第101話 さくら、グライダー〔マークⅠ〕行きます。

〔永禄5年(1562年)7月10日~25日〕

本能寺の変から三ヶ月、やっと日常に戻った。

光秀みつひでが送った手紙の主や調書に名が上がった者らは、素直に諦めた者も多かったが、『最早これまで』と最後のあがきを見せた者もいる。

織田家の家臣や織田家に近い大名では、十数人が討伐される程度の小規模な騒ぎで終わったが、そうでない領地では織田家を恐れて、あるいは、これを機会に敵対勢力を根絶やしにしようと虐殺が起こった。

連座も虐殺も幕府法 (織田法)で禁止しているので、取り調べする為に役人を派遣するなど手間が掛かった。


また、上杉、伊達、最上、佐竹などの旧領では、各地で寝返りの反乱が起こった。

元々、大戦おおいくさが回避されて、余力を残した儘に再編されたので、不満と欺瞞ぎまんが満ちていた。

まず、新守護、守護代は幕府の後ろ盾があるから従っているだけだ。

領民から支持を受けている訳ではない。

次に旧領主の主家ほど蝦夷地へ派遣の負担が大きかった。

つまり、優秀な家臣を連れて行く事を強いられた。

武勇や知勇が優れている者は織田家から逆指名を受け、石高や資産力が大きい領主ほど連れて行く領民の数が増やされた。


だが、残った者にも別の負担が待っていた。

河川の改修や開拓事業への賦役ぶえきだ。

賦役ぶえきと言ってもまったく無給ではなく、日当が払われるので出稼ぎと考えれば、負担が大きい訳でもない。

だがしかし、領民の絶対数が減っている所に農作業のみでも人手を取られる。

人手を貸して屋敷には数人の家来しか残っていない旧主家もいた。

そんな状態なので兵を集められないのだ。

これまで不遇で押しつけられていた小領主に好機が訪れた。

もう1人で千人を倒す名将はいない。

新領主は支持を得る為に小領主ほど負担が軽くなっていた。

つまり、兵を集め易かったのだ。

そんな雑草の中でも小悪党ほど幕府へコネ作りを勤しむ。

少しでも自分が有利になるように様々な重臣らに媚びを売った。

そして、光秀みつひでに害虫と目を付けられたのだ。


光秀みつひでから手紙を貰った小悪党は、子細を確かめずもせずに反乱を起こした。

旧主家を襲って領地を拡大し、勢力が増すと新領主も追い払った。

そして、周りの小領主は時世を読んで味方した。


「室町法では寝返れば罪を問われません」

「南朝から北朝、北朝から南朝と有利な方へ寝返るのが、小領主が生き残る方法だったからな」

「悲しい事に信念を持っていた領主ほど討ち取られていきました」

「奥州は弱肉強食の鎌倉時代を引きずって争っていたので始末が悪い」


鎌倉時代は弱肉強食であり、強い方に身を寄せるのが生き残る方法だった。

室町になると下剋上が当たり前になり、有力者が突出して大きな勢力になった。

その大きな勢力同士の潰し合いになった。

奥州はまだ名家に小部族がすり寄って大きな集団になっている鎌倉時代の名残があったのだ。

俺が死んだと聞けば、立ち上がった反乱者にすり寄った。

生きていると知れば、戻ってきた新領主に鞍替えした。

反乱者は城を枕に討ち取られた。

だが、それで終わらない。

織田の幕府法に従うと、幕府を裏切った小領主らにも厳しい処分が下される。

その反乱に巻き込まれて死亡した公家もいる。

手心は加えられない。

反乱の後始末に三ヶ月も掛かった。

やっと終わったので、俺は熱田に下向して休養する願いを帝に願い出た。


ちんはずっと居てくれる方が心強いのだが、そうもゆくまい」


簡単に熱田への帰郷を許された。

今、朝廷と幕府では俺が居る所だけ暗い雰囲気になっていた。

戦々恐々として仕事をしている。

若い者ほど俺に不評を買うと始末されるかもしれないと恐れている。


「彼らの父君らは若様をも恐れる事なく、嫌がらせをしておりました」

「俺が恨んでいるとでも思っているのか?」

「恐らくは」

「俺はそれほど暇ではない」


あの日、突然に恨みが戻ってきた。

公家にとって嫌がらせとは、「麻呂にもっと媚びて来い」、「土産を持って来ぬとは失礼でおじゃる」、「味方して欲しくないでおじゃるか」と言う軽い意思の表れのようなモノだ。

