第64話 輝ノ介の九州出陣。

(永禄4年 (1561年)8月20日)

信光のぶみつ叔父上は父であった信秀のぶひでの弟で腹心だった。

武人としても政治家としても父より優れていたと思う。

大きな体を使って何度も武功を上げ、織田弾正忠家では父に代わって家臣を取り仕切っていた。

頂点に立つよりも自由に動ける。

暗躍もできる。

家同士の思惑を無視して好き勝手な事も言えた。

当主など名誉だけで百害あって一利なしだ。

それを信光のぶみつ叔父上も知っており、俺とは気があった。

誰を次の当主にする事もか合意できた。

兄上(信長)は変わり者だったが、民に餅などを配り、領民を慈しむ嫡男であった。

折り目は正しく、家臣思いの信勝兄上も候補に上がったが、頭が固く、考え方が古いので俺も信光のぶみつ叔父上も兄上(信長)でまとまった。

こうして俺と信光のぶみつ叔父上で兄上(信長)を支えて行く、体制が作られたのだ。

俺にとっての盟友だ。

信光のぶみつ叔父上が頭の固い人物だったならば、俺の熱田での暮らしはもっと窮屈なモノになっていただろう。

恩義ある方なのだ。


御殿の上段ノ間を締めきって信光のぶみつ叔父上と再会を果たした。

生死の境を何か月も彷徨った叔父上が骨と皮だけの老人になっていた。

武人の面影がまったくなく、同じ人物と思えないほどよろよろ・・・・だ。

だが、その眼光だけは死んでいなかった。


「九州が中々に面白い事になっておるな」

「はい、まとめられるのは俺だけと思っております」

「元気ならば、儂が行ってやりたい所だ」

「ご無体な」


鳥ガラのような体になっても戦に行きたがるとは元気過ぎる。

この会合には輝ノ介が同行し、上座の俺から兄上(信長)、北畠-具教きたばたけ-とものり殿、北条-氏康ほうじょう-うじやす信光のぶみつ叔父上の官位順で座っている。

軽いジャブの応酬が始まる。


「だが、信照のぶてる様が行く必要があるのか?」

「報告をご覧になられたでしょう。三好や明智を従わすのは骨が折れるのです。始めから俺と一緒に九州に渡る事になっておりました。俺が行かなければ、九州に流したようで心証も悪くなります」

「さて、どうしたモノかのお」


信光のぶみつ叔父上は顎を撫でてそれらしい素振りをする。

稀代の謀略家として頭まで緩んでいる訳ではないらしい。

心証が悪くなった所で俺に不利益がある訳ではない。

イスパニアの艦隊の情勢や澳門マカオの情報を知るのに、京は遠すぎると感じている程度だ。


「兄上(信長)がおれば、京は万全でございます」

「果たしてそうか?」

「何か疑問でもございますか?」

「業務は信長様にさせるので良いだろう。慣らしておくのがよいだろう」

「叔父上、すでに京を取り仕切っているのは、この信長でございます」

「馬鹿者。信照様が京に上がってから組織し直した行政には携わっておらぬであろう。信照様は相手に能力があると見ると、限界まで無理をさせる癖がある」

「問題ございません。清洲でもやっております」

「明日からでも代わってやってみよ」

「言われなくともそう致します」


因みに、翌日の役方の仕事を担当した兄上(信長)が次々に積まれてゆく書類の束に埋もれてギブアップしたのは言うまでもない。

勉強は後ですればいいのに生真面目に書類を確認して、完全に理解しようと説明を聞いている内に次の書類が積まれてゆき、机の上に山が出来ていた。

兄上(信長)は俺に助けを求めた。

細かいチェックは中小姓で終わっているから見る意味がなく、予算と担当の名前だけ確認すればいいのだ。

こんなの慣れだよ。

どうでもいい事なので話を戻そう。


信光のぶみつ叔父上が言う。

新公方の実父も養父も九州に出陣するのは、九州の情勢が悪いからではないか?

そんな事はない。

だが、九州の実情を知れるのは西国にいる者であり、畿内より東は情勢など掴めない。

尾張の瓦版などの情報を元に東国に流れているが、果たしてその情報が正しいのかを確認できる手段を持っている大名は少ない。

イスパニアの艦隊が九州に攻めて来ているとか、大友家に謀反の兆しありとか、龍造寺りゅうぞうじ-隆信たかのぶが民を焚きつけて寺院を取り潰しているとか?

