第63話 帝の涙と輝ノ介の帰還。

6月末の『大祓い』が終わるとやっとお役目御免だ。

今年も賀茂祭や端午節会などと行事が多かった。

改暦の準備も進めている。

急ぐ必要もなくなったのでゆっくりと良いモノを作らせる。

とりあえず京の暦を各神社に配り、中央と地方の暦のズレだけでも無くしておいた。

中央と地方で日付が違うという事はもうない。

7月の乞巧奠きっこうでん(七夕)は女子が機織はたおりなど手芸が上達することを願う祭だ。

晴れて織女星おりひめ彦星ひこぼしが出会えると『いいね』とは祈らなず、晴れるとカササギに乗って降りて来て、カササギは厄災を持ってくるので不作や凶事が起こるとされて雨が降る事を願われる。

7月 (新暦8月)になると日差しが強く、日照りの心配もあるので雨が降った方が作物の育成にいいからだ。

今年も尾張では『七夕』が盛況に行われて俺の懐を温めてくれた。

ありがたや、ありがたや。


 ◇◇◇


7月に入っても宮中の行事は続くが、俺が主導する事は無くなった。

俺は『将軍譲位』と『関白返還』の準備に入ったからだ。

譲位は認められたが、関白職の返還は断絶した鷹司たかつかさ家を継いでからでないと認められないと言われた。

どうやら氷高皇女ひだかのひめみこが産む子が男か、女かを見極めてから色々と決めるつもりのようだ。

女の子の場合、伏見宮ふしみのみや邦輔親王くにすけしんのうの第6皇子(後の守理入道しゅりにゅうどう親王)が永禄元年 (1558年)に生まれており、その子を猶子として迎え、姫と婚約させようと言う。

生まれていないのに意味が判らん。

ともかく、俺の子に官位を与えて『太閤』の条件を揃えるつもりだ。


8月15日、『中秋観月』(十五夜)の宴で帝が歌を詠まれた。

俺と別れるのは辛いので、どうか行かないで欲しい。

そんな意味だ。

8月末には将軍職を譲って、九州に出発するという直前になって詠まれたから宮中は大騒ぎだ。

後で帝から騒がしてすまないと謝られた。

思った事を口にすると大事になる。

帝とは大変だな~と思った。

人の事は言えないが…………。

兄上(信長)も癇癪かんしゃくで思った事を口に出す癖を直した方がいい。


「首など切ってしまえ」


その気もないのに、すぐにそう言う。

これからは注意しないと側近らが気を使って実行してしまう。

誰彼なく首を落としていると魔王にされるぞ。


 ◇◇◇


付いていけないと悔しがっていた氷高ひだかもお腹が膨れてくると心情が変わってきたらしい。

最近はお腹の子が産まれるまで行かないで欲しいと懇願してくる。


「不安なのでございます」

「そう言っても、秀吉らに三好や明智は御せまい」

「後生でございます。二度とこのような事は申しません。どうか、この子が無事に産まれたのを見てからにして下さいませ」

「しかし…………」

早川はやかわからもお願いして下さい」

「殿の邪魔をするのは、武家の姫として言えません」

「不安で居て欲しいと手を取り合ったではないですか」

「それはそうですが…………」


面倒臭い事になっていた。

豊良とよらは同情しつつも荷造りを終えて、明日でも出発できる様になっている。

姫らしくなってきた真理まりもそれにならった。

第5側室の阿茶あちゃの方と第6側室のふく姫は始めから京を離れるつもりがないので氷高ひだかの味方に回る。

阿茶あちゃの実父は山科-言継やましな-ときつぐで但馬国守護山名-祐豊やまな-すけとよの養女となり、ふく姫は万里小路までのこうじ家11代当主の惟房これふさの息女で西園寺さいおんじ-公朝きんともの養女となって嫁いできている。

確実に外堀が固められて行く。

8月になって九州出発の為に第4側室の千代女が秘書に戻ってきた。

奥方がいる所では千代女は味方になってくれない。


 ◇◇◇


(永禄4年 (1561年)8月20日)

京にいると俺の心労は溜まるばかりだ。

子供が生まれるというのに情が薄いのだろうかと思ってしまう。

ここが熱田ならば動きたくないと言っていただろうか?

