第60話 三者三様の大満足だよね?

永禄4年 (1561年)4月27日。

春過ぎて 夏来にけらし 白たへの 衣干すてふ 天の香具山。

寒い寒いと嘆いていたら、いつの間にか春が来て、気が付くと初夏の暑さで汗びっしょりになっていた。

意味は違うが、俺はこの歌の心境だ。


どうしてまだ俺は京にいるのだろうか?


正月の参賀を終えると、ヤルべき事を片付けて九州に出発するハズだった。

公方を譲って南海平定の為に拠点を名護屋に移す。

尾張のようなエンジョイライフは程遠くなるが追々に揃えて行けばいい。

湧水を使った床下冷房は完備させる。

ここよりは涼しく過ごせるハズだ。

多分。


俺が秋近くまでいるとなると兄上(信長)が幕府の用事を丸投げして尾張に帰ってしまった。

責任者が二人も京にいる必要はない。

帰蝶義姉上からヘルプが入れば、嫌とは言えない。

想定外だ。


この歌は持統帝が歌われた。

持統帝は天智帝の娘で天武帝に嫁いだが、『壬申じんしんの乱』と呼ばれる天下を二分する戦いを生き抜いた。

父と夫の殺し合いを見てきた女帝だ。

父の死後、最後に弟が殺されて夫が勝つが、この歌は時代の流れが感じられる。


まず、天の香具山は聖域なので、恐れ多くて衣を干す訳がない。

衣とは政権の事だ。

そして、春の季語は新しい帝を表す。

俺が不用意に『春を待つ』なんて歌を詠むと、「帝を亡き者にして、新しい政権を取るつもりだ」と騒がれる。

で、『春を楽しむ』なんて書こうものなら、「俺の天下だ。誰も文句はないな」と勝手な解釈される。

歌会は本当に厄介だ。


春が過ぎたとは、天武帝の時代が過ぎたのだろう。

だが、気が付けば天武帝の御世は消え去り、持統帝自らの世になっていたと歌ったのではないだろうか?

俺の場合は素直に夏になってしまったよという意味だ。

どこで手順を間違ったのか?


