第75話 天山麓の戦い(2)

(永禄5年 (1562年)2月中旬)

龍造寺りゅうぞうじ-隆信たかのぶが従えたのは、拠点の佐嘉さが郡を始め、神埼かんざき郡、基肄きい郡、養父やぶ郡、三根みね郡、小城おぎ郡、杵島きしま郡の7郡であり、延べ29万石の石高になる地域の領主達だった。


永禄の変以前の龍造寺りゅうぞうじ家は、この半分に満たない領地を争っていたが、宣教師の支援を受けて、南蛮商人と交易を始めると一気に少弐-冬尚しょうに-ふゆひさを討伐して佐嘉さが郡を治めた。

資金と武器を支援してくれたキリスト教の教会を労って、龍造寺りゅうぞうじ-隆信たかのぶは領内の各宗派にキリスト教への改宗を命じた。

また、宣教師らは長い戦で傷ついた者や被災民の為に野戦病院や炊き出しを行っていたので領民はキリスト教に好感を持ち、領主様の命令でキリシタンの数が爆発的に増えたのだ。


こうなると周辺のキリシタンの不遇が伝わり、彼らを救済しようという機運が高まった。

平戸ではキリシタンと仏教徒が争っており、松浦-隆信まつら-たかのぶは仏教徒側に立った。

キリシタンの悲惨な状況を聞いた民衆は救済の声を上げ、その声を聞いた家臣らもその気になった。

このような機会を見逃すような龍造寺りゅうぞうじ-隆信たかのぶではない。

龍造寺十字軍であった。


龍造寺十字軍はキリシタンの拠点である松浦まつら郡に侵攻して松浦まつら党を一気に傘下に収めた。

外から龍造寺りゅうぞうじ、領内でキリシタンの抵抗、身内からも造反者が現れ、松浦-隆信まつら-たかのぶはあっさりと降ったのだ。

そして、龍造寺りゅうぞうじ-隆信たかのぶの命令で仲裁が行われた。

宣教師らは『聖地奪還だ』と賛美した。

こうなると宣教師らが龍造寺りゅうぞうじ-隆信たかのぶを頼る事が当たり前になった。


次に有馬-義貞ありま-よしさだが治める南肥前のキリシタン弾圧に介入した。

天文21年 (1552年)に有馬家の家督は義貞よしさだに譲ったが、実権は父の晴純はるずみが握っており、天文19年 (1550年)から始まったキリシタン弾圧が続いていたのだ。

これに龍造寺りゅうぞうじ-隆信たかのぶが介入した。

仲裁という名の恫喝が義貞よしさだに送られた。

もちろん、有馬家の家臣団は激怒した。

有馬家の支配下であった松浦まつら党を奪われた事も相まって有馬-義貞ありま-よしさだは軍を上げた。

肥前の支配者が誰かをはっきりさせる決戦が起こった。

まず、杵島きしま郡の平井-経治ひらい-つねはるを先鋒として侵入し、中堅に後藤-貴明ごとう-たかあきらが続き、本隊に有馬-義貞ありま-よしさだが続いた。

これが『丹坂峠にさかとうげの戦い』であった。

決戦が始まると大村家の家督相続に不満を持っていた後藤-貴明ごとう-たかあきらが寝返って有馬ありま方は崩壊した。

有馬-義貞ありま-よしさだは無事に撤退したが、後藤-貴明ごとう-たかあきらはそのまま雪崩れ込んで高来たかき郡 (島原)、彼杵そのぎ郡 (長崎)を奪おうとしたが、龍造寺りゅうぞうじ軍が足を止めた。


後藤-貴明ごとう-たかあきらの思惑は外れた。

雪崩れ込むより先に大友おおとも家が介入し、龍造寺りゅうぞうじ家と有馬ありま家が和睦してしまったのだ。

後藤-貴明ごとう-たかあきらの周りには洗礼を受けた大村-純忠おおむら-すみただを嫌って近づいた者が多く、今回の龍造寺りゅうぞうじ-隆信たかのぶの援軍要請を断って、有馬-義貞ありま-よしさだ大村-純忠おおむら-すみただの内乱を眺め、虎視眈々と介入の時を狙っていた。


