第51話 織田VS上杉 川中島の戦い(6)<|百々川《どどがわ》の追撃戦>

(永禄3年 (1560年)8月27日~29日)

空の色が変わり、風も吹き出した。

強い雨が降って草木のしおれるのは自然の事だが、そのいとしさを思わぬ者もいないと思う。

無惨に倒れてゆく様は心を騒がせると、野分の事を源氏物語で紫式部は言っている。


26日早朝に降り始めた雨は強くなったり、弱くなったりを繰り返し、草木をなぎ倒して時折に視界を奪ってくれた。

どの河川も増水して今にも決壊しそうだが、今の所はどこも氾濫していない。

27日になると、その雨の中を謙信けんしんが率いる幕府軍が撤退した。

すぐに追わせたかったが地雷を片づけないと進めない。

山道に仕掛けた罠も回収しないと駄目だ。

野分(台風)の中でやる作業ではない。


東南の風が東風に変わっていた。

雨脚が弱くならない所を見ると、この野分(台風)は上陸せずに太平洋を横に横断しているように思える。

視界を遮るような雨も無くなった。

だが、千曲川ちくまがわの自然堤防も決壊寸前で止まった儘で減る様子はまったくない。

この感じだと甲斐や諏訪の方が激しく降っていそうだ。

この辺りを知る者によると、長く雨が降ると小さい川の方が危険らしい。

どこかで土砂が崩れて、一気に決壊してくると言う。


「どこが危ないと思うか?」

「判りません。しかし、ここから追うとなると保科川ほしながわ百々川とどがわ辺りが危険と思われます」

「それほどか?」

「よく氾濫しております」

「気を付けさせよう」


地雷の撤去が終わると千曲川ちくまがわを警戒しながら山の際を移動させてゆく。敵の反撃がない。

妻女山さいじょさんに登ると残された篝火かがりびのみが煌々と照っていた。

松代の方も静かだ。

どうやら時間を掛け過ぎたようだ。


信虎のぶとら頼忠よりただ、前回の汚名をそそぐ機会を与える。幕府軍を追撃せよ」

「承知」

「必ずや幕府軍に追い付いて一撃を加えてみせます」


武田-信虎たけだ-のぶとらの甲斐衆と諏訪-頼忠すわ-よりただと諏訪衆に命じる。

後続に信広兄ぃに西遠江・東三河衆と鉄砲隊と花火(迫撃砲)衆も付ける。

鉄砲隊と花火(迫撃砲)衆は足が遅い上に守勢や攻城戦で力を発揮する。

追撃しながらでは役と立つとは思えないが、寺尾城や金井山城のような城が抵抗するようならば役に立つ。

だが、そんな心配は無用だったようだ。

謙信けんしんが撤退すると北信濃衆の態度が軟化して降伏が相次いだ。


まず、清野きよの家の当主である天城城てしろじょう清野-勝照きよの-かつてるが降伏し、清野きよの一族である鞍骨城くらぼねじょう清野-信秀きよの-のぶひで、竹山城の西条-祐尚にしじょう-すけなお、清野屋敷の清野-宗頼きよの-むねよりがそれに続いた。

我らの軍が迫ると金井山城かないやまじょうの金井-某も降伏すると、支城の寺尾城も開城した。

その先の霞城かすみじょうの大室家も続いた。

ここを抜けると一気に視界が広がるらしい。


「幕府軍が見えたぞ」

「一気に押し出せ」

信虎のぶとら様、それは無理です。あれをご覧下さい」


赤野田川と保科川が増水していた。

小さな川であるが、荒れた川の中を進む事は危険過ぎた。

我が軍の行く手を阻む。

幕府軍も上流を迂回したので時間が掛かり、背中を晒していた。


「ここは我らにお任せ下さい」


追い付いてきた信広兄ぃが率いる浜松の兵にとって造作もない事だ。

だって、俺の黒鍬衆が混じっている。

足軽が背負う大盾は、持てば盾、置けば壁、組み立てれば鉄砲小屋になる。

移動の時は背負子になり、休憩中は椅子に変わる。

もちろん、食事の時は台ともなる。

評定に置かれているテーブルも大盾を組んだモノだ。

それは他の大盾と同じだ。

違うのはその先だ。


まず、大盾を縦に通っている2本の棒(パイプ)の止め金を外すと、棒(パイプ)と棒(パイプ)をクルクルと回して繋いで行く。

その二つの長い棒(パイプ)に再び大盾を装着すると、あら不思議?