近衛家等々への逆恨みもあった。

俺を殺めようとか、蹴落とそうという意思はない。

そんな意思はないが、害虫と判断するのは光秀みつひでであり、甘い蜜を舐めて署名した馬鹿は助けようもない。

中には除名された公家もいる。

除名は子々孫々に渡る公家として最高の恥だ。

死罪より厳しいとも言われる。


若い公家衆の間で一番に恐れているのは「気に入った。付いて来い」と言われる『島流し』らしい。

俺は都島みやこじま(庇郎喇、宮古島)に新宮殿を建てる予定だ。

南海で手に入れた朝廷領を管理する出張所も建てる。

南海で得る新しい天領の管理者がいる。

あの学問の神様で有名な菅原-道真すがわらの-みちざねは太宰府に左遷された。

太宰府ですら左遷先と思われている。

都島みやこじまはそれより南の南海の孤島だ。


恨まれれば、左遷。

気に入れられても、左遷。

失敗しても、左遷。


そもそも、そんな連中を連れて行かない。

俺が住む御殿が建つ隣だぞ。

俺はどこでも気持ち良く過ごしたい。

付いて来たくない奴を連れて行くほど悪趣味ではない。

部屋で笑い声が聞こえても、俺が入るとシーンと静まり返る。

俺がいるだけで空気が悪くなるので帰っていいよ。

そう言う訳だ。


尾張に下向すると、俺は熱田に造った帝の仮御殿に入った。

太閤様にふさわしい建物が他にないからだ。

そんな細かい事はどうでもいい。

俺は初めてゴロゴロとして過ごす事を公式に許されたのだ。

ビバぁ、夏休みだ。


 ◇◇◇


〔永禄5年(1562年)8月15日〕

熱田はいい町だ。

間違っても『太閤様』と声を掛けてくる馬鹿もいない。

俺がお忍びでウロウロしても誰も咎めないし、挨拶はして来るが、取り囲んで道を妨げるような馬鹿な奴らはいない。

町の者はよそ者が近づかないように心掛けてくれるので、供の者をずらりと連れる必要もない。

若君や姫様のお忍びが日常の町だ。

町の者の方が心得ている。

店を出している何割かが忍び出身なのも大きい。

町全体で護衛しているようなモノだ。

希に俺を見かけて拝んでいる人がいるのが玉に瑕だ。


昨日は中根南城に寄って昔の部屋で過ごした。

母上が孫を可愛がっている姿が微笑ましい。

義兄上の忠貞たださだは京から帰って来られない。

もう立派な公家様だ。

作法や教養が身につくまで帰してくれないだろう。

果たして、義兄上に耐えられるのだろうか?


中根家3男の正家が家督を継ぐ事になり、熱田・知多の代官として俺の部下をやっている。

義兄上と同じく血が繋がっていない。

前妻が正家を生んで亡くなり、後妻として俺を抱いた母上が中根家に嫁いだのだ。

次に二ツ下のお里が生まれ、4男の正澄が生まれた。

正澄は鷹司家たかつかさけ家宰かさいになるべく、猛勉強をさせられている。

5男市之助、6男新平はどうなるのだろうか?

