第76話 天山麓の戦い(3)
(永禄5年 (1562年)2月中旬)
ドドッドド、ドドッドド、ドドッドド、鉄の悪魔が雪崩れ込んだ。
輝ノ介が下の原に出た瞬間、山側から鉄砲と矢が飛んで来たが、鉄の悪魔達はものともしない。
『構え、突撃!』
縦陣を組んだ100騎の一陣が斜めに向きを変えて斜行陣を取ると突撃を開始した。
まったく容赦もせずに突き出した大槍は盾をへし折り、そのまま敵兵を押し倒す。
その敵兵に重量馬の
馬の重量に加え、乗り手と装備の重量が加わると1トン近くになる。
バシャっと人の体が風船を割れるように潰されてゆく。
ドドッドド、ドドッドド、ドドッドド、重装騎馬隊は街道を抜けた二列縦隊の縦陣から五十騎が一斉に横に変化して50列縦隊の斜行陣となった。
輝ノ介が最初に突撃を掛けると、横に並んだ50騎が次々に突撃し、後ろの2騎目が取り零しを拾う。
だが、それで終わらない。
次の100騎も第二陣として斜行陣で突撃し、三陣、四陣、五陣と続き、延べ500騎の騎馬隊が通った跡に残るのは死体だけであった。
大槍に突かれて命を失うか、馬に弾かれて吹き飛ばれるか、将又、馬の蹄に潰されるか?
余程運が良くなければ助かる者もいないだろう。
ともかく、超大型馬の重装騎兵が通った跡には『モーゼの海割り』のような死体の道が生まれた。
『進め、足を止めるな!』
輝ノ介は山沿いからゆっくりと弧を描いて大将らしい奴に狙いを定めた。
敵の先駆けである
多くの騎馬武者が
“あれを倒せば、先駆けの部隊は崩れるな”
そう考えた輝ノ介は馬の足を勢いの儘に進めた。
少し広くなったと言っても幅150間 (272m)程度しかない平地である。
後続の
肉の壁でゆっくりと馬の勢いが消され、輝ノ介が槍を振って目の前の兵をなぎ倒しながら前に進む事になる。
ちぃ、輝ノ介は軽く舌を打った。
『どけぇ、どけぇ、どけぇ!』
今更、避ける事も出来ずに重装騎兵は
若武者やへっぴり腰の騎馬武者らが輝ノ介に襲い掛かるが、それを容赦なく潰した。
迫ってくる輝ノ介の前に
その瞬間、輝ノ介の目に山の上に廃城塞の背後から出てくるお市の姿を捕えた。
“大人しくしているとは思っておらんだが、本陣を狙ったか”
邪魔だ。
輝ノ介は大槍を横に
弾かれた勢いで馬から落ち、槍で体の半分を引き裂かれて即死であった。
『本陣を狙う続け!』
こうなると隊列も糞もない本陣目掛けての一騎掛けだ。
隊列を気にしなければ、通れない訳でもない。
そう思うと輝ノ介の行動は早かった。
輝ノ介が突っ込むと重装騎馬隊の面々とそれに続けと突撃を開始して、細長い
慌てたのは敵の本陣だ。
「殿、ここは一度お引き下さい。この場は
「何を言うか。まだ、始まったばかりだ。負けておらん」
「その通りです。数で負けておりませんが、ここで殿を失っては完全な敗北となります」
川側から見たこともない甲冑を着た騎馬武者が迫っており、山側から敵の遊撃部隊と思われる一団が背後から迫ると報告を受けた。
そして、
輝ノ介は止まらず、
輝ノ介と敵の一団の前が開けた。
輝ノ介もやっと敵本陣の前で馬の足を止めた。
敵将が前に出て来る。
『やあやあやあ、遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ。我こそは…………』
「シャキ~ン、なのじゃ」
ぼたりと
高速で移動しながら気配を消して近づいたお市が敵の中に飛び込むと、一瞬で間合いを詰めて鎧と兜の間に小刀を通して見事に敵の大将を討った?
