第62話 ぶつぶつと愚痴る信照。

(永禄4年 (1561年)5月5日)

大祓い。

年にある節目となる時期に行った儀式を6月1日に復帰させる事になった。

この熱気だ。

夏は何でも腐り易い、食中毒が起こり易い。

また、毎日のように風呂に入らない上に、自由に水が使えないので洗濯も儘ならない。

そんな不衛生な環境なので病気に掛かり易い。

そこで半年に一度、新しいモノに替えようと考えたのが『大祓い』だ。

現代で言う『衣替え』であり、お馴染みの祝詞を読んで邪気を払う儀式だ。

応仁の乱で途絶えていたので復興する事になった。

祝詞を読む役はお断りした。

残念がっても知らないよ。


そう言っても一昔前より疫病が広まる危険は少ない。

まず、飢えた者が居なくなった。

腹を減らした奴は知らん。

仕事はあるので働け。

近淡海ちかつあはうみ(琵琶湖)水道は完成しており、鴨川限定だが洗濯水に困る事がない。

尾張のような大衆浴も造らせて価格も安く設定している。

儲けはでないが好評だ。

風呂発祥の寺『知恩院』に参拝して風呂に入って食事をしてから帰る者も多い。

公方様を始め、公家の間で風呂が流行していたので、民衆にも受け入れて貰えた。

上で流行ると下も真似る。

今では仕事が終わってから一風呂入って食事をするのがいきになっている。

逆に風呂にも入らず、飯を食って寝る奴は野暮ったいと罵られる。

公家の女中は大変で、姫の髪を濡らさずに風呂に入れる。

長い髪を一度濡らすと乾かすのに大変らしい。

毎日、髪を洗って手入れするのは織田の姫か、皇族に近い姫だけらしい。

風呂釜の熱風を利用して、温風を使えば楽と思うけど…………何、女中の苦労を知らない?

そうですか。

町屋の女も髪を結い直すのは大変なので頭を毎日洗う事はないが、女人も肩まで浸かって一日の疲れを癒す。

これだけでも疫病が流行る不衛生から随分と遠のいたハズだ。


今年の問題は『氷室ひむろ(氷)』だ。

冬の間に用意した氷を地下で貯蔵するのだが、何年も廃れていたのでどこにもない。

帝が復興を望んだ。

式典は問題なく復興できるが、食事に出る『氷』のアテがなかった。

困ったら俺に相談するのは止めてくれ。

俺はド〇えもんじゃない。


「それは若様が悪いのです」

「千代、それを言うな」

氷高ひだか様にアイスクリームを振る舞えば、帝の耳に入るのは当然ではございませんか」

「俺も迂闊だった。口止めを忘れていた」


尾張では夏に何度かアイスクリームやかき氷を作る習慣がある。

硝石に水を溶かすと温度が下がるので、それを利用して氷を作る事ができる。

最初はそれで振る舞っていた。

今では半兵衛の造った蒸気機関を利用して、アンモニアを媒体にした冷凍機れいとうきを完成させた。

できた氷で氷室型の冷蔵庫も用意している。

但し、燃費が悪いので通年で稼働させていないし、量産にも至らない。

石炭が普通に流通すれば、解決するかもしれない。

無理か、鉄鉱石なども大量に仕入れないと他に影響が出るな。

課題が多い。


そう言う訳で尾張の夏に訪れた方々に氷が出されても誰も不思議がらない。

夏に氷は高貴な間では珍しくない。

どこに氷室を隠しているのかと疑われくらいだ。

ならば、尾張から氷を運ばせる。

そう考えたが、帝を含め、公家の口に入る量を計算すると輸送経費が凄い事になる。

駄目だ。

効率が悪いので硝石で作る方法を公開する事にした。

日本は硝石が余り取れないので知らないが、欧米では古くから知られている方法だよな?

まぁ、いいか。


今日は九州からの報告を見て機嫌を悪くしてから2日後、やっと千代女の寝所で膝枕をして貰いながら相談ができた。

呼べば来てくれるが、度々にやると氷高ひだからの機嫌が悪くなる。

同じ屋根の下にいるのになぜ手紙でやり取りせねばならんのだと俺は愚痴る。

氷高ひだかは性格が悪い訳ではないが、帰って来てから我儘わがままになった。

言いたい事があれば、言っていいと言ったのは俺なのだが…………。

要するにヤキモチだ。

面倒臭い。

早川はやかわ豊良方とよらもかなり仕事の手伝いになれたので、話のネタに困らなくなったが相談相手にならない。

やはり千代女だ。


「若様は何が気にいらないのでしょう」

「千代ならば判るだろう」

「残念ながら判りません。お側に居れば察せられたと思いますが、今の私では若様が何をお考えか、まったく判っておりません」

「まさか?」

「いいえ、本当でございます。さらに言わせて頂きますと小一郎こいちろうは若様にほとんど仕えておりません。もっと理解できていないと思われます」


千代女にも同じ報告が届いているハズだが、俺が怒っている理由が判らないと言う。

千代女に判らない事が小一郎こいちろうに判る訳がない。

俺は千代女に説明した。


九州平定をするつもりだったから、九州の領主達が反発して叛乱を起こすのは想定内であった。

特に大友氏、有馬氏、大村氏はかなり早くからキリスト教を受け入れ、領内でもキリシタンが増えていた。

尾張に来訪した事があるフランシスコ・デ・ザビエルはかなり抜けた宣教師だ。

通訳が悪かったのか、性格が能天気だったのか?

布教は余り巧くなかった。

尾張でも素直に神道とキリスト教を同じと勘違いしてくれたみたいだ。

しかし、後任のコスメ・デ・トーレスは違った。


コスメ・デ・トーレスは天照大神とゼウスが同一神と言った俺の説を逆手にとって布教した。

仏教を廃して、天照大神ゼウスを崇めなさい。

神は絶対にして、仏は邪教である。

国が荒れているのは仏という邪教を信じた為だ。

そう布教した。

これは民衆でも受け入れやすい。


神仏習合しんぶつしゅうごう、トーレスに言わせると神仏混淆しんぶつこんこうこそが誤った教えなのだ。

ほとんどの宗派が神仏習合しんぶつしゅうごうを進めていたので、すべての寺を敵に回したとも言える。

だが、肝心の寺社を守るべき大名や領主が珍しい物品に騙されて布教を許し、武器を買いたい為に洗礼まで受けた。

キリスト教徒が一気に増え出していた。

穏健派トーレスが去り、次の宣教師が来ると過激に変わった。


それほどキリスト教に熱心でなかった龍造寺りゅうぞうじ-隆信たかのぶ大友-宗麟おおとも-そうりんがジャンク船を手に入れると、急に手の平を返して宣教師に近づいた。

武器欲しさに神社・仏閣に改宗を迫り、拒否した寺社を叩き潰すという暴挙に出る。

旧公方義昭よしあきは九州の寺社の訴えを無視する。

大坂御坊の一向宗と手を結んでいたのに、九州の訴えを無視する。

ご都合主義もいい所だ。

義昭よしあきの話はどうでもいい、問題はキリシタンだ。

キリシタンは一向宗と同じだ。

一度蜂起して、火が付くと止まらない。

砲艦外交が通用せず、それなりの兵力を揃えて根切りする以外に駆除できない。

兵を送る準備がいる。


「あっ、察せられました。キリスト教の布教を一切認めない薩摩は貴重な国だったのですね」

「そういう事だ」

「確か、同性愛をキリスト教が禁じていたので布教を許さなかったと聞いております」

「理由はどうでもいい」

「布教を阻害すれば、南蛮人(ポルトガル人)が反発します。名護屋浦の整備費はお茶を売った利益で賄う若様の計画に支障が出るのではないでしょうか?」

「それを巧くやる為に忍びを貸してやったのだろう」

「宣教師を抑えつつ、これ以上の布教を止めさせたかったのですね。ですが、それを口で伝えねば、小一郎こいちろうも判らないでしょう」

「俺も報告を見て、思った以上に教徒が増えているのを知ったばかりだ」

「それを察しろと言うのですか」


千代女がこめかみに人差し指を当てて考える。

俺はそれを見上げて、もしかするとかなり無茶な事を言ったかもしれないと反省する。

だが、遅い。

すでに藤吉郎と官兵衛かんべえの帰還命令を白井-胤治しらい-たねはるに持たせて向かわせてしまった。

佐久間-盛次さくま-もりつぐ柴田-勝忠しばた-かつただも一緒に帰還だ。


胤治たねはるには含めておいたのでしょうか?」

「キリシタンを暴発させぬように引き締めろと含めておいた」

「では、小一郎こいちろうが何とかしてくれるでしょう」

「俺も慌て過ぎた。藤吉郎には悪い事をしたと思う」

「それも宜しいのではないでしょうか。薩摩がどういう結果に繋がるか知りませんが?」

「そこが問題だ」


小一郎こいちろう胤治たねはるならば、大丈夫だろう。

胤治たねはるは白井家の傍流だが、その白井家が千葉家に攻められて降伏した所で出奔した。

白井家は千葉家の分家筋だが、千葉家の方針に従わなかったので攻められた。

同族なので酷い仕打ちにならないと思われるが、立身出世の道が閉ざされたと思った胤治たねはるは京に上洛し、三好家に仕官していた。

天文22年 (1553年)の戦いで三好-長逸みよし-ながやすの軍に参加して、俺の苛烈な戦いを体験し、俺に惚れたと言って三好家を離れて熱田までやって来て門を叩いた。

当時、18歳と少し年は行っていたが神学校に入れ、卒業後は黒鍬衆となり、今回の遠征にも参加しており、そこで目に入った。

短い間であったが、甲斐や諏訪で現地の者を使った指揮が鮮やかだった。

胤治たねはるには人を使う才能がある。

九州に送った右筆助手の欠員に胤治たねはるを上げ、京に連れて来ていた。

黒鍬衆上がりで実践派の胤治たねはるが丁度良かったのだ。

名護屋浦に到着後、藤吉郎が帰還している間の船奉行代理を命じ、胤治たねはるには北九州の大名と宣教師らに警戒しろとも言ってある。

薩摩の結果がどういう影響を与えるのか判らないので先が読めない。

完全にお任せだ。


島津-貴久しまづ-たかひさの嫡男義久よしひさは人質のつもりか、ずっと京に滞在しております」

貴久たかひさは琉球の交易路と薩摩・大隅・日向の三ヶ国守護を欲しており、俺と対立するつもりはない」

「それは判りますが、琉球と戦うとなれば反対します。それを見越して小一郎こいちろう官兵衛かんべえは島津を琉球平定の先兵にするつもりだったと思われます」

「より従順にさせるつもりか」

「おそらく」

「その方針は正しいが、キリシタンの蜂起を考えると時期が一年ほど早過ぎた」

「確かに先に宣教師を抑えておくべきと思われます。今、琉球交易を担っている薩摩を抑えれば、織田家は本気で琉球を取りに行くと思われるかもしれません」

「俺は深い意味でなく、勝った勢いで琉球にも従えと言っていると思わせたいのだ」

「そうですね」

「南蛮人(ポルトガル人)に悟られるのは遅いほど良い」

「尾張級の帆船が5隻になるまでですか?」

「そんな所だ」


最低一年は待って欲しい。

そうすれば、尾張級の帆船が後2隻完成する。

尾張級で5隻編成の船団が1つ組める。

日本近海なら1,000石船で物資の輸送を行えるが、外洋船ではないので琉球より先では使いたくない。

否、使えない。

外洋に攻めるには圧倒的に戦力不足だ。

理想を言うならば、3,000石級の帆船も戦列に加えて、2つの船団を用意したい。

それには2年半か、3年ほど掛かる。

琉球王に使者を送って日ノ本に従うように交渉し、交渉に時間を掛けつつ準備を整える。


「島津を失い焦った琉球王が倭寇を通して南蛮人(ポルトガル人)を頼るかもしれません」

「そうだな」

「南蛮人(ポルトガル人)とのいくさが始まれば、九州のキリシタンも動きます」

「交易を盛んにして相手も騙す。儲けさせている相手を切り放す訳がないと」

「南蛮人(ポルトガル人)の商人もそれを望んでおりますが、宣教師やイスパニアはどうでしょうか?」

「宣教師は渋い顔をするだろう。だが、禁止令はしばらく出さない。宣教師らは畿内での布教を望んでいるので、そちらを餌にするつもりだ」

「若様はキリスト教布教を認めていますが、神社の協力も惜しんでおりません」

「神社仏閣に熱田神社の分社を認めて、お札の販売を認めている。俺の懐も温かくなる」

「和解した一向宗の寺も分社を願い出ているようです」

神仏習合しんぶつしゅうごう様々だ」

「宣教師はそれで良しとします。それでイスパニアの方がどうなさいますか?」

「判らん。まだ澳門(マカオ)に忍びを送ったばかりだ」


南海諸島(フィリピン)のルソン島を占領した。

だが、この先、どこまで占領するつもりかのかが判らない。

かなり多くの船が来ていると聞こえている。

戦艦が何隻で、商船が何隻か、詳しくは判らない。

それが判らないと判断が付かない。


一方、南蛮人(ポルトガル人)の船がすべて商船であり、合わせても20隻を越えない。

3隻、5隻で船団を組んでいるが、織田の敵ではない。

大砲の性能がまったく違うのだ。

商人ならば、大砲を開発するより交易で銭を稼ぐ。

日ノ本以外はそれで十分なのだ。

そして、倭寇の船団はかなり多いが、こちらも火力的に敵ではない。


では、イスパニアはどうか?

弘治2年(1555年)に尾張に来訪した際、対等の戦力を保有している事を知らしめたのは良かったが警戒もされたようだ。

南蛮人(ポルトガル人)の噂では、最新の大砲はかなり性能が良くなっていると聞こえてくる。

5年もあれば、艦隊の大砲も更新する。

それも確認したい。

ふっ、千代女が笑った。


「何が可笑しい?」

「若様はいつも心配ばかりされております」

「当たり前だ」

「いつも通りで安心致しました」


千代女を安心させる為に来たのではない。

俺が安心したいのだ。

そう思いながら、吊られて俺にも笑みが零れていた。

いつも通りか。

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