閑話.秀吉の立身出世物語(9)「羽柴じゃない秀吉誕生」

(永禄4年 (1561年)5月28日~8月25日)

おら達は大輪田泊おおわだのとまりから西国街道を上がって京に入った。

織田屋敷に入る事も許されず、おら達は醍醐寺だいごじに留めおかれ、住職から茶や説法などを聞かされた。

暇な時間に武家の嗜みと学んだが、切腹の手順などを教えられると気分は最悪になった。

28日になってやっと織田屋敷の信照のぶてる様の部屋に呼ばれた。


「この度は大変申し訳ございませんでした」

「いいえ、藤吉郎様は何も悪くございません。私が出過ぎたばかりにご迷惑をお掛けしました。お許し下さい」


官兵衛かんべえがおらの為に必死に謝ってくれた。

一緒に戻って来た佐久間-盛次さくま-もりつぐ殿と柴田-勝忠しばた-かつただ殿は自分達の弁解に終始した。

信照のぶてる様は退屈そうな顔を手で頬を支えられ、ひじひざを乗せて眺めておられた。


「で、俺はいつ謝罪しろと言った」

白井-胤治しらい-たねはる殿が信照のぶてる様が怒っておられると申しておりました」

「あぁ、そうであったな。忘れてくれ」


信照のぶてる様はもう怒っていないとおっしゃった。

すべてを察せよと言うのは無茶であると千代女様から叱られたらしい。


「私が不注意でございました。名護屋浦の工事にも肥前のキリシタンが多く入っておりました。一向宗と同じと思わず、その危険性をまったく考えておりませんでした」

「そうだな」

龍造寺りゅうぞうじ-隆信たかのぶは宣教師の歓心を買う為に神社・仏閣に改宗を勧め、改宗しない神社・仏閣を打ち壊したと聞いておりました。その過激さを鑑みれば、キリシタンも一向宗と同じと気づくべきでございました」


官兵衛かんべえは頭が良い。

おらも同じ説明を聞いていたが、島津家のようなキリシタンでない大名が貴重なのだとしか聞いていなかった。

何故、貴重かが判らなかった。

九州は大友家、龍造寺家、有馬家がキリシタン大名であり、大友家がキリスト教の布教を許していたので7ヶ国で布教がされている。

ならば、おらは島津家を取り込んだので成功と思った。

だが、そうではないらしい。

島津家を取り込んだ事で琉球併合が現実味を帯び、宣教師が警戒を強める。

琉球、美麗島ふぉるもさ(台湾)、寧波にんぽーは明国との交易の窓口らしく、南蛮人にとっても重要な拠点になっているだ。

島津家は琉球との窓口らしい。

信照のぶてる様は官兵衛かんべえに南蛮人の話をどこまで聞いておるかを問うた。


「博多の宣教師から信照のぶてる様が邪教徒と認定され、討伐の令が出ていると聞いております」

「俺もそう聞いている」

「その宣教師が言いますには、信照のぶてる様が洗礼を受けて、キリシタンとなれば、怒りも解けてイスパニアの艦隊も去って行くだろうと申しておりました」

松永-久秀まつなが-ひさひでを通して、ロレンソ了斎りょうさいが堺にいるガスパル・ヴィレラ宣教師から洗礼を受けて欲しいと言っておる。それがイスパニアの艦隊との決戦を避ける為だと」

「おら達の織田軍が負けると思っておるのでしょうか?」

「イスパニアの戦艦には新式の大砲が乗っている。しかも大小合わせて50隻を超える。そう聞いてどう思う?」


信照のぶてる様の質問に官兵衛かんべえが考えた。

織田家にも50隻以上の船があるだ。

何を恐れるだ?


「藤吉郎様、織田家の船で大砲を積んでいる船は20隻ほどしかございません。しかも300石船の小さい帆船です。1,000石の大型船は軍艦『尾張』一隻のみです。対する南蛮船は3,000石船とも言える超大型船が平戸に停泊しておりました」

「あぁ、あの大きな船だか」

「あれと同じ船があるのです」

「それが50隻もだか?」

「すべてとは限りませんが、かなり多くあると思った方がよろしいと思います。ポルトガルが旧式の大砲ですが、イスパニアの言う新型の大砲の威力と数が問題です」


官兵衛かんべえがそう言うと信照のぶてる様が目をギラつかせた。

その通りだが、織田家も負けてないとばかりに言っただ。


「確かにまだ我が方の数は少ない。だが、尾張級二番艦『伊勢』、三番艦『近江』が進水式を終えて艤装に入っておる。もう1隻の蒸気船の進水式も近い。空いた造船所ではもう一隻の蒸気船も建造を始めている。少なくとも毎年四隻の尾張級を建造できる。さらに、3,000石級の三本マストの帆船を作れる造船所も今年中に二ヵ所造る。三年後にはそれなりの数が揃うぞ」