ともかく、この大勝利で龍造寺りゅうぞうじ-隆信たかのぶの肥前の支配権が盤石になり、大友おおとも家に従って毛利攻めに加わる事になった。

ただ、龍造寺りゅうぞうじ家が教会から借りた借財は天文学的数字になって来た。

実際は教会名義のポルトガル商人への借財であった。


幕府が乗り込んでくると毛利家への賠償金を請求されて、その一部は名護屋地域を割譲する事で補ったが、借財で龍造寺りゅうぞうじ家が破産するのを遅らせたに過ぎない。

フランシスコ・カブラル司祭の誘いは一発逆転の狼煙だった。

幕府が勝てば、南蛮人が追放されて借財は帳消しになる。

イスパニアが勝てば、九州王となった龍造寺りゅうぞうじ家の資産は巨大になり、借財など簡単に返還できる。

勝っても負けても損はないと思っているとキリシタンの旗頭に持ち上げられて、賊軍にされた。

加えて再び名護屋に捕えられているキリシタンの『同胞を助けよ』という機運が領内に上がったのだ。

松浦まつら家、有馬ありま家の成功体験が家臣や領民までもヤル気にさせていた。

龍造寺りゅうぞうじ-隆信たかのぶは幕府と戦う事を決断するしかなかった。


『同胞を助けよ。名護屋を解放するぞ』


龍造寺りゅうぞうじ-隆信たかのぶの決意に領内29万人の領民の中にキリシタン達がときの声を上げた。

ざっと5,000人の熱烈なキリシタンらが従軍する為に龍造寺りゅうぞうじ-隆信たかのぶの村中城へ駆け付けてきた。

それに続けと家臣らや兵が集まって来る。


百武-賢兼ひゃくたけ ともかね蒲原-信俊かんばら-のぶとし野田-清孝のだ-きよたか、集まっているキリシタン5,000を率いて小城に赴け、兵8,000で先鋒を命ずる。直ちに出陣せよ」

「畏まりました」

直茂なおしげ、中堅の本隊は儂自らが出陣する。陣触れを出せ」

「承知」

小河-信安おがわ-のぶやす、そなたには後衛を任せる。東の者を束ねて付いて参れ」

「承知致しました。蓮池はすいけで集合させ、すぐに殿を追わせて頂きます」


龍造寺りゅうぞうじ-隆信たかのぶは総勢2万8千人の大軍を用意した。


 ◇◇◇


幕府に龍造寺りゅうぞうじ-隆信たかのぶの挙兵が伝わると、その日の夕刻には龍造寺りゅうぞうじ軍の先鋒8,000人が多久たくに入ったと伝わる。

秀吉らは密かに準備を進め、奉公衆らは評定の間で無駄に慌てた。


さて、唐津からつ佐嘉さがを結ぶ街道を『唐津往還』(唐津街道)と呼ぶ。


唐津からつ相知おうち厳木きゅうらぎ多久たく小城おぎ佐嘉さが


この街道は延べ10里 (40km)しかない。

強行すれば、1日で抜ける事もできた。

しかし、敵の将である百武-賢兼ひゃくたけ ともかね多久たくで兵を止めた。

厳木きゅうらぎを挟んで相知おうちには、梶山かじやま城の梶山かじやま家と池田いけだ城の池田いけだ-岩之丞いわのじょうという鬼子岳きしだけ (岸岳)城の出城があったからだ。

