第48話 織田VS上杉 川中島の戦い(3)<謙信、乾坤一擲>

(永禄3年 (1560年)8月24日夜~26日)

神代じんだいで兵を休めていた謙信けんしんは小さな小屋の中で知恵袋の宇佐美-定満うさみ-さだみつと腹心の斎藤-朝信さいとう-とものぶと座り、不敵な笑みを浮かべながら酒に身を浸していた。

永禄の変以来、シラフの時がない謙信けんしん朝信とものぶが何度も諌めて来たが聞き届けられる事がなかった。

朝信とものぶが強引に酒壺を奪うと、銚子鍋ちょうしなべに酒を注ぎ、囲炉裏いろり自在鉤じざいかぎに吊るして「これが今日の最後です」と念を押した。

謙信けんしんは嫌そうな顔をするが、すぐに忘れたように酒茶碗を徳利とっくりに持ち替えると、早速に銚子を取って徳利に注いだ。

そして、グビっと呑むと笑みを浮かべる。

悪びれない謙信けんしん定満さだみつ朝信とものぶがまったくという顔で見ていた。

しばらくすると黒の頭巾で顔を隠す黒衣の僧が小屋に入って来た。

黒衣の僧は公方義昭よしあきに伴って来た僧で謙信けんしんのお目付け役と兵には説明されている。

護衛の僧兵も頭巾を被って顔を隠しており、皆から煙たがられていた。

黒衣の僧が到着すると謙信けんしんは明日の予定を話し始めた。


「なるほど、近い内に大雨が降るのですな」

「空は晴れているが、水の匂いが近づいている。こういう場合は大雨になる」

「大雨ですか」

「毘沙門天の加護でございます」

「ふん、下らん。漁師でも空と風と潮の流れから天気を知る事ができる」

「某らにはまったく判りません」

朝信とものぶ定満さだみつ、その方らは鈍すぎるのよ」

「儂もですか?」

「見て感じれば判る事だ。頭でっかちに成りおって」

「それを渡せ」

「駄目でございます」


そろそろ軽くなって来た銚子鍋を振って、朝信とものぶの後ろに置いている酒壺を睨んだが、朝信とものぶが『めぇ』と呑み過ぎを叱り付けた。

恨めしそうな顔でじっと見ると、「これが最後ですよ」と銚子鍋に少しだけ注いだ。


「流石、朝信とものぶだ。よく判っておる」

「判っているではありません」

「呑めば、呑むほど、冴えてくるのだ」


そんな満面の笑みを零されても困ってしまうと定満さだみつ朝信とものぶが肩を震わせた。

いつものやり取りに黒衣の僧は呆れていたが話を続けた。


「で、いつ降り始めますか?」

「はっきりとは知れんが明日か、明後日、遅くとも明々後日には降りはじめる」

「それがはっきりしないと策が練れませんな」

「このまま一泊して、明日の夕方に善光寺に着くように動くのはどうでしょうか?」

朝信とものぶ殿、それでは遅過ぎます」

「遅過ぎるとは?」

信照のぶてるという武将はこちらの意図を察して動きます。すでに休息は取りました。もう半日も遅滞すれば、その理由を探ろうと知恵を回すでしょう。おそらく、雨を待っている事に気が付かれます」

「まさか!?」

信照のぶてるという武将はそういう武将でございます」

「であろうな」

「大雨の中であれば、知られても問題ないのではありませんか?」

「そのまま居座るか、善光寺まで前進するかは知りませんが、守りに入った織田勢は厄介極まりない相手でございます。知れた時点で策はなりません」


黒衣の僧は様々な可能性を呟く。

善光寺の周辺は周りより小高い場所にあり、どちらが善光寺を取るかで戦況が大きく変わってくる。

このまま神代じんだいに留まっていれば、『謙信けんしん頼りなし』の烙印が押されて、進軍して来た織田方に降る可能性がある。

そうなれば、大雨の中で城攻めをするのは上杉方となる。


謙信けんしんはしばらく考え、夜の間に善光寺まで前進し、関東軍に仮眠を取らせた後に追い付かせ、善光寺から千曲川ちくまがわまでの横陣を敷くと言った。


「夜の間に近づくのは悪くない策でございます。しかし、謙信けんしん殿が凡庸な将ならば信照のぶてる犀川さいがわに織田方の兵を横に並べてくれるでしょう。ですが、謙信けんしん殿がやれば、その意図を勘ぐるに違いありません」

「何故、そう思う」

「儂ならば、間違いなく罠を疑います」

「なるほど」


罠を承知で信照のぶてる犀川さいがわに陣を敷く可能性もあるが、その場合は千曲川ちくまがわの右岸を福島まで侵攻して、幕府軍を半包囲する陣形を取ると思われると言う。


「その場合、主力は右岸になると思われます」

「それは拙いな。我が方が河川を背にする事になる」

「はい、そうなります。ただ、北信濃の調略がそれほど進んでいるとは思われませんので、その策は取らないと思います」

「すると、出て来ぬか」

信照のぶてるは攻め急ぐ性格ではございませんので、屋代まで一旦引くと拙僧は考えます」


織田方が引けば、幕府軍が茶臼山の東まで進軍するのが自然な流れだ。

そして、篠ノ井が戦場地となる。

篠ノ井と言えば、屋代、雨の宮、妻女山さいじょさん、横田城跡、広田城跡は幾重いくえにも戦が起こった場所であった。


「はじめから妻女山さいじょさんに入るのはどうだ?」

「…………」


黒衣の僧が悩む。

謙信けんしんがそれを見て頬を緩ませた。


「少しは時間稼ぎができそうだな」

「稼げるかもしれませんが、こちらの思惑もバレると思います」

「ならば、こういうのはどうだ」


関東軍、混同軍、越後軍を並べ、関東軍が攻めるように兵を進めるとぐるりと後ろに戻って行く奇妙な動きの作戦を立てた。

それを見て、絶句して黒衣の僧が固まった。


「この動きに何の意味がございますのか?」

「意味などない」

「意味がないと?」

「そなたが悩んだように、信照のぶてるも悩むのであろう。ただの時間稼ぎだ」


謙信けんしんが言い切った。

明後日の朝にでも雨が降るならば、明日の夕暮にやって見せると言う。


「明日の夕暮れですか?」

「明後日の朝に雨が降ってからでは意味がないからな」

「それは当然ですな」


篠ノ井で睨み合っている所で雨が降ってくれば、妻女山さいじょさんを織田方も取りに来る。

同時に背中を見せる関東軍を攻め立てて襲って来る。

時間がないのだ。

兵を遊ばせている暇などない。


「今日はここまでとしよう」


謙信けんしんはそういうと横になった。

朝信とものぶは小屋を出ると指示を出し、兵に仮眠を取らせると夜中の内に善光寺に向けて出発した。

善光寺には夜明け前に到着した。

越後勢の動きに合わせて、織田方が少数の部隊が犀川さいがわに沿って布陣する。

その後ろに信照のぶてるらも出て来た。

襲って来いと誘っていた。


謙信けんしんはそれを無視して、残りの幕府軍を待つ。

幕府軍は神代じんだいに到着すると休息を入れ、早朝に出発して昼過ぎに善光寺に到着した。

謙信けんしんは一人で馬に乗って犀川さいがわに近づいていった。

そう、一人で身を晒すという豪胆な行為に出る。

信照のぶてるも陣より少し前に出て、姿を見せた。

互いに慌てる様子もない。

謙信けんしんは目的を終えると、ゆっくりと戻って来る。


「どうでございました」

信照のぶてる、やはり中々の武人であるな。つけ入る隙がない」

「それは最初から判っております」

「ふふふ、そうであったな」


尾張の熱田に訪れた事を思い出して笑った。

あの時も冷静に対応された。

幼いながらに一角の武人を思わせる豪胆さと、すべてを見通す叡智を合わせ持つ少年であった。

今では立派な獅子となって前に立ちはだかっている。

謙信けんしんが陣に戻ると、織田方が引いて行くのが見える。

戦場は篠ノ井と定めたようだ。


「できる事ならば、正々堂々と戦って道を譲ってやりたいが、儂も負ける訳に行かぬ」

「我らが負ければ、もう後がございません」

「うむ、公方様へのご恩がある。このまま足利幕府を終わらせる訳にはいかぬ」


黒衣の僧が馬を寄せて近づいてきた。


「して、雨はいつ降りますか?」

「明日の朝と見た」

「では、全軍を進めるのが丁度よろしいかと思います」

「そうだな」


謙信けんしんが指示を出すと関東軍が先頭に進み始めた。

そして、篠ノ井で幕府軍と織田軍が対峙する。

向こうに鉄砲がずらりと並び、「さぁ、掛かって来い」と言っているようであった。


信照のぶてる自身は左岸にいるが、織田の本隊は右岸に残した儘だな」

「こちらが雨宮渡りを抜けて、屋代を奪われぬ為でしょう」

千曲川ちくまがわは屋代で大きく蛇行し、唐崎山からさきやまの麓である雨の宮まで戻って来ております。妻女山さいじょさんから東に攻める場合、あの辺りが狭くなっておりますのでお気を付け下さい」

「承知している」


織田方に動く気配がない。

謙信けんしんは北の茶臼山を見て正面を見直す。


「殿、何か気になる事がございましたか?」

「大した事はない。ただ、中央を攻めるのは危険な気がしただけだ」

「中央突破は無理ですか?」

「判らん。だが、茶臼山に兵を配置していないのが気になる。手薄にしている事から織田方は我が右翼から食い破るつもりではないかと思えたのよ」


正解であった。

中央に鉄砲を集め厚く見せているが、さらにその前に地雷帯を置いて通行禁止にしてあった。

攻撃は左右の茶臼山と雨の宮方面から討って出る段取りが整えられていた。

織田の左翼の鉄砲が放たれると重装騎馬が飛び出し、続いて北条の騎馬鉄砲隊が続き、その後ろに足軽隊が続く。

織田家は地雷帯の縁に沿って攻撃を加えるのに対して、前に進めば地雷帯、後ろに下がると高機動の重装騎馬と北条の騎馬鉄砲隊の攻撃を受ける。

そして、織田の左翼は奥へ奥へと進み、幕府軍を妻女山さいじょさんの方へ押し込もうという策を練っていた。


謙信けんしんのふざけた軍の運用は、織田家の準備をすべて台無しにスルーする嫌がらせとなっていた。

前衛が後衛の後ろを回るという意味不明な行動に信照のぶてるを混乱させ、即時、追撃という選択を取り除いてしまった。

否、自らが撒いた地雷帯の為に即時追撃ができなかった。


謙信けんしんは堂々と妻女山さいじょさんに入ると、すぐに 6人くらいが入れる(塹壕ざんごうのような)穴を掘らせた。


「これでよろしいか?」

「結構」

「このような穴が有効とも思えません」

「すぐに判ります」


黒衣の僧がそう断言した。

朝信とものぶは怪しみながら妻女山さいじょさんを砦にする。

関東軍が入った松代の丘も同じように守りを固めさせる。

闇夜の中で松明が移動して妻女山さいじょさんを中心に、織田方に半包囲されて行くのが見えた。

これで雨が降らなければ、幕府軍は織田の火力の前に全滅である。

謙信けんしん瓢箪ひょうたんに入れた酒を呑みながら空を見上げて黙っていた。

東の空が少し明るくなって来た頃、織田方の動きがあった

七曲川ななまがりがわの対岸にいた部隊が寄せて来ると、ズダダダダァと鉄砲の音が鳴り響いた。


「殿、織田方が動きました」

「どうやらバレたようだ」

「バレたとは?」

「雨が降ってくるのが知れたのよ」

「なるほど」

「皆に伝えよ。みだりに討って出るな。すぐに大雨となり、鉄砲が止まる」


朝信とものぶは兵に盾を持たせて、各所を回って謙信けんしんの命を伝えた。

ガサっと川の対岸から撃って来ている弾が盾を貫く。

その度に肝が冷える。

盾を言われた通りに二重にしてなければ終わっていた。


ボ~ン、ヒュ~ルヒュ~ルヒュ~ル、ズド~ン!

空から火薬玉のようなモノが降ってきた。

地上に落下すると、大きな火花を出して輝いて辺りを吹き飛ばす。

ヤバい。

朝信とものぶも咄嗟に近くの塹壕ざんごうに飛び込んだ。

確かに穴の中で身を屈めれば、その衝撃を和らげる事ができる。

但し、その塹壕ざんごうの中に弾が落ちた場合は全滅だ。

祈るような気持ちで攻撃が止むのを待って本陣に戻って行った。


「殿、無事でございますか?」

「あぁ、ここまでは飛んで来ないようだ」

「やっとだな」


朝信とものぶの頬に冷たいモノが当たった。

雨だ。

屋代の方から織田方が近づいてくると雨の宮の手前で止まり、鉄砲を撃ち始めた。

ズダダダダァ!

織田家が狙っているのは唐崎山城からさきやまじょうであった。

唐崎山城からさきやまじょうの尾根を守る雨宮あめのみや家の者が応戦しているが、山の上から撃つ矢をモノともせずに、鉄砲の弾が次々と兵を討ち取ってゆく。


ズドドドド~ン!


凄まじい音が聞こえたと思うと唐崎山城からさきやまじょうの屋根が吹き飛んだ。

ズダダダダァ!

ズダダダダァ!

ズダダダダァ!

山の向こうから激しい鉄砲の音が聞こえる。

そして、再び唐崎山城からさきやまじょうから激しい音が聞こえた。


ズドドドド~ン!


今度は唐崎山城からさきやまじょうの一部が崩れてゆく。

堪らず、城の中にいた者らが飛び出して来た。

これはもう戦ではない。

一方的な破壊だ。

唐崎山城からさきやまじょうが長く持たないとはっきりと言えた。

皆が肝を冷やす中で黒衣の僧だけが笑っていた。


「ははは、恐ろしいでしょう」

「笑っている場合ではありません」

「織田家に対して籠城が如何に無意味なのかが判りますな」

朝信とものぶ、騒ぐな。始めから判っていた事だ」

「殿、しかし…………」

「雨が強くなれば、鉄砲も止まる」

「どうでしょうか?」

「止まる。大雨で視界を失えば、どんな対策も無意味となる」

「なるほど」


謙信けんしんは雨が強くなるのを待った。

そして、ドンドンと雨と風は強くなり、陣幕を吹き飛ばした。

気が付けば、対岸からの攻撃の音が止まっていた。


「よく耐えた。信照のぶてるの首を取りにゆく。討って出るぞ」


うおおおおぉ、その指示を聞いた越後勢が穴の中から声を上げる。

謙信けんしんは馬に乗ると、妻女山さいじょさんから雨の宮に向けて一気に駆け降りて行った。


「皆の者、続け!」

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