第85話 長崎沖の海戦(1)
(永禄5年 (1562年)3月23日~24日)
海は広く大きい。
右手に美しい五島列島の島々が通り過ぎた。
船団は大波小波を越えてゆく。
天に昇るような上昇が終わると、ゆわりと体が軽くなる降下を覚える。
慣れぬ者は“ゲぇゲぇ”と吐き始めた。
「千代、明日まで治まらぬ者は船を降ろせ」
「承知しました」
「俺の小姓らが全滅とは情けない」
「ほとんどの者は海が初めてのですから」
「確かに瀬戸内より酷いな」
「アレと比べますか?」
瀬戸内海ではエレベーターに乗ったような船体ごと持ち上げられる感覚もなく、俺ものんびりと景色を楽しんだ。
この大明海(東シナ海)は波が高い。
黒潮が太平洋と日本海に分かれて流れてゆき、九州はその前に置かれた壁のようなモノだ。
島々も相まって潮の流れも複雑だ。
大波小波でざっぷんこだ。
やや斜めからの追い風を受けて甲板も傾く、横風じゃないだけマシだ。
マジで横風なら甲板が斜めに変わる。
さらに、潮の流れに当たって右に左にと大きく揺れた。
慣れてくるとリズミカルで心地よい。
お市などはマストのてっぺんに上って片足立ちで宙返りを披露していた。
輝ノ介が対抗して、向こうの船は大変な事になっている。
兄上 (信長)が居れば、船を止めて説教タイムになっていた所だ。
俺はもう諦めた。
追い風が気持ちいい。
揺り籠でも乗っていると思えば良い。
海岸線も美しく、これが唯の“御成り”なら最高だっただろう。
それがつくづく残念だ。
船が大きく揺れて、俺も壁に手を当てた。
風任せのどんぶらこだ。
気分の悪い者にとってこの時間が永遠に感じるらしい。
どんなに急いても今日という日に到着する事もない。
見苦しいので桶を持たせて船倉に追いやった。
俺の小姓って、預かっているだけで出世街道じゃないんだよな。
元服まで預かっているだけだ。
優秀ならば神学校に入れるのだが…………最近は質が落ちて来た。
向上心が薄いのか?
イスエマンしかいないのは何故だ?
側近は元忍びか、中小姓上がりのみ頼りにしている。
護衛ができる腕がある奴か、右筆との間を持てる優秀な者に限る。
流石に全滅はしていない。
船酔いしているのは、主に
公家様には辛かろう。
ノックアウトしていないが
実に愉快だ。
日も低くなってくると自室に籠って悠久の時を楽しむ。
細い月が昇って日が沈んだ。
割と熟睡できた。
深夜に千代女に起こして貰う。
甲板に上がると
うっすらと黒く浮かぶ島影の先にマッチのような火がゆらゆらと揺れていた。
「やはり、灯台の設置を急いだ方がいいな」
「はい。その方が安全だと思います」
「だが、これはこれで悪くない」
「この満天の星があれば、道に迷う事もございません。しかし、いつまでも村人も焚火の番をさせている訳には参りません」
「
「いいえ。そんな事はございません。しかし、五島列島の者らは占領したばかりで渋々の様子です」
「ふっ、仕方ないか。毎夜の如く、意味も判らず焚火の番をさせられれば嫌になる」
「風の強い日は特に苦労しているようです」
夏まで何とかしたいな。
左手に島々が近づいてくる頃には空が明るくなって来た。
さぁ、今日も一日を頑張ろう。
甲板で日課のラジオ体操と素振りをする。
ただの健康づくりだ。
輝ノ介とお市は秀吉の軍艦『伊勢』に同乗させている。
軍艦『尾張』は平和だ。
双眼鏡でその伊勢を覗くと、かなり激しい早朝の稽古が見え、通し稽古に付き合わされている『伊勢』の乗員が少し可哀想に思えた。
合掌。
俺はあの輝ノ介を相手にどんなに稽古しても、腕前は露ほども上がらない。
剣の才能がないと痛感した。
朝食を取って持ち込んだ仕事に精を出す。
持ち込んだのは急ぎでない書類だ。
急ぎの書類は名護屋を出航する前に急いで片付けてきた。
次の合流地点で厄介な書類が来ていない事を祈る。
さて、昼食を終えると俺は千代女に宣言する。
「昼寝をする。イスパニア艦隊を発見した以外では起こす事はならん」
「天の岩戸でございますね。承知しました」
「いいか、誰も通すなよ」
「承知しております」
俺の側近らも慣れたモノだ。
船はいいな。
一度出航すると、それ以上の仕事ができない。
こうして毎日のように昼寝の『ごろごろタイム』を満喫できる。
新しい発見だ。
大きく揺れてベッドから落ちそうになるのを気にしなければ、お市の『突撃! 隣の晩ごはん』もなく、のんびりとできる
俺は大の字になって天井を見上げた。
名護屋から薩摩硫黄島まで海図で114里 (450km)であり、程よい追い風で23日の早朝に出航しても到着は翌日24日昼過ぎになる。
合流地点で連絡を入れながらなので到着は夕刻になる予定だ。
船の旅とはそんなモノだ。
1ノットは1時間に1,852メートルの速さであり、船の速度が1ノットならば1海里(1,853.184メートル)を進む。
帆船の速度は風任せだ。
追い風ならば最大14ノット (時速26km)に達する事もあるし、向かい風だと1.8ノット (時速3km/時)まで落ちる。
無風ならば、0ノットだ。
平均すると4ノット (時速7キロ)から7ノット (時速13キロ)になる。
海図と灯台 (焚火)があれば、帆船は夜間も走れる。
高速鉄道が整備されるまで船が最大の移動手段であり、積載量と速度で追随を許さない。
監視の包囲網には色々と問題が多い。
連絡船が目視できるのは10km程度だ。
これは乗員の視力の問題ではなく、水平線の下に船体が隠れてしまう。
帆船のマストの高さは30mほどあるので20km四方を監視できる。
海図と勘を頼りに集合地点に集まる船乗りの技術が素晴らしい。
俺は彼らを誇りに思う。
次に、島々に高い山があると遠くを見渡せる。
特に屋久島の山々は標高の高く、軽く100km四方をカバーしてくれる。
奄美大島と種子島の間にある悪石島(標高584m)があり、悪石島から屋久島が水平線の彼方に見えるらしい。
一方、反対側の奄美大島は見えない。
蜃気楼でも上がれば別だろうか?
