1章6話 - 戦う理由
ローズはてばやく
「先ほどは大変失礼しました。争いに巻き込まれ、命の危機に遭い、……命拾いしたかと思えば騎士となり戦場に立てと命じられる。その不安や戸惑いを配慮しきれず、本当に申し訳なく思っております」
違う。死ぬことは怖くない。誰かを傷付けてしまうことが恐ろしいのだ。
そう説明しようにも吐き気は健在で、ヒロは黙って聞き役に徹することにした。話したところで理解してもらえるとも思っていない。
むかいあうのではなく、かたわらに寄り添うことを選んだ彼女は、そんなヒロの諦観に気付くことなく淡々と言葉を続ける。
「ですが、どうかご
「……そんな、」
「事実ですわ。彼女にとって譲れないもの、守りたいものがあるように、他の方々にもそんな想いや価値観があるとは思えないし考えない。いいえ、むしろ考えないようにさえしている」
もうここにはいない少女の
意志が見えた。心の強さを感じた。守るという決意、戦うという熱意が、シャロン・アシュレイという存在をささえる
そんな内心すら見通すように、ローズは優しくヒロの手をなでる。
「彼女を
「手段……?」
「ええ。我らが〈
「ええと……にわかに信じがたい話ですね」
それこそ漫画や小説くらい非現実的な事態に直面したばかりだ。なのにローズの説明はヒロの心を上滑りしていく。正直に言って、どういう反応をすればいいのかわからない。
「ふふ、そうでしょうとも。わたくしも数年前にまったくおなじ反応をしましたわ」
ローズは足を組み替え、てのひらをヒロから
「わたくし、実は騎士として新参者なのです。数年前に適性を見出され、今の紘さま同様、選択肢をあたえられることなく
「……それは……さぞつらかったことと思います」
養護施設で育ち、この春に高校生となったばかりの世間知らずでも、なんとなく察することはできる。きっと彼女には親兄弟や友人がいた。夫や子供だっていたかもしれない。職に就いていれば積みあげたキャリアもあった。そのすべてが
だが返ってきた言葉は、まるで思いがけないものだった。
「いいえ、それは違います。もちろん機関はこちらの事情など最初から
「……っ!? どうして、ですか?」
「子供がいるからです」
声音に悲しみの温度が
瞳のなかでちらちらとまたたく
「わたくしが目を離した
「紘さま。わたくしはあの子を探すためだけに騎士となったのですわ。騎士になれば機関の後ろ盾を得て、世界中のどんな場所にも行くことができる。どれほど身分の高い者にでも接触できる」
「……その子のことが、とても大事なんですね」
彼女の語る〝本当の両親を知らぬ子供〟がまったくの他人事とはおもえなかった。
ヒロが両親について知っているなけなしの情報は、大規模な事故により
今年で十五年目を迎える。おそらくこの先も、家族についてなにひとつ明かされないままだろう。
憶えていない両親の死を
「どんなに傷付いても、どれほど傷付けても、……それでも戦わなければならない意味や覚悟が、あなたがたにはあるんですね」
「ええ。だからこそ、紘さまにも前向きに考えていただきたいのです。選択肢のない不自由さのなかで、自分になにができるのか。なにを望み、なにをなすべきなのか」
「……!」
「騎士の要件とは、特異領域に存在できることのみにあらず。特異領域を〝創造する〟ための信念も問われます。……紘さまはあの世界で植物を
――あなただけの、揺るぎない信念が。
ローズの言葉は投石となり、心という湖に
自分だけの揺るぎない信念。誰に
それは――……。
「僕は……」
思考の
母親の
「敵襲です」
「ごっ、ごめ、ごめんねヒロ、ごめんなさい、シャロン……っ」
わあわあと泣きわめく声が、廊下に響く。
いつまでそうしているつもりなのだろう。謝罪の言葉を聞きたくなくて、今まで以上に歩を速めた。それが苦痛だったらしく、繋いだ手の先で、泣き声がさらに大きくなる。
「――泣かないで!」
気付いたときには叫んでいた。
「やめて、謝らないでよ! 私が悪者みたいじゃない! 世界のため、人類のため、――あなたのために戦っているのに!」
気付いたときには遅かった。一度すべりおちた言葉は取り消せない。誰かの耳に届いてしまった言葉は奪い返せない。離してしまった手は――……。
「……シャ、ロ…………あ、あたし、」
薄い
――違うの。こんなこと言うつもりじゃなかった。
――私、本当に……あなたやヒロを責めるつもりなんてなかったのよ……!
そう言いたかった。でも言えなかった。
パンドラの「ごめんね」が「早く
わかっている。これはただの被害妄想だ。彼に騎士となることを強要し、苦しめ、泣かせてしまった罪悪感による幻聴だ。彼女は
一方で、シャロンは。シャロンが吐きだし、パンドラに投げつけたあの言葉に、責める
この子にだけは嘘をつきたくなかった。けれど自分の非をすべて認められるほど強くもなかった。後悔と
「……
「でも、あたしのせいで……シャロン、いっぱいケガして……」
ああ、ほら。わかっていた。とっくに知っていた。
彼女はいわば清水の笹舟。
「騎士になって、みじめな人生をやりなおす。新しい自分に……私が望む〝私〟になる。そのための必要経費よ。勘違いしないで」
パンドラに聞かせることで、自分に言い聞かせる。
これは嘘じゃない。なにも間違っていない。シャロンの生きてきた世界はすでに地獄だった。もうまともに
「……私は敵と戦い、あなたを守る道を選んだ。そういう生き方を望んだ。どんな敵が相手だって、どんな味方がいたって、決して変わらない。だから謝らない! ヒロにも、あなたにも、絶対に謝ったりしないんだから!」
自分の
そうだ、生まれ変わったのだ。騎士として生きることを定めとしたのだ。ならば一体なにを戸惑う必要がある。誰が否定しようと騎士の本質は変わらない。彼に理解されなかったくらいで揺らぐ生き方などしていない。
私は、シャロン・アシュレイは、王城の騎士だ。
世界を護るためにすべてを失った
今一度その決意を我が物とした
「……! これは!」
「アシュレイ
声のした方角に目を
領域が彼らを内包するほどの広さだったのか、それとも奇襲を感知したローズが侵入をはかったのか。どちらにせよ味方が増えるのならば心強い。なぜなら敵は――……。
「この黄金色……またカインと見るべきかしら?」
黄金に対応するのは〈
「いいえ。魔力の質を
ローズは後方支援型だ。
「ローズ、あなたはパンドラの
「はい、承知しております。アシュレイ卿」
「シャロンっ、気をつけて……! ぜったいむりしちゃダメなんだんだからね……っ!」
返事はしない。いや、できない。
ここは今から戦場となり、シャロン・アシュレイは騎士として
傷ひとつ負わぬ場所を〝戦場〟とは呼ばないのだから。
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