縦に長~い大盾に変わった。

裏返して壁に当てれば城攻めの梯子はしごとなり、裏返して両岸の土手に寝かすと即興の橋となる。

手慣れた様子で即興の何本の橋を掛けていった。

武田-信虎たけだ-のぶとらの甲斐衆と諏訪-頼忠すわ-よりただと諏訪衆が次々と掛けられる橋に唖然と見ていた。


「橋が架かったのか?」

「大盾ではなかったのか?」

「担いで走って逃げる時は矢も鉄砲の弾も通さない盾であります」

「だが、橋だ」

「橋に見える」

「長い場合は途中に舟を挟んで浮き橋にせねば使えません」

「これで十分だ」

「一度に大勢が渡ると折れてしましますので一人ずつでお願いします」


橋が10本ほど架かっているので10人が一度に川を渡って行く。

赤野田川を渡っている間に保科川にも橋を架け、ここに来て織田軍は一気に幕府軍に追い付いた。


「若様、味方が福島で幕府軍に追い付きました」

「そうか、追い付けたか」

「幕府軍は百々川どどがわも上流を迂回して渡河するつもりだったようですが、それでは間に合わず、一戦する様子でございます」

「見事、謙信けんしんの首を取って参れと伝えよ」


俺の下知に応えてくれたのか?

