1章7話 - vs グレンデル1
ふたりの声を背にしてシャロンは戦場に降りたつ。
「あれがグレンデル……」
特異領域の適性があるだけの
「好都合だわ。あなた、ちょっと私にボコられなさい」
滅多に使わないスラングを舌にのせ、不敵な笑みをうかべて、シャロンはおぞましい
「〈
「――
我がうちなる黄金に照射され、日陽に属せよ」
ローズの
「千変の戦局、
たとい
我は永久不滅なる太陽を
「Him on mod bearn, pat healreced h?tan wolde
(よってきみは
medoarn micel men gewyrcean, tonne yldo bearn afre gefrunon
(前代未聞であろう
ond tar on innan eall gedalan geongum ond ealdum swylc him god sealde buton folcscare ond feorum gumena
(城内の共有地と命をのぞいたありとあらゆる
シャロンの意志、ローズの
「〈
ここにて騎士たる我は、かの
「da ic wide gefragn weorc gebannan
(かくてこの世に
manigre magte geond tisne middangeard folcstede fratwan
(荘厳なる城館の建造をもうしつけたと我は聞けり)
Him on fyrste gelomp adre mid yldum
(やがてかく
tat hit weard ealgearo healarna mast;
(
scop him Heort naman se te his wordes geweald wide hafde
(これなる城に牡鹿館なる名をつけたもうた)」
またたきのうちに世界が構築されていく。英雄の討伐譚が
「Swa fela fyrena feond mancynnes
(かくて人類の敵、恐ろしき孤独の
atol angengea oft gefremede
(
heardra hynda Heorot eardode
(かの魔物は闇夜にて牡鹿館にあらわれるも、)
sincfage sel sweartum nihtum
(神の
no he tone gifstol gretan moste
(
matdum for metode ne his myne wisse
(してまた、神の恩寵など知らざりき)」
戦力に期待できないパンドラとヒロを、シャロンたちの詠唱により創造されし結界がつつみこんだ。
これでこの場が〈
黄金の濃霧がひろがるだけの特異領域に、広々とした
「我、
ネイリングとは、ベオウルフが殺害するために振るった刀剣のひとつ。グレンデルの強固な外殻に
なるほど、この
「
沼地を意味する言葉をうけて、牡鹿館をぬりかえるべく
重装備する騎士にとっての
そも、彼はグレンデル。沼地に棲息する醜悪の巨人、あるいは竜なのだ。
たとえアーサー王伝説に登場する〈
この世界がグレンデルの支配に傾くのは必然。足元がぐずついたかと知覚するこの一秒でさえ、大理石の床は砕け、
「いでよ、フェンリル」
その宣誓が、
〈
長々しい説明はいらない。北欧神話の悪名高き大魔狼だ。この援軍によってあたえられる恩恵はさらに深度を増した。
だがグレンデルとフェンリルは登場する神話が異なるため、直接的な繋がりはない。召喚主となるグレンデルを弱体化あるいは
気を付けなければいけないのは、なぜフェンリルが
カインの
「ローズ! どこかにフェンリルを繋ぎとめる首輪が……
「はっ! ご命令のままに!」
沼に関連した
牡鹿館はグレンデルにのみ有効な結界。なんとしてでもフェンリルという沼主を
「古英語で叙事詩を
騎士となるために
「tanon untydras ealle onwocon
(カインよりうまれいでるはあらゆる邪悪、)
eotenas ond ylfe ond orcneas
(喰人鬼、小妖精、
swylce gigantas
(また神に
ta wid gode wunnon lange trage he him das lean forgeald
(しかるに神はかの邪悪なる者たちへと
とうの昔に死語として
「
我、
その
「〝繋鎖〟
牡鹿の
敵陣の
「
氷狼の
風のように
戦場を駆ける、黄金の牡鹿となる。
「氷狼フェンリル!
