閑話.光秀の世界観。
(永禄4年 (1561年)5月28日)
東松浦半島の一角にある名護屋御殿は名護屋浦の西側にあり、その一帯の中央に建てられる。
煌びやかな何重の天守閣を持つ城が建つ事はなかったが、帝がおられる御所に負けない
城を造る必要はないと言われていたが、天守閣こそないものの立派な城であった。
その縄張りをしたのは
この
粘り気が強い痩せた赤土のみであり、海からの風に晒されて農作物が育たない土地であった。
枯れた土地には人家もなかった事から簡単な区割りが済むと、まず人夫の為に小屋が建てられた。
それが終わると本格的な築造が始まる。
誰も見向きもしない一角に突然に起こった建設
名護屋浦の一角から始まった築造は、小さな半島の一角を覆い尽くした。
九州中の物資が名護屋へと集まって来た。
道も整備されて周辺の町や村から水や食料が運ばれ、北九州全体に銭が落ちて潤った。
数万人の食糧が送られ、数日で消費されて消えて行く。
一般的な
じゃらじゃらと二桁ほど違う銭が飛び散って経済を回すと、皆の懐も温かくなって織田家の支配を受け入れやすくする。
清洲などでも見て来たが、織田家の人心掌握術は凄まじく。
それでいて、回った銭に税を掛けて回収する。
見事だ。
しかも
そんな
織田家、独自のやり方だ。
人夫の手当は7割が大名に渡され、本人に3割が渡される。
大名が貰った銭は毛利家への賠償金に消えて行くので手元に残らない。
だが、領内の物資が流れれば、大名も潤う。
人夫も銭を貰えば、酒などに使ってくれる。
小さな町ができていた。
商人を通じて銭を動かせば、3割の税が取られる。
だが、名護屋を仕切っているのは堺の商人であり、物品税を導入していない博多の商人ではない。
博多の商人は北九州中の物品を動かしているので十分に儲かっている。
最後に堺の商人を通して納品する。
すべてを一手に引き受ければ、どれだけの利益を生むかと思うと
それを博多の商人は指を咥えて眺めていた。
織田家の商売に絡むには織田家の
従えば、上納金も必要なくなる。
物品税を導入するだけだ。
唐津に店を出した堺の商人らが北九州に根付かない間に流通を支配して置きたいと言う欲に駆られる。
唯、博多の商人の総意が必要と言われた。
これが中々に難しかった。
脱税がバレれば、打ち首という厳しい罰も付いてくる。
会合はいつも荒れていると聞こえた。
巧いやり方だ。
『
唐津は松浦川の河口に出来た湊町であり、漁業と交易で栄えて来た。
名護屋御殿から唐津まで4里 (16km)ほどあり、朝早くから出ねば、その日の内に戻って来られない。
外に出ると、
そんな中で異様な声を上げるのが
土盛衆を指揮するのは、帰蝶の
指揮下の人夫を叩き起こし、フンドシ一丁で早朝の『乾布摩擦』と『尾張体操』を敢行する。
どこに行っても現れる筋肉を誇示する奇妙な連中だ。
異様な風景だ。
尾張でも、美濃でも、京でも、近江でも、丹波でも、摂津でも見かけた。
そして、この名護屋にもいる。
帰蝶の黒鍬衆は俸禄が安いが、織田家の直臣という肩書きに憧れる者を勧誘して増殖を続ける。
美しくない。
止めさせたい。
だが、流石の
『帰蝶様は素晴らしい。帰蝶様は最高だ』
◇◇◇
ぱっかぱっかと
5月も終りだ。
日が昇ると一気に気温が上昇して額から汗が垂れてくる。
雨の日も多くなり、工期が少しずつ遅れていた。
卯の刻 (午前5時頃)に名護屋を出た
新しく作られた商家街には、堺の商人と博多の商人が店を出して賑わっていた。
見慣れて来た十字架を上げた寺もある。
南蛮人は『教会』と呼ぶ。
後は町をぶらついた。
名護屋に次いで唐津にも織田家の技術が導入されて、松浦川の河川が整えられて、川沿いに幾つもの水車小屋が建てられて行く。
木造の加工と製粉などが行われている。
この技術を盗むのに、どれほどの苦労をしたのかを思い出すと空しくなる。
今ではタダ同然で下げ渡されるようになって来た。
時代が変わったと思わせられる。
川の上流に職人街が生まれ、来る毎に風景が変わっていた。
「これは
「熱田で会った御仁でございますな。お久しぶりでございます」
「頑張っておられると聞いております」
「
「そうですな」
「それで今日はどういう御用ですか?」
「ははは、警戒されるな。我らも非番です」