両城とも波多-親はた-ちかしの家臣の城であり、波多-親はた-ちかしが幕府に臣従したと伝わって用心した。

また、平戸と伊万里の松浦党が兵5,000人余りで平戸街道を上がって唐津に攻めてくると伝わっていた。

合わせれば、龍造寺りゅうぞうじ軍は3万人を超える。

百武-賢兼ひゃくたけ ともかねは密かに連絡を取っていた。

これに奉公衆らは大いに慌てたのだ。


「義輝様、最早猶予はありません。波多はた氏を鬼子岳きしだけ周辺の城に籠城させて、筑前に向かわせた兵を呼び戻すべきです」

「名護屋に残っている兵はわずかでございます」

「時間を稼ぐのが上策でございます」

「彼らが戻ってくれば、数でこちらは上回ります」


幕府は動員できる数は意外と少ない。

隔離した2万人の土方達を監視する為に残す兵、各屋敷や砦にも兵を残さねばならない。

帰蝶黒鍬衆 (スコップマン)などの各種の技術指導者らも5,000人近くいるが、秀吉と長秀は兵として使うつもりはないと拒絶した。

また、唐津の詰所や関所の兵も動かすつもりもなかった。


奉公衆らの手勢1,200人、秀吉と長秀が連れてきた兵3,000人と追加の2,000人、毛利家の3,000人と薩摩勢1,800人の延べ1万1千人であった。

これに東松浦郡の領主達がキリシタンの隔離を終えて兵を再編すれば、1万人近い兵を動員でき、山内二十六ヶ山の神代-勝利くましろ-かつとしも5千人ほどの兵を用意できると言う。

すべてを合わせれば、龍造寺りゅうぞうじ軍と互角以上の兵力を用意できるハズであった。


「織田水軍に千人は残して貰わねば、海戦になった時に困るだ」

「名護屋と唐津にも遊撃の兵として、各2,000人は必要ですな」

「秀吉殿、長秀殿、今はそれを言う時ですが、むしろ水兵や砦の兵を割いて、兵を増やすかを論じる時でしょう」

「駄目なモノは駄目だ」

「モノには順序がございます」

「話を聞いておらんのか?」


奉公衆らは一気に秀吉と長秀を責めるが柳に風と聞き流された。

右筆目付役の白井-胤治しらい-たねはるが織田家3,000兵は敵3万兵に匹敵すると豪語して、見て来た信照のぶてるの戦い方を伝授する。

秀吉と長秀は狭い谷間で敵の届かない所から攻撃できる迫撃砲があるだけで安心できた。

勝敗は兵数でない事を体験しており、兵の少ない事は気にならなかった。

むしろ、不安は輝ノ介とお市だったのだ。

二人が大人しく自分達の指示に従ってくれるのか?

お市の暴走を知る秀吉は心の中で「光秀め、余計な事をしただ」とめっちゃ悩んでいた。

指揮権が輝ノ介 (義輝)に移った。

だが、軍権は秀吉に残っており、防備も含めた名護屋・唐津の人事権は長秀にあった。

輝ノ介に命じて貰おうと奉公衆らが粘るが、奉公衆らに輝ノ介を捌き切れる訳もない。

ズバリと兵数を聞くだけであった。


「いくら連れて行ける?」

「鉄砲隊として織田家直属と毛利家より各五百人を用意し、主力に同じく輝ノ介配下を含む直属を千人。遊撃に毛利家と薩摩家より各五百人。援護の迫撃砲五十丁に五百人ですな」

「補給部隊は別に用意しますだ」


輝ノ介の配下と聞いてニヤリと笑った。

到着が遅れていた重装騎馬隊の五百騎の事だ。

馬の世話人や武具の手入れなどの下僕らを含めると大所帯で名護屋に押し寄せた。

馬は馬体が大きく、食べる牧草も半端ない。

牧草地帯の確保などで長秀を大いに困らせてくれた部隊だ。


「迫撃砲はいらん。あれは足が遅い」

「輝ノ介様、拠点防衛では絶大な威力を発揮致します」

「ならば、唐津の防衛に回しておけ」

「しかし、輝ノ介様」

「諄い」

「承知致しました」

「敵の龍造寺りゅうぞうじ軍の先鋒は多久たくで止まった。ならば、明日の早朝から梶山かじやま城を攻めて落とすつもりなのだろう。今夜の内に相知おうちまで移動する。秀吉、準備をせよ」