「初めからだろう」

「慶次、どこの初めだ」

「中根南城かな」

「俺は大人しく熱田の城で消えるつもりだったのだ」

「あれで?」

「今川が攻めて来るのが判っていたから、俺を殺されぬように準備をしていただけだ」

「そこから間違っておりましたな」

「兄上(信長)が桶狭間で義元も討てば、すべてが丸く収まるハズだった」

「そんな戦いは知りません」


知らないのは当然だ。

その戦が起こる前に俺が義元を倒してしまった。

永禄3年までのんびりと暮らせるハズだった。


「永禄3年!?  永禄3年の去年は信照のぶてる様が天下を統一した年ですぞ」

「判っておる」

「あっ、なるほど元服するまで中根南城でこっそりとのんびり暮らすつもりだった訳でございますな」

「そうだ」


俺と兄上(信長)は仲が良かったとは言い難い。

兄上(信長)は嫡男で『弾正忠家を継ぐのは、俺だ』と気を吐いていた。

尾張統一はゆっくりで良かった。

俺は敵対しない姿勢を見せていたが、熱田や津島の有力者が俺を支持していた。

そこが史実と違った。

下手をすれば、信勝兄ぃより警戒されていた。

俺のアドバイスを素直に聞いたのは、それだけ兄上(信長)を支持する者が少なかったからかもしれない。


努力家の兄上(信長)は策略を巡らせて清洲を落として守護代となった。

予定より早かったが、兄上(信長)にはそれだけの実力があった。

だが、無理を通せば道理が引っ込む。

兄上(信長)の策は義元に筒抜けで、その機会を狙って攻めて来たのだ。

戦略的に兄上(信長)は負けた。

その今川軍を追い払ったのは俺の家臣だ。

すべて俺の武勲となってしまった。


兄上(信長)は潔癖症で誇り高い。

尾張守護代になった兄上(信長)は武勲の高さから俺こそが守護代になるべきだと譲ろうとした。

俺はどう見ても兄上(信長)に仕える臣下の器ではない。


信照のぶてる様を家臣にできる者などおりません」

「こんなに従順な者にそれを言うか?」

「従順? 主君より銭を持ち、桁違いの武力を有している家臣など恐ろしいだけです」

「俺は身を護りたいだけだ」


確かに兄上(信長)を盛り立てて、織田家を栄えさせようなどとは考えていなかった。

俺は俺の為に動く。

俺は兄上(信長)のように尾張の民を良くしようなどとは考えない。

他国に奪われないように富国強兵を強制させただけだ。

あくまで私心だ。

尾張守護代になりたくない俺と尾張守護代にさせようとする兄上(信長)という奇妙な構図が生まれていた。


兄上(信長)が変わったのは奇妙丸が生まれてからだ。

尾張守護代職を奇妙丸に継がせたいと考えるようになった。

俺の問題が1つ消えた。

1つ消えたが、今度は公家共が五月蠅くなった。

天下は公方義輝よしてるに任せ、織田家は武力で後ろ盾となれば良いではないか。

戦が減れば、生き易くなる。

土台を作り、仕組みを変え、幕府と朝廷を立て直した。

俺はかなり頑張ってみた。

後は、銭と構想のみ与えて諸大名など幕府に丸投げだ。

ゆっくりフェードアウトして西遠江でのんびり暮らそうと思っていたら、ちゃぶ台をひっくり返された。


「輝ノ介が天下を握っている間がのんびりできたかもしれんな」

「かもしれないではない」

「暇を持て余した輝ノ介が信照のぶてる様を呼び出すと思いますが…………」

「そんなのは無視だ」


改暦が終われば、引退して西遠江に引き籠る。

誰が呼びに来ても出て行かねば、いずれは諦める。

俺の計画は完璧と思えた。

だが、ちゃぶ台はひっくり返され、零れたお茶は戻って来ない。


兄上(信長)も長門守を失って、初めて天下を望むようになった。

ならば、新しいちゃぶ台を造らねばならない。

武力を背景にすべてをねじ伏せる。

時代を江戸まで針を進めようと思ったが、信玄しんげん謙信けんしんと戦って思い知らされた。

一足飛びに時代を超えるのは難しい。

戦しか知らぬ武将らを追い出さないと時代は進められないと感じた。

荒ぶる武将をつ国に追い出す事にした。

そして、奥州仕置きも九州仕置きも成功した。

俺がいないのに藤吉郎はよくやっている。


「確かに、百姓から総大将とは大した出世だ」

「総大将は俺だ。藤吉郎と長秀ながひでは名代に過ぎん」

「藤吉郎が公方名代ね」

「慶次も嫌か?」

「俺が嫌なのは、その脇に利家がいる事ですな」

「抜かれるのが嫌ならば、慶次も名代として送ってやるぞ」

「利家と槍を並べて戦うなど、まっぴら御免です」


木ノ下-藤吉郎は俺の名代で海軍奉行、丹羽-長秀にわ-ながひでは兄上(信長)の名代で名護屋浦の作事奉行として派遣した。

実際に指示を出しているのは小一郎こいちろうらだ。

右筆助手と右筆候補の者らが頑張って切り盛りをしている。

俺不在で九州仕置きを実行している。

