閑話.上野国の韓信<武田家臣の苦悩>
(永禄3年 (1560年)7月29日~8月4日)
武田家の残党の多くが
だが、秩父に入っても安全ではない。
この秩父は
と言っても、この貧しい山村に武田の兵が攻めてくるなどと思っていなかったから、
「何故、この時期に武田家が攻めてくる?」
「攻めあぐねている上杉勢への援軍かもしれません」
「そんな余裕が武田家にあるのか?」
「判りませんが攻めて来ているのは間違いございません」
すべての兵を集めても300人にも満たない城であった。
周辺の城主に援軍を求めても期待できず、
「とにかく、籠城する」
「急げ!」
「村の者は山に避難させよ」
武田家の事情を知らない民部であったが、武蔵野で上杉軍が暴れている事は知っていた。
お味方の援軍は期待できない。
完全な孤立無援だ。
降伏は
だが、
皆、首を傾げる。
武田軍が通り過ぎた村はイナゴに襲われたようにすべてを奪って去っており、盗賊より酷い有様である。
ただ、人的な被害が少ないのは幸いであった。
◇◇◇
(永禄3年 (1560年)8月5日~8月25日)
威厳こそ保っていたが狭い街道で足止めされるだけで兵糧は尽きる。
城を襲っている暇もない。
獣道のような悪路では兵の編成もできず、長蛇の列を為して移動する事になる。
地の利を生かして横槍を入れられれば一溜りもない。
細心の注意を払って進む余裕もなく、
敗軍の将とは思えぬ歓迎ぶりであった。
「ははは、こうして武田の龍と酒を酌み交わす日が来るとは思わなかった」
「京でお会いした時は言葉を交わす暇もございませんでしたからな」
「川中島での見事な引き際を覚えております」
「儂が力不足だっただけです」
北信濃が
だが、数奇な運命が二人を引き寄せた。
「公方
「戦況はそれほど悪かったのでしょうか?」
「ふふふ、悪くはない。戦歴のみ語れば、連戦連勝である事に間違いございません」
「勝っているのに、負けているのですな」
「戦に勝って、軍略で敗けております」
軍略と言っても北条家は決戦を避けて幕府軍が負けるのを待っていただけである。
いくら
肝心の主城が1つとして落とせないからだ。
確かにいくつかの支城や砦を落とせたが、北条軍は少し抵抗を見せただけで放棄して逃げて行き、
挑発の為に街道沿いの村や町を襲い、火を付けても、北条軍は決戦に及んで来ない。
完全に無視された。
そこで
鎌倉に行き来している途上で調べ尽くした『勝手知ったる他人の家』を蹂躙する。
街道沿いの村や町の者も北条家はすべてを城の中に隠してしまう。
すべてを放棄する潔さに恐れ入った。
大量のお宝を手に入れて武将や兵士は喜んでいたが、決戦が起こらない
鎌倉まで進むつもりだったが、そこで一報が届く。
「13城も!?」
「どれも大した事のない城ですが好き勝手にさせる訳も行かず、武蔵国の侵攻を取り止めて、奪われた城を取り戻しに赴きました」
「抵抗が激しかったのですか?」
「いいえ、城はもぬけの殻で取り戻すのは簡単ですが、その間に他の城を落とされて、数が減りません」
「なるほど、その間に幕府軍が敗けてしまったのですな」
「越前の朝倉家が滅ぼされたのも不味かった」
肝心要の幕府が負けてしまえば、関東の領主達の心が北条方に流れてしまう。
宇都宮家、壬生家、芳波家、足利家、那賀家、小山家、小田家などの足並みが揃わなくなった。
誰だって朝倉家のようになりたくない。
だが、
領主達の家でそんな
「おやぁ、佐竹家の名がございませんな」
「関ヶ原の戦いの結果を知ると兵を引き上げ、自領に戻るや否や織田方を表明しております」
「寝返りですか?」
「始めから織田方の相馬家を支援していた」
「両属ですか、逞しい事ですな」
「まったくです」
佐竹家の離反は
手元の
「某は一先ず、手元の3万人を引き連れて越後に戻ります」
「3万人で勝てますか?」
「蘆名、最上、伊達から援軍の3万人が加われば、何とか戦えるのではないかと」
「奥州はどうなっております」
「斯波大崎家が
伊達家の力を結集できれば、奥州だけで総勢3万人の兵が用意できる。
また、最上家が巧く立ち回って出羽国の国衆の賛同を得れば、こちらも3万人を用意できるかもしれない。
〔慶長3年 (1598年)の石高で陸奥国は167万石、出羽国で32万石とあるが、慶長郷帳石高 (1604~1610年)では出羽国は87万石に飛び跳ねており、実態は定かではない〕
「伊達で3万、最上で3万を用意できれば、互角以上に戦えそうですな」
(「無理だな」)
