第65話 皇帝フェリペ2世の狂乱と九州の状況。

(永禄4年 (1561年)9月初旬)

満剌加マラッカ海峡を出発したフランシスコ・ザビエルが鹿児島に到着するのに52日も掛かったと言う。

澳門マカオや琉球などの寄港地によって布教活動をしながら日本に来たからだろう。

立春 (正月)から八十八夜の五月頃に新茶が摘み取られ、5月中旬前には北九州に新茶が届けられる。

そこから我先にと船を出航させる。

もし、一番茶を持ち帰った船は一生遊んで暮らせるような大金を手に入れると言われる。

年が超える毎に盛大になった。

ポルトガル商人らは船団を送り、茶を運ぶ事にしのぎを削った。


教皇パウルス4世はカトリック対抗宗教改革への意欲に燃える教皇であり、厳格過ぎる性格のため、敵を作ることが多かった。

また、ハプスブルク家と犬猿の仲であった為に神聖ローマ皇帝カール5世と手を結ぶ事はないと思われていた。

しかし、弘治2年(1555年)12月25日にイスパニア王家を揺るがす事件が起こった。

世界最強のイスパニア船団が無惨にも負けたのだ。

船舶は武力で制圧され、お情けの再戦も大砲の精度で負けた。

船員は温情で助けられた。

世界の果てにある小国の中の小国に負けたという噂はヨーロッパ中を駆け抜けた。

イスパニア王国も長くないのでは?

酷いモノになると『黒いわしの羽は折れた』と揶揄する。

雀の囁きが宮廷で囁かれ、皇帝カール5世は反抗的な貴族を断罪し、皇国内をまとめ直し、悪評を背負って息子のフェリペ2世に王位を譲った。

3年後 (1558年)に「イスパニア王家の威信を取り戻すべし」と遺言して、皇帝カール5世は亡くなった。

それから3年である。

イスパニアの艦隊が未だに日ノ本を陥落させたという報は入って来ない。


弘治2年(1555年)、イスパニアの敗北と同時に持ち帰られた和製聖書に教皇パウルス4世も激怒していた。

キリストと天照大神が同一神と言う邪教徒の信照のぶてるに異端認定をした。

犬猿であったハプスブルク家の皇帝とも手を取り合った。

教皇パウルス4世の討伐令に従って皇帝フェリペ2世に日ノ本の討伐を発令する。

父の遺言を実行だ。

だが、宣教師から降伏の報告が上がっていなかった。


毎年のように秋になるとざわめきが大きくなる。

アルバ公こと将軍フェルナンド・アルバレス・デ・トレドが皇帝に呼び出され、その途中で太った司教とすれ違う。

また、余計な事を言ったに違いない。

アルバ公はそう予感する。

皇帝の横には侍従長のルイ・ゴメスが立っており、軍のやる気の無さを告げ口した。

そう思うならば、ルイ・ゴメスが呂宋國に行けばいいと思う。

生粋の軍人であったアルバ公は宮廷の勢力争いに巻き込んでくれるなと言う顔付きであった。


「一体、いつになったら日ノ本を攻めるのだ」

「艦隊を派遣しましたが、亡くなった者が多く。兵力が整っておりません」

「言い訳でございます。のらりくらりと躱して攻める気がないのです」

「もう一度聞く。いつまで待たせるつもりかと聞いている」

「もう少しのお時間を。水夫が揃わないと十分な戦いもできないと思われます」

「おぉ~、嘆かわしい。教皇パウルス4世が亡くなり、教皇ピウス4世に変わった。しかし、ピウス4世もご高齢だ。生きておられる内に教皇への約束を果たす事ができるのでしょうか。おろろろぉ」


芝居掛かったルイ・ゴメスの涙にアルバ公は吐き気を覚えた。

毎年、この時期になるとイスパニア商人らが怒っている。

去年もお茶の販売をポルトガル商人に独占された。

今年もそうだ。

ポルトガル商人にこれ以上甘い汁を吸われるのは我慢できない。

高い銭を寄付しているのは何の為か?

