在していた。そして今よりもかいと界の境界線はあいまいで、おたがいにゆるやかな影響をおよぼしていた」


 たとえば日本神話に登場する大国主おおくにぬしの「大国おおくに」は、「大黒だいこく」と読めることからヒンドゥー教のシヴァ神としゅうごうした。バビロニアの女神イシュタルは、ウルクのイナンナをはじめ、アスタルト、アナトなど、複数の女神と同一視された。これらは界と界のさかいはあれど、多少の文化的交流があったことを意味している。


「けれどあるとき、ある界で、パンドラと呼ばれた女性がなにか取り返しのつかないことをした。結果、各界を〝異界〟たらしめるなにかを失い、神魔が簡単に人々を襲えるようになってしまったの」


 界を界たらしめるくさりにしてくさび。楔にしてくびき

 そんなものが完全になくなってしまえば、ただの人間はひとたまりもない。現代でさえ大混乱はひっに違いないのだから、当時はまさしく人類滅亡の危機であったはずだ。


「もちろん彼女はしょくざいした。自分自身の命と引き換えに、神魔を封じ込めることでね。けれど封印はこうきゅうじゃない。結界をつくる主が死んだ以上、やがてはほころびがうまれる。……何人もの女性がを継いでパンドラとなり、神魔を封じ込め、人類を守る犠牲となった」

「犠牲って……」

「いいえ、犠牲よ。パンドラの継承者は〈楽園追放エデンエコー〉という能力を得る代償として心身をけつじょする。しゃに身をやつし、めんえき機能はいちじるしく低下し、物理的なけっそんが生じる場合もまれじゃない。……ビーチェだってそう。パンドラになるまえはあんなじゃなかった……!」

「シャロン?」


 思わず立ち止まれば、ヒロがあんじたように声をかける。


 カチューシャを握る手が震えていた。かんしゃくをおこしている自覚はある。けれどとめられなかった。とめたくなかった。

 今の〝パンドラ〟が嫌いなわけじゃない。でも本当のベアトリーチェは。初めての友達になってくれた彼女は。今のあの子ではない。見た目も、性格も、記憶も、なにもかもが違う。


「髪はくりいろだった! お菓子なんて甘い食べ物は好まなかった! いつも冷静沈着で、普通の子みたいに泣いたりをこねたりしなかった! 六歳で機関の科学者と対等に討論できる超天才児だった! なのに――……!」


 パキン。


 かわいた音が響く。

 手のなかで、うすのカチューシャが砕けた音だった。


 きょいたのはせつほんとうをもつのも、また刹那。


「――……ぁ、」


 じゃぐちの水滴が表面ちょうりょくでささえられ、けれど重力に負けるように。かすれた母音が、意図はおろか行き場すら見失ったかのような不確かさでこぼれ落ちる。


 壊れてしまった。壊してしまった。直せないのに。おなじものを探したって、それはかたちが変わらないだけで、中身はまったく別のものなのに。


「……つらいことを聞いてごめん」

「謝らないで! あの子は知ってたわ。パンドラは世界を背負うかわり、あらゆるものを奪われる。はくとなって心が死に、たとえ神魔に殺されずとも遠くない未来で寿じゅみょうをむかえるって!」

「……シャロン、もう、」

「いいえ、聞いて。私も知ってた。あなたも知らなきゃいけない。――騎士は世界を守るため、生きながらにして死者となる。パンドラが死ぬか殺される日まで、彼女のたてとなり剣となって命がけで神魔と戦う。そして見捨てるの。あの子を。見つけるの。次代のパンドラを……!」


 本部のあるイギリスを離れ、極東の学園を目指したのは、なにもローズが待機しているからだけではない。ここで次代のパンドラを探しだす意味合いもあった。


 学園がほぼすべての国家に設置され、年齢や国籍すらも問わず生徒として迎え入れるのは、パンドラや騎士の素質がある者を囲うため。許可なく敷地外にでることを禁ずる唯一絶対の校則は、しつのある者を逃がさないようにするためなのだ。





『あなたにはがっかりだわ』


 精一杯の演技だった。仮面で、つよがりで、あくだかあくだった。絶対にられてはならないと何度も、それこそくちさえ動かせるなら寝る間もしんで練習した。


 どうか気付かれませんように。

 どうか彼女のほうこそ失望してくれますように。


『……どうしたの、シャロン』

『あなたがなにもしなかったから言っているのよ、ベアトリーチェ』


 この頃はもうビーチェと愛称で呼ぶのが当然だったから、なおさら彼女は悲しげに目をせた。うつむく彼女に、これで内心を見透みすかされずにすむとさえかんした。彼女を悲しませ、あげくに喜ぶなんて、最低最悪のしょぎょうだったけれど。


『私があなたに近付いた理由はね、正騎士にすいせんしてもらうためよ。なのに全然口利きしてくれないんだもの。本当にがっかりだわ』


 どうか怒って。最低だと踏みなじって。

 こんなやつと一瞬でも友達ごっこをしていたなんて馬鹿みたいだと、そう切り捨てて。


『……そうだったの。わたし、あなたが初めての友達だったから浮かれていたみたい。気付かなくてごめんなさい。でも、わたしにそんなけんげんなんてないのよ』

『本当に使えないのね。だから親にも捨てられたんじゃないの?』


 そう言ってベアトリーチェを突き飛ばした。

 どれほど精神的に強くとも、当時、彼女は九歳。たとえ殺意はなくとも、乱暴に突き飛ばされて無事ですむわけがない。まともに受け身もとれず、冷たい廊下のうえに倒れてしまう。


 シャロンのばんこうをとめる者はいなかった。同時刻、当代パンドラがとく状態におちいっていたのだ。医師免許を持つ者は緊急治療室、科学者は結界のかいせき、事務員は各国との情報交換、そして騎士は神魔の襲撃にそなえていた。


 シャロンはきびすをかえし、その場から立ち去る。


 振り返ることはできなかった。振り返ってしまえば、この涙を知られてしまうから。

 抱きおこすことも、抱きしめることもできなかった。昼夜とわず剣をふるうてのひらに、爪が喰いこみ、血のしずくをつくっていることがばれてしまうから。


 パンドラを継ぐには、世界の――人類のために犠牲者となることを、心の底から望まなければならない。いくら適性があろうともれんを残せば、継承は失敗する。


 パンドラになれなかった少女のまつさんだという。

 生きたい。知らない場所を旅行して、色んな景色をみて、おいしいものを食べたい。学校に行って勉強して、友達をつくって、遊んで、恋をしたい。好きな人と結婚をして、子供を産んで、お母さんになりたい。

 そんな人間として、女の子として当たり前の願いを叫んで、怒鳴どなって、泣いてわめいて、……最後には「死にたくない」を繰り返しながら発狂死する。


 だから、ただの〝友達〟程度のれんすら、彼女の心に残すわけにはいかなかった。騎士とパンドラではなく、友達として、――ただのシャロンとベアトリーチェとして生きていきたい。そう思わせるわけにはいかなかった。


 いびつで後ろ向きな努力は、実を結ぶ。

 その日、ベアトリーチェは〈パンドラ〉を継承し。

 その日、シャロン・アシュレイは〈矜持の騎士〉となった。



 ……白銀の少女は、騎士のことをなにひとつおぼえてはいなかった。

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