奥州の者は忍耐強く、思慮深く、恩義に厚い。
礼儀も正しいので見た目で判らない。
だが、腹の底では何を考えているのかが読めない。
それでいて、我が強い。
余程の傑物が出て来ないと一致団結などできない。
「そんな芸当ができるくらいならば、すでに奥州の者が関東を攻めておる」
「なるほど」
「だが、少なくとも1万ずつは送って貰いたいと思っている」
「確かに。5万もあれば、
「まだだ、まだ一手足りない」
その獲物を狙いすました目で
「
「残る5万を集めろと申されるのか?」
「如何にも」
「手薄になれば、
「そうでしょうな。ですが、兵を残した所で攻める事もなく、反発する
理解したが憎まれ役の汚れ仕事だ。
もう一度、
「父上、どういう事でしょうか?」
この事で他の関東の領主達が北条家との和睦に繋がるのかが判らなかった。
「
「はい」
「要所要所に集まっている
「いません」
「
「そうなります」
「それに頷くような馬鹿な当主がいると思うか?」
「いないでしょう」
「ならば、その邪魔者をどこかにやらねばならん」
そこで言われて
関東の諸将の心は密かに北条家と和睦を結びたがっている。
織田家が勝つにしても、幕府が逆転するにしても北条家と結んでいれば悪くなる事はない。
もし、幕府の上杉軍が織田家に勝って関東に戻って来た場合は、再び上杉家に従えば良い。
黙って幕府に盲信すれば、朝倉家のように家が滅ぶ。
それは絶対に避けたいハズだった。
「邪魔な
「勝てるならば、勝って貰って構いません」
「面倒な事を言われる」
「
好きで謀略を駆使した訳ではない。
負けぬ為に知恵を尽くしただけだ。
策謀の士と思われているが、好きで策士になった訳ではない。
呑んでいる酒が少し不味くなったような気がした。
「
領主が無能でも諸将の側近にはそれなりの知恵者もいる。
そんな知恵者ならば、北条家と和議を結び、織田家に詫びを入れたいと申す者も出てくる。
居なければ作ればいい。
口の達者な者を策士のように見せるのは容易い。
だが、そのように評価されては面白くもない。
一方、
高潔で軍神と謳われる
「こちらからもいくつか条件があります」
「問題ない。すべて呑もう」
3万人の軍勢の内、越後勢7000人が先導し、山越えが始まった。
三国峠 (標高1,244m)を越えて、春日山城まで64里 (250km)の死の強行軍であった。
まるで強制連行だ。
否と抵抗する者は斬首した。
公方様に逆らうのは織田家と同じだと公言する。
「しっかりと歩け」
「くずくずするな。従わぬ者は斬首にしても構わんとお達しだ」
「歩け」
その後ろに1万人の荷駄隊が続く。
こちらも
奴隷のように徴兵を掛けた。
越後勢は火事場泥棒のように
残された武田武将達も呆れる。
「何も残っておらん。これで我らに戦えと申すのか?」
「銭なし、米なし、酒もなしか」
「イナゴの群れが去った後でも、これほど酷い事にならんぞ」
「とにかく、元関東管領
「我らは賊以下か」
「黙れ、行くぞ」
武田家に悪名が集まるが、どうしようもない。
ヤルと引き受けた限り、ヤルしかない。
春日山城の公方
交渉するのは
まず、血気盛んな
時間がないと急かす。
玉砕覚悟で領地の農民をすべて借り出して北条軍を滅ぼすか、越後の援軍で佐久を襲うかの選択を迫る。
決断しない領主も賊軍として攻め落とすと脅す。
そこから領主の側近らを唆し、脅し、宥めて道を作る。
だが、悩む時間を与えない。
「とにかく、短気な
源氏の棟梁である公方
噂を聞いて怒る
「
「儂は知らなかった事にするのだな」
「御領主様は北条家と密かに和議を結べばよろしい。こちらも何も知りません。これが
「判った。兵が勝手に移動した。儂は知らなかった事にする」
「ありがとうございます」
血の気の多い
各城から兵糧や武器を輸送するだけでも一苦労であった。
3万人を集めろと言われていたが数を揃えるのは難しい。
それでも武田の武将らは何とか各所から義勇の武者2万人の兵を集めた。
「各部隊を3つに分けて進軍したします」
「わざわざ山道を通る必要があるか?」
「通りたいならば、武田だけ分かれて進めばよい」
「敵が居れば、叩きのめすのみだ」
「我らは腰抜けの武田武将とは違うのだ」
「その通り、我らはお主らの命令など聞く気はない」
「後ろで見ておれ」
「われらの強さをとくとご覧あれ、がははは」
軍奉行を預かった
智謀や計略に長けた武将は一人としておらず、力自慢の
秩序と統率に無縁の者ばかりであった。
勝てば、最低でも1,000石の領地を保障され、公方様から役職を貰えると誓詞も交わした。