こういう利己的な所が駄目だな。

一番の原因はどうでもいい奴らに時間を割かれる事だ。

新しく変わった公方に挨拶する為に次々と上洛してくる大名を迎えるのも公方の仕事だ。

拝謁の度に宴会を催す。

これは退屈だ。

拝謁する側は初めての者も多く、初めてでないとしても多くの者が数年に一度の事で緊張している。

失敗しない様に古式伝来に則って様式を整えてくる。

判る。判るぞ。

同じ事の繰り返しで俺の方は「これで何度目だ?」という感じになる。

ちょっとは変わった事をしてみせろと思いたくなる。

退屈凌ぎに「天女を見たいから一緒に来させろ」と言った意味も判らなくもない。

俺は拝謁した経験もあるので無茶な事は言わない。

そんな事を言えば、相手の心労は数倍に跳ね上がる。

だが、生まれてから将軍職しか知らない者ならば、無茶を言うのも頷けた。


織田屋敷は清洲城の構造と似ている。

清洲のように本丸に天守閣の城はないが、斯波家の御殿が用意されており、二ノ丸に番方屋敷と役方屋敷が並び、その奥に奥方屋敷が並ぶ。

織田屋敷では、本丸、二ノ丸と分けていないだけだ。

俺の住まいは奥方屋敷だが、昼間は拝謁や会談などの為に御殿にいるか、事務で役方屋敷にいる。

役方屋敷の奥には俺と中小姓が占有する松の間、奉行衆が使う竹の間、代官や役人が徘徊する梅の間と、三つの大きな『松竹梅』の広間が並んでいる。

梅の間から役人が各国や部署に与えられた部屋に向かってひっきりなしで往来する。

それぞれの広間に100人近い人が蟻のように動いていていた。


信照のぶてる様、佐渡の金山採掘の計画書が出来上がりました。ご確認下さい』

『畿内の不穏者の台帳でございます。これで問題なければ、第三陣の名護屋御用の台帳に載せて手配して行きます。ご確認下さい』

『上総国における造船所計画書でございます。ご確認下さい』

『函館城と蝦夷地侵攻の軍議の報告書です。お目をお通し下さい』

『上野国、織田おだ-酒造丞みきのじょう様から資金の支援要請です。山師の手配と河川改修計画の手直しをこちらでしておきました。以後、浜松府で継続的に支援するのがよろしいかと思われます。ご確認下さい』


ひっきりなし中小姓らが報告書を持ってくる。

書面の表に右筆の印が押されており、俺か、兄上(信長)か、三十郎兄上の印が押されると承認となる。

すべて重要案件か、高金額の事案のみだ。

些細な案件や金額が少ない計画は中小姓が確認をして、奉行の印で承認される。


「若様、北近江は浅井郡の奉行からです。佐久間-信盛さくま-のぶもりが評定で決まった計画を直前になって銭を出し渋っているそうです。規定に乗って訴えても宜しいですかと言う相談です」

「兄上(信長)に回せ。今、罷免させる訳にもいかんだろう。こちら側から是正の手紙を出すと大事になりかねん」

「そうでございますね」

「どうして彼奴を小守護代にするのだ?」

「それは比類なき忠義心に厚い方だからです。しかし、慎重な性格と思慮深い人柄に問題があるようです」

「はっきりと言え。一軍を率いるには度胸がなく、領主としては優柔不断ゆうじゅうふだんで使いモノにならんと」

「そこまでは申しません」


千代女はもう一度忠義心を褒め、下の者の意見を聞けば信盛のぶもりは無能ではないと言う。

そう、彼奴は目下の者を馬鹿にするのだ。

逆に兄上(信長)など地位が上の者か、目上の意見は聞く、手綱がないと使えない。


「慶次、お前が代わりに統治してくるか?」

「冗談はよしてくれ」

「お前ならば、一国を任せて問題ない。あるいは猿の代わりに九州を任せるか」

「柄じゃない。信照のぶてる様、本気ならば出奔させて貰うがよろしいですか」

「駄目か」

「悪酔いしそうで美味い酒が飲めなくなる。そんな人生に何の意味がある」


慶次は能力があるが、性格が駄目だ。

織田家の者は凸凹な者が多すぎて使いモノにならない。

千代女は「若様の悪影響です」と止めを刺してくる。

やはり織田家の人材不足は深刻だ。

うん、やはり逃げよう。


「千代、公方の代替わりの段取りはどうなっている」

「28日に新公方への譲位がつつがなく執り行えるように準備をしております」

「すでに大名も集めているので中止にはできまい」

「そこに参列する為に信光様が上洛しております」

「そうだったな」


元気になった信光叔父上が信勝兄上の名代として京に上がって来た。

しかも尾張でさっそくやらかした。

奥州から帰って来た輝ノ介と合流すると清洲城に入って悪巧みだ。

筆頭右筆の岡本-定季おかもと-さだすえを呼び出すと、上洛途中の北条-氏康ほうじょう-うじやす殿と信実のぶざね叔父上と北畠-具教きたばたけ-とものり殿も巻き込んで九州の事を洗いざらい吐き出させた。