藤吉郎の部下に佐久間-盛次さくま-もりつぐ柴田-勝忠しばた-かつただなどがいる。

盛次もりつぐは謹慎中の藤吉郎に代わって長浜城を管理しており、謹慎の罰で奥州に流されたのに帰ってくると上司になっていたという複雑な心境だろう。

勝忠かつただは三河筆頭家老の柴田-勝家しばた-かついえの次男であり、勝家かついえは奥州に行ったきりで、嫡男の勝里かつさとが三河で代理を務めている。

勝忠かつただは三河で部隊を率いた事もある。

藤吉郎は勝忠かつただの指示に従って盗賊退治などをやっていた。

藤吉郎も扱い辛いが、盛次もりつぐ勝忠かつただも複雑な心境で従っているに違いない。

尾張や三河から派遣されている諸将は皆そんな感じらしい。


信照のぶてる様、心配無用。陰口を叩くだけで叛乱する度胸などありません」

「三河も尾張も人材不足だからな」

「信勝様々です」

「信勝兄ぃを悪く言うな。信玄しんげん謙信けんしんに挟まれて心細いのだ」

「あははは、佐久間-盛重さくま-もりしげ如きが行っても添え物にもなりません」

「そう言ってやるな」


奥州で心細くなった信勝兄ぃは、末森の佐久間-盛重さくま-もりしげ加藤-順盛かとう-よりもりなど元重臣らを呼んだ。

その中には謹慎を解かれた津々木-蔵人つづき-くらんども要る。

余程心細いのだろう。

しかし、信玄しんげん謙信けんしんと比べると佐久間-盛重さくま-もりしげらでは格が違う。

慶次の言う通りで足しにならないと思う。


加えて信勝兄ぃは兵力の少なさを補う為に三河の水野家、松平家、奥平家、鈴木家、中条家などの武将も呼び出した。

俺は元軍役衆だった一家ごとの移住を許可した。


「あははは、許可と言えば聞こえがいいが、信照のぶてる様の書状は強制と変わらん」

「三河衆も気の荒い者が多い。間引くには丁度よかろう」

「なるほど、腕のよい者ほど軍役衆として税を免除されておりましたでしょうな」

「そういう事だ。俺もどの機会で三河の荒くれ共を南海に呼び出そうかと考えていた。信勝兄ぃが気の利く方とは初めて知った」

「信勝様は気を利かせたつもりはないでしょうな」


東尾張と三河の領主の平均年齢が一気に30歳も若返った。

元々、畿内や越前に人材を引き抜かれて平均年齢が下がっていたが、さらに下がる事になった。

人材が枯渇する事はないので問題はないと思うが、この影響がどんな形で現れるのは判らない。

因みに、本多家のみ断って来た。

本多家はお市に従って南海に赴く…………お市が南海に行く事など、何も決まっていない。

まだ、白紙だ。


さて、その九州の方面の話だ。

俺に拝謁して口で恭順を叫ぶ九州の大名だが、毛利家の賠償に応じなかった。

もちろん、名護屋浦の譲渡も断った。

俺は藤吉郎に命じて大坂に停泊していた織田海軍を九州沿岸に向かわせて砲艦外交で黙らせた。

国ごと潰すと言えば、渋々従った。


大砲の飛距離は300間 (540m)程度に抑えたが、それだけ近ければ100発100中の命中精度だ。

博多にいる南蛮人(ポルトガル人)の商人らは青い顔して『織田打倒』の口をつぐんだ。

イスパニアの大軍が南海諸島を制圧し、その周辺も平定している。

南蛮人(ポルトガル人)と友好関係を持たない国は攻撃の対象になると脅し、反織田家の大名に鉄砲や大砲やジャンク船を売って儲けていた。

南蛮人(ポルトガル人)の目的は交易であり、俺が洗礼を受けて教皇に謝罪の書状を送る事で和解したいと考えている。

南蛮人(ポルトガル人)の商人らはイスパニアと日ノ本の全面戦争を避けたいと考えているらしい。


「尾張の茶を買って、それを売って儲け、その儲けで鉄砲や大砲を買っているのが納得いかんな」

「高値で茶を買ってくれるのだ。ありがたいではないか」

「それが敵の財源になる」

「それはこちらも同じだ。茶を売った銭を戦費に当てた」

「どちらも茶で戦をするなど、茶番ではないか?」


茶番、慶次の言う通りだ。

かなり高価なお茶がこの戦争で高騰を続け、当初の300倍の値で売れた。

あり得ない値だ。

熊野水軍の一部を直属とし、300石船を預けて独自に動いて貰った。

悪人顔の棟梁が「げへへへ、織田家の船を襲うのがどれだけ危険か、お判りですか?」などと言って博多の商人を恫喝すれば、密輸品なので値がドンドンと吊り上っていった。

だが、密輸だから値も高くなるのも当たり前で押し通した。

密輸と言いながら直売りだ。

俺直属の船団なので中間マージンがすべて俺の懐に入る。

市中に出回っていた緑茶の大半を博多に売れば、簡単に大金が手に入った。

余りの大量な量に博多の商人も首を捻るが、悪人顔の棟梁が「げへへへ、織田家と言っても一枚岩ではありません。儲けの半分を袖の下に入れれば、何とかなるモノですよ」と悪びれずに言う。

