第六章

うーうー(愛情表現)①

 混沌龍の卵から飛び出した黒い影は、俺の腕に組み付いた。


「……女の子?」


 俺の右腕に組み付いていたのは、見た目4~5歳の褐色肌の女の子だった。


 髪の色は鮮やかな赤で、地面すれすれまで伸びていた。


 全身はぬらぬらとした粘液まみれだった。


 側頭部には前を向く立派な角、てい骨の辺りからは鱗に覆われた尻尾が生えていた。


「はわわわ、まずいことになったかしら」


「剣星さん、外の様子がよくわからないのですが、御無事ですか?」


「ああ、特に何かされているわけじゃないみたいだ」


 差し迫った危険はないと判断し、俺は三人を『収蔵』から取り出した。


「それが混沌龍かしら。なんて悍ましい姿なのかしら」


 混沌龍という脳内補正が入っているせいか、ニアーナの目にはそう映っているようだ。


「剣星の動きを封じているんじゃない?」


 リリカもニアーナの雰囲気に引っ張られていた。


「いや、そんな感じでもないみたいだぞ。ほら」


 俺は右腕を上げると、混沌龍の女の子の体がひょいっと持ち上がった。


 そのちょっとした動作は、幼い頃に一度だけやったひよこ釣りで、ひよこが餌を咥えて離さない光景を彷彿とさせた。


 要するに、何ともいえない愛くるしさがあったのだ。


「あれ、それほど怖くないのでしょうか」


「今のは可愛かったけれど、それはこっちを油断させる作戦かしら!」


「剣星に取り入ろうたって、そうはいかないんだから!」


「二人とも考えすぎだろ。ま、このままにしておくのもあれだし、とりあえずユメミの家に戻って服を着せよう」


 タウンハンエイの門扉は目と鼻の先である。


 俺は『収蔵』からタオルを取り出すと、混沌龍の女の子のぬめぬめを拭いて綺麗にした。


 タオルは一時的に、そのまま体に巻いておいた。


「うー、うー」


 気持ち悪いのか、混沌龍の女の子は体をよじって、すぐさまタオルを外そうとした。


 俺の腕を離せばいいのに。


「女の子が無闇に肌を見せたらいけないんだぞ。ほら、三人だってちゃんと服を着ているだろ?」


 ま、リリカはついこの間まで文字通り丸裸だったわけだが。


 俺の熱意が伝わったのか、混沌龍の女の子は大人しくなった。


 そうして、忍び込むようにタウンハンエイに帰還すると、抜き足差し足でユメミの家に入った。


 幸い、ユメミの両親は床に就いているようだった。


 混沌龍の女の子には、ひとまずユメミが幼少期に着ていたパジャマを着せておいた。


 リリカたちはかなり眠たそうだったが、話し合わないわけにはいかなかった。


「ねえ剣星、この子を火口に投げ入れるつもりなの?」


 開口一番、リリカの言葉でとんでもなく気まずい空気が室内に流れた。


 たとえ生きていたとしても、まだ中身の見えない卵を火口に突き落とすことに、それほど罪悪感はなかった。


 世界の安寧のためという言葉で、全てが片付くはずだった。


 しかし、状況は変わった。


 もう、この子は自分の意思を持った生き物である。


 そして、実際にこうして触れてみて、世界を滅ぼすほどの脅威は感じていなかった。


 孵化したばかりにしては潜在能力が高いのだが、それだけだ。


「なあ、ニアーナ、この子は本当に混沌龍なのか?」


「そうだと、長老様はおっしゃっていたかしら」


 ニアーナは決まりが悪そうにしていた。


「別に疑っているわけじゃないんだが、長老様はどうしてこれが混沌龍の卵だとわかったんだ?」


 かつて魔王の一柱のリッチクイーンのカロでさえ、混沌龍の存在については疑問を持っている様子だった。


 シルフの長老は何を根拠に、これを混沌龍だと決め付けていたのか純粋に気になったのだ。


「完全に疑っているじゃない」


 こういう時だけ、リリカのツッコミは適切だった。


「長老様がいにしえの予言の歌の解読に成功したかしら。そこに混沌龍の危機が記されていたかしら」


「古の予言の歌なあ」


 こういってはあれだが、この手の予言というのはかなり信憑性に乏しかった。


 俺の子供時代にも、ユニークスキル『未来視みらいし』を持った男の予言というのが一世を風靡ふうびしたことがあった。


 ま、結論からいえば、ただのペテン師だったわけだが。


 女遊びがたたって、壮絶な修羅場を引き起こしたそうだ。


 そうなった時、どうして『未来視』で回避できなかったのだという疑問が当然湧いて出てきた。


 そこからはもう叩けば叩くほど埃が出てきて、最終的に『未来視』など持っていないと自白したわけである。

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