甲斐衆と諏訪衆が奮戦して、次々と武将の首を取ったという報告が入ってくる。

しかし、肝心の越後勢の大半は参戦せずに百々川どどがわを泳いで渡り、そこから綱をいくつも掛けて、全軍の渡河を始めたらしい。

一方、先行していた関東軍の半分は百々川どどがわの上流を迂回中であり、応戦しているのは殿しんがりのみであった。

福島城を起点に3,000人ほどが抵抗を続けている。


百々川どどがわは福島城の手前で大きく北に曲がり、松川などと合流しております」

「福島城の辺りが少し高くなっているのか?」

「判りません。その福島城には甘粕-景持あまかす-かげもちが入っているそうです」

謙信けんしんから偏諱へんきを受けた忠臣の一人だな」

「関東軍の殿しんがりを任された兵も背中に槍を突き付けられて、逃げるに逃げられないのでしょう」


殿しんがりの兵は背水の陣だ。

川の上手に逃げる道は交通渋滞を起こし、逃げるに逃げられない。

後ろは百々川どどがわが流れて袋小路、逆側は千曲川ちくまがわが増水中となっている。

甘粕-景持あまかす-かげもちが下がるなと槍を突き付ければ、戦うしかない。

屋代家の家臣がもう一度忠告をしてくる。


「福島城の一帯を除くとかなりの低地でございます」

百々川どどがわは北に迂回して松川と合流してから千曲川ちくまがわに流れ出している。百々川どどがわは鮎川、市川、宮川、八木沢川などの多くの川が合流しているのだな」

「あそこはいつ氾濫を起こしても可笑しくない所でございます」

「氾濫して押し流されれば、敵も味方も全滅もあり得るのか」

「危険ですね」

「危険でございます」

「信広兄ぃに伝令だ。勝敗は決した。追撃はここまでとすると。急げ」


間に合うかどうか知らないが「百々川どどがわの下流域には入らないように」と母衣衆を走らせた。

俺も本陣を松代辺りまで進めたが、降伏して来た者と、まだ降伏していない者の対応で手一杯だ。

追撃戦は有利に進んだが、伝令が届いて我が軍が引いて距離を取った。

もちろん、逃がすつもりはない。

鉄砲隊と花火(迫撃砲)衆を山際に集め、逃げるようならば鉄砲の餌食とする。

敵と睨み合って固まっていた所で百々川どどがわの自然堤防の土手が決壊して福島辺りを押し流した所で終わりとなった。

孤立した福島城は降伏する。

討ち取った首が500人余り、降伏した捕虜が2,000人余り、大物の大将もちらほらといる。

これで織田家の大勝利が決定した。


「輝ノ介は追わなくてよかったのか?」

「逃げる敵など面白くもない」

「戦えなかったのは、俺の所為じゃないからな」


不満そうに輝ノ介は「判っておる」と言ってそっぽを向いた。

唯一の戦いの場を逃してふて腐れていた。

俺も不満だ。

謙信けんしんを討ち取れず、越後勢の数を削ぐ事もできなかった。

越後でもう一戦する事が決定した。

俺は溜息を吐く。

こんな事になるならば、村上-義清むらかみ-よしきよ葛尾城かつらおじょうを素直に落として北信濃を蹂躙じゅうりんした方が早かった。

勝負に勝って、試合に負けた。

今後の方針は俺の手を離れて、奥州の報告を待つ事になる。

千代が熱いお茶を持って来た。


「奥州はどうなっているかな?」

「まだ判りませんが、勝って欲しいです」

「俺もだ」


南部が負けると厄介だ。

越後を落としても奥州に逃げられる。

まだ8月。

然れど、もう8月27日 (9月26日)。

佐渡を確保する為にも越後を完全に抑え込む必要があり、安易な領地安堵はできない。

はっきり言って一ヶ月で越後を平定する自信がない。

何と言っても補給路の確保ができていないので関東に戻って体制を立て直す必要もある。

それだけ時間を掛けて雪が降る前に奥州平定はできない。

そうなると来年の春に延期して再び遠征軍を編成する事になる。

実に面倒だ。

幸いな事に南部が織田方に与したので、奥州から奥奥州と追い駆ける事はなくなった。

しかし、春になると別の問題が出てくる。

それは船だ。

冬の日本海は荒波が高く、船の運航ができない。

しかし、春になると波が穏やかになり、北周り航路で大陸の沖を抜けて九州に行ける海路が開ける。

義昭よしあきが逃げる。

奥州の次は北九州とか、やってられない。

もう大勢は決まった。

奥州を南部-晴政なんぶ-はるまさに丸投げ出して、俺は手数料の佐渡だけを貰って引き上げようか?

まぁ、手を付けるのは来年の春以降になるけどね。


こんな戦を来年までやってられるか!?


俺はやる気を無くした。

やる気を無くしても仕事はやって来る。

北信濃を終わらせないと、次に進めない。

あぁ~面倒だ。


「若様、佐久と北条から使者がやって来ました」

「佐久と北条?」


日が暮れる頃に使者が到着した。

織田おだ-造酒丞みきのじょうが元関東管領上杉-憲政うえすぎ-のりまさ率いる関東軍を打ち破って上野へ侵入した。

このまま平井城ひらいじょうを目指すと言って来た。

随分とあっさりと勝ったみたいだな?


戦力的に勝ちを望んでいると思っていなかったが、こちらへの兵力分散を狙った援軍だ。

時間を掛けてくると思っていた。

あっさりと決戦に応じてくれるなど、信玄しんげんらしくない。

口の巧い信玄しんげんに掛かれば、お調子者の馬鹿共など軽く言い成りにできたハズだ。

そうなれば、兵を分散させて軽井沢に進入させる。

後は荒くれ共を好き勝手に暴れさせる。

村をすべて守らせる時間はないので各個撃破で対応する。

こちらに被害はないだろうが手間が掛かる。

織田-長頼おだ-ながよりとそんな対策を話し合った。

これは意外な結末だ。


このままでは造酒丞みきのじょうが伊那郡に続いて上野国も取りそうな勢いだ。

古い武将だから褒美を与える必要がある。

褒美か…………どうする。

このまま上野守護代にでも任命するか?

息子の小瀬-清長おぜ-きよなが織田-長頼おだ-ながより兄弟がいるから何とかなるだろう。


なんと!?

北条家からの手紙に南部連合が勝ったと報告をくれた。

まだ詳しい事は判らない第一報だ。

少し遅れて俺の忍びも同じ報告を持って来た。

この雨と風で緊急連絡網が切断された為に走って届けてくれた。

風魔より遅れたのは地の利の所為だろうか。


「千代、これで勝ったぞ」

「おめでとうございます」

「天が我に味方した」(摩利支天まりしてんの加護です)

「若様、まずは北信濃です」


そうだ、勝って兜の緒を締めよ。

越後での戦いも残っている。

早々に北信濃を片づけて越後に行くぞ。

翌日 (28日)、野分(台風)が通り過ぎたらしく、雨が止んで水が引いてきた。

幕府軍も川幅が広い小布施おぶせ辺りで千曲川ちくまがわを何とか渡河して神代に戻ったらしい。

明日には神代坂を越えて越後に戻って行くだろうと思っていた。

が、29日に再び進軍して善光寺に入った。

ちょっと待て。

もう一戦する意味がないだろう?

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