第42話 駿河侵攻(5)<富士宮台地の合戦>
(永禄3年 (1560年)7月24日~25日)
心からおり立つ田子の鐘、衣乾さぬ恨みと人に語るな。
平安から鎌倉の歌人である
10月の寒い朝に富士川の浅瀬を歩いて、裾を上げて渡ったらしい。
濡れた裾が乾かぬと嘆いている。
富士川は中々の水量があり、台地の脇までの流れは急流である。
舟で渡る時も流されぬように気を使う。
鎌倉街道は山の
台地に脇を抜け出ると富士川はまるで扇子を広げたように裾野を広げていくえにも川が分かれていた。
少し高くなった所を残して、辺り一面が湿地帯となる。
東の
大嵐が来る度に川筋が変わり、旅人を悩ませる。
また、人の丈ほどの葦林が広がっており、迷い込むとどこにいるか判らない。
少し丘になった所と浅瀬を結んで、迷路のように徒歩でも渡れる道を知っているのは地元でこの辺りに精通している者達だけであった。
大軍が迷路のような浅瀬の道を進むのは難しい。
水が腰より高く、胸に達するほどの上流に近い所で舟を並べ、俺達はそこに浮き橋を作って渡った。
先に逃げた武田軍の
もちろん、渡り切った所で浮き橋を壊した。
そこから追ってくる織田方を鉄砲や弓で攻撃する。
東遠江衆や藤枝衆も黙っている訳ではなく、浅瀬を渡って迂回の兵を差し向けた。
しかし、葦林に身を隠した伏兵に襲われ、大層難儀したらしい。
駿河取りから
共に戦っている東遠江や藤枝の兵はすっかり信用しているようだった。
何をするにも武田家の武将は優秀だ。
富士宮台地は
東側は断層がキツく、西側は富士川が急流で渡り辛く、他に比べると南側の斜面が緩やかになっている
所々に木々が生い茂って、武田軍の全貌を隠している。
武田の旗が立っているのであの辺りにいるのだろうと推測を立てるくらいだ。
しかし、富士宮台地の麓の岩本に布陣した織田軍から山本の武田本陣まで半里 (2km)を少し超える程度だ。
武田軍の前衛は完全に迫撃砲の射程内ではある。
無差別の絨毯砲撃をすれば、武田軍が崩壊するのは目に見えている。
だが、経費の節約も大切だ。
使用した弾はすぐに補充されるが輸送の時間ラグは避けたい。
温存できるなら温存したとも思った。
だから、敢えて
何と言っても無差別の絨毯砲撃は誰の手柄にもならない。
ここで手柄を立てて、領地安堵を引き出そうとしている東遠