「三年後ですか?」

「三年後だ。船体安定の悪い1,000石船は外洋には向かない。無理をすれば、琉球くらいは交易に使えるが、南海の呂宋國までは危険だ。イスパニアの艦隊に攻め込むだけの艦船が足りないがしばらくの間だ」

「なるほど、宣教師らを謀って時間を稼ぐのが目的でしたか」

「南蛮の拠点は世界の反対にあるローマだ。行って帰ってくるだけで一年は掛かる。色々と駄々を捏ねて時間を稼ぐつもりだった」


信照のぶてる様はずっと先を考えていただ。

その敵の大将はローマ教皇で、その信徒にポルトガル王とイスパニア王がいる。

ポルトガルから来る船は商人が多く、交易を望んでおり、ローマ教皇との和解を望んでいる。

だがしかし、宣教師は植民地を作る先兵であり、キリスタンを増やして国を乗っ取るらしい。


「この国を乗っ取るだか?」

「一向宗でも国を乗っ取ると考える者はいない。だが、それを考えるのがキリシタンだ」

「すぐに根切りをするだ」

「慌てるな。キリシタンでも法に従えば問題ない。キリシタン大名も奉公衆代官が力を奪われれば、何もできない。正面から戦うのが戦ではないぞ」

「戦だけが戦ではないのですな。承知しました」


信照のぶてる様はさらに説明してくれただ。

イスパニア王は『異端者に君臨するくらいなら、命を100度失うほうがよい』と言うほどの敬虔なキリシタンで国の財政が破綻しても異端者を討とうとする。

邪教徒と認定された世界の果てにいる信照のぶてる様を討とうとする狂人らしい。

そのイスパニア王は世界の半分を支配するらしい。

ド・偉い敵に目を付けられたようだ。


「世界の果ての日ノ本に艦隊を派遣するなど常軌を逸しているが、イスパニアの商人が日ノ本の茶を独占するという欲が絡む事で現実になってしまった」

「では、いつ攻めて来ても可笑しくないのでしょうか?」

「正確に言えば、そういう事だ。だが、向こうも弾薬や食糧や人員など足りないモノが多いのであろう」


海を渡ると沢山の船員が脚気かっけと言う病気で死ぬらしい。

イスパニア軍は南海の呂宋國を攻めて拠点を作っているが、兵が少ないので占領が進んでいないと信照のぶてる様は予想されていた。

完全に占領した後、そこで弾薬や食糧や人員などを補充してから日ノ本に攻めてくる。

今が攻めるのは好機だが、攻めたくとも使える船がないそうだ。


官兵衛かんべえ、おら達が使っている帆船では駄目なのか?」

「藤吉郎様、300石船の帆船に食糧と水を積むと兵がほとんど積めません」

「何か手はないのか?」

「呂宋國を攻めるならば、こちらも美麗島ふぉるもさ(台湾)に拠点を築くのが上策なのです。距離が近くなれば、食糧と水を減らして兵を乗せる事ができます。それでも乗せる兵は100人か、200人です。20隻あっても4,000人しか乗せられません」