東国から派遣された者は京で情報収拾をしているが、京の都はいつも魑魅魍魎ちみもうりょうが徘徊する魔都であって、嘘と真実を切り分けるのは難しい。

確定情報は九州の大友家を始め、多くの大名が上洛して、改めて臣従したくらいの大雑把な情報だ。

後は会って自分で確認するしかなく、派遣された者の腕が試される。

この日ノ本は南北で長すぎるのだろう。


「譲位の後も次々と上洛してくる大名が居るでしょう。そこに信照のぶてる様がいらしゃらないのは諸侯に不安を呼びます」


北畠-具教きたばたけ-とものり殿がそれらしい事を言う。

先日まで儂も九州に連れて行けと言っていた癖に。

伊勢統一で忙しいのに何言っているの?

統一と言っても武力抗争はなく、すべて政略の陣取りだ。

互いに外交戦を行って、少しでも有利な条件を勝ち取るのに伊勢の小領主が苦心している。

やたらと名家が多いので公家も巻き込んだ政略になっている。

武力を用いて力尽くでやれたら、どんなに楽かと具教とものり殿が嘆いている。

憂さ晴らしで暴れたかったのだ。

味方だと思っていたのに、帝の歌で立場を180度入れ替えた。

北畠家は帝の事になると態度が変わる。


「北条家としては信照のぶてる様が九州に行かれるならば、こちらも船を出す許しを頂きたい」

氏康うじやす殿、約束が違いますぞ」

具教とものり殿、北条家の大事は信照のぶてる様がおわす所に北条家の旗が靡いていない事が問題なのです」

「それならば、某も家臣を出させて頂きます」


氏康うじやす殿と具教とものり殿が面倒臭い事を言い始めた。

しかも本気で言い争っている?

打ち合わせになかったのか?

あっ、これを言い始めると我も我もと家臣が参陣に名乗り出るぞ。

当然、山名家や六角家なども名乗りを上げる。

そして、大小様々な家臣も名乗り出る。

輸送計画のやり直しが必要になる。

信光のぶみつ叔父上がにやりと笑う。

これが本命か。

譲位の日に二人が兵を出すと言い始めると、もう収拾が付かなくなる。

計画の練り直しは必至だ。

信光のぶみつ叔父上は最後の仕上げと畳み掛けて来た。


「そもそも三好や明智の不手際で九州を手放す事になって何が悪い」

「予定が狂います」

「そうか、秀吉ひでよしは部下の失態を尻拭いして名声を上げた。ならば、秀吉ひでよしが失った九州を信照のぶてる様が奪い返しても良いハズです」

「それではイスパニアから援軍が来るでしょう」

「猶更、結構。九州に送って来たイスパニアの艦隊を各個撃破する好機でしょう。それくらいが判らぬ信照のぶてる様でもありますまい」


信光のぶみつ叔父上は俺が懸念しているイスパニアの艦隊のゲリラ戦に付いて述べた。

イスパニアの艦隊がこちらの思惑通りに九州に来てくれるのが望みだ。

だが、外洋船のキャラックやガレオンは九州を飛ばし、堺や熱田に来る事もできる。

どこが襲われるか判らない。

こちらは少ない兵力を分散させねばならない。


「毛利家と北条家に貸している3隻の小型帆船は別として」

信光のぶみつ叔父上、簡単に切り捨てないで欲しい。織田家で造った最初の試作艦です。大砲もポルトガルより良いモノを積んでいるのです」

「外洋に向かぬ、欠陥船であろう」

「近海では使えるのですから欠陥船ではありません。少し高い波に弱いだけです」


信光のぶみつ叔父上は俺よりドライそっけないだ。

最初に造った感動の試作艦なのだ。

俺が趣味のボトル艦を作成し、加藤-延隆かとう-のぶたかがそれを見て「本物を造ろう」と言い出して動き出したのだ。

最初はヨットのような小型船舶から始まり、次に一本マストに小型帆船を造った。

足りない知識を必死に補って造ったのだ。

役目が終われば、『記念艦』として飾るべきではないだろうか?


