閑話.影の軍団 <躑躅ヶ崎館の炎上>

(永禄3年 (1560年)7月24日~26日)

光りあるところ影があり、まこと栄光の陰に…………。

カキン、黒い影と影が近づいて黒い刃が交差した。

その地に降りると、互いに移動して鬱蒼うっそうとした木々の中で身を隠して騙し合う。

正々堂々という言葉はどこにもなく、如何にして敵を欺くかに苦心し合う。

忍びと忍びの戦いは苛烈だ。

小石の落ちる音に隠れて素早く移動して姿を隠す。

次に柔土を踏んで微かな土の香りから場所を見つけて斬り掛かってきた。

一瞬の気の緩みも許さない。

カキンという音と共に火花をまた散らした。

わずかに遅れた。


頭に撒いた鉢金はちがねに弾かれて致命傷ちめいしょうと成らずに済んだ。

そのまま跳躍して場所を移す。

がさぁっと落ちるように着地して、身を転がして場所を変える。

加藤かとう-三郎左衛門さぶろうさえもんが木に持たれ掛かって辺りの様子を伺う。

鉢金はちがねの下に傷を負って細い血は流れた。

腰から小さな瓶を取って解毒剤を一気飲みする。

忍びは毒耐性を身に付ける為に弱毒の食事を取り続けている。

戦いの前にも解毒剤を飲んでおいた。

しかし、黒い刃は間違いなく毒を塗っている。

少しでも動きが鈍れば命取りになるので、念の為に再び飲んだ。


“参ったな。全盛期の父のようだ”


父の三雲みくも-定持さだもちは六角家家老であり、もう忍び働きはしていないが、若い頃は三郎左衛門さぶろうさえもんを鍛えてくれた。

そのお蔭か、-三郎左衛門さぶろうさえもんは『鬼』と呼ばれる怪物かいぶつくらいになれた。

しかし、『猿飛さるとび』の名を継いだのは兄の賢持かたもちであり、未だ兄に勝てない。

自ら『飛びの加藤』を名乗っていた。


この甲斐武田の三ツ者みつものの頭領は兄より、全盛期の父より強いと感じた。

だが、三郎左衛門さぶろうさえもんは焦らない。

信照のぶてるに命じられて西は周防、東は奥州まで駆け回り、剣豪将軍の義輝よしてるのような一騎当千の怪物を何人も見て来た。

その怪物らに比べれば、相手ができる。

常に先手を取られ、一度として反撃を許して貰えないが避ける事くらいはできていた。

うででは敵わない。

事前に知らされていたので、様子見をせずに逃げに転じたのが幸いした。

ただ、予想より2枚も3枚も上手だっただけだ。


“問題ない。いつもの事だ。うでで敵わぬならば、わざで勝てばよい”


三郎左衛門さぶろうさえもんは6人組で甲斐の国に向かっている途中で三ツ者みつものに見つかった。

三ツ者みつものは甲斐の忍びだ。

甲斐では、“間見・見分・目付”と役目を分ける。

彼らは“見分” を担当する実行部隊であり、おおよそ30人はいるらしい。

幾人かが各地に散り、残る者で甲斐を警戒していた。

すぐに撤退したが、仲間を呼ばれて敵が10人に増えた。

敵に巧く囲われて仲間の一人が討ち取られた。

そのとき、三郎左衛門さぶろうさえもんはわずかに舌を打った。

3つに別れて撤退を続ける。

指示を出した事で三郎左衛門さぶろうさえもんが頭と認識されたのであろう。

三ツ者みつものの頭領らしい奴に狙われ、後続の味方との合流を阻まれる。

厄介な相手に目を付けられたと思った。

甲斐の忍びは織田の忍びより一枚上手らしい。


さて、忍びは基本的に風下を好む。

わずかな体臭、土を踏んで匂う土の香りで気づかれる可能性があるからだ。

ホンのわずかな差で勝敗が決まる。

だが、三郎左衛門さぶろうさえもんはその定石を外して風上に逃げ続けた。


ぶしゅ、発火装置に擦らせると近づいてくる敵に目潰しの発光弾を投げた。

すでに3回も使った。

その一瞬の隙で敵の命を狩るのを得意とする三郎左衛門さぶろうさえもんだが、この相手には前に出ずに後ろに下がった。


“まったく、化け物め”


