閑話.秀吉の立身出世物語(2)「渥美長浜城の没収」

渥美半島で長浜城(旧畔田城くろだじょう)の城主となった木ノ下きのした-藤吉郎とうきちろうであったが、貧しい漁村ばかりでロクに農作物が取れる土地が少なかった。

そこで目を付けたのが浜松で導入された小型帆船であった。

小型帆船は西遠江の浜松と相模の小田原を結ぶ定期船として導入され、その小型帆船には捕鯨砲ほげいほうと言う里見水軍などの海賊と戦う為の武器が乗せてあった。

この捕鯨砲ほげいほうくじら漁で従来の大掛かりな船団を必要とせずにくじらを捕る事ができた。

くじらは一頭で城が買えるというほど高価なモノだ。

藤吉郎は捕鯨砲ほげいほうに活路を見た。

前田家や浅野家などに保証人になって貰って三隻の小型帆船を購入した。

小型と言いながら一隻で小さな城より高い買物である。

それを三隻も同時購入だ。

操舵を教示する佐治衆には五隻船団を勧められたが、藤吉郎にはそんな余裕はなかった。

こうして藤吉郎は自ら船に乗って、くじら漁に乗り出した。

そして、わずか数年で藤吉郎は借金を完済し、『くじら大将』と呼ばれるようになる。

しかし、『好事魔多しこうじまおおし』(物事が巧くいきそうな時に邪魔が入る)と言われるように、永禄2年(1559年)6月某日に犬千代が『こうがい事件』を起こし、犬千代は織田家を追放となり、藤吉郎も6ヶ月間の謹慎を受けた。

その謹慎の間に家老坂井さかい-孫八郎まごはちろうの錯乱による信光のぶみつ殺害未遂事件が起こり、続いて洲賀-才蔵すが-さいぞうが放った鉄砲の弾が喜六郎(秀孝ひでたか)を撃ったという『秀孝ひでたか暗殺事件』の解決の為に信勝のぶかつが奥州に向かった。

三河では信勝のぶかつの嫡男である於菊丸がまだ幼く、信光のぶみつの代理となった次男の信昌のぶまさも経験の乏しい若侍であった。

御正室の高島局を中心に筆頭家老柴田-勝家しばた-かついえの嫡男である勝里かつさとと、坂井さかい-孫八郎まごはちろうと代わった佐久間-盛次さくま-もりつぐが取り仕切った。

そして、6ヶ月後に謹慎が解けるハズだった藤吉郎は信勝のぶかつが不在という事で解除が無期延期とされた。

家臣団の中で頭角を見せて来た藤吉郎は警戒されていたのだ。

長浜城の城番が坂井家から佐久間家に代わった。

城番は頭が固く、よく長浜の家来団と揉めた。

城番は「謹慎中の身でありながら、漁を再開したいとは何たる不届き、身の程を知れ」と受け付けない。

藤吉郎は屋敷で監禁され、城は使用禁止にされ、くじら漁の再開ができない。

働き頭の犬千代が追放されたので漁獲量が減る事が予想でき、くじら漁が再開できなければ、追加で買った小型帆船二隻の借金が雪だるま式に膨らんでゆく。

支払い期限が無情に迫ってきた。

借金が返せないと商人が「恐れ多くも…………」と返済を国主に訴えれば、領主は領地を召し上げられる。

散財の挙句に行政を怠ったとあれば、領主の切腹も有り得る。

財政が破綻すれば、その家老衆が腹いせに切腹を迫ってくるかもしれない。

回避する術はない。

正に『四面楚歌しめんそか(周りが敵だらけ)』であった。


その藤吉郎を救ったのは『永禄の変』であった。

京で『永禄の変』が起こり、尾張に戻ってきた信照のぶてるは奥州が荒れると予想して、浜松の小型帆船五隻と藤吉郎の五隻を借りたいと申し出た。

小田原湊と牡鹿おしか(石巻)湊を繋ぐ定期船を臨時で開設し、その責任者に丹羽-長秀にわ-ながひでを置いた。

猫の手も借りたい時に優秀な藤吉郎を遊ばせておくのは勿体ないと、不良娘のお市を迎えに藤吉郎を差し向けるように願い出ると、信勝のぶかつの正室である高島局から「信照のぶてる様に従って奥州に向かうように」との命令を受けた。