周りの敵も味方も唖然としている。
「お市、名乗りの途中で斬るとは武士の風上におけんぞ」
「わらわは姫じゃ。武士ではないので関係ないのじゃ」
「武士の娘であろう」
「講釈など、勝ってから考えればいいのじゃ」
「お市様、この首は
いつの間にか首を検分していた信照愚連隊の一人がそう言った。
輝ノ介に付いて来た騎馬隊らは“はっ”とした。
気が付くとお市の後ろにいた家臣団も全滅していた。
その者らは黒装束の者もいれば、侍のような格好をした者、行商のような衣装とばらばらで統一感のない集団であった。
よく見れば、その背後に黒装束と白装束の一団が周辺の敵の兵をなぎ倒している。
「
「ならば、大将の首はお市が貰うのじゃ」
「山を越える方が敵も少のうございます」
「輝ノ介、お先に失礼するのじゃ」
「待て、お市」
「待たぬのじゃ」
お市達が山に戻って行く。
風のようだと見送った輝ノ介も我に返った。
この儘では大将の首をお市に取られる。
させるか。
輝ノ介は馬を翻し、邪魔な敵を薙ぎ払いならが街道沿いに走らせた。
『我に続け!』
実は輝ノ介も頭に血が上って冷静な判断ができていなかったのかもしれない。
騎馬隊が一列縦陣となって
当然、そんな横暴な行動に付いて行ける者は少なかった。
茫然としているのは
目の前で大将首が飛んだと思うと偽物と言う?
完全に思考が停止状態だ。
しかも首脳部も一緒に綺麗に謀殺されて指揮を出す者が不在となっていた。
先頭では虐殺が続いていたが、後方では奇妙な沈黙が訪れた。
輝ノ介らが相知長部田を抜け出した頃に自らの敗北を理解して敗走が始まった。
だが、兵の7割はキリシタンであった。
「逃げれば地獄行き、死んで天国に行くだ」
狂信者が引く事を拒絶して軍が混乱した。
大将が討たれれば大人しく逃げればいいのに死兵となって襲ってくる。
これが鍛えられた兵士だったならば大きな被害を出したかもしれないが、所詮は農兵であり、鍛え抜かれた兵には敵わない。
敵わないが少なからず被害を出した。
そして、何故か逃げ出していた兵も反転して抵抗し、戦場は大量の鮮血が飛び散った。
死ぬまで戦う兵を相手に幕府軍の虐殺が起こったのだ。
「お市様、あれです」
「大将首はわらわが頂くのじゃ…………何じゃ?」
案外あっさりとお市の追撃は成功する。
こっそりと逃げた
やっと抜けた所で速度を上げるとお市らに見つかった。
しかし、襲い掛かろうとするお市の前に敵が現れたのだ。
実は織田家も忍びを使うが
迂回している間も敵の忍びの首をさくさくっと取ってきたが、龍造寺四天王である
目の前で
足止めのつもりでお市に襲い掛かった。
相手が悪かった、
お市だけではなく、信照の愚連隊20人もいたのだ。
棟梁格の忍びが21人もおり、さらに150人はいる忍び衆がお市を追い駆けていた。
20人か、30人程度の龍造寺の忍び達が相手にして良い相手ではなかった。
「中々、やるのじゃ」
「小娘が!?」
「小娘じゃないのじゃ。お市なのじゃ」
「お市、お主が奥州王か?」
数手の手合せで撤退するつもりだった敵の棟梁は意外とやるお市に慌てた。
そして、逃げる選択をした時には周囲の味方は排除されて包囲され、お市の肥やしにされてしまった。
お市は割と時間を取られ、追い駆けてきた輝ノ介に抜かれていた。
輝ノ介の後ろから敗走してくる敵兵はお市の邪魔にならないようにも配慮され、お市は心置きなく戦えたのだ。
輝ノ介は唐津往還の街道を
蛇行する
そこから先が
この辺りは
そして、ここより東は
輝ノ介も
右手の曽多山城に注意を払いながら笹原峠を越えた所で輝ノ介の重装騎馬隊50騎にお市が追い付いて来た。
「山を抜けて来たにしては遅かったな」
「色々と寄り道があったのじゃ」
「曽多山城か?」
「流石に無理じゃ。じゃが、わらわの後続に襲わせておるので退路を断たれる心配はないのじゃ」
「それは助かる」
ぶほぉ、この神の御使いが何かを察したのか?
大猪の牡丹鍋が戦場の敵も味方を吹き飛ばしてお市を追い駆けてきた。
お市が「愛い奴じゃ」と撫でて牡丹鍋に乗った。
敵が待っているのでゆっくりと笹原峠を下って行くと
「ははは、こんな事もあろうかと用意しておったが、これほどの大物の獲物がかかるとは思ってもおらなんだ。元公方の義輝様。運はまだこちらにあったようですな」
「運など、力でねじ伏せてやるだけだ」
「強がりはここまでです」
峠からゆったりと下る道の左右に伏兵を忍ばせるのは常道の1つだ。
むしろ、後方にこれだけの兵を残しているのに輝ノ介は驚いた。
伏せられていた兵は小瀬城と曽多山城から調達し、正面の500人は
あの重い大砲を神輿の台座に載せて、一砲当たり総勢40人が交代で運ぶ。
これを堅城な城の正面門から55間 (100m)の所で組み直して、正面門を大砲で撃ち破って敵の士気を挫いて
大砲を実用しようという奇天烈さは信照と
もし、大砲が輝ノ介とお市に向いていれば状況は一変したかもしれないが、
「降伏すれば、命だけは助けてくれよう」
「もしかして勝ったつもりかや」
「子供には判らんか? この状況でどうするつもりだ」
「もしかして左右にある死体が何かするのかや?」
くわっと
お市の速度に付いて来られた忍びは愚連隊を除くと40人ほどだったので、残りの遅れた者に曽多山城を襲うように命じ、お市は輝ノ介と合流した。
どうみても兵が伏せてありそうな場所に信照の愚連隊20人と残る40人を半分に割って送っていたのだ。
信照の愚連隊は
その怪物10匹と凄腕の忍び20人で徒党を組んで左右の伏兵を襲っていた。
200人など数に入らない。
輝ノ介と
「底が見えたな」
「その首を貰うのじゃ」
『撃て、撃て、撃つのだ!』
そして、左右に散った者らも山を駆け下りて来る。
シュパ、シュパ、シュパとお市の前に飛んでくる矢を牡丹鍋が真横に飛んで、見事に避けた。
「当たらなければ、どうという事もないのじゃ」
いやいや、普通の人はできない。
ダダダ~ン、シュパ、シュパ、シュパ!
鉄砲と矢が輝ノ介らの重装騎馬隊に向けて放たれるが勢いは止まらない。
シュルルル、カ~ン!
輝ノ介の眉間に
「避ける必要もない」
「狡いのじゃ」
「狡くはない。これが甲冑の真価だ」
「わらわには重すぎて着られないのじゃ」
ははは、輝ノ介が高笑いしながら弓隊を蹴散らした。
家臣達が前に出て
「邪魔だ。退け」
輝ノ介ら重装騎馬隊50騎を前に500人の武将と兵が壁となって襲い掛かった。
鉄砲や弓の弾と矢を避けていたお市だけが側面に回っていた。
敵兵の薄い場所を縫って突き抜けると、お市は
牡丹鍋からすたっと飛ぶと敵の馬に乗り込んで一刺し、そして、次の馬へ飛び込んで行く。
これでは『
「お命頂戴するのじゃ」
「小娘、そなたは妖怪か!?」
「お市なのじゃ」
全力疾走の馬から手綱を放して槍を振り回すなど自殺行為だ。
それを逆手に取った技であった。
片手で刀を抜く者もいたが、半ば馬に縋り付き、半身で振り回す刀など軽く避ける事ができる。
鎧の隙間にグサリと刺されれば一溜りもない。
体勢を崩して自分から落馬する馬鹿もいた。
だが、
空中で避ける事もでないのでお市は腕を十字にして籠手で受けたが見事に吹き飛ばされた。
その着地点に牡丹鍋がいなければ終わっていた。
「牡丹鍋、愛い奴ぞ」
ぶひぃ、牡丹鍋が嬉しそうに声を上げる。
お市が牡丹鍋の背中を蹴って飛ぶと、再び
今度は
お市も承知で弾かれると牡丹鍋に戻るが、引く前に馬の方に胡椒入りの小袋を投げ込んだ。
馬が嗅いだ瞬間に足が乱れ、暴れる馬を
刹那!?