伊勢と言えば、北畠家であり、そこを統括するのは織田-信実おだ-のぶざね叔父上だ。

博多の商人らは勝手に納得してくれた。

美味しい仕事だった。


「相変わらずの悪どさだな」

「儲けられる時に儲けて何が悪い」

「毛利が泣いていたのではないか?」

「詫びはこれから入れる。毛利家も賠償金を九州の大名から取り上げて大儲けだ」

毛利-元就もうり-もとなりもとんでもない奴と同盟を結んだな」


慶次が独り言のように呟いた。

いいじゃないか。

大友おおとも-宗麟そうりんは博多商人から儲けを受け取って、それで武器を購入して満足した。

南蛮人(ポルトガル人)は安い武器を高値で売って、その代金で茶を手に入れて満足した。

俺は戦費が補えて満足した。

戦争をしているのに、交易だけは続けた。


「だが、この茶葉が金より高いというのは納得がいかん」

「確かに尾張中に広まった緑茶を誰も飲めないのは問題だな」

「お茶一杯が金粒一つでは誰も飲めん」

「もう戦が終わったので10分の一に下がったぞ」

「まだ高い」

「宇治などでも生産を始めた。すぐに落ち着く」


金より高い緑茶を井戸水で冷やして美味しく頂く。

本当にいい仕事をした。

廊下をどたどたと足音を立てて、慌てた従者が入って来た。


信照のぶてる様、一大事でございます。氷高皇女ひだかのひめみこ早川様はやかわさまがお倒れになられました」

「何があった?」

「食事中に……………」


今日も公家のお姫達がやって来て、歌会などをして楽しんだ後に食事会となっていたらしい。

そこで二人が吐き気を催して大騒ぎとなった。

毒でも盛られたのかと焦った。

廊下の途中で医師と会って胸を撫で下ろす。

俺は氷高ひだか早川はやかわがいる部屋に入った。


「二人ともでかした」

「ご懐妊、おめでとうございます」


俺が褒め、慶次がややこを授かった事を賛美した。

だが、二人の顔は優れない。

気分が悪いのかと思ったが、部屋の空気が悪い。

隅で千代女が小さくなっていた。


「口惜しくございます」

「そうです。一緒に旅行に行く準備も終わったというのに」

「医者が出掛けるのは駄目と申すのです」

「殿、どうして駄目なのですか?」

「ややこに悪いだろう」

「また、お留守番ですか」

「殿と一緒に行けると思っておったのに」


あぁ、千代女が隅で小さくなっている理由を察した。

千代女を連れて行かないという理由はない。

付いて来て貰わねば、俺が困る。

勘気を恐れて豊良とよら真理まりも少し離れている。


「殿、どうして今なのでしょうか?」

「俺に聞かれて困る」

「殿の馬鹿、馬鹿、馬鹿」

「殿は意地悪です」

「俺が悪いのか?」


さて、何故、まだ俺が京に居るのか?

もう察しただろう。

それは妻らが同行すると言ったからだ。

泣く子と地頭には勝てぬ。

などと言うが、奥方ズには勝てなかった。

名護屋に城を建てるつもりはない。

それは変わらない。

だが、氷高皇女ひだかのひめみこが同行するとなれば、最低の御殿は必要になる。

第二陣は一ヶ月も早く出発して、御殿造りに掛かっていた。

仮住まいが完成しないと出発もできない。


「慶次、何か気の利いた事を言え」

「…………」

「慶次!?」


振り返ると慶次が居なくなっていた。

肝心な時に逃げやがった。

氷高ひだかの目がじっと俺を睨んでいた。

ど、どう答えよう?

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