俺は島々に鏡を使った光通信で結んでみた。
奄美大島より南は琉球王国の支配下で無理だった。
また、屋久島と悪石島を直接に光通信で結ぶのは難しい。
水面がきらきらと光るのが原因で、モールス信号が送れない。
流石に100km以上も離れると駄目という訳だ。
だが幸いに、他の島々でカバーできるので問題ない。
五島列島がもう少し南に延びていれば、とも思った。
無いモノは仕方ないか。
どうせ、雨天使用不可。
霧、雲の多い日も不可と完璧から程遠い。
夕方に硫黄島に到着すると坊津に集まっていた援軍と合流し、翌日の25日に琉球那覇湊を目指して出陣する。
那覇への到着は27日の深夜から早朝に掛けてだ。
座礁しないように各島に忍びを潜入させて焚火で岬を確認する。
後は海図と勘で那覇湊へ突入だ。
停泊中の配置図が手に入った。
琉球もイスパニアも間抜け揃いだ。
袖の下が
海賊上がりの副官は酒と女を宛てがうと幾らでも情報を漏えいしてくれた。
イスパニアの提督達の思いがダダ漏れだった。
フランシスコ・カブラル司祭は袖にされているらしい。
お堅い宣教師だ。
元海賊様には敷居が高いらしい。
提督らはポーカーでも楽しんでいるのか?
レートを上げさせる事に躍起になっていた。
どうやら提督らは、北九州がまだ動乱を続けていると思っているらしい。
平戸以外は終わったよ。
博多に火の手が上がった辺りまでが
だが、その後の情報が琉球に入っていない。
薩摩の漁師に密輸を続けさせ、交易を細々と続けている。
漁師は“薩摩にはキリシタンが居らず平和だ”としか言わせていない。
密輸の漁船は忍びの上陸と回収に使っている。
琉球本島の北側で連絡船から漁船に乗り換え、漁船で
忍びは漁村に入る前に海に入って別の場所から上陸し、帰りは湾を出る前に船に上がる。
その後、忍びから連絡が来るまで漁村に居ずわらせる。
連絡が来て漁村を出ると、忍びを回収して北で連絡船に乗り換えて戻ってくる。
その他にも薩摩からの交渉団を送った。
交渉団は“九州は無事で平和だ”としか言わない。
知らぬ存ぜぬだ。
九州の動乱を幕府が隠させていると琉球王らに思わせている。
交易船が戻って来ていないので知り様もない。
イスパニアの提督らはその情報を仕入れたのか、九州の動乱が続いていると推測しているようだ。
だが、
長崎の
無いな。
籠城が無意味な事は知っている。
おそらく、
だが、イスパニアの提督らのヤル気を削がないように気遣っているのだろう。
後は自分の保身だ。
そもそも
肥前から取り戻さないと使える兵が集まらない。
それができない。
一方、提督らは九州の内乱が続き、双方が疲弊する事を望んでいる。
戦う前から勝った気である。
ふふふ、馬鹿な連中だ。
そのまま織田水軍の奇襲を受けて沈んでしまえ。
巧く行けば、被害がゼロだ。
奇襲より一日遅れて諸将連合軍が琉球に到着し、後は臨機応変に対応する。
イスパニア艦隊がどう動くなど想像も付かない。
一部を犠牲にして撤退しているか?
それとも大人しく湾内に閉じ込められているか?
琉球の首里城の攻略だけでは物足りないらしく、湾内の南蛮船への攻撃は援軍に任せる事になった。
火薬玉を大量に放り込んで沈めるか?
乗船して乗っ取るか?
これも状況次第で変わる。
ともかく、武将達が戦わせろと五月蠅い。
日の本での最後の戦くらいは見せ場を寄越せと嘆願して来た。
手柄の一人占めは駄目らしい。
という訳で、奇襲の後は遠距離からの艦砲射撃で湾内に閉じ込める予定だ。
敵味方、どれだけの被害がでるのだろうか?
判らんな。
寝返りを打つと頭を空っぽにしてもう一度整理してゆく。
やはり無線の開発は必須だな。
次に気象図が欲しい。
そして、飛行機があれば…………もっと色々できる。
こんな包囲陣をいつまでもヤル訳にもいかない。
観測所兼監視所か。
観測所に熱気球でも設置しておくか。
熱気球はロープで繋いで上に上げれば、安全性も確保できる。
そして、根本的に戦艦も輸送艦も足りない。
敵の油断はチャンスだ。
この一戦で全滅、あるいは、イスパニアに帰りたくなるくらいの被害を出したい。
それで時間が稼げる。
俺も欲が出ていた。
馬鹿な提督らを見下して、俺もどこかで油断していた。
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