三ツ者みつものの頭領は微かな予備動作から目を閉じて、気配だけで三郎左衛門さぶろうさえもんの追撃をしてくる。

少しずつだが、それが鋭くなってゆく。

次はない。

そう感覚が教えてくれる。

目潰しが利いたのは最初の一度目だけだ。

それもすぐに視覚を手放し、気配に切り替えて身を隠した。

反撃すら許してくれなかった。


真夜中の鬼ごっこが続く。

再び追い詰められて、三郎左衛門さぶろうさえもんが目潰しの発光弾を使った。

甘いわ!

びくりと伝わる殺気がそう言っているような気がした。


“否、これを待っていたのだ”


三ツ者みつものの頭領が目を瞑った儘で距離を詰めた。

三郎左衛門さぶろうさえもんの手には、発光弾を投げた手の中に小さな小瓶を握っており、ポンと軽く蓋を開けると敵に投げ付けた。

否、投げたというよりもその場に残したと言う方が正しい。

気配だけで小瓶を小刀で斬るが、液体を切る事はできずに顔に掛かった。

シマッタ!

そう思っているに違いない。

切り返した小刀が三郎左衛門さぶろうさえもんの脇を斬り付ける。

体を捻って躱したが脇腹を引き裂く。


“た、助かったのか?”


身に付けた鎖帷子くさりかたびらの強度がわずかに上回り、三郎左衛門さぶろうさえもんの命を繋ぐ。

織田製でなければ、今の一撃で終わっていたかもしれないと冷や汗を流す。

三ツ者みつものの頭領も着地すると解毒玉を口含んだように感じた。

一瞬の沈黙が訪れた。

そして、再び三郎左衛門さぶろうさえもんが逃げに転じて、三ツ者みつものの頭領が狩人に戻ったが、突然にその場で崩れた。

ゆっくりと三郎左衛門さぶろうさえもんが戻って来る。


「ば、馬鹿な。私には毒は利かん」

「その様だな。痺れ薬や毒薬を風上から流していても一向に効果がないので焦ったぞ」

「何故だ」

「毒は毒でも科学兵器と呼ばれる無色・無臭の神経性猛毒だ。使った俺でも間違って触れないように気を使う危ない奴だ。これをしくじれば後がないので少し焦ったぞ」


三郎左衛門さぶろうさえもんも随分と興奮しているのか、饒舌に語る。

気が付くと三ツ者みつものの頭領が呼吸困難で息えていた。

ふっと笑い。

念を入れて背中から心の臓を一突きしておいた。

三郎左衛門さぶろうさえもんは風上の木にもたれ掛かって息を整え直し、肩の力を抜く。

黒装束もぼろぼろであった。


“助かった”


しばらくすると、後ろから服部-半蔵はっとり-はんぞう藤林ふじばやし-長門守ながとのかみが追い駆けてきた。

指示を出していたのは三郎左衛門さぶろうさえもんであったが、二人は技量で劣る者ではない。


服部-半蔵はっとり-はんぞうは少し武家に偏っており、剣術を含めれば三郎左衛門さぶろうさえもんより強い。

だが、純粋な忍び戦ならば三郎左衛門さぶろうさえもんの方が強かった。

一方、その忍び戦で藤林ふじばやし-長門守ながとのかみの方がわずかに技量で勝っていると思えた。

甲賀忍と伊賀忍の差だろうか?

