閑話.秀吉の立身出世物語(1)「自領に送還される」
(永禄3年 (1560年)8月25日夕方~26日)
ただ、これを『奥州合戦』と呼んで良いのかと誰もが首を傾げた。
勝った。勝つには勝った。
だが、戦らしい戦もせずに終わったからだ。
その最大の功労者は何と言ってもお市様だ。
論功行賞の場に呼ばれたお市様は、その場で捕まえられた。
信勝様が皆に書状を見せる。
『わらわは無実なのじゃ』
お市様が騒いでも誰も助けない。
逃げ出そうとするお市様を止めたのは侍女で忍びの
助かった。
本気で逃げたお市様を捕まえられる者はいない。
「お市様、ここは引き下がりましょう」
「何故、わらわを助けぬのじゃ」
「ここで逆らえば、信長様や信照様からも叱られます。ここは一度戻りましょう」
「何じゃと。信兄者や魯兄者から叱られるのか?」
「今、帰れば、左程怒られないと思います」
「ウゥゥゥ…………仕方ないのじゃ」
大人しく船に乗ってくれたので、おら達も尾張に戻る事になった。
そうだ。
軍令を破って抜け駆けしたお市様の配下も尾張送りと決まった。
織田軍の大勝利を齎したというのにお褒めの言葉もない。
そのまま船倉に閉じ込められた。
おら達の頑張りは何だったのだろうか?
「これからおら達はどうなるのだ?」
「ははは、お市様を連れ戻すという大役を果たせずにおりましたからお叱りを受ける事になるでしょうな」
「おら達も叱られるのか?」
「それなりの成果も出しましたので、罰を受ける事もないでしょう」
同じように船倉に閉じ込められている
おらの持ち船も
但し、指揮権は一時的に奪われた。
邪魔だから船倉に居ろと命じられた。
お市様と話す事も禁じられた。
「折角の城主、犬千代殿も災難でございましたな」
「嫌々、始めから南部様が決められるまでの仮城主です」
「普通はそのまま頂けるモノです」
「某が三城の主?」
「見事な槍働きでお市様から頂いたのです。誇るべきでございましょう」
「ははは、まさか。そんな大それた夢は持っておりません」
出羽を快進撃で南下したお市軍 (正式には
犬千代こと
落とした城の数は数知れず、城主不在となった三城をお市様から頂いた。
奪った出羽は津軽領と交換なので一時的な領地だったが、犬千代も城主様になった訳だ。
おらも
この戦が終われば、幾つかの城を任された大領主、小大名になれるのではないかと夢を膨らませたおらであったが、終わってみれば、指の隙間から砂がすべて零れ落ちたような空虚な気分に満たされた。
「おら達は何をしに、ここまで来たんだ」
「お市様を連れ戻す為だ。役目を忘れて戦に
付き放すようにおらの監視役の
弟の
おらの心を癒してくれる。
だが、手を出そうなどと思えば、
嫌々々々、おらには
「手柄を立てて帰って来ると言ったのに、おねにどう詫びよう」
女々しいおらは何度も何度もため息を吐いた。
船は小田原に到着し、そこで何泊か停泊した後に熱田に向かう。
おら達はずっと船倉の中であった。
◇◇◇
(永禄3年 (1560年)9月10日~11日)
熱田でおら達は船を乗り換えるように命じられた。
お市様は土田御前の屋敷に連行された。
おら達は見送る事しか許して貰えない。
お市様は屋敷ではキツいお叱りが待っているそうだ。
土田御前は鬼のように恐ろしいと聞く。
おら達は知多半島をぐるっと回って渥美半島の赤羽根湊に降ろされて、長浜城まで引き連れられる。
集まってきた領民と話す事すら許さない。
腕に縄は掛けられていないが、まるで罪人のような扱いであった。
だが、城に着くとあっさりと放免となった。
「某の仕事はここまでございます。後はお好きにして下さいませ」
「お世話になりました」
「こう言っては何でございますが、奥州の英雄殿を罪人のように扱うのは心が痛みましたが、これも信勝様の命令でございます。お許し下さい」
「信勝様がお怒りであった事は重々承知しております」
奥州に赴くに当たって信勝様に同行した兵は側近衆と浅井衆、岡崎松平衆を中心に選抜された。
しかし、留守を預かる家老方々もまったく兵を出さなかった訳ではない。
三河国碧海郡西部を領した
「実は藤吉郎殿が連れ出された後、信勝様は家臣である藤吉郎殿が自分に何も知らせなかった事を理由に切腹させると言われたのですが、南部様がお止めになられて事なきを得ました」
「おらは切腹だったのか?」
「丹羽様は信長様の家臣、
「後で切腹とはないだか?」
「それは大丈夫でございます。奥州合戦の一番手柄はお市様であり、その次に信長様の家臣、
「南部様が…………ありがたい」
「出羽で頑張った甲斐がありましたな。後で藤吉郎殿に手を出せば、言質を取られた南部様の面目を潰す事になります」
「そうか、助かっただ」
「ただ相当お怒りの様子でしたので、某も手心を加えたなどと噂されますと主君に迷惑が掛かります。厳しくせねばなりませんでした。どうか、お許し下さい」
船倉から一歩も出さないのには訳があった。
だが、信勝様にこれだけ嫌われるとおらに出世の見込みはない。
門の奥にはおね達が待っていた。
見送りが終わるとおらの横に影がすっと通り過ぎた。
『まつ!』
別れの挨拶が終わると待っていたかのように犬千代が走り出し、幼な妻の
6尺(約182cm)もある大男の犬千代が抱き上げると、まつは子供のようだ。
(まつ:後の
あやすように抱きしめてぐるぐると回す。
そして、犬千代は着物の間に手を入れようとした。
「旦那様、駄目でございます」
「そう言わずとも良いではないか。良いではないか。ずっと我慢しておったのだ」
「人目がございます」
「そうか、わかった」
犬千代はそう言うと、「これにてごめん」と頭を下げるとまつを抱いた儘で家の方に消えて行った。
まつは「まだ、日が高こうございます」と言っているが、犬千代は聞く耳を持っていない。
一人目の娘を産んだばかりというのに、しばらくすると二人目が産まれるのではないかと思えてしまった。
「まつ殿は愛されておりますな」
「おらもおねを愛しているだ」
「はい、はい、存じ上げております」
痛ぃ、おらが出した手の平をおねは軽く捻った。
まつのように甘えさせてくれない。
しかも威圧のある笑顔に凄みが加わっていた。
「お茶でもお出し致しましょう。まずは中にお入り下さい」
「そ、そうするだ」
「お仕事も沢山貯まっております」
「おらも疲れておるのだが…………」
「それで領主様は務まりません。やる事をやってからでございます」
「お~ね、少しだけゆっくりさせてくれ」
「駄目でございます」
まつより一つ年下であったおねは益々しっかり者になっていた。
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