4,000人で一国を取れと言うのはかなり無茶な話だ。

しかも駐留すれば、さらに食糧を消費する。

現地で調達できねば、飢えて死ぬのはおら達だ。


「イスパニアはどこから食糧を調達しておるのだ?」

「イスパニアは持ってきた銀を明国に売って、その銭で食糧を買っております。ポルトガル商人らも銭を出せば、どこにでも売ります」

「おら達もその手は使えんだか?」

「イスパニアと戦争になれば、ポルトガル商人らも売ってくれないでしょう」


やはり自分で運ぶしかないのか。

信照のぶてる様はイスパニアと戦争になれば、ポルトガル商人らだけでなく、イスラム商人や現地の王国とも揉めるのは必定と言う。

一度始めれば、それなりに平定するまで終わらない。

だから、準備が大切なのだと重ねて言われた。


おら達が島津家を取り込んだ事で、琉球の平定が本気と知られた。

先手を喫して、イスパニア艦隊か、ポルトガル商人らが琉球を中継地として取り込みにくる。

織田家も本気で琉球を急いで併合する必要になっただ。

おら達が迂闊だったと叱られるのも当然だ。

おらはもう一度謝っただ。


「別に怒っておらん。説明していなかった俺も悪い」

「しかし、それでは…………」

「安心しろ。その尻は自分で拭いて貰う」


信照のぶてる様がにっこり笑うと、おらの背中に冷たいモノが走るのを感じた。

名護屋を水軍府とし、総督を長秀ながひで殿、副官に胤治たねはる殿を当てる。


「船奉行を改め、藤吉郎を水軍奉行とする」

「おらが水軍奉行…………水軍奉行とは何でございますか?」

「字の如く、水軍を指揮する者だ。宣教師らを謀って、3年以内に琉球を併合し、美麗島ふぉるもさ(台湾)に拠点を築け」


そんな事ができるのか?

官兵衛かんべえを見ると目を丸くしていた。

かなり無茶を言われたらしい。

おらもそんな気がした。


「できぬなどと言わさんぞ。その為に説明してやったのだ。何も一人でやれと言っている訳ではない。『三人寄れば、文殊の知恵』と言うであろう。皆で何とかして見せよ」


もしかして、その三人におらは入っているのか?

おらには無理だ。

良い案など1つも浮かばん。


「そう言えば、薩摩を鎮圧した褒美がまだであったな。褒美を与えねば、おれがケチと思われる。藤吉郎、『織田』の姓と、『照』の名とどちらが良い?」


信照のぶてる様が膝を組み直して腕を組むとおらに問うた。

何か嫌な予感がしただ。

確か、姓は名字で『家号かどう』を示すだ。

簡単に変える事ができると聞いた。

だが、『織田』を名乗ると意味が変わってくる。

織田おだ-造酒丞みきのじょうの時代ならば、織田家は小さな奉行に過ぎなかった。


『一門並だ』


そう評価されて素直に喜べただ。

だが、天下人の一門並とは重すぎるだ。


ならば、『照』の字か?

公方様から一字貰い『藤照』か、『吉照』になるだか?