信照のぶてるからは小型帆船五隻の貸し賃として船の借金の金利分を払って貰える。

しかも荷を運べば、わずかばかりの手間賃も貰える。

藤吉郎は急場を凌げた。

すべてが巧く運んでいると藤吉郎は安心していた。

奥州合戦で大手柄を上げて、日の出の勢いだ。

だが、そこから転がり落ちた。

長浜城に戻って、御広間おんひろまに入ると幾つも箱に入った証文の写しが重ねられた。

藤吉郎はあんぐりと口を開いた儘で固まった。

すごろく・・・・でいう『ふりだしに戻る』と言う奴であった。


 ◇◇◇


(永禄3年 (1560年)9月11日~12月24日)

長浜城の御広間おんひろまに戻って家臣一同が出迎えに満足した。


『ご無事のお帰り、おめでとうございます』


おらは留守を預かっていた家臣らを労った。

共に苦労した家臣らにもわずかな額でも褒美を与えたい。

おらは気前良く「皆に銭一〇貫文を…………」と銭を与えようとしたがおねが止めた。

そして、おねが手をパンパンと叩く。

安井-長政やすい-ながまさを先頭に幾つも箱が積まれて行った。


「おね、これはなんじゃ」

「旦那様が書いた証文の写しでございます」

「証文?」

「出羽で気前よく大戦をされたと伺っております」

「おらの活躍をおねにも見せてやりたかったぞ」

「すでに承知しております。先に帰って来た者から存分に聞いて満足しております」

「そうか」

「ただ、これを見せられると旦那様を褒める訳に参りません」


おら達は船の船倉に閉じ込められて帰ってきたが、他の家臣は又右衛門またえもん浅野-長勝あさの-ながかつ)と共に自領の小型帆船やその他の船に乗せて貰って、先に戻っていた。

出羽の兵とはそこで別れたらしい。

その中には出羽で召し抱えた者もおり、その者も一緒に戻って来ていた。

降伏した安東-愛季あんどう-ちかすえは雌雄を決した犬千代と義兄弟の契りを結び、藤吉郎に逆らわない証として、弟 (安東舜季の四男)の季隆すえたかを預けた。

他に戸沢-道盛とざわ-みちもりの子である弥五郎(道盛の次男深重ふかしげ)、六郷氏、楢岡氏、白岩氏などからも子供を預かっている。

事実上の人質であるが、名目上は藤吉郎の新家臣である。

皆、神学校に入れて過ごして貰わねばならない。


五兵衛ごへい安井-重継やすい-しげつぐ)、説明して上げなさい」


おねに言われると五兵衛ごへいが前に出て、証文の経緯を説明する。

津軽から南下するに当たって、兵糧など必要物資、それを運ぶ輜重しちょう隊の人夫などを雇う必要があった。

手元に足りない分は南部家や商人らに借りた。

侵攻が始まると、次々と攻め倒して敵を吸収した。

数千人の兵は瞬く間に数万人に膨れ上がる。

織田家以外ならば自前で兵糧を略奪してでも調達させる所であるが、織田家は略奪が禁止されており、丹羽-長秀にわ-ながひでは降伏した家から兵糧を買い入れた。

長秀ながひでが管理した土地は長秀ながひでが証文を書き、おらが管理した土地はおらが書き、犬千代が授かった土地もおらが証文を書いた。

思い出しただ。


「旦那様は気前良く、褒美を配ったとも聞きました」

「戦にも勢いというモノがある」

「それは承知しておりますが、手元に残ったのが借財の証文だけというのは呆れます」

「信勝様から褒美を貰えるハズじゃったのだ」


長秀ながひで曰く、証文は信勝様に合戦の褒美を貰ったお礼に土地と一緒にお渡し致します。

得た土地はすべて信勝様のモノになるが、米や味噌、その他の備品と商人から借りた借金も信勝様のモノだ。

あら不思議?

