第52話 織田VS上杉 川中島の戦い(7)<影武者>

(永禄3年8月30日(1560年9月29日))

謙信けんしんが善光寺に戻って来た。

何故だ?

謙信けんしんに自殺願望があるとは思わなかった。

後がないのは判る。

すでに救援に失敗して頼りなしの烙印を押された。

まだ、見限られていないのは負け知らずの『軍神』の異名と春日山城に公方義昭よしあきが存在するからだ。

連敗すれば、その限りではない。

しかも、負傷者も多く、士気も低い。

そんな状態で何ができるのか?


「若様が言われます通り、ここは撤退するのが普通だと思われます」

「そうだ」

「すでに勝敗が決しました。北信濃の領主達もこぞって寝返ってくるでしょう」

謙信けんしんに有利に働く事は何もないな」


北信濃へ援軍を出さなければ、越後勢も謙信けんしんを見限る。

連れて来た関東の兵も援軍も従わなくなる。

だから、謙信けんしんが同盟国の北信濃に援軍を送る事は必至なのだ。

だが、すでに勝敗は決した。

ここは兵を温存する為にも越後に戻るのが最善の策になる。


「この後は狭い北国街道の山道での待ち伏せが上策と思われます」

「伏兵戦(ゲリラ戦)か、厄介だな」

「かなり厄介と思われます」

「手間取る訳にはいかん。時間を稼げば、雪も降ってくる」

越後平えちごだいら(越後平野)を先に平定するのはどうでしょうか?」

「軍を二つに割るか?」

「はい、北国街道を謙信けんしんは大軍では通してくれないでしょう。ならば軍をいくつかに分散する必要が出てきます」


千代女は大胆な策を言う。

確かに妙高山みょうこうさんの脇を通る北国街道の山道でゲリラ戦を仕掛け、その街道の出口で待つのが兵法の常道だろう。

そうなると大軍の利が生かせない。

また、火力で押し通ろうとすれば、道を破壊しながら下がって行くという嫌がらせもできる。


「時間稼ぎには有効かと」

「それは困るな」

「ですから一軍を千曲川ちくまがわ(信濃川)を下らせて、越後平を先に押さえるのが有効なのです」

「海沿いに北国街道を越後平から頸城平くびきだいら(高田平野)に兵を進めるつもりか?」

「そちらの道の方が広うございます。ですが、その必要もないでしょう」

「その通りだ。千代の戦略は怖い」

「ありがとうございます」


妙高山みょうこうさんの山々を越えて頸城平くびきだいら(高田平野)を攻めるより、東から東頸城ひがしくびき丘陵を横切る方が楽そうだ。

将棋の駒を1歩1歩進める千代の策はかなり手厳しい。

だが、千代女の狙いはそこではない。

奥州の大戦で南部連合が勝ったので、それを知れば蘆名-盛氏あしな-もりうじも自領に戻りたがるだろう。

越後北部を所領する揚北衆あがきたしゅうも同じだ。

自分達が居ない間に自領を荒らされるのはどちらも嫌に違いない。

加えて、上野国が落ち、北条家が下総、下野、常陸に攻めているなどとの噂を流すのもありだ。

越後平に軍を進めるだけで敵の大半が向こうから出て来てくれる。

こちらは有利な戦場を設定できる。

義昭よしあきを守る皮を一枚一枚とはぎ取ってゆく。

頸城平くびきだいら(高田平野)に向けて兵を進める頃には、幕府軍は一万人を切っているハズだ。

千代の策は悪くないと思った。


そんな最悪の事態も考えられるが、ここで善光寺に戻ってくる意味はない。

負傷者を多く抱え、兵の士気も落ちている。

戦えるのか。否、戦える訳がない。

一度傷を癒し、兵の士気を取り戻すのが先決だ。

決戦を挑むにしても兵の士気は重要だ。

先程の策でも完璧ではない。

我が方が兵を分散すれば、謙信けんしんが付け入る隙が生まれてくる。

ここは兵を引くのが上策なのだ。


他に策があるというのか?


野分のわき(台風)を使った奇襲は驚いたが、それ以上の策がなければ自滅を待つだけだ。

それ以上の策など…………う~ん、思い付かない。

手堅く行こう。


犀川さいがわに新吾(斎藤-利治さいとう-としはる)の織田・美濃衆を中心に兵を並べ、千曲川ちくまがわ沿いの福島城を起点に信広兄ぃの西遠江・東三河衆に加えて、甲斐衆、諏訪衆らが睨みを利かせている。