怒り狂ったイスパニア商人らが司教に訴えたのだ。

司教がイスパニア商人の毒舌を告げ、ルイ・ゴメスの告げ口に皇帝が怒った訳だ。

アルバ公は頭痛がしてきた。


「我らは教皇の剣である。討伐を為さねばならぬ。穏健派が顔を出す前に日ノ本など叩き潰してしまえ。すぐにだ」

「返事は如何に? 討伐とは名ばかりでいつになったら日ノ本を下して頂けるのでしょうか」

「すぐに出撃の命を出しましょう」

「本当ですな」

「間違いございません」


宮廷の犬によって、すべての段取りを無視して出撃が決定した。

だが、高速帆船を造らせても連絡を入れるにも4ヶ月から5ヶ月を要する。

連絡を入れ合うだけで一年を要する。

航海に出れば、3人に一人は死ぬ。

300人の兵を連れて行けば、大西洋を2ヶ月で渡り、陸路で移動しアカプルコから呂宋に太平洋を3ヶ月ほど掛けて渡ると船員は半数に減っていた。

酷い艦では160人の乗員の内、100人が亡くなる事もあった。

ヨーロッパ大陸中から船員を募り、次々と補充の人員を送った。

弾薬を追加して呂宋国を占領した。

港を整え、船の補修も必要だ。

蛮族の孤島で物資を揃えて港を造る苦労を思い知らされた。

本土から船で資材を運ぶなどできない。

すべて現地調達だ。

お茶を注ぐだけの政争とは訳が違った。

世界の果てとはそれほど困難なのだ。

今は現地人を奴隷にして水夫として鍛え直していた。


だが、皇帝フェリペ2世の自信は凄まじく、覆りそうもない。

皇帝フェリペ2世は宮廷をマドリードに定め、63年からエル・エスコリアルに修道院兼王宮を建設する事を決めた。

イスパニア王国は南米の銀で最盛期を迎えていた。

攻めろと命じられれば、もう攻めるしかない。


果たして巧く船団が機能するのだろうか?

アルバ公を悩ませているのは派遣した海軍提督アンドレア・ドーリアが現地で死去した事もあった。

息子で副官ジャナンドレア・ドーリアを艦隊提督に指名したが、艦隊内に亀裂が走っていた。

22歳の若者に従う事を嫌がっていた。

サン・カンタン、グラヴリーヌ (1558年)で戦功を上げたエフモント伯を送ろうとも考えたが、生粋の軍人でない貴族のエフモント伯には荷が重いという思いに至った。

自分が行ければ楽だが、皇帝が許す訳もない。

アルバ公は攻撃命令を書簡にしたためて船団を送った。

9月に出発した船団は貿易風を受けて大西洋を渡り、中南米を陸路で渡るとアカプルコから呂宋國に向かって帆を上げて船は進んだ。


 ◇◇◇


(永禄4年 (1561年)9月初旬)

輝ノ介は毛利家の安芸に寄り、次に大友家の府内に寄ってから名護屋浦に入った。

大小の300石船や1,000石が連なる大船団であった。

組み立て式の御殿なども運んで来た。

これで一気に大名らの屋敷も造れる。


「これが九州か」

「余り代わり映えしないのじゃ」

「面倒だろうが、しばらく人形に徹していろ」

「判っているのじゃ」


名護屋浦に降り立った輝ノ介を見て三好三人衆が目を丸くした。

生きていた事は知っていたが、足が付いている姿を見ると何とも言えない感情が湧いていた。

信照のぶてるが死者を蘇らせたとまことしやかに囁かれていたからだ。


「生き返らせるならば、長慶ながよし様も生き返らせて頂けばよろしいのに」

「無理を言うな」

「騙されているような気分だ」


岩成-友通いわなり-ともみち長慶ながよしの復活を願うと、政康まさやすが葬儀も終わっており、今更、何を言うかと跳ね除け、長逸ながやす長慶ながよしの死が三好家の衰退の原因と説いた。