一閃は二
「
――小娘が、
――おお あの
――知っているぞ オーディン神だ
――
――共々、氷狼に喰われる者、〈
〝貴様は氷狼に喰われる
黒妖犬が
あたりまえだ。なぜ足場の不安定な戦場で〈黄金〉〈勝利〉を象徴する
あるいはどうして、水、空気、大地ですらも
〝eda sa dyrkalfr doggu slunginn er efri ferr ollum dyrum ok horn gloa vid himin sjalfan(はたまたあらゆる獣よりも優れ、天にむかいて角きらめかす、露に濡れそぼる若鹿のごとく)〟とたとえられる英雄ヘルギになることもできた。矢よりも素早く動くことができたというアルテミスの聖獣ケリュネイアの雌鹿は、シャロンの性別と
それでも〝牡鹿〟こそが最善解。シャロンの矜持と黄金に深くむすびつき、沼地という悪条件を好機に変える機動力をもち、牡鹿館という繋鎖をより強固にして、氷狼フェンリル公に
「私は勝つ! この〈
確信の深さが、シャロンを
――カインはなんといっていた
――キャメロットに属するのだと
――ならばアーサー王か
――〈熊の王〉か
――だが鹿だ あれは牡鹿だ
もはや獣たちの
しかしその
――オーディン神にも〈
――我ら黒妖犬を
――もしやこれは
まずい、とシャロンの本能が叫んだ。フェンリルへの攻撃を
瞬時に判断したのはよかった。だが、それでは遅すぎる。
フェンリル相手に背はむけられない。紅眼黒躯の妖犬ヘルハウンドを
――〝汝、我らワイルドハントの王なりや〟
極大の
欧州全域において、
「あ、ああッ……!? うそ、そんな、違う、わたしは……!」
戦局はつねに千変する。その可能性を知っていたはずだった。そう信じなければ、ただの人間でしかないシャロンが神魔に立ち向かうことはできないから。
けれど金ですら条件次第では腐食するように、何事にも絶対はない。ましてや神魔を相手にするのだ。いつでも勝てるわけではない。いつまでも優勢でいられるわけがない。
身をもって思い知る。形勢は逆転した。
完全に、徹底的に、――致命的に。
「ち、ちがっ、違う! わ、私は――あたしは騎士! シャロン・アシュレイよ! 王城の騎士で、あなたたちの敵で、人類の守護者……っ!」
――なにを
――オーディン神のごとく氷狼フェンリルと戦ったではありませぬか
――我ら黒妖犬を
――
――刹那に永遠を駆けめぐるさまなど、まさしくヘルラ王その人でありましょう
異様な
――あゝ
――あゝ かの
――あゝ 牡鹿の
――あゝ 我ら幾千牙を導きしさまは死を運ぶ狩猟団
――ゆえ 汝は我らが主〈
「……ッ!」
英国の冬が吹き荒れた。
音が、匂いが、冷たさが、直接シャロンの脳を殴りつける。思い出したくない過去を、
――〈
聴覚が支配された今、その
「わ、たしは……シャロン・アシュレイよ……!」
――我らが王なる者が
――シャロン・アシュレイ それは
――王の
「――……!」
恩恵という枝蔓にからみつかれ、シャロンは沼に墜落した。身体をつつむ
知らぬ誰かの声が響き、知らぬ誰かの記憶がフラッシュバックする。目がまわった。吐き気がした。この黄金世界で我が身を
そう、これは精神汚染だ。シャロンをワイルド・ハンツマンそのものに変じさせるための、
ならば
たった一言、言い放てばいい。
シャロン・アシュレイの。自身の。唯一無二となる真の名を。
「se vuoi ch'io ti sovvegna, Dimmi chi sei
(我が助けをもとめるならば名乗るがいい)」
「――……」
わかっているのに、声がでない。
泥をあびた自身の髪が、赤茶けてみえる。自身のものではない記憶が
「――…………」
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