欲しいのは手柄首のみである。
酷い役割を回した
8月18日、
集まったのは、『我こそは…………』と、一人で戦局を変えられると信じて疑わない一騎当千の武者と勘違いしている馬鹿と、槍一本で侍になると夢を見る若者らばかりである。
戦国の世も終わり掛けると、そんなあぶれ者が多くなってくる。
「これで本当に勝てるのか?」
「勝つ必要はない。敵をこちらに引き付けておくのが我らの目的だ」
「そのような気持ちでは勝てる戦も勝てなくなるぞ」
「こんな戦で死んでしまっては馬鹿らしい」
「然れど、副大将の御屋形様の旗が立つ。二度も易々と負ける訳にいかん」
「むむむむ、それは困る」
武田の将も悩んでいた。
兵を小部隊に分けて長い長蛇で関東山地の山道を抜けて
峠を越えると池が枯れて皿のようななだらか軽井沢の平地が広がっており、精進場川の向こうに織田家の旗が見えた。
「ど、どういう事だ?」
「物見の報告では追分で砦を補修して、兵を鍛えて、我らを待ち受けているのではなかったのか?」
「間違いない。昨日まで軽井沢に織田軍の姿はなかった」
「どうする。今更、引き返せぬぞ」
「
「先頭に守備陣形を取らせて、兵を送り続ける。御屋形様、それでよろしいか」
「
「皆の者、慌てるな。敵はまだ動いておらん」
織田軍は関東軍が軽井沢に入るのを拒まず、全軍が入ってくるのを待ってくれる。
武田武将は冷や汗を搔きながら陣形を整えた。
「あははは、これは背水の陣ではなく、背山の陣だな」
「余程、我らを全滅させる自信があるのだろう」
「自信ではない。あれは確信だ」
「舐められたモノだ」
「すべてが武田軍団ならば、負けはせぬのだがな」
最前列に幾つかの柵が造られ、その中で鉄砲隊がこちらに牙を向けていた。
正面から戦っても勝てるという絶対的な自信が伺えた。
対する関東軍の兵は制御が利かない
これで勝てと言われても困る。
とにかく、生き延びねばならんな。
「
「うるさい。今、考えておる。俺は『猛牛』と呼ばれて猪突邁進する方が好きなのだ」
「他におらんのだ。お主が考えよ」
「判っておる」
25日、北信濃の川中島と佐久の軽井沢の二か所で同時に幕府存亡を賭けた大戦が起こる事になった。
軽井沢で起こった『
◇◇◇
(永禄3年 (1560年)8月14日~25日)
もちろん、
佐久の小田井城で待っていたのは
「殿、お待ちしておりました」
「特に問題はなかったか?」
「問題ございません」
信広は領主達への顔見せ以外の処理をすべて終わらせていた。
最重要である
代わって武田家が仕切っていると報告する。
さて、佐久や小県の領主達が集めって織田家への忠誠を誓った。
「
「武田家との再戦でございますか?」
「だが、信広兄ぃは俺と北信濃に行って貰いたい」
「殿がお望みならば、どこへなりとも」
「
「承りました」
「黒鍬衆、
「承知致しました」
「
「叩き込んでおります」
「黒鍬・鍬衆1,500人、鉄砲4,000丁と迫撃砲50門と花火衆300人を残す。黒鍬衆は俺の分身である事を思い知らしめよ」
「必ずや、
「任せた」
ここに来ての再戦の機会を喜んだ。
佐久衆3,000人を集めさせると、伊那衆に組み込んで
さっそく軽井沢に向かって準備する。
その準備を終えると、追分まで下がって兵の鍛錬と砦の修復などをして時間を潰す。
敵が関東山地の
8月中旬も過ぎてやっと関東山地の山々を抜けて
峠の先は
織田軍はその三方に兵を隠した。
武田軍は真の鉄砲隊にも別働隊にも気づいている様子はない。
ならば、出てきた関東軍を追い詰めるだけである。
「
「
「随分前だな。
「いいえ、何でも薩摩の島津が得意な戦法らしいのです」
「薩摩、どうやって知ったのだ?」
「それは知りません。しかし、今回は島津の策に
「強気だな」
「せめて街道に軍を3つに割く程度の工夫があれば、やり甲斐もあったのですが、無策で飛び込んだ関東軍は無能ですね。すでに策はなっております。父上が間違わなければ、勝ちは動きません」
「吠えたな」
「確信です。織田家の忍びは優秀なのです。情報戦で敗けません。故に勝ちしかないのです」
「そうか、そういうものか」
「ただ、少し手応えが無さ過ぎる気がします」
24日に
先行して出てくる一部の馬鹿を鉄砲の威力で押し留める。
25日早朝、陣形を整えた関東軍が動き始めた。
佐久郡軽井沢で織田軍の後背を守る戦いが起こった。
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