手元にあった借財が一枚も残らない。

そんな事をして信勝様がお怒りにならないかと聞いてみたが、信勝様も領地安堵と一緒に証文を領主に渡せば、ほとんど借金は残らない。

証文を嫌がって領地安堵状を受け取らない領主もいない。

お怒りになる訳がないと言い切った。


「好きなだけお使いなさい。後で何とか致しましょう」


長秀ながひでがそう言っていたので大盤振る舞いができた。

出羽の戦では勝った側も負けた側も美味いモノを喰いながら腹一杯の酒を浴びるように呑んだ。

無敵の摩利支天まりしてんの加護を持つお市様は絶対だった。

気前良く褒美(金子)を出すと湯水のごとく味方が増えて行った。

出羽の勝利はお市様の民衆を心酔させる力とおらの気前良さと小一郎こうちろうが言っていた。

長秀ながひでも止めなかった。


「申し訳ございません。藤吉郎様が連れ出された後に何度も交渉致しましたが、信勝様の勘定方に相手にして貰えず、証文の写しを持ち帰る事になってしまいました」


五兵衛ごへいは申し訳なさそうに頭を下げた。

長秀ながひで殿の家臣は長秀ながひで殿が書いた証文の写しを持って帰っていったそうだ。

証文の額が如何ほどになっているのか?

おらは唾をごくりと呑んだ。


「旦那様、数万の兵を動かせるのは数十万石の大名様だけでございます」

「幾らあるのだ」

「丹羽様と半分になっております。しかし、それでも軽く一〇万貫文を越えております」

「鯨漁だ」

「無理でございます」

「何故だ?」

「鯨船は長く使っており、ガタがきているのです。一度補修をせねば、漁の途中で船が沈むと申しておりました」


おらは血の気がすっと下がって行くのを感じただ。

運の悪い事に完成したばかりの新造船2隻は牡鹿おしか(石巻)湊の奪還の戦で沈んでしまった。

残ったのは古い3隻だった。

特にろ号(二番船)は犬千代が乗り、無茶な使い方をしていた。

ガタがきていても不思議ではない。

航行の途中でも船倉に貯まった海水を搔き出すのに忙しいらしい。

鯨に当たるとぽっきりと折れて沈みかねないと言われた。


捕鯨砲ほげいほうは鯨漁ならば十分なのだ。

だが、戦となると捕鯨砲ほげいほうは飛距離が短い。

しかも一発撃つと次弾まで時間が掛かる。

北条家などの援軍と一緒に牡鹿おしか(石巻)湊に近づいた。

敵が小早こはやに乗って湊から討って出てきた。

一部が囲まれて乱戦となり、火薬に引火して爆発炎上し、その余波で火の粉が飛び散って、次々と爆発が連鎖して一帯が火の海になってしまった。

それで敵の水軍は全滅したが、味方の損害も大きかったらしい。

死んだ兵の家族には感状かんじょう(特別な功労を果たした事を示す)を送り、褒美と一時見舞い金を渡さねばならない。

これにも銭がいる。

その銭を作りたくとも鯨漁もできない。


「おね、どうする?」

「どうしようもございません。国主様にお縋りするしか手がございません」

五兵衛ごへい、国主様に助けを求める。すぐに榎前えのきまえ城(北浦にあるので北浦城とも呼ばれる)に赴き、事情を話して登城の日取りを決めて来い」

「畏まりました」


五兵衛ごへい榎前えのきまえ城に向かった。

だが、おらの登城は「信勝様から許可を貰っておらぬので登城は相ならん」と言われた。

ならば、相談だけでもと五兵衛ごへいは粘ったが相手にしてくれない。

それ所か、もっと悪い知らせを持ち帰って来た。

戦が終わったので凍結されていた小型帆船の借財の返還が復活する。

榎前の商人から告げられ、最初の期限が半年後と知った。


又右衛門またえもん浅野-長勝あさの-ながかつ)、熱田に赴き、補修の手配をして参れ」


浅野あさの家は土岐-光行とき みつゆきを祖とする家柄であり、美濃源氏の嫡流に通じる。

だが、源氏の嫡流と思えないほど武に優れておらず、又右衛門またえもんは『槍の又左衛門またざえもん前田-利家まえだ-としいえ)』に対して、『算盤そろばん又右衛門またえもん』と呼ばれていた。