「九州で有事が起これば、イスパニアの艦隊が呼び出される。好都合ではないか」

「交易の方が大打撃です」

「佐渡と伊豆に金山を見つけたのであろう。銭に困る事もあるまい」

「段取りと言うモノがあります」

「差したる問題ではない」


そう言い切ると、信光のぶみつ叔父上が話を戻した。

九州の名護屋浦に5隻の小型帆船があり、秀吉がこれから軍艦『伊勢』と『近江』で九州に向かう。

この7隻で防衛を行う。

軍艦『尾張』と同じく5隻の小型帆船は尾張と堺の間を航海してイスパニアの艦隊を警戒する。

残る10隻の小型帆船は3隻編成で輸送船団の護衛として東日本や日本海を巡行する。

数が合わないと思うが、一隻は点検だ。

東国も日本海も見捨てないという姿勢で示す。

イスパニアの艦隊を発見すれば、一番近い船団が迎撃に向かう。

向こうが5隻船団の場合は戦うが、それ以上の場合は増援を要請する。

相手は50隻もいるらしい。

各個撃破で数を減らして行きたいのはよく判る。

だから、援軍が来て、それなりの数を一気に葬れれば、こちらとして願ってもない展開になると言う。


「待て、待て、待て、信長のぶなが。余と信照のぶてるは一緒に九州に赴くのに合意していたであろう」

「同意しております。叔父上、合意は反故されるのですか?」

「反故などしておりません。次に向かう時に一緒という事で約束通りでございます」

信光のぶみつ、余を謀ったな」

「何の事でございましょう。公方様が出陣するとなれば、手間が掛かるのは当然です」

「だから、約束が違うぞ」

「約束? あっ、あの船で一緒に…………と言いましたな。ですが、私が見ていたのは造船所で建造中の水蒸気船でございます。完成は来年の初夏以降と言っておりましたか」

「来年の初夏だと?」

「初夏でございます。ですから、秀吉が乗る船と言った訳ではありません。勝手に勘違いされたのは輝ノ介様です。それとも秀吉と先に行かれますか?」


輝ノ介は頭を使いたくない。

俺と一緒に行けば、考えるのは俺の役目だ。

名代となると、色々と面倒な行儀に付き合わされる。

それを嫌った。

京の都は俺が居なくとも大丈夫だろう。

その為に兄上(信長)に侍所別当と政所別当を兼任させて執権にするのだ。

俺を残したいのは別の思惑だろう。

幕府は俺を大御所様として権力を残したがり、公家方々は太閤として権威を残したいと思っている。

俺は早く身軽になりたい。


「判った。余は名代を引き受ける」

「流石、義輝様。これで安泰ですな」

「輝ノ介、一緒に九州に行くと言ったばかりだろう。裏切るのか?」


後ろに控えていた千代女は「ほら、やっぱり」という顔をする。

信光のぶみつ叔父上は俺を狙って集中砲火を浴びせて来たが、真の狙いは輝ノ介の心変わりだ。

九州遠征の組み直しには二ヶ月くらいの遅延が発生する。

同行者の選出にはそれくらいは掛かるからだ。

冬になれば、闇雲に妻らの出産までいる事になりかねないと言う空気が漂う。

おそらく、そうなって行くだろう。

俺が思い付くくらいなので輝ノ介も同じように考えた。

なし崩し的に伸びて行く。

輝ノ介が折れた。

狙われた。

元公方で次期公方の実父である輝ノ介が名代となれば、俺が急いで九州に行く口実がなくなる。


「余は死んだ人間だ。じろじろと見られるのは我慢ならん」

「関東でも同じだっただろう」

「公家の生暖かい視線は好かん」

「おぉ、これで話が纏まった」

信光のぶみつ叔父上、怨みますよ」

「その分、皇女様から感謝されるので気にならん」


輝ノ介の出発は簡単だ。

俺が名代の書状を書くと終わりになり、同行する供も少ない。

俺は色々と忠告だけが口酸っぱくなる。

絶対に挑発は駄目です。

お風呂外交でもやって相手の心を開いて下さい。

多少の施しはやっても構いません。

健康に気を付けて歯磨いで下さい。

風邪を引くなど厳禁です。


「お前は余の母親か?」


俺の世話に輝ノ介が愚痴を言ったがお構いなしだ。

九州で騒ぎを起こされては堪らない。

お別れするのが不安だ。

一行が進み出した。

仕方が無い。

次は九州迄、御機嫌ようだ。


「わらわが面倒を見るから大丈夫なのじゃ」


お市がいる事がさらに不安なんだよ。

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