加えて俺は松代から動くつもりはない。

黒鍬・鍬衆に周りを守らせて、輝ノ介の重装騎馬と北条の騎馬隊を脇に残している。

まぁ、輝ノ介は一度前に出て戻ってきた。

謙信けんしんと正面から一騎打ちできないのに不満があるようだ。


「不満はないぞ」

「では、どうして戻ってきた」

「一度、頭を鉄砲に撃たれたくらいで面を被る謙信けんしんに興が削がれた」

「意味が判らん。普通だろう」


俺の鉄兜にも鉄仮面を用意している。

付けた事はないが…………。

肩盾とか、孔雀のような背中のつばさ(背中盾)とか、所々に金・銀・銅メッキで派手な色彩になっているが中身は鋼だ。

フル装備すると重くて疲れる。

と言う訳で、普段は後ろの馬に飾って俺は公家装束でいる。

武家の象徴は兄上(信長)であり、俺は公家でいいのだ。

皇太子が征夷大将軍を任じられた事もある。

問題ないだろう。

な~んて、今はどうでもいいか。


さて、義昭よしあきは奥州には逃げられない。

わが身を危険に晒して謙信けんしんを誘き出す必要もないし、無理に越後勢の数を減らす必要が無くなった。

しかも勝つだけで謙信けんしんの名声は地に落ちる。

慎重に事を進めればいいのだ。


「敵は犀川さいがわの水位が下がるのを待っているように思われます」

「掛かってくるのは昼過ぎくらいか」

「おそらく、そうかと」


千曲川ちくまがわの水位は劇的には下がっていないが、犀川さいがわの方が前日から下がりはじめている。

西の方は早くから雨が緩やかだったと思える。

それを見越して越後勢は善光寺を通り過ぎ、栗田城辺りで兵を止めた。

俺に出て来いと言わんばかりに謙信けんしんが先頭に出て、こちらを睨み付けているらしい。

だが、謙信けんしんも少し学んだようで、左右に鉄砲避けの盾を立てさせ、自らも鉄砲避けに面を付けている。

使者を立てて、戦口上を呼びかけている。

もう一人の総大将である新吾(斎藤-利治さいとう-としはる)の代わりに明智-光忠あけち-みつただが受けて立つと言っているが、謙信けんしんは執拗に俺を指名している。


今更、何のつもりだ?


新吾の陣形は横陣であり、鉄砲隊を犀川さいがわに横一列に並ばせている。

もちろん、新吾のいる場所は最も厚くなっている。

仮に越後勢が魚隣ぎょりんの陣で犀川さいがわの第一陣を突破しても、配置を変えて第二陣が松代の前に敷かれる。

千曲川ちくまがわを渡河しても最後の守りが待っている。

各所に配置した鉄砲隊と花火(迫撃砲)衆の銃火と砲撃を受け続けて戦意を保つ事ができるものか。

絶対にここまで届かない。

届かせない。

仮に向こうが陣形を横に広げれば、それこそ鉄砲隊の餌食だ。

じわじわと時間が過ぎて行った。


信照のぶてる様、清野屋敷の清野-宗頼きよの-むねより殿が至急、お目通りしたい儀があるとの事です」

「何があった?」

天城城てしろじょう城主の清野-勝照きよの-かつてる、いいえ、清野きよの一族の謀反でございます」


清野きよの一族は幕府への忠誠心が厚い。

昔、永享十年 (1438年)に鎌倉公方足利持氏が滅び、その子永寿王は信濃に逃れ佐久の大井持光を頼った。

永寿王の求めに応じた持光は、家臣の芦田氏、清野氏を六歳の永寿王につけて結城城に送り届けた。

関東では伊豆にいた、関東管領の職についた上杉憲実が鎌倉に入り、弟の清方と上杉持朝に命じて結城城攻撃に当らせ、自らも兵を率いて鎌倉を発して結城城は落城したと言う。

清野氏は永寿王を送り届けると大役を果たした忠臣として名を馳せた。

それを自慢する家だ。


この武士の意地とか、名誉とかが非論理的で厄介だ。


こう言った場合、武士の面目が行動の発端となる。

この清野きよの一族の叛乱が謙信けんしんの秘策だったとしたら残念にも程がある。

その程度の備えを俺がしていないと思うのか?

天城城てしろじょうの狼煙を合図に越後勢が攻め始めた。

謀反を知らせて来た清野-宗頼きよの-むねよりが自らの身内と家臣、領民の安堵を求めて、ここまで来ていると言う。

悪くない判断だ。

寝返ったくらいで俺が信用しているなど思っていないと判断したのだろう。

悪い判断だ。

むしろ、清野-勝照きよの-かつてるらが浅はか過ぎる。

清野-宗頼きよの-むねより清野-勝照きよの-かつてるらを止めたいので兵を貸して欲しいと願い出ていると聞いて呼び出した。


「判った。話を聞いてやろう」


清野-宗頼きよの-むねよりが部屋に入ってくると俄かに外が騒がしくなる。

何かの小競り合いか?