名誉な事だ。

だが、後ろにいる佐久間-盛次さくま-もりつぐ殿と柴田-勝忠しばた-かつただ殿が怖い目で睨んでいた。

官兵衛かんべえが小さな声でぼそりと呟いた。


偏諱へんきを賜れば、信照のぶてる様から頂いた最初の御仁となります」


最初の一人と言う響きに怖さを感じた。

ちらりと信照のぶてる様を見ると「さぁ、どうする?」と悪戯を仕掛けているような気がしただ。

これも駄目だ。


信照のぶてる様から名を頂くなど恐れ多いと思うだ…………です。おらは織田家の重鎮である佐久間家と柴田家の名を取って『佐久柴さくしば』と名乗りとうございますだ」

「そうか、佐久間家と柴田家がよいか。ならば、これより『佐久柴さくしば-秀吉ひでよし』と名乗るが良い」

「ありがとうごぜいますだ。織田家の重鎮の名を分けて頂けるとは感無量でございます」

「それは良かった」


信照のぶてる様が盛次もりつぐ殿と勝忠かつただ殿の方を見た。

怖かった目が戸惑った目に変わって横を向いていた。

官兵衛かんべえも頷いているので正解だったようだ。


さて、横の側近が薩摩の経緯を詳しく述べられた。

まずは勝忠かつただ殿だ。


柴田-勝家しばた-かついえの息子は存外強くなかったな」

「申し訳ございません」

「残念だが叱る事ではない。これよりは身の程を弁えよ」

「畏まりました」


次に盛次もりつぐ殿だ。


佐久間-盛次さくま-もりつぐは年の割に交渉が下手だな」

「不徳の致す所でございます」

「安い挑発に乗ったのも頂けない」

「重ね重ね、不徳の致す所でございます」

「二人とも情けない事だが、目付けの官兵衛かんべえが止めなかったのだから罰する必要もない。薩摩にお灸を据える口実に使われた事に恥を知れ」


こちらも余りキツく罰せられないようだ。

二人に安堵の顔が見えた。

信照のぶてる様はこれまで織田家を支えた両家だから許すと言い切った。


「これより佐久間-盛次さくま-もりつぐ柴田-勝忠しばた-かつただ秀吉ひでよしの家臣とする。すでに手配しておいた。反論は許さん」


二人ががばっと顔を上げて何か言うとしたが、それを口にするのは留めた。

また、おらを睨む。

おら達を織田屋敷に入れなかったのはこの為だったか。


「秀吉。家臣の言動に目を配れ、言う事を聞かぬようならば処罰せよ。暴言を許すような事はさせるな」

「おらがするのですか」

「逆らうならば首を刎ねても構わん。俺が許す」

「お二人には判って頂くように努めます」

「好きにしろ」


これは褒美じゃなく、おらへの罰だ。


「さらに水軍奉行の旗艦として尾張級二番艦『伊勢』を使う事を許す。俸禄も一万貫文とする。それだけあれば、新しい家臣を食わすのに困る事もないでだろう」

「この二人に分け与えるのですか?」

「違う。この二人の俸禄はしばらく三河から出させる。本多家の者が岡崎松平家の者を引き連れて、そなたの奥方の所で世話になっているぞ」


本多-忠真ほんだ-ただざね様と元服した忠勝ただかつを中心に蝦夷地に行く事を嫌って出奔した?

そして、その岡崎衆は土地を親族などに譲って、お市様を頼ったらしい。

妻子を含めて、300人。

だが、お市様のいる土田御前の屋敷に行ったが門前払いをされて、おらの妻を頼った。

おねがいる長屋に留まっているらしい。

確かに、おらの俸禄は1,000貫文を頂ける事になっていたが、それを家臣に分け与えている。

忠真ただざね様だと、最低でも300貫文以上の俸禄を出さないと釣り合わない。

召しかかえるには心許ない…………というか、無理だ。

それだけの俸禄が残っていない。

だが、一万貫文も頂ければ、大丈夫だ。

信照のぶてる様の心使いに感謝しかないだ。


官兵衛かんべえ、秀吉が判っておらん。説明してやれ」


違うだか?


「藤吉郎様、世間体を鑑みれば、『鎮圧』に褒美を与えるのは当然でありますが、信照のぶてる様はそれを余り評価されておりません。つまり、『水軍奉行』も『一万貫文』も、これから必要経費として下賜されたのです」

「必要経費とは何だ?」

「船は3年後に揃えると言われましたが、乗員の事は言われておりません。そこで本多殿を召し抱えろとご命じに為られたのですから、水夫になる者を雇えという事です」

「そうだ。佐治衆、伊勢衆、熊野衆にも命じているが、余所者を召し抱えるのは皆大抵の事ではない。だが、秀吉ならば問題あるまい。北条家に召し抱えられておらぬ海賊衆や里見水軍の残党、奥州の水軍、村上水軍や敵であった松浦党などを召し抱えても構わん」

「尾張の元川賊でもよろしいのでしょうか?」

「織田家の法を守るならば、荒くれ者でも別に構わん」

「では、元川賊や三河の漁師などにも声を掛けてみますだ」


尾張では、軍艦以外にも300石船や1,000石船も建造されており、水夫をいくら育てても追い付かないらしい。

恩人でもある松下-之綱まつした-ゆきつな殿にも声を掛けようと思った。

俸禄が一万貫文。

大名並になった事を素直に喜んだ。

沢山の家臣を召し抱えられる。

だが、一度に様々な者を召し抱える事がどんなに大変な事か?

おらは後で知る事になるだ。


談議が終わると屋敷の外に馬が用意されており、すぐに尾張に出発だ。

相変わらず、人使いが荒い方だ。

尾張に到着すると、熱田にいる右筆から新造の軍艦の慣熟航行に同行する事を命じられた。

出航まで10日しかなく、元川賊や三河の漁師や之綱ゆきつな殿らに手紙を送った。

まず、八丈島を往復した後、大海を上って相模、常陸、陸奥を回った。

色々な湊に寄港しながら、津軽十三湊とさみなとには7月13日に到着しただ。

まさか、ここで信勝様と会うとは思ってもいなかった。


「水軍奉行とは偉くなったな」


おらは散々に怨み事を言われた。

柴田-勝家しばた-かついえ様は勝忠かつただが奉行の補佐役になった事を喜ばれ、本多-忠真ほんだ-ただざね松平まつだいら-元康もとやす様に改めて許しを貰っていた。

盛次もりつぐは急に老けて影が薄い。

聞いただけで身震いがする武将らに見送られて、輝ノ介様を尾張に送る事になった。

元公方様って、何だ?