織田家の血は引いていないが、皆、俺の実弟だ。

母上もよく頑張ったと思う。

主家の妾を下げ渡された義理の父上中根-忠良なかね-ただよしが浮気などできる訳もない。

女主人に従う家来のように振る舞っている。

一時は当主らしくなって俺の父、母上の亭主と振る舞う時期もあったが、清洲会議から以降は俺のご生母様と崇めるようになった。

小領主の悲しい性だ。

鳥の音が鳴く前に朝早くから体操を始めた。

さくらがやって来て跪いた。


「若様、もうお許し下さい」

「さくら、約束の時は来た。今度こそ大空を飛べるぞ」

「も~う忘れて下さい」


城の発射台から打ち出されたグライダーは何度も空中分解して俺の心を砕いた。

さくらの励ましがなければ、俺は空への憧れを捨てていたかもしれない。

俺はさくらを空に上げると約束した。

桜山頂上から伊勢湾へ伸びる滑空路は高低差20mの滑り台を下って打ち出され、熱田湊と笠寺の間を縫うように飛び、伊勢湾に着水する予定だ。

グライダーは無人で何度も打ち出され、1kmを記録した。


「有人で成功すれば、グライダーとして完成だ」

「他の人に譲ります」

「史上初の鳥人はさくらと決めている。他の者に譲る事はない」


さくらが何と言おうが、初鳥人はさくらしかいない。

さくらは捕縛されて桜山の頂上に連れて行かれた。

グライダーが成功すれば、竹中-半兵衛たけなか-はんべえが設計した小型エンジンを搭載して、世界初のプロペラ機に挑戦だ。

鳥人『さくら』の名は人類史に残る事になる。

この栄誉を他の者に譲らせるなどあり得ない。

俺の夢を繋いでくれたさくらへの感謝だ。


『そんな感謝は要りません!』


クッションとなる鎧の補助具にシートベルトを通すと、シートベルトは両肩、両脇、足又の五カ所で固定する。

留め具を座席の後ろでカチャリと填めた。

留め具は前で止めるのだが、それではさくらが自分で外して逃げ出してしまうので急遽改良された。

緊急脱出できないのでちょっと危ないが仕方ない。


「若様、助けて下さい」

「さくら、ここはグライダー〔マークⅠ〕行きますと叫ぶ所だ」

「何ですか其れ!?」


空気抵抗を下げ、操縦席を守るガラスの遮光板バイザーが填められた。

完全機密ではないので、まだ『出して下さい』という声が聞こえる。


『発射準備』


大きな弓が引かれて行く。

半兵衛はんべえが『切り放せ!』と叫ぶと、巨大な大弓が発射台を打ち出して加速させた。

グライダーを乗せた発射台がレールの上を高速で走って行く。

そして、滑り台を落ちる事で速度を速めた。

ジャンプ台で最高速に達してグライダーが飛んだ。

見事に飛んだ。

何度も実験をしており、空中分解の心配などない。

さくらは大空に飛んだ。


『成功だ』


グライダーが滑空して伊勢湾へ抜けると、熱田湊で大歓声が起こった。

用意されていた特別号の号外が捲かれた。


『史上初の鳥人誕生』


号外が舞い散った。

歴史に新たな一ページが加わった。

そのまま滑空を続け、伊勢湾に着水する。

グライダーには着水用の浮き袋タンクが両側に設置されているので沈む心配もない。

これも何度も実験済みだ。


「突風が吹いて、頭から墜落しない限り問題ございません」


墜落率は10%だと言う。

急な突風で舞上げられる錐揉み状態になって墜落するらしい。

しかし、有人で舵を操舵できるので問題ない・・・・・・・・・・・・?

あっ、フラグが立った。


鈴鹿山脈から吹き下ろしが伊勢湾の海面に当たると、上昇気流を持った突風となる。

桶狭間の合戦でも、この吹き下ろしが原因で上昇気流を生み、局地的な積乱雲を作って大雨を降らせた。

冬によく吹く風だ。

その風を『鈴鹿おろし』と呼ぶが、気候条件が揃うと春でも夏でも吹くとき吹くのだ。

俺の帽子が強い風で吹き飛ばされた。

あっ、ヤバいな。


上昇気流がグライダーを持ち上げた。

初めてのパイロットだが、ハンググライダーの経験が生きたようだった。

さくらは気流を巧く掴んでとんびのようにくるくると舞いながら上昇を続けた。

流石、さくらだ。

水面から10mほどを滑空していたグライダーが一気に300m以上も上昇して行く。

今が最高に気持ちいい瞬間だろう。


ハンググライダーとは違うのだよ。

ハンググライダーとは。

白い機体は白鳥のように悠々と大空を飛んでいた。

抵抗力の少ない構造なので高度が取れれば、1,000km先にでも飛んで行ける。

どこまでも遠くに連れて行ってくれる。


機体は大空でゆっくりと旋回し始めた。

さくらの気持ち良さが伝わってくるようだ。

あるいは、地上にいる人が米粒のようだと呟いているかもしれない。

無線機があれば、最高な気分が聞けただろう。

ゆったりと東へと進んで行く。

このコースだと知多半島を跨いで三河に抜けるぞ?