声を掛けて来たのは、熱田で一緒に酒を呑んだ方であった。
後ろの二人は身に覚えがなかった。
その男は手首をくるっと返して、「一献、いかがですか」と誘ってくる。
近くの酒場に入ると一番奥の席に付いた。
皆、侍の格好で
酒が来たので再会を祝った。
「何年ぶりでしょうか? 熱田であった以来ですから8年ぶりですか」
「
「もしかして、あのときの…………」
「さぁ、どうでしょうか」
「あのときは助かりました。こうして生きていられるのは貴方のお蔭でございます」
そして、名前だけでもと問うた。
熱田では名乗る者はいなかったが、今回は素直に教えてくれた。
「生まれは三河の山奥で
「奥山様と言えば、奥平家のご家臣ですか?」
「確かに、兄弟が
「やはり
「いえいえ、私は七男でして、七男と言えば唯の極潰しです。剣術の腕に自信があったので方々で戦いを挑んだモノです。熱田で
今では主家の
それを機に兄弟は
過分な褒美を貰っていた。
一方、
横に座っている者も同じ客分で
天文15年に柳生の村が筒井順昭の攻撃を受けた時に、添上郡東部山中にある大柳生・小柳生・坂原・邑地の四郷も襲われて、
しばらく、うろうろと放浪していたが尾張で忍びを集めていると言う噂を頼りに熱田に来ると忍び衆に拾われた。
そこで頭角を見せて愚連隊に引き抜かれたと言う。
そのまた隣の者は
「
「知らん。俺の知り合いではない」
「こいつは人見知りでな。一度、心を開くと世話焼きになる。薩摩でも無名の奴らに剣術を教えていた」
武者修行と言って剣を交わすと、負けた薩摩武士が手の平を返して弟子にして欲しいと頼み込んだ。
天下に名高い『天真正伝香取神道流』の名は伊達でなかった。
人見知りのツンデレ体質、それが
後に、この薩摩で剣術を教えた
三人は薩摩で拠点を得て探り易くなった。
「我らは
「調べたのは交易ですか」
「さぁ、どうだったか」
「流石、島津家の交易の実態を調べさせたのですな。
「当然だ。我が殿は天下人だ」
「
「うむ、私の望みはより強き者と戦う事と
「その
「あぁ、叶ったな」
その姿がどこか寂しそうに思えた。
「何か気に食わぬ事でもございましたか」
「ない。ない。文句などない。
「その気持ちはよ~く判ります。
「判ってくれるか」
「判りますとも。
「その通りだ。足を引っ張るだけの
そして、横にいる二人も同じ様に頷いた。
「
「南海征伐など、この
「その通りだ」
見るだけで背筋が凍るような冷たい目であり、それは狂気が溢れる気迫があった。
おちょこに浮かんだ
「
「まさか、その方…………」
「織田家は東と西に人材を割いており、畿内は手薄です。守りも万全ではありません。イスパニアの艦隊がやってくれば、
「
「
「な、何を言っておられる」
「
その狂気に
だが、
ひょうひょうとおちょこに浮かぶ顔を呑み干した。
「ははは、唯の
「誠ですな」
「如何にも、如何にも。
「
「
「それよりもご覧下さい。御天井様からも報告が上がるでしょうが
「これは?」
「バテレン共は素知らぬ顔をしていますが、腹黒さは博多の商人らに負けませんな」
博多からも日ノ本の奴隷を何人か見繕い、代わりにそれなりの知識を持つ奴隷を手に入れさせた。
その者から南海の情報を引き出させたのだ。
その奴隷はジョホール王国の民であり、ポルトガル人に村を襲われて奴隷にされたと言う。
ポルトガルの船がジョホール王国の民を襲って奴隷にしているのだ。
「
「ポルトガルが国を滅ぼしたのか?」
「如何にも。宣教師とは名ばかりで、とんだ生臭坊主だった訳です」
「キリスト教もかなり危ない奴らのようだな」
「今度はアチャ王国の民だった奴隷を手に入れました。詳しくは判っておりませんが、アチャ王国もポルトガルと争っているようです。次に訪ねれば、もう少し詳しい事が判るかもしれません」
そこから
ポルトガル人は南海や天竺方面で好き勝手やっているようだ。
「これは
「お役に立てれば、よいのですが」
「十分に役に立つと思う」
「では、よろしくお願いします」
「確かに預かった」
危険なほどにキレ者であった。
今まで
これほどの忠義者である
扱いを間違えれば、その身を業火に焼きかねないと思い至った。
酔いが冷めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます