第73話 憐れキリシタン大名。
(永禄5年 (1562年)2月中旬)
名護屋の御殿で激震が走った。
連れてきた土方を兵舎に移動するよう突然に命じられ、その先で隔離された。
肥後の武将に至っては兵まで閉じ込められている。
翌日、大名の名代達が御殿に呼ばれて、大評定が開かれた。
宣教師と
しかも重要な人物であるフランシスコ・カブラル司祭を逃がした者がいると言う。
ここに派遣されていた武将らにとって寝耳に水だ。
『司祭を逃がすように手引きをした裏切り者は誰だ?』
フランシスコ・カブラル司祭は輝ノ介 (元公方の義輝)に面会を許されると、その場で「貴方を再び倭国の王にしてみせましょう」と言って、輝ノ介の逆鱗に触れた人物だ。
輝ノ介は「乞食坊主が何か申したか?」と言って、司祭一行の着ぐるみを剥がして、その場で衣服を燃やすと、
そのフランシスコ・カブラル司祭は唐津に戻ると激怒していたが、幕府が捕えに来るより早く、いつの間にか誰かに連れられて小舟で唐津を逃げ出していたと言う。
『すでに知っている者もいよう。敢えて隠さんがイスパニアの艦隊が近く来るらしい。イスパニアに付いて幕府と戦うと言うならば受けて立つぞ』
名代達は『そんなつもりはございません』と口々に言った。
名代だけは
連れ出される武将らが「我々にそのような意志はございません」と必死に訴えているが、輝ノ介は耳を貸さなかった。
また、逃亡したフランシスコ・カブラル司祭は各地のキリシタンに蜂起を促す檄文を送っていると言う。
『そこもとらには幕府転覆の嫌疑が掛かっておる』
名代達が「我らは幕府に従っております」、「逆らうつもりなどあるハズもございません」、「どうか信じて下され」と各々らが騒ぐと、名代の家臣らまで声を上げ始めたが、輝ノ介が『黙れ!』と言うと静寂が訪れる。
『違うと言うならば、領内のキリシタンを隔離して、洗礼を受けた馬鹿者らの首をここに届け、
なぜ、そんなことになっているのか?
名代達が困惑する。
幕府の命令は簡単なようで難しい。
領内のキリシタンがどれだけいるのかを把握している大名や領主がどれだけいるのか?
キリシタンは周防の
次に高来郡を中心に島原半島一帯を支配下に治めた
大内家が力を失うと、宣教師は
しかし、ローマ教皇パウルス4世が
すると、それまで関心がなかった
キリシタンと仏教徒を仲裁してお茶を濁したが、宣教師らは諦めずに
また、同じように
この侵攻は大友家の仲立ちですぐに停戦したが、有馬領でのキリシタン排斥を止めた功績で、
ジャンク船を購入する権利も得たが、博多のような『金になる木』を持たないので船の購入を諦めた。
今では北肥前の
来日したフランシスコ・カブラル司祭は平戸に到着すると、精力的に周辺の教会や領主を回り、次に平戸街道を南下して有馬の高来郡に入った。
続いて長崎街道を上って龍造寺の佐賀に入った。
気を良くした司祭は博多から府内の
だが、フランシスコ・カブラル司祭の法螺話も、実際にイスパニアの艦隊が向かって来ていると知れると笑い話で済まなくなった。
大評定で知らされた名代達はそう受け取った。
キリシタンを決起させて、そのキリシタンを追込む事でイスパニアの艦隊に助けを求めさせて平戸に誘い込むのが幕府の策だ。
何も知らされていない九州の諸大名の名代達は慌てふためいた。
すぐに領内をまとめて
名代らはすぐに当主の元へ使者を走らせたのだ。
◇◇◇
檄文が届けられるとほぼ同時に名代が戻って来た。
名代だった