摂津守護になった長逸ながやすであったが、自前の兵と阿波の実休じっきゅうから借りて来た兵だけである。

摂津に対して何も実行力を持っていなかった。

摂津守護代荒木-村重あらき-むらしげは言葉で主人と崇めているが、命令を一切聞かない。

摂津での実権を奪われた儘であった。

同じ織田方に与したのに、北条家と毛利家とは待遇の違いに不満を覚えていたのだ。

信照のぶてるが聞けば、激怒モノだ。

そもそも三好家と織田家は正式な同盟を結んでいない。

織田家からは一門衆の娘を信長の養女にして三好家の嫡男義興よしおきの妻に、実休じっきゅうの娘を信勝の嫡男に嫁がせる事で合意したのだが、三好一門は未だにお市に拘って宙に浮いた儘になっていた。

信照のぶてるから言わせれば、婚姻は同盟の前段階であり、契約を交わして調印して、はじめて同盟と思っている。

同盟同然と思う三好一門とは考え方が違った。

そして、両者の溝が埋まらない儘に三好家は没落したのだ。

織田家には三好家を元に戻してやる義理はなかった。

そもそも畿内に三好家の勢力が残っているのはよろしくない。


輝ノ介が名護屋の仮御殿に入った。

世話や行事の段取りなどは明智-光秀あけち-みつひでを始めとする奉公衆などが取り仕切る。

九州の大名らを集めると輝ノ介の指示に従うように命じた。

内心はともかく、皆は輝ノ介に従う事を誓った。

これで小一郎こいちろうらの指示が円滑に進む。

だが、そんな輝ノ介の思惑と違い、奉公衆や大名らから苦情を上げてきた。

うんざりした。

名護屋浦の近くに役方所が造られ、そこで小一郎こいちろうらが作業をしていた。

輝ノ介の日課は名護屋を一通り見回ると役方所に詰めるようになっていた。

御殿にいると非番の奉公衆や大名が来て愚痴を聞かされるからだ。


「敵も味方もギスギスしているな」

「畿内から連れてきたのは野心の多い乱暴者らが多くおります。一方、九州の大名から見れば、我らは余所者でございます」

「渋谷家は彼らを抑えるのに役に立たないか」

「立ちません」


九州の勢力も色々混じって斑模様まだらもようだ。

仏教とキリスト教の対立。

昔から続く土地争い。

面従腹背。

野盗が出没しているが、無能しかいないのか、討伐の報告が入らない。

また、噂では大友-宗麟おおとも-そうりん龍造寺りゅうぞうじ-隆信たかのぶはイスパニアの艦隊が来るまで従っている振りをしていると度々のように民衆が騒いだ。

そんな噂が立つ度に本人か、使者がやって来て申し開きを述べて来た。

輝ノ介は小一郎こいちろうらの邪魔をしつつ、上がって来た報告書を勝手に覗き込んでいた。


隆信たかのぶめ、僧侶とキリシタンの仲裁をしろと申し付けたのに仲裁になっておらんではないか」

「これもいつもの事です。仲裁と言ってもキリシタン側として停戦を申し付けるだけですから解決に至りません」

「幕府を舐め過ぎだ」

「お灸を据えるのじゃ」

「止めて下さい」


水軍府は流血事件でもならなければ、動かない方針を固めていた。

ムスっとするお市に小一郎こいちろう内申書ないしんしょ(調査書)をそっと差し出した。

二人がそれを覗き込む。

輝ノ介はそれを見て膝を叩いて笑った。


「余に暴れるなとは、そういう事か」


すでに龍造寺家の取り潰しは決まっていた。

新幕府はそんなに甘くはない。

大友家の九州探題を始め、各大名は守護、守護代、地頭などの各役職を持っており、どれだけ責任を持って役職の責務を果たしているかが採点されていたのだ。

取り潰された家は一族郎党を根切りにされるか、美麗島ふぉるもさ(台湾)に強制移住である。

今、取り潰しても連れて行く先はないのである。


隆信たかのぶと宣教師でイスパニア艦隊が来た時の打ち合わせをしておるのじゃ」

「何だと」

「ここに書いてあるのじゃ」

「なるほど、そのイスパニア艦隊はいつ来るのだ?」

「宣教師も存じてないようです」


小一郎こいちろうの話では宣教師も二派に分かれており、ポルトガル商人に共に信照のぶてるに媚びて洗礼を受けさせて戦争を回避させたい派と、イスパニア艦隊で日ノ本を占領して、明国を攻める橋頭保きょうとうほにしてしまおうという派だ。