気配を読むのが、長門守ながとのかみの方が長けている。

その長門守ながとのかみから見ても、三ツ者みつものの頭領には敵わないと言い切っていた。

長門守ながとのかみ三ツ者みつものの頭領の顔を晒す。


「やはり、富田とみた-郷左衛門ごうざえもんであったか」

「余り触れるな。死んでも知らんぞ」

「何をお使いになられましたのか?」

「秘密だ」

「でしょうな。やはり戦わなくて正解でした」


7年前、義元よしもとが亡くなった直後、残党狩りをしていた愚連隊ぐれんたいに伊賀藤林衆が囲まれた。

長門守ながとのかみは伊賀藤林家の棟梁であったにも関わらず、伊賀本家の藤林家から絶縁状を叩きつけられ、忍びの補充もできずに孤軍奮闘こぐんふんとうを続けて義元よしもとに仕えていたが、死んだ主に忠義立てするほど忠誠心はなかった。

三郎左衛門さぶろうさえもんは寝返る条件として、武田家の諜報を命じた。

長門守ながとのかみは師事した事があった山本-勘助やまもと-かんすけを頼って客将となり、武田家の情報を織田家に流した。

武田の仕事を請け負いながら、気づかれれば命はないという綱渡りであった。


「そなたの働きで武田家の結界の外で戦う事ができた。感謝する。信照のぶてる様には報告しておく」

「勿体ないお言葉に感謝致します」

「眼つきが変わったな」

「変わりもします。援軍が間に合うかと疑っておりました。申し訳ございません。私の勘も鈍っておりました」

「気にするな。事実だ」

「そんな事ではございません。私では郷左衛門ごうざえもんに勝てません」

「それはよい。ともかく信照のぶてる様の言われた通り、信玄しんげんはこちらを見張っておったな」

信照のぶてる様、信玄しんげん、共に恐ろしいほどの知略でございます」


事任八幡宮から駿河まで約10里 (40km)であった。

事任八幡宮を出発した信照のぶてるの本隊は無理をすれば、当日の内に駿河に到着できた。

しかし、信照のぶてるは藤枝で一泊した。

敢えて急がなかったという理由もあるのだが、実は7年前に山本-勘助やまもと-かんすけが通った山道を逆に進む一軍を隠す為に一泊した。

その御一行が尾張の忍び衆である。

信照のぶてる愚連隊200人の内、50人を残して間道に150人を投入した。

それを補佐する為に熱田の元締めから300人の手練れを用意させ、尾張に住む甲賀・伊賀衆を中心とした1,000人の忍び衆が信照のぶてる御一行の後ろに隠れて付いて来ていた。


つまり、駿河で信照のぶてる自身がおとりとなって信玄しんげんの武田軍団を誘き出し、

甲斐に信照のぶてる愚連隊150人、

手練れ忍び衆300人、

荷駄隊兼実行部隊1,000人、

延べ1,450人で甲斐を攻略しろと、三郎左衛門さぶろうさえもんは命じられた訳だ。


もちろん、信玄しんげんもある程度は予測しており、三ツ者みつものを多めに残していた。

個人的な技量ならば三ツ者みつものの方が上だったかもしれないが、10人程度の三ツ者みつものは5倍以上のほぼ同格の者らに囲まれて瞬殺された。

三ツ者みつものは織田家が用意した刺客の数を完全に読み間違っていた。

これだけの忍びを用意できる家がどこにある。

織田家しかない。

当然、残る三ツ者みつものも始末する事になる。


「後続は?」

「おそらく、武田の目付の指示で300人の武士団が山に入ってきました。今、対処に当たっております」

「駿河方面は?」

「すでに100名が情報封鎖の為に走りました」


織田兵が勘助かんすけが使った間道を使って攻めてきた所までは知られても問題ない。

だが、それ以降に規模と質を知らせる訳にはいかない。

忍び衆は、駿河・諏訪への情報封鎖、躑躅ヶ崎館つつじがさきやかたへの強襲、甲斐の国人衆の調略の為に部隊を4つに割る。


「まずは封鎖だ。次に躑躅ヶ崎館つつじがさきやかたを強奪し、我ら織田家が甲斐を押さえた事を伝える。さらに国人を分断して、寝返った者には領地の安堵を伝える。ここからが正念場だ」