帰りに根掘り葉掘り聞かれただ。


「九州統一と琉球征伐か」

「統一ではなく、制圧は終わっておりますだ。征伐ではなく、併合ですだ」

「馬鹿者、あの龍造寺りゅうぞうじ-隆信たかのぶらがこのまま大人しくなる者か。キリシタンを扇動して、どこかで暴れるに違いあるまい」

「そうならぬようにするのが、おらの仕事だ」

「馬鹿者。それでは詰まらん。それに併合など琉球王が大人しく従うモノか」


何度も殴られた。

この元公方様は危ないと感じただ。

だが、尾張に戻るとお別れだ。


「さらばだ」

「南蛮語で『フォーエヴァー』と言うらしいです」

「もうお会いする事もないだ」

「そうだといいですね」

官兵衛かんべえ、その含みのある笑いはなんじゃ」

「何となくです」


きっと、もう会う事もないだ。

そう思いたい。

さて、手紙を送った者が集まっており、その者を召し抱えた。

流石に、之綱ゆきつな殿は信広様の家臣で来られなかったが…………。


「信広様より、死んでも役に立って来いと命じられて参りました」

信照のぶてる様の先兵として死ぬ覚悟でございます」


之綱ゆきつな殿の弟御である則綱のりつね継綱つぐつなと元海賊衆の知り合いの水夫達を送ってくれた。

是か非でも役に立たないと、遠江松下家の存亡に関わるらしい。

信広様は信照のぶてる様への『忠義愛』が重い。


慣熟航行後の軍艦『伊勢』と『近江』の点検をする間に、おらは尾張・美濃・三河を回って人材を探し、他の者は船を借りて水夫の訓練を続ける。

そして、今度は物資輸送の船団を護衛しながら九州の名護屋浦に戻るだ。

8月20日に熱田を出航し、堺に寄ってから8月25日に要人を乗せる為に大輪田泊おおわだのとまりに停泊する。

すると、見知った顔が走って来ただ。


「猿、久しぶりなのじゃ」

「お市様、お久しぶりでございます」

「元気そうでわらわも嬉しいのじゃ」


本多-忠真ほんだ-ただざねを始め、岡崎松平衆が取り囲んで、再会の挨拶を交わす。

何でもお市様は尾張に帰ってから土田御前に見張られて監禁されていたらしい。

お市様を逃がさぬ為に10人の凄腕の忍者が囲み、それでも逃げれば土田御前が喉を切って死ぬと脅されて観念した。

ずっと退屈なお茶会の日々を送っていたそうだ。


「皆、軟弱で弱いのじゃ」


官兵衛かんべえがぼそりとお見合い相手と教えてくれた。

お市様の眼鏡に叶う者は現れなかったようだ。

というか、茶会の後の剣術で逃げ出したらしい。


「死ぬほど痛めつけておらんのじゃ」


三日三晩は打撲の痛みでうなされるほどの大怪我だと横にいた侍女が教えてくれた。

その内、誰も見合いに来なくなったとか。


「悲劇のわらわ、窮地のわらわを信光叔父上が助けてくれたのじゃ」

「こらぁ、お市。護衛の対象を放って駆け出す護衛役があるか」

「信光叔父上、ごめんなのじゃ」


信光様が現れただ。

あの屈強で大きな体であった信光様が痩せており、まるで老人のような弱々しい体付きになっておった。

信光様は信照のぶてる様の書状を持っており、すぐに改めるように言われただ。


『長秀と秀吉の両名に輝ノ介とお市の傅役を命ずる』


おらは目が点になっただ。

南蛮人を牽制しながら、琉球併合、美麗島ふぉるもさ(台湾)に拠点確保、寧波にんぽーとの交易路の確保を命じられている。

お市様の無茶ぶりは忘れていない。

この元公方様も危ない。

難題に加えて、お市様と元公方様の傅役など無理だ?


「おまえが輝ノ介様に余計な事をしゃべるからだ」

「しかし、脅されて」

「知らん。信照のぶてる様からの伝言だ。あの二人はもう止まらん。俺は諦めた…………自分の尻は自分で拭けとの事だ」

「信光様!」

「儂もこんなつもりではなかった。これは婚前旅行とでも思って、よろしく頼むぞ。秀吉」


信光様が軽く肩を叩かれた。

もしかして、信照のぶてる様も信光様も匙を投げられたのかや?

おらに丸投げされた。


「猿、何をしておるのじゃ。南蛮人の艦隊を討ちに行くのじゃ」

「腕が鳴るのぉ」

「出航するのじゃ」


おらはどうしたらいいのだや。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る