内心では、「あれは唯の口約束だ」と思っていたが、その場にいた宣教師から暴露されるとは思っていなかった。
「ですから、お言葉には注意なさいませと言いましたのに」
「では、イスパニアに付かんと言うのか? 50隻の艦隊が押し寄せて来ているのだぞ。国力では織田家を凌駕しておる。織田家は畿内と東海を守る為に九州を捨てるのは必定だ」
「それは承知しております」
「
龍造寺家の重臣で知恵袋である
ポルトガルの商船と比べて織田家の帆船は小さい。
大砲の数も劣る。
織田家の大型船は南蛮船より小ぶりで数隻しかなく、主力の小型帆船は一隻に6門しかなく、それも十数隻しかない。
対するイスパニアは50隻の戦艦を送ってくる。
天竺より遠い国だ。
どれだけの大国かが想像できた。
織田家はイスパニアと一戦して、被害が大きくなる前に九州を放棄すると、
幕府に逆らわず、宣教師を持ち上げる。
そんな時期にフランシスコ・カブラル司祭が来訪して、ズバリと織田家への反旗を聞いてきた。
そのときは
だが、
その二人の会話を通訳した者こそ、尾張の神学校で語学を勉強して来た者だったのだ。
神学校では黒鍬衆や中小姓になれない代官候補の中から語学が得意な者を選抜して、
この草の中には武闘派の者と徒党を組んで、海を渡って
彼らは京で
しかも尾張や美濃の出身ではない。
畿内やその周辺の出身の為に方言も尾張弁でなかったから商人や宣教師も気を許した。
日ノ本の者はどこも優秀だと思われた。
彼らは様々なルートで博多に移り、教会の門を叩いてキリシタンに化けた。
宣教師は日ノ本の優秀さと勤勉さに驚くばかりであった。
語学が堪能と判ると通訳として取り立てられた。
その
始めからすべてを知っていれば、取り調べなど楽なモノだ。
バレなければ。
そんな淡い希望は最初からなかった。
◇◇◇
平戸に戻ったフランシスコ・カブラル司祭はキリシタンを鼓舞して戦う準備を始めた。
その行動に平戸の領主である
名護屋に送った家臣、兵、民がキリシタンとして捕えられた。
キリシタンではございませんと言う言い訳は通用しない。
同胞を助けるには戦しかない。
幕府に盾突けばお家が取り潰され、キリシタンを排除しようとすれば、領内を二つに割った内乱となる。
キリシタンを一箇所に集めて隔離するのも儘ならない。
洗礼を受けさせた家臣の首を持って幕府から許して貰うのも不憫でならない。
だが、イスパニアの手を借りるというのも気に入らない。
悩んでいる内に
「殿、ご決断を」
「戦わぬと言われるならば、領内にいる万に届くキリシタンが内乱を起こします。討伐されますか?」
「立っても立たずとも地獄ではないか」
「イスパニアの艦隊が来れば、状況は一変致します」
「いつ来ると言うのだ」
腹を括るしかなかった。
嫡男の
加えて、
「義輝様も
「父上はどうさないますか?」
「そなたが逃げた後にそなたを廃嫡し、家督を次男の
「父上!?」
「そなたは幕府方に付いて、この父を討て」
「それしかございませんか?」
「近くイスパニアの艦隊が来るらしい。運が良ければ、そなたの首を狩るのは儂かもしれんぞ」
「承知致しました。全力で戦わせて頂きます」
「
「お任せ下さい」
嫡男を逃がすと
「命を賭けて、同胞を救ってみせます」
宣教師もまた悪ではない。
多くの領民を救ってくれた。
だが、領民がキリシタンに改宗すると、門徒を失った仏教宗派も黙っていられない。
宗教の対立は根が深い。
そして、どちらが勝つか判らない。
幕府が勝つか、イスパニアが勝つか?
キリシタンか、仏教徒か?