「か、畏まりましただ」

「義輝様、我らをどうすればよろしいのでしょうか?」

「付いて来たければ、付いて来い」


そう言うと輝ノ介は評定の間を後にした。

ここで付いて行かなければ奉公衆の意義を失うが、高倉-永相たかくら-ながすけは留守を任されたかった。

だが、輝ノ介はそこまで優しくない。

一色-藤長いっしき-ふじながも勝てる戦いに出たかったが、危ない戦は行きたくないと顔に出ている。

そんな思惑を無視して、上野-秀政うえの-ひでまさが元気ハツラツに「俺達、シ~、獅子奮闘ししふんとうの思いで付いて行きます」と声を上げ、高倉-永相たかくら-ながすけ一色-藤長いっしき-ふじながも肩を落としながら付いて行くと頭を下げた。


百武-賢兼ひゃくたけ ともかね多久たくで兵を休ませ、翌日の早朝に梶山かじやま城と池田いけだ城を強襲して、厳木川と平山川が合流する地点で幕府軍を迎え討つつもりで準備をした。

相知おうちから唐津からつまで4里 (15km)もない。

目と鼻の先だ。

明日にでも来訪が伝わって、幕府軍は名護屋から唐津からつに出て来ると予想した。

可能ならば、幕府軍が来るまでに波多-親はた-ちかしの居城である鬼子岳きしだけ城を落としたい。


そこで多久たく龍造寺りゅうぞうじ-長信ながのぶの協力を得て策を巡らす。

長信ながのぶ多久たくで密かに兵2,000人を集め、以前から調略し終えていた厳木きゅうらぎ構屋敷かまえやしき城の城主を味方に平山川を密かに下って、背後から梶山かじやま城を強襲する。

注意すべきは構屋敷かまえやしき城の対岸にある鬼子岳城の支城である上戸じょうこ城の者に見つからぬように動いていた。

長信ながのぶ梶山かじやま城を裏から強襲して落とせば、すかさず池田いけだ城も落として、その勢いで鬼子岳城を落としたかった。

無理でも鬼子岳城を平戸松浦党と東西を挟んで攻め上り、幕府軍を翻弄できると考えた。


だがしかし、その思惑は外れる。

なぜならば、夕暮れに龍造寺りゅうぞうじ軍が多久たくで兵を止めると、鏡を使った織田家の忍び光通信で日が暮れる前に名護屋に伝わっていた。


翌日、太陽がまったく上がらない闇夜に百武-賢兼ひゃくたけ ともかね龍造寺りゅうぞうじ軍を進めた。

すると、斥候隊が梶山かじやま城の手前の下の原に幕府軍が陣取っているのを見つけて驚いて本隊に引き返した。

驚いていたのは味方の波多-親はた-ちかしの家臣らも同じである。

まさか、馬車一台が通れるように整備させられた街道を夜に走ってくるなど考えもしなかった。


「なんだ、攻めて来んのか」

「輝ノ介様、こちらも兵馬共に疲れておりますだ。今、攻められたら総崩れになるかもしれませんだ」

「皆、ダラしないのじゃ」

「まったくだ。夜通し走り詰めた訳でもあるまい。一刻も休めば、元に戻るであろう」

「これくらいでバテるのは鍛え方が足りないのじゃ」

「今度、鍛え直してやろう」


秀吉は二人の超人に呆れた。

小一郎の機転で使者を先行させて街道の脇に松明を持った村人を立たせ、名護屋から相知おうちまで7里半 (30km)の夜道を強行軍で走り抜けてきた。

そのお蔭で夜中の内に到着できたが、疲れた兵の回復に交代で仮眠を取らせている最中だった。

起きていた者はまだ疲れも取れずに目を擦り、寝ている者はぐっすりと熟睡していた。

朝までに後続の補給部隊が到着する予定だ。

いずれにしろ、それまで弾薬や火薬などの予備がなく、鉄砲隊も持参している弾は100発のみ、歩兵も矢を通さない大盾がない。

秀吉と一緒に戦った兵らは死ぬ時は死ぬと腹を据えて仮眠に取った。

慣れた者ほど短い時間でも熟睡できる。

真面に戦えるのは馬で移動した将と輝ノ介の重装騎馬隊くらいだった。

また、武将も眠たいのは同じだ。

馬も疲れていると思うが文句も言わず、その辺の草をむしゃくしゃと食べていた。

お市が乗ってきた牡丹鍋ぼたんなべ(大猪)は元気そうだった。


“お二人は走っておられないだろう”