陣幕が揺れると、先頭に居た清野-宗頼きよの-むねよりを押し倒して、数名の兵が乗り込んで来る。


「止めよ」


守備の兵が取り押さえようと寄って行くが、一瞬で斬り倒された。

刺客か!?

輝ノ介が「やるな」と小さく呟いた。

刺客に感心している場合じゃない。

身に付けている鎧は足軽のモノだが、持っている大太刀がアンバランスに良い品を手にしていた。

顔をぐちゃりと握り込むと付け鼻らしいモノを取り外し、さらに頬を膨らませる為のモノを吐き出した。


なぁ、どうしてここに?


その顔に見覚えがあった。

熱田で酒を浴びるように呑んでいた謙信けんしんの顔が現れたのだ。

では、犀川さいがわで指揮を取っている謙信けんしんは誰だ?


もちもん影武者かげむしゃか!?


この瞬間、ずっと喉に魚の骨が刺さったような違和感が取れた。

こんな意地の悪い策を考えるのは一人しかいない。

道理で『軽井沢の戦い』があっさり勝てた訳だ。

本人がこちらに居たのだ。

人を小馬鹿にするような謙信けんしんらしくない行動があった。

屋代への突撃と撤退が最初からセットの作戦だった訳か。

清野きよの一族が降伏し、その中に謙信けんしんが残っているなど誰も思わない。

清野きよの一族の叛乱を起こし、清野-宗頼きよの-むねよりに討伐の訴えをさせに本陣に来る。

その本陣に来た中に謙信けんしん自らが刺客となる。

善光寺に戻って来た越後勢は謙信けんしんを助ける為に死ぬ気で襲ってくるに違いない。

すべてが計算の内か。

損失率を無視した馬鹿げた策だ。

人の財布だからできる信玄しんげんの嫌らしさがこれでもかと滲み出ている。

これでスッキリした。


だが、まさか単身で俺を襲いにくるとは思っていなかった。

謙信けんしんの大胆な行動力に、信玄しんげんのズル賢く、巧妙な罠を仕掛けられていた。

完全に虚を突かれた。

俺は始めから最後まで読めていなかった。

謙信けんしん信玄しんげんのタッグとはこうも厄介だったとは思わなかった。

参ったな。


俺は極度の緊張からか、周りがゆっくりと見える。

取り押さえようとする護衛を薙ぎ倒し、謙信けんしんの足は一向に緩まない。

後ろに4人ほど付いて来ている。

清野-宗頼きよの-むねよりが連れてきた護衛のすべてが謙信けんしんの刺客だった訳か。

凄腕を揃えて来たのだろうな。


だがしかし、俺も何も用意していない訳ではない。

初めて輝ノ介(足利-義輝あしかが-よしてる)に会った時、盗賊相手に見事な太刀捌きに見惚れた。

リアルチートとは、『これほどか!』と思い知らされた。

熊のような奴を止めるにはショットガンしかないと思った。

だが、ショットガンをいつも持ち歩く訳にはいかない。

そこで俺が用意させたのがショットガン仕様の単筒だ。

当てる必要はなく、向けて撃つだけだ。

死に至るとは思わないが、動きが鈍れば十分だ。

俺の護衛は一流が揃っており、ホンの少しの違いで対応ができるようになる。


練習の時に輝ノ介の片腕を封じれば、千代女達でも互角に戦えるように、謙信けんしんの動きを制限できればいい。

俺が謙信けんしんを倒す必要はない。

怪我を負わせるだけでいい。

俺は引き金を引くと、ズダンという音と共に小さな弾丸が飛び出した。

広く丸テーブルのように弾丸が広がって行く。

弾丸の点は避けられても、ショットガンの面は避けられまい。

俺の勝ちだ。


謙信けんしんは俺が単筒を向けた瞬間につまずいた様に足を折って、その身を地面に転がして避けた。

嘘だろ!?

そんな芸当を人間ができる訳がない。

現に後ろの二人の顔などに当たり、そのまま撃沈する。

このリアルチートめ!

謙信は体を横に二回転すると立ち上がって、太刀を大きく振り被って飛んで来た。


ヤ、ヤバい。

単筒の射線上を開けていた千代女が慌てて、体を入れようしているが間に合わない。

謙信けんしんの太刀が落ちて来るのが速い。

終わった。

糞ぉ、ここまで勝ち続けて、こんな最後になるのか。


ガキーン!

真一文字に落ちてくる名刀『姫鶴一文字』を、居合抜きで横一文字に天下五剣『鬼丸国綱おにまるくにつな』が受け止めた。

次の瞬間、紫頭巾を被った輝ノ介が間に割って入る。

小刻みに頭巾が動き、声を出さずに笑っている笑い声が聞こえたような気がした。

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