何を考えている。


「若様、風に流されているのではないでしょうか?」

「その為の舵だろう」

「その舵に異常があったとすると・・・・・・・・・・・・」

「舵のテストはやっていないな」

「これが初の有人ですから、おそらく」

「拙いな」


見ている内にさくらの機体は大空の彼方へ消えていった。

山の向こうに見えなくなった。

半兵衛はんべえが拡張器を持って「実験は成功、即時解散」と叫んだ。

さくらの生死は気にしていないらしい。

どうせ生きているだろうと信頼しているのかもしれない。

すぐに俺は救援の連絡船を20隻ほど出港させた。


「追いつきますか?」

「無理だ」

「さくらは運がいいのでどこかの浜でも漂着してくれるでしょう」

「それを祈ろう」


8日後、北条家からさくらを乗せたグライダーを八丈島と小田原を結ぶ連絡船が見つけたという連絡が入った。

やはり、舵の線が切れたようだ。

ゆっくりと滑空して着水して太平洋を三日三晩漂流している所を見つけて貰ったらしい。

だが、すぐに帰国できない。

キーワードは『乙女の恥じらい』らしい。

気力・体力を失ったさくらは療養してから返すという報告が入った。

15日後に筏にグライダーを乗せて曳航した船が熱田に戻ってきた。


「もう二度と飛びません。何があっても飛びません」

「悪いな。半兵衛はんべえがグライダーに搭載する小型エンジンの開発に着手した」

「嘘ですよね?」

「企画書の搭乗員名はさくらになっていたぞ」

「嘘だと言って下さい」

「安心しろ。今回の事を考慮して安全装置を考案して置いた」

半兵衛はんべえが作るエンジンで爆発しない物がありましたか?」

「ないな」


先日の『日本丸』が最初の例であったが、遂に爆発してしまった。

半兵衛はんべえの弟子が作る動力は爆発しないが、半兵衛はんべえが手がけると爆発する。

現在の所、100%だ。(沈没船を除く)


報告書には、助けられたさくらの焦燥ぶりが書かれていた。

三日三晩、食べる物はなく、飲む物もない。

厳しい訓練を受けた忍びでなければ死んでいただろう。

救出者がバイザーを外すと香ばしい香りに微妙な顔をしたのを見て、さくらは生きる気力を失ったそうだ。


『さくらを殺して下さい。もう生きる気力もありません』


もう生きる価値もないと涙も出ない状態で泣き叫んだそうだ。

そして、一週間。

美味いモノを与えただけで復活するのが、さくら・・・らしい。

機体が無事だったので、楓と紅葉らも無事に世界2,3、4、5・・・・・・・・・・・・のパイロットとして名を刻んだ。

めでたし、めでたし。


『めでたしじゃありません。私の名誉が守られていません』


さくらが騒いでいた。

世界初の飛行士は漂流し、機内に乙女の匂いが充満していたと公式記録に残された事だろう。


「違いまず。号外の話です」

「号外がどうかしたか」

「これです」


俺は報告書をそのまま広報に渡した。

すると、奇跡の救出劇として美談にして一面を飾った。

失禁をして恥じらうさくら・・・を『乙女の香り』と表現する北条家の心遣いを美談として掲載されていた。

それも一面の下をぶち抜きだ。

笑いも欲しかったのだろう。

さくらは近所のおばちゃんから「気にする事はないのよ」と励ましの言葉を頂いて、心を抉られると言う。

おそらく、これから毎日のように思い出す度に抉られる。

公式記録は消せても記憶は消せないぞと言うと、さくらが「そんな」と俺に縋りついて嘆いた。

この愉快な間抜けっぷりが俺は好きだ。

こんな日々が続けば、いいなとつくづく思う。

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