閑話.影の軍団 <躑躅ヶ崎館の炎上>
(永禄3年 (1560年)7月24日~26日)
光りあるところ影があり、まこと栄光の陰に…………。
カキン、黒い影と影が近づいて黒い刃が交差した。
その地に降りると、互いに移動して
正々堂々という言葉はどこにもなく、如何にして敵を欺くかに苦心し合う。
忍びと忍びの戦いは苛烈だ。
小石の落ちる音に隠れて素早く移動して姿を隠す。
次に柔土を踏んで微かな土の香りから場所を見つけて斬り掛かってきた。
一瞬の気の緩みも許さない。
カキンという音と共に火花をまた散らした。
わずかに遅れた。
頭に撒いた
そのまま跳躍して場所を移す。
がさぁっと落ちるように着地して、身を転がして場所を変える。
腰から小さな瓶を取って解毒剤を一気飲みする。
忍びは毒耐性を身に付ける為に弱毒の食事を取り続けている。
戦いの前にも解毒剤を飲んでおいた。
しかし、黒い刃は間違いなく毒を塗っている。
少しでも動きが鈍れば命取りになるので、念の為に再び飲んだ。
“参ったな。全盛期の父のようだ”
父の
そのお蔭か、-
しかし、『
自ら『飛びの加藤』を名乗っていた。
この甲斐武田の
だが、
その怪物らに比べれば、相手ができる。
常に先手を取られ、一度として反撃を許して貰えないが避ける事くらいはできていた。
事前に知らされていたので、様子見をせずに逃げに転じたのが幸いした。
ただ、予想より2枚も3枚も上手だっただけだ。
“問題ない。いつもの事だ。
甲斐では、“間見・見分・目付”と役目を分ける。
彼らは“見分” を担当する実行部隊であり、おおよそ30人はいるらしい。
幾人かが各地に散り、残る者で甲斐を警戒していた。
すぐに撤退したが、仲間を呼ばれて敵が10人に増えた。
敵に巧く囲われて仲間の一人が討ち取られた。
そのとき、
3つに別れて撤退を続ける。
指示を出した事で
厄介な相手に目を付けられたと思った。
甲斐の忍びは織田の忍びより一枚上手らしい。
さて、忍びは基本的に風下を好む。
わずかな体臭、土を踏んで匂う土の香りで気づかれる可能性があるからだ。
ホンのわずかな差で勝敗が決まる。
だが、
ぶしゅ、発火装置に擦らせると近づいてくる敵に目潰しの発光弾を投げた。
すでに3回も使った。
その一瞬の隙で敵の命を狩るのを得意とする
“まったく、化け物め”
少しずつだが、それが鋭くなってゆく。
次はない。
そう感覚が教えてくれる。
目潰しが利いたのは最初の一度目だけだ。
それもすぐに視覚を手放し、気配に切り替えて身を隠した。
反撃すら許してくれなかった。
真夜中の鬼ごっこが続く。
再び追い詰められて、
甘いわ!
びくりと伝わる殺気がそう言っているような気がした。
“否、これを待っていたのだ”
否、投げたというよりもその場に残したと言う方が正しい。
気配だけで小瓶を小刀で斬るが、液体を切る事はできずに顔に掛かった。
シマッタ!
そう思っているに違いない。
切り返した小刀が
体を捻って躱したが脇腹を引き裂く。
“た、助かったのか?”
身に付けた
織田製でなければ、今の一撃で終わっていたかもしれないと冷や汗を流す。
一瞬の沈黙が訪れた。
そして、再び
ゆっくりと
「ば、馬鹿な。私には毒は利かん」
「その様だな。痺れ薬や毒薬を風上から流していても一向に効果がないので焦ったぞ」
「何故だ」
「毒は毒でも科学兵器と呼ばれる無色・無臭の神経性猛毒だ。使った俺でも間違って触れないように気を使う危ない奴だ。これをしくじれば後がないので少し焦ったぞ」
気が付くと
ふっと笑い。
念を入れて背中から心の臓を一突きしておいた。
黒装束もぼろぼろであった。
“助かった”
しばらくすると、後ろから
指示を出していたのは
だが、純粋な忍び戦ならば
一方、その忍び戦で
甲賀忍と伊賀忍の差だろうか?
気配を読むのが、
その
「やはり、
「余り触れるな。死んでも知らんぞ」
「何をお使いになられましたのか?」
「秘密だ」
「でしょうな。やはり戦わなくて正解でした」
7年前、
武田の仕事を請け負いながら、気づかれれば命はないという綱渡りであった。
「そなたの働きで武田家の結界の外で戦う事ができた。感謝する。
「勿体ないお言葉に感謝致します」
「眼つきが変わったな」
「変わりもします。援軍が間に合うかと疑っておりました。申し訳ございません。私の勘も鈍っておりました」
「気にするな。事実だ」
「そんな事ではございません。私では
「それはよい。ともかく
「
事任八幡宮から駿河まで約10里 (40km)であった。
事任八幡宮を出発した
しかし、
敢えて急がなかったという理由もあるのだが、実は7年前に
その御一行が尾張の忍び衆である。
それを補佐する為に熱田の元締めから300人の手練れを用意させ、尾張に住む甲賀・伊賀衆を中心とした1,000人の忍び衆が
つまり、駿河で
甲斐に
手練れ忍び衆300人、
荷駄隊兼実行部隊1,000人、
延べ1,450人で甲斐を攻略しろと、
もちろん、
個人的な技量ならば
これだけの忍びを用意できる家がどこにある。
織田家しかない。
当然、残る
「後続は?」
「おそらく、武田の目付の指示で300人の武士団が山に入ってきました。今、対処に当たっております」
「駿河方面は?」
「すでに100名が情報封鎖の為に走りました」
織田兵が
だが、それ以降に規模と質を知らせる訳にはいかない。
忍び衆は、駿河・諏訪への情報封鎖、
「まずは封鎖だ。次に
「諏訪方面は大丈夫なのでしょうか?」
「家菜衆の中でも
関ヶ原の戦いで虐殺し過ぎだと
諏訪湖から龍を立ち上がらせて人心を惑わし、諏訪神社の宮司に催眠を掛けて
各国人の当主の夢枕に祖先のお告げを聞かせて、無条件ですべてを寝返らせろという無茶な課題だ。
扇動、
これほど楽しい事はないと、
少数精鋭で様々な姿に偽装して諏訪で活動をしていた。
「伊那は兵を集結した儘で動かず、東遠江・駿河で謀反が起こって
帰蝶も黙って
西美濃の
そこで東美濃衆を中心に
なぜ、こうも連動できるのだろうか?
武田家の情報の早さは山と山を結ぶ
それが武田家の強さだ。
一方、織田家は城と城、あるいは、山と山を大鏡や焚火を使ったモールス信号で結んだ。
電信も準備しているが、色々と課題があって使えない。
鏡などでは字数を増やすと正確さに欠けるので詳しい状況まで送れなかった。
だがしかし、味方と敵の位置は把握できた。
山奥を進む
決戦の前日に甲斐に近づき、結界の外で勝利を収めた
まず、
そして…………。
決戦の朝、
一日だけ保たせるだけで武田軍団を追撃する展開に持って行ける。
ただ負けなければいい。
輝ノ介を武田軍団と戯れさせる余裕があった。
戦う前に勝ちが決まった。
人間万事塞翁の馬、どこに禍があって、何が幸いするか、判らない。
七転び八起き、最後は勝ったので良しとも言える。
弱り目に祟り目はちょっと違うか?
ともかく歯車が少し狂って、輝ノ介に一日中虐められるとは思っていなかっただろう。
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