兄上(信長のぶなが)は輝ノ介 (元公方義輝よしてる)に頭が上がらないので、信光叔父上の思惑に頷くばかりだったらしい。


「千代、輝ノ介とお市が付いてくる事になるぞ」

「そうでしょうか? 帝の歌が始まりと察すれば、信光様は若様の足止めを考えておられると思います」

「まさか、九州も輝ノ介を名代にするつもりか?」

「秀吉よりは三好や明智などに対して重石になります。信長のぶなが様に若様と一緒に行く事を認めさせたと報告を受けておりますが、信光様がそのように温い対応を認める方とは思いません」


輝ノ介は細かい配慮を考えて動くような性格ではない。

奥州は叩き潰せばいいので任せたが、九州で同じ事をすれば、ボヤが大火になるのは目に見えている。


「どうでしょう。考え方を変えてイスパニアの艦隊を呼び寄せて決戦におよび、その後に澳門マカオに進出して、イスラム商人を介してお茶をヨーロッパに売るのではいけませんか」

「斬新な意見だな」

「どちらかと言えば、開き直ったという感じです」


澳門マカオはポルトガルが借地を貰って拠点にしているが、澳門マカオを占領している訳ではない。

ポルトガル商人とイスラム商人が交易で凌ぎを削っていると、明智-光秀あけち-みつひでの報告に書かれていた。

奴隷から得た情報だ。

信憑性は高い。


まず、イスラム商人がまだまだ健在だった事は吉兆だ。

よく考えれば、武力で圧倒するポルトガル艦船も人の数でイスラムに劣る。

意外と頑張っているのが判って来た。

考えてみれば、ヨーロッパの兵がアレキサンダー大王のように中東まで進出できないのは、それだけの戦力差を有してしないからだ。

アフリカをぐるっと回るより、中東をショートカットした方が経済的だ。

だが、中東を取るほどの圧倒的な戦力がない。

ポルトガルが制しているのは、点と点のみという事になる。

元々、インドからインドネシアはイスラム圏だったので面で抵抗が続いている。

光秀みつひでか。

教えてもいないのに俺の狙いが南海の島々と承知していやがる。


「良く判りませんが、イスラム商人もヨーロッパと交易をしているのですね」

「ヨーロッパも一枚岩ではない。西と東で取引相手が違うのだ」

「では、イスラム商人に茶を売れば、ポルトガルと勝手に争ってくれます」

「千代は怖いな」

「若様に似たのでございます」


日ノ本とイスラム商人が同盟を結べば、イスラムに補給路を頼る事ができる。

5隻編成の軍艦を送り、向こうのお家芸である海賊行為を真似てポルトガルやイスパニアの拠点を襲う。

ジョホール王国とアチャ国と連携して、旧満剌加マラッカ王国の交易港ムラカを襲うなんて作戦も実行できる。

こちらとしては湊で船を泊めるだけの借地を認めて貰えれば十分だ。

こちらの船隻が整うまでの時間稼ぎができる。

海賊の船長か。

力任せに暴れる輝ノ介にぴったりな役職だ。


「慶次はどう思う?」

信照のぶてる様の中で答えが出ているのに俺に聞くのか」

「他の者の意見も聞いておく、俺の視点と違う意見がでるかもしれないからな」

「必要ないな」

「どうして?」

「最初の方針に支障が出た訳ではない。そのままで十分だ」

「若様のご意見はどうなのでしょうか?」

「俺は保留だ。奴隷の情報を鵜呑みするつもりはない。澳門マカオに送った忍びの報告が来てから再度考慮する。それまでは現状維持だ」

「確かに情報を信じるには早過ぎたと反省致します」


どたどたと廊下にうるさく足音が聞こえると、松の間の襖が両端に飛ぶほど勢いよく開けられた。


信照のぶてる、今、帰った」


輝ノ介らとの会談は昼からハズなのに、俺の席とばかりに慶次が座っていた場所を開けさせる。

そして、勝手に報告書を漁りながら仕事の邪魔を始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る