秀吉には聞き耳を立てていた兵がそんな声を出しているような気がした。

皆、れったい時を過ごす。

幕府軍に物資が届き、一斉に動き出した。

やっと軍を前に進める事ができるようになったと秀吉は胸を撫で下ろした。

東の空が少し明るくなってきた。


一方、斥候隊が戻って来て幕府軍を見つけたと聞いて百武-賢兼ひゃくたけ ともかねは内心慌てたが歴戦の勇士なのでおくびにも出さない。

落ち着いた素振りで指示を出し直した。

長部田ながへたの中腹に陣を引き、鷹取から長部田ながへたに川が迫って狭くなった所を半包囲するように軍を並べるように命じた。

街道は通り易くなったが、周辺まで整備された訳ではない。

狭い場所は狭い儘だ。

狭い谷間は川が寄ってくると非常に通り難い箇所が何か所かあった。

下の谷から下の原に抜ける辺りがそんな場所であった。

狭い街道を抜けて出て来た幕府軍を三方から鉄砲と弓で集中砲火を浴びさせようと言う訳だ。

廃れて壊された長部田城塞じょうさいの手前にある金比羅神社に本陣を置いた。

(JR唐津線と相知厳木線が平行して走っております。最寄駅はJR相知を川沿いに逆昇ります)

冬場で水量が減っている厳木川であったが、深い所は腰より高く渡河するのは難しい。

できない訳ではないが、一度渡河して湯屋に渡り、氷のように冷たい川水を浴びた兵をもう一度も渡河させて戻るのは難しい。


百武-賢兼ひゃくたけ ともかねはそう考えているのだろう」

「確かに川の水は冷たそうなのじゃ」

胤治たねはるが申しますには、必要ならば川に橋を架けるのも難しくないそうですだ」

「ならば、鉄砲隊のみ渡らせるか?」

「そうなりますと多久たくに入る時にもう一度川を渡らねばなりません」

「それは面倒なのじゃ」

「そもそも渡る必要もございません」


白井-胤治しらい-たねはるが後ろで笑みを零し、織田家の鉄砲隊に命じて街道に並べた。

鉄砲衆は前に出した大盾の間から敵を狙った。

敵との距離は200間 (363m)も離れており、敵の火縄銃の射程距離にまだ入っていない。

抱っこ紐(吊り紐)を使った投石でも届かない。

偶に投石紐で届かす天才がいるが、普通は届かせない距離の先から射撃が始まった。


『放つのだ』


ダダダダダダダダダダァ!

織田家の鉄砲隊が一斉に火の手を上げる。

カチャ、一発撃つと後ろを開いて薬莢やっきょうを足元に落とすと、腰から新しい弾を取って挿入して鉄砲を閉じる。

そして、狙って弾を撃つ。

ダァ、ダダダァ、ダン、ダダダダダァ、ダン!

綺麗な一斉発射は最初だけで、後は思い思いに狙いを定めて撃っていた。

龍造寺りゅうぞうじ軍の正面から川沿いの兵が盾を撃ち抜かれてバタバタと倒れて行く。

龍造寺りゅうぞうじ家も鉄砲に備えて盾を厚くしていたが、それを安々と突き抜けて兵を貫いた。

一発必中ではなく、蜂の巣のように盾を貫いて兵に風穴を作ってゆく。

敵の武将が「盾を二重にしろ」とか叫んで兵が下がらぬように声を荒げていた。


「ふふふ、敵が蟻のように倒れてゆくな」

「凄いのじゃ」

「これが本当の織田家の鉄砲隊か。おらも初めて見ただ」

「魯兄者はこんな凄い鉄砲を作っていたのかや」

「この鉄砲があれば、どんなに楽に戦えただか」


信照と一緒に居た輝ノ介と胤治たねはるは当然のように見ているが、奉公衆らや奥州組、毛利軍の者も唖然とする。

500丁の鉄砲隊が膝打ち・立ち撃ち・台座上と三列に並んで撃ち続ける。

火薬を入れる作業もなく、火縄銃と比べると連射と言って良いほどの速さだった。

しかも撃った後に黒い煙で視界が見えなくならない。

毛利家や薩摩家の者は自分達が持つ鉄砲がおもちゃだと知らされた。


「何故、幕府の弾が届くのか?」

「同じ鉄砲ではないか?」

「幕府の鉄砲は化け物だ」


龍造寺りゅうぞうじ軍の兵からそんな声が聞こえてきそうだった。

遂に耐えきれずに敵の前衛が崩れた。


『我に続け!』


輝ノ介の声が陣内に響いた。

重装騎馬隊が突撃を開始した。


「撃ち方~、止めだ」


秀吉が慌てて鉄砲隊を止める。

横から鉄砲隊を追い越して輝ノ介の重装騎馬隊が走り抜ける。

予定にない突撃に秀吉は慌てた。

忍者と別動隊が山を越えて、火薬玉を投げ入れてから突撃するハズであった。

山の方では別動隊が陣地争いをしている最中だった。

龍造寺りゅうぞうじの兵も中々に強く、山を取ったという報告が来ない。

輝ノ介は山側からの援護必要なしと判断した。


「ならば、わらわも行くのじゃ」

「お市様、お止め下さい。狭い場所ではお命の保証ができません」

「流石に狭い場所で敵の刀と矢を同時に避けられんのじゃ。する訳がなかろう」

「では、どこに行かれるのですか?」

「山を大きく迂回して、敵の本陣に奇襲を掛けるのじゃ。では、行って来るのじゃ」


そう言うと、大猪の牡丹鍋から飛び降りて山にさささっと入って行く。

それを追って侍女で下忍の千雨ちさめと護衛の忍び10人が追う。

山の手前で待機していたお市の家臣の飯母呂いぼろ衆20人とお市に惚れた黒羽衆10人も合流して山に入って行った。


「犬千代、追い駆けろ」

「無理だ。平地ならば追い付けるが山に入ったお市様には追い付かぬ。それに兵が付いて来られん」

「棟梁、頼む」

「お市様を止めるなど恐れ多くできませんが、信照様の直轄部隊 (愚連隊)20人に追わせましょう」


愚連隊20人に先日お市に付けた忍び衆100人が加わって、追い駆けるように忍びの棟梁が指示を出した。

この後、山に入ったお市達が龍造寺りゅうぞうじの忍び衆を軒並み根絶やしにして、敵の側面から現れるなど誰も知る由もない。

そもそも忍びが100人以上も大挙して押し寄せるとかあり得ない。

お市を含め、手練れ20人も一箇所にいるのもあり得ない。

戦場が減り、人材を集め過ぎた弊害だ。

信照のぶてるならば、「猿飛佐助が20人か。揃って襲ってきたら生きた心地がせんな」と言っただろう。

織田家の非常識だ。


秀吉がお市で慌てている頃、輝ノ介の重装騎馬隊が谷間を抜けて、少し広くなった場所に山側で待ち受ける無傷の部隊に突撃を掛けた。

唖然としていた毛利家の斬り込み隊長の吉川-元春きっかわ-もとはるも我に返って、輝ノ介を追い駆けて死地に入った。

吉川-元春きっかわ-もとはるに遅れてなるかと、島津-義弘しまづ-よしひろが後に続き、完全に出遅れた犬千代こと前田-利家まえだ-としいえが秀吉の兵を引き連れて追った。


天山麓の戦いが始まった。

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