義兄弟の五兵衛ごへい安井-重継やすい-しげつぐ)と一緒に奥州で苦楽を共にした。

二人とも槍働きが苦手だ。

だが、二人は算盤と習字が得意で重宝した。

小一郎こいちろうの手足となって動いてくれた。

長秀ながひで殿と一緒に商人と交渉するのも二人であった。

おらが信用する二人だ。


「藤吉郎様、申し訳ござません」


熱田から帰って来た又右衛門またえもんが頭を下げる。

3隻の補修費で捕鯨船の新造船1隻が買えるらしい。

しかも補修には3ヶ月以上も掛かる。

すでに1ヶ月が過ぎ、補修で3ヶ月も掛かる。

残り2ヶ月で最低一頭の鯨を取らねばないない。

ギリギリだ。

だが、犬千代が帰って来たので無理ではない。


「そうではございません。本当に申し訳ござません」


又右衛門またえもんがさらに頭を下げる。

補修費は先払いと言われたらしい。

商人が銭を貸すのは遊びではなく、1,000石の領主に分不相応な多額の債務を抱える木ノ下家に貸せないと言われたのだ。

補修せねば、先がない。

だが、この長浜城の倉にそんな銭はない。


「おね、どうしよう?」

「どうしようもございません」

「何とかならんか?」

「なりません」


おねはそう言うと首を捻って、「どうして、私に聞くのでしょうか?」と問い質して来た。

まだ幼いがおねはしっかり者なので奥や台所の事でよく叱られた。

だから、何でもおねに聞いてからするようにしていたが、奥州に行く以前は内政の事まで尋ねるような事はなかった。

おらが奥州に行っている間、おねが取り仕切っていたのでおねの方が詳しくなっていた。

だが、事ある毎に聞くのは可怪しい?


「何故、おらはおねに聞いているだか?」


そう呟くと又右衛門またえもんがすらりと「奥州での癖でございましょう」と答えた。

納得した。

奥州ではおらより偉い者に囲まれており、何か尋ねると誰かが答えてくれた。

決断するのはおら・・だが、自分であれこれ考えるより聞いた方が早かった。

どうやら、変な癖が付いてしまったらしいと思えた。

別に構わないと思えた。


「とにかく、まずは登城を許して頂かねば打つ手がございません」

「登城できれば、何とかなるのか?」

「旦那様はお口が上手です。牧様(牧野-保成まきの-やすしげ)など、味方になって頂けるようにお頼みもうしましょう」

「だが、今は差し出すモノもないぞ」

「鯨漁で優先的に回すなどと言って、空手形で味方になって頂くしかございません。そもそも信勝様は旦那様の戦果を奪ったのです。ならば、戦果に見合う費用を織田家が払うべきです」

「そ、その通りだ」

「しかし、登城を許されぬ旦那様が領内をうろうろする訳にも参りません」

「おらがうろつくと逆にお叱りを受けるな」

「ですが、大義は我にあります。家老の半数を説得して国主様に証文を受け取らせ、何としても褒美を頂きましょう。少なくとも沈んだ鯨船2隻の損害だけでも取り返すのです」

「そうだ、おねの言う通りだ」

小一郎こいちろう殿ならば、高島局様に直接お話する事も可能です」

「そうじゃ、小一郎こいちろうがおった」

「手紙を書いて下さい」

「判っただ」


だが待てど暮らせど、信勝様が登城を許す返事も帰って来ない。

又右衛門またえもん五兵衛ごへいが走り回っているが、おらがまず許されないと話にならないらしい。

領主らは信勝様がお怒りだと考えている。

この儘では良い返事ができないと言われて帰って来た。

また、何度も手紙を出しているが、城にいるハズの小一郎こいちろうとも連絡は付かない。


そして、12月24日。

念願の小一郎こいちろうから手紙が届いた。

おねががっくりと肩を落とす。

手紙には『長浜城を整理して、家臣一同を連れて榎前えのきまえ城に急ぎ登城するように』と書かれていた。

どうやら長浜城主を罷免ひめんされるらしい。

明日にも城の明け渡しの佐久間-盛次さくま-もりつぐの家臣が送られてくる。

すべてを失ってしもうた。

まさか、登城させられて切腹とかないだろうな。

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