◇◇◇
大友家の
大友家から500人の兵と3,000人の土方を送り、家老の
輝ノ介(義輝)が突きつけてきた要求が厳しかった。
『キリシタンとなった武将の首を差し出せ』
豊後でキリシタンになった武将で
この者らは
だが、大砲『国崩し』とジャンク船と引き換えに、
当主の首を差し出す訳にはいかない。
その手紙を読んだ
「これは殿に死んで頂くしかございませんな」
「いかにも」
「儂に死んで来いと言うか」
「はい。洗礼名『ドン・フランシスコ』に死んで頂かねば収まりません」
「ここには首を持って来いと書いてありますが、胴体と繋がっていても問題ないでしょう」
「まな板の
「必死の覚悟でお会いすれば、すぐに
「
「領内のキリシタンを放置して、蜂起を起こされて討伐軍を編成できずに詰め腹を斬らされたいのならば、一緒に付いて行ってもよろしいですがどうされますか?」
「殿、この
「イスパニアは勝てんか?」
「短期的にはどうなるかは判りませんが、
「海戦で勝てても、毛利軍のように内陸に入った幕府軍をイスパニア軍が落とせますか」
「そうであったな」
大友家は三隻のジャンク船で毛利軍を圧倒したが勝ちきれなかった。
同じ策を幕府が行えば、イスパニア艦隊は疲弊して、
イスパニア艦隊が撤退した後に幕府が再び押し寄せてくる。
「殿。織田軍には関ヶ原で使われた大砲『国崩し』を小型化した小砲がございます。我らは湾に入ってきたイスパニアの船に為す術がございませんが、幕府軍は反撃できる力を持っております」
「尾張の伊勢湾は落とせんか?」
「無理でしょうな。それ所か、堺すら落とせるか怪しいでしょう」
「織田家の船は次々と造られてくるが、イスパニアの船は次々と沈んで行きます」
「判った。判った。その後は言うな」
二家老はそう言いたいのだ。
とても畿内を攻める余裕などはない。
それ以前に毛利軍を退けるのに、どれだけの労力を割かれるのか?
「幕府軍が勝つか?」
「神風など吹きませんが、大御所(
「
「一度ある事は二度ある。三度目があるやもしれません」
「首を洗って名護屋に行ってくるわ」
「すぐに兵を出せませんので、船で行かれるのがよろしいかと思います」
対して、司祭の声に宣教師が立ち上がり、熱心なキリシタンが『同胞を救え』と声を上げると領内は不穏な空気が流れ、キリシタンを隔離しようとする役人との間で
さらに仏教徒がここぞとばかり追い討ちを駆けた。
キリスト教は
そんな経緯で様々な宗派の僧侶にも含む所があっただろう。
宣教師ルイス・デ・アルメイダを恨みたくなる。
アルメイダは府内に留まって布教を始めると私財を投じて乳児院を建て、
その西洋の医学もアリストテレスの自然学を見直し始めたばかりであり、日ノ本の医学より少し先を行っていた程度だった。
アルメイダ自身も聖水や十字架などを用いた呪術的な医療も盛んに行っていた。
だが、確実に神の奇跡で命を救われる者を増やし、それにともなって信者も増え、領内から波及して各地にも信者を増やしていった。
幕府から『逆徒』というお墨付きが発せられれば、仏教徒がここぞとばかりに教会に隔離されたキリシタンを襲い出した。
坊主に与する領主が出て来る。
対して、キリシタンを擁護する領主、あるいは主君の命に従おうとする領主などが睨み合い、遂に火の手が上がった。
そもそも水争いや因縁の関係もあり、その騒動は収まる所か領内で広がり、紛争へと発展してゆく。
大友軍の属国は肥前に討伐軍を編成するのが遅れに遅れた。
「何故、仏教徒を野放しにするのか?」
「各門徒が教会を襲って手が付けられません」
「領主は何をしている?」
「その領主同士が争っております」
「領主共は馬鹿しかおらんか」
隣から大火事が襲って来ているのに、囲炉裏の火を巡って家の中で争い始めた。
各領内の暴動を鎮圧せずに肥前の討伐隊を派遣すれば、滅ぼした一族の残党が暴れ出して手が付けられなく可能性もあって放置できない。
ゆっくりとしていられない。
肥後討伐が遅れれば、その責めを問われて
幕府が
属国が多すぎるのも考えモノであった。
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