イスパニア艦隊にも宣教師が乗っており、その者の連絡でもいつ来るかは判らないと言うモノだった。


「筒抜けではないか?」

隆信たかのぶや宣教師は用心してないのかや?」

「忍の存在にすら気が付いておりません」


隆信たかのぶが強気の原因は4月から5月に掛けて来るポルトガル商人の艦隊を見ている事にあった。

四隻編成のキャラック船が三船団12隻もやって来る。

去年などは、新茶の育成が悪く少し遅くなると、定期便の四隻が加わって16隻に増えた。

どれも300トンから600トンクラスの大きな船だ。

(軍艦尾張級や千石船で150トン)

織田家の船が小さく見える上に、名護屋浦にある織田家の軍艦は大小を入れて6隻しかいない。

本気になったポルトガル船団に勝てないと隆信たかのぶは信じていた。

況して、イスパニア艦隊は50隻の軍艦を揃えている。

戦力差は圧倒的であった。


「ポルトガル商人はお茶を買いに来ているのであって、間違っても織田家と一戦するつもりはありません。何隻来ようと恐ろしくもありません」

「戦わないのかや?」

「船も貴族からの借り物であり、間違っても沈める訳に行かないそうです」


最初はジャンク船しか来なかったが、お茶を販売して以降はキャラック船が乗り付けるようになった。

そして、毎年のように取引額が増えてゆく。

一隻が二隻に増え、今ではお茶を買う為に新興商人が貴族から融資を受けて船を造って船団を組んでくるまでになった。

戦時に入って倍に飛び跳ねてもすべて買って行ってくれる。


「一昨年は樹脂袋に詰めた格安のお茶を販売し、去年は万全を期して『玉露』の販売を行ったそうです」


ヨーロッパではお茶のブームがさらに盛り上がっていた。

輸入量が少しくらい増えても追い付かない。

しかも毎年のように新商品が出て飽きさせない工夫もされていた。

信照のぶてるの創意工夫の成果だ。

だが、その一部が宗麟そうりん隆信たかのぶの懐に入って戦費を捻出していた。

宗麟そうりん隆信たかのぶを増長させたのも信照のぶてると言う事になる。


「それでございますか」


白井-胤治しらい-たねはるが手を打った。

毛利-元就もうり-もとなりが上洛した際、信照のぶてるはお茶に誘った。

胤治たねはるは後ろで控えていたが、信照のぶてる元就もとなりに気を使っていると思えたのだ。

そのときの会話はこんな感じだ。


「領民には申し訳ないが、すべてが無くなれば踏ん切りも付く」

「仰せの通りでございます」

「新しき良き町ができる事を期待しております」

「期待に沿えるように頑張らせて頂きます」

「ところで再開発が進んだ所で呉に造船所を造ろうと思うが、許可を頂けますか」

「御配慮。痛みいります」


大友家や龍造寺家に流れた銭で毛利領の海岸部は大打撃を受けた。

しかし、賠償金がたんまり入るので領地替えや町の再開を毛利主導で行える。

尾張のような区画割りした町が容易にできるようになった。

近代都市への第1歩である。

だが、理屈では判っていても領内を荒らされたという事実は変わらない。

造船所という『飴玉』を与えて元就もとなりを労っていたのだ。

あのとき、胤治たねはるは労う意味が判らなかったのだ。


「相変わらず、他人の迷惑など考えずにやる癖に芸が細かい奴だな」

「えへん、魯兄者は偉いのじゃ」

「理屈は判っていても南蛮人にお茶を売らなければ、大友家や龍造寺家の潤沢資金はなく、毛利家もここまで苦戦する事もなかったでしょう。その分の追加の料金だったみたいです」

「真新しい造船所が毛利家に対する迷惑料か」

「そうだと思います」


納得すると、輝ノ介は次の報告書を手にした。

質問に答えるだけでも手が止まって邪魔でしかないが、状況の摺合せをする必要もあった。

それに留まってくれているだけマシだと思っていた。

いずれは退屈になった二人が名護屋から飛び出してゆくと思わずにはいられなかったのだ。

輝ノ介とお市がいつまで大人しくしてくれるのかと心配していた。

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