お市が「今じゃ!」と小さく叫んで飛んだ。
お市は牡丹鍋を右へ左へと操作して襲うが、時々側近が邪魔をして絶好の機会を逃した。
今度こそと牡丹鍋を近づけて襲うが、又もや、刀で捌かれた。
否、ズゴ~ンと腹を突き抜かれた
「最強の余を無視するとはいい度胸だ」
追い付いてきた輝ノ介が吐き捨てた。
全力で壁を突破して追い上げて来たというのに、お市ばかりに気を取られて無視されたのが気にいらないらしい。
周囲に注意が払えないなど、百人並の名が泣くというモノだ。
お市はぷっと頬を膨らませる。
「わらわの獲物じゃ」
「どうせ、お主の技量では落とせまい。見る限りは中々の腕前であったが、余と遊ぶには少し足らんな」
「やってみないと判らないのじゃ」
「飛んだ瞬間を矢で狙われていたぞ」
「知っておるのじゃ」
お市も気づいていたが輝ノ介に追い付かれる前に仕留めるには怪我くらいは仕方ないと思った。
だが、決死の一撃も
納得しているが悔しくて口から出てしまった。
もっともお市が怪我をして戻って来た日には秀吉と長秀が卒倒するに違いないが、お市はまったく気にしていなかった。
さて、側近らは追い駆けてきた騎馬隊が片づけ、壁となった兵も愚連隊20人が蹂躙して敗走させた。
輝ノ介もわずかな兵で
平戸・伊万里方面から上がってくる平戸・伊万里松浦党が残っていた。
帰り際に曽多山城を奪ったと報告が来たが、確保するのも面倒なので輝ノ介は火を放って放棄させた。
こうして輝ノ介らは長部田に戻った。
そこには5,000人を超える死体の山が築かれていた。
大虐殺と言っても良い。
死ぬまで戦い続けるキリシタンに手を焼いて、もう殺し尽くすしかないと奮戦した結果であった。
わざわざ生きている者にもとどめを刺した。
どこまでも抵抗するキリシタンに呆れた武将らはキリシタンかそうでないかも区別する気もないらしい。
逃がしてもまた襲ってきそうな敵は根絶やしにするのが一番だと官兵衛が主張し、秀吉が採用したのだ。
この虐殺を招いた要因はキリシタンだけではない。
もう1つの要因が輝ノ介とお市だ。
逃げた街道の先に死体がごろごろと転がっていれば、敗走する兵の足も止まった。
そりゃ、その先が地獄に通じていると誰もが思う。
大渋滞は停滞へと変わり、逃げ道を失った
大抵の者は逃げ遅れ、すでに降伏など認めないという空気に呑み込まれて命を落とした。
わずかに降伏した者も秀吉の命で首を落とされた。
また、山などに逃げた者もいるが落ち武者狩りに襲われているだろう。
何人が生き残って戻れたのか想像もできない。
この世の生き地獄であった事だけは確かであった。
さて、早朝から
背後を襲いたくとも毛利の鉄砲隊が守って近づく事も許されず、
城を奪う所か、
城に戻ると幕府軍の来襲に備えた。
数日後、
こうして、戦いの1つが終わった。
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