「諏訪方面は大丈夫なのでしょうか?」

「家菜衆の中でも果心-居士かしん-こじ番茶万ばんちゃまんが当たっている。問題ない」


果心-居士かしん-こじが最も得意とする幻惑と催眠を得意とした者らだ。

関ヶ原の戦いで虐殺し過ぎだと信照のぶてるから叱られ、諏訪を得意の幻惑と催眠で無血強奪するように課題を出された。

諏訪湖から龍を立ち上がらせて人心を惑わし、諏訪神社の宮司に催眠を掛けて武田-勝頼たけだ-かつより諏訪-勝頼すわ-かつよりに戻し、武田家に反旗を翻して織田方に付かなければ、諏訪家は滅ぶというお告げを聞かせる。

各国人の当主の夢枕に祖先のお告げを聞かせて、無条件ですべてを寝返らせろという無茶な課題だ。

扇動、佞言ねいげん、あらゆるモノを使って人心を誘導して騙す。

これほど楽しい事はないと、果心-居士かしん-こじはむしろやる気になっていた。

少数精鋭で様々な姿に偽装して諏訪で活動をしていた。


「伊那は兵を集結した儘で動かず、東遠江・駿河で謀反が起こって信照のぶてる様と信玄しんげんが対決し、木曽家も寝返って美濃から善光寺ぜんこうじ街道を通って織田軍が迫っている。諏訪は甲斐に援軍を送る所ではない」


帰蝶も黙って信照のぶてるのみに任せる訳にはいかなかった。

西美濃の氏家-直元うじいえ-なおもとが活躍したが、美濃の主である新吾(斎藤-利治さいとう-としはる)は活躍らしい活躍ができていない。

そこで東美濃衆を中心に明智-光忠あけち-みつただらを付けて、兵8,000人を援軍を送った。

安曇郡あづみぐんを落とせば、最良の結果となる。


なぜ、こうも連動できるのだろうか?

武田家の情報の早さは山と山を結ぶ狼煙のろしで伝える。

それが武田家の強さだ。

一方、織田家は城と城、あるいは、山と山を大鏡や焚火を使ったモールス信号で結んだ。

電信も準備しているが、色々と課題があって使えない。

鏡などでは字数を増やすと正確さに欠けるので詳しい状況まで送れなかった。

だがしかし、味方と敵の位置は把握できた。

信照のぶてると帰蝶がその日の内に連絡を取り合っているなどと誰が考えるだろうか?

山奥を進む三郎左衛門さぶろうさえもんが、信照のぶてると日時を合わせているなどと考えるだろうか?

決戦の前日に甲斐に近づき、結界の外で勝利を収めた三郎左衛門さぶろうさえもんは次の行動に移った。


まず、三郎左衛門さぶろうさえもんは織田の忍び衆で甲斐と駿河の国境にある砦を抑えて狼煙を封じる。

そして…………。

決戦の朝、躑躅ヶ崎館つつじがさきやかたが陥落して炎上した事を知らずに、信玄しんげんは決戦に挑んでいた。

信照のぶてるは武田軍団に勝利する必要もない。

一日だけ保たせるだけで武田軍団を追撃する展開に持って行ける。

ただ負けなければいい。

輝ノ介を武田軍団と戯れさせる余裕があった。

戦う前に勝ちが決まった。


人間万事塞翁の馬、どこに禍があって、何が幸いするか、判らない。

七転び八起き、最後は勝ったので良しとも言える。

弱り目に祟り目はちょっと違うか?

ともかく歯車が少し狂って、輝ノ介に一日中虐められるとは思っていなかっただろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る