第61話 九州争乱のはじまり。<先入観>
(永禄4年 (1561年)5月3日)
ヤマトタケルの
まぁ、実際は日向隼人,大隅隼人,薩摩隼人,甑(こしき)隼人なども含まれているのだろう。
神武帝の生誕の地であり、度々に反乱を起こす厄介な土地だ。
そして、想定されていた事態が起こった。
そうだ、4月27日に薩摩で叛乱が起きたのだ。
「なんじゃ、こりゃ!」
「
「気にするな。予想外の結果に驚いただけだ」
「そうでございましたか」
いつものように報告書を読んでいた俺は声を上げて立ち上がた。
びっくりした女官が声を掛けたのだ。
戦に負けた上、海上で襲われて小船団が逃げ帰ったと書かれていた。
詳しく読むと、怪我人が多数いたので引き上げたようだ。
だが、負けは負けだ。
織田家の威信が大きく揺れた。
大した問題ではないが、俺の予想を大きく覆した。
織田家が負ける事も想定していた。
一番の原因は第2陣で送った誰かが内応して後ろで叛乱が起きて撤退を余儀なくされる事態だ。
第2陣の陣容はこんな感じだ。
一領主に過ぎない
そんな感じのざわつきであった。
俺としては畿内や領地に残しておくと困った悪さを
奉公衆から
一緒に行ける事が嬉しいらしい。
俺と今でも不仲の
そもそも彼らを奉公衆に戻したくなかったのだが、反義昭派として織田方に付いていた者を戻さない訳にいかない。
とにかく畿内から遠ざけておく。
俺が遅れて出発すると聞くと、「立派な御殿を造営して、お待ちしております」と、残念がりながら新たな意欲を持って旅立った。
最後に琉球を平定の後に御伽衆を随行する事と述べる。
御伽衆筆頭は
それまでに領国経営を次世代の者に任せて、準備をするように言っておいた。
蟻の集団はかならず2割の怠け者が生まれるらしい。
この2割を取り除いても、新たな怠け者が生まれる。
俺のやっている事は無駄な事かもしれない。
だが、やらずにいられない。
俺の意図を察しているのは千代女しかいない。
右筆にも相談できない。
名目は管領
本来ならば神学校に入れて数年は様子を見る所だが、
かなり期待しているように見える。
関ヶ原でも巧く立ち回った。
その
どう考えても可怪しいだろう?
◇◇◇
薩摩の島津家は鎌倉幕府御家人の
建久8年 (1197年)に大隅国・薩摩国の守護に任じられ、その後、日向国守護職を補任され、島津を名乗るようになった。
島津家が大隅・薩摩・日向の三国守護に拘る。
そして、
近衛家を通じて島津家とは良好だった。
文明3年 (1471年)に桜島が大規模な噴火を起こし、文明8年 (1476年)頃まで5年近くも続いた。
火山灰が各地に降り積もり、日向・大隅方面に所領を持つ家臣やその領民は困窮し、島津家の支配に大きな影を落とす。
その亀裂はドンドンと広がり、遂に支配力を失った。
島津氏第14代当主の
そこで有力分家である伊作家から
同じ島津家でも伊作家は琉球交易でかなりの富があったのだ。
だが、同じく分家の
島津家のお家騒動はここに極まった。
内容を察するに、島津家家老による『押し込め』が起こり、伊作家
だが、再び挑んだ
正当性のない分家の伊作家に従いたくないという家が多かったのだろう。
同じ分家の
こうして、
武力と調停によって13氏連合を解体し、その支配力を少しずつ増していった。
そして、天文21年(1552年)に歴代の島津氏本宗家当主が任官されていた修理大夫に任じられ、公方
大隅・薩摩・日向の三国統一への道筋が生まれた。
だが、その快進撃が天文23年 (1554年)に
島津氏の軍門に降った大隅国加治木城主の
敵の背後を噛み乱す少数の援軍では時間稼ぎにしかならない。
対明貿易を失う覚悟があれば援軍を出せたが、
一条家が首を縦に振らないのは織田家に遠慮しての事だった。
結局、
こういう事もあり、島津家の家臣団には織田家に思う所もあっただろう。
対明貿易で島津家は土佐一条家に従って行っていた。
始めに言ったが、島津家は代々近衛家の家司を務めた家の流れを汲む。
その縁で琉球を経由した対明交易に関わる事が出来た。
伊作家は他の困窮する国人衆を尻目に対明貿易で富を得る事で力を付けてきた。
琉球との貿易航路を続ける為には、朝廷や幕府との繋がりを絶つ訳にはいかない。
土佐国主の縁者 (後に土佐国主)で関白の
そして、
その
だが、朝廷方である織田家と争う訳にもいかない。
帝の怒りは本物だった。
その為に土佐内で幕府派と朝廷派で対立を生んだ。
幕府の『惣無事令』に従わずに領地拡大を続ける
元々、
そして、『惣無事令』が発せられても小規模な戦を繰り返していた。
幕府の命で
しかし、少しするとまた騒動を起こして戦を繰り返していた。
近い内に九州平定の兵が起こされ、
だがしかし、事態は一変する。
否、
憔悴の内に勢福寺城で自害して少弐氏は滅亡した。
その後、
その才覚を他で使って欲しかった。
そうだ、『下剋上』を為した一人だ。
北九州に比べて南九州の薩摩隼人は野蛮人だと言われるが、朝廷に従う素振りを見せる島津家と、まったく意に介さない龍造寺家とどちらが野蛮なのかと疑ってしまう。
と・も・か・く。
関ヶ原が終わるまでは、
正確には関ヶ原が終わり、その後の情勢がはっきりと薩摩に伝わった。
俺が征夷大将軍に任命された頃だ。
畿内の体制が決まった所で肥後と大隅に兵を二手に分けて進軍を開始した。
寡兵による進軍にも関わらず、肥後国の人吉城の
そして、益城郡御船城の
もう一方は
世に言う『
主だった武将が九州連合に参加していない隙を狙って、死んだ振りをしていた
大友領にいた武将らは寝耳に水で降伏した。
この儘ではお家が危ない。
遅れて朝廷方を表明した
朝廷からのお達しだ。
これは小領主からすれば、渡りに船であった。
国人らを味方に付けて、主人のいない居城を次々と落とした。
これ以上の進撃は新幕府への敵対行為と言われたのだ。
悔しかった。
そこに名護屋浦に人手を出す命令が来る。
薩摩隼人は怒った。
我が物顔で出された命令に抗議する。
『人夫を送るのは敗戦国と同じ扱いだ。我らは朝廷方に付いた同士だ』
もちろん、抵抗したのは
薩摩の国人衆だ。
銭を出すと言っても首を縦に振らない。
改めて小船団を組んで
途中の肥後国の
だが、薩摩で
正確には失敗とは言えない。
一度は降伏した
そこで織田軍の強さを見せて、一同を納得させて欲しいと願ったのだ。
承知した
立て籠もっている
船に乗せた織田方の兵は500人。
火力の差を考えれば、決して分の悪い戦いではない。
ただ、率いていたのが
軍師役の
命からがら逃げ帰った。
追撃を受けて
『織田、大した事なし』
血の気の多い薩摩武士が一斉に蜂起して、小船団に小舟で襲い掛かった。
敵将の中には、『鬼島津』の異名を持つ次男の
可怪しい?
「なぁ、千代。これは
「…………」
「そうか、いなかったな」
「申し訳ございません」
「謝る必要はない」
千代女の代わりの女官が困った顔で笑顔を零した。
手伝っている助手の女官だ。
千代女の代わりに情報の整理を行っている。
かなり慣れたみたいで重宝している。
だが、俺の話し相手になれない。
女官は努力はしているが意図を察せられず、どう答えればいいのか見つからない。
困っている女官に代わり、さくらが答える。
「千代女様にお聞きして参りましょうか?」
「いや、その必要はない。暫しごろごろする。誰が来ても通すな。そして、話し掛けるな」
「承知致しました」
右筆も女官の秘書も文句のないほどに育って来た。
だが、千代女の代わりになっていない。
大きな戦も終わり、千代女は筆頭側用人から側室に戻した。
そうしないと他の奥方が荒れる。
まったく、俺はそう考えながら寝返りを打った。
凡将と言えど、
兵が普通でも余裕で勝てたハズだ。
海戦も同じで敗ける要素がない。
敢えて負けさせたのは薩摩勢を勢い付かせる為か。
何故?
織田家の恐ろしさを知らしめる。
駄々を捏ねているだけだ。
そんな者も皆殺しにでもすれば、薩摩勢から恨みを買う。
だが、織田家を侮って攻めて来た馬鹿ならどうだ。
被害が少ない薩摩勢に相応の被害を与え、織田家を侮っている九州の武将らに『
そうすれば、藤吉郎を侮っている敵も味方も見る目も変わってくる。
加えて藤吉郎が
一挙四得、そんな所か。
俺は体をぐにゅっと捻った。
面倒な事を考える。
悪い手ではないが、俺はそんな相談も報告も聞いていない。
これは独断専行だ。
俺が名護屋に居れば、問題なかった。
これを処理できる者は
だが、
見せしめの内容が
他に武将がいない訳ではない。
第一陣で行っている
唯、性格から手持ちの兵のみで勝つのは難しい。
建設を止めて兵を参集する必要がある。
それはしたくないハズだ。
第二陣で送った
不慣れな九州で大軍を与えても勝てるかどうか。
本物の『
つまり、最初から
藤吉郎ならば
計画的な犯行だ。
あの目立ちたがり屋め。
人は見掛けによらない。
俺が名護屋に居れば、
海老反りになってから立ち上がり、俺は右筆のいる部屋に移動した。
事前の報告がなかった事にイラだった。
今回は好きにさせてやる。
「若様、どこに行くのですか?」
「知多の新造艦の進捗状況の確認だ」
「伊勢と近江は慣熟航行に出たと聞いていますが?」
「違う。荷を運ぶ千石船や300石船の予定だ」
「軍艦以外ですか」
「そうだ。回せる船がどれだけあるかの確認だ」
北と南で忙しく、余っている船など一隻もない。
何隻あっても足りそうもない。
だが、ないと言って放置もできない。
事が起こってからでは遅いのだ。
まさかと思うが用意したい。
まぁ、用意できるかも判らないが…………尾張級の帆船か、千石船が一隻完成すれば、積載量は150トンも増える。
食糧や装備を含めて一人150kgと仮定すると、一隻で1,000人を輸送できる。
帆船の方は弾薬が増えるので800人程度だ。
300石船ならば、45トン程度なので250人程度だ。
それでも一隻増える事で輸送計画が変わる。
何が起こってもいいように計画の練り直しだ。
俺は気付いていなかった。
名護屋で藤吉郎の扱いが軽んじられ、それに苦慮した
秀吉が最も恐れた男というフレーズが頭を掠めていたのだ。
まだ14歳の若者だ。
どんなに知恵が回っても野心が芽生えるには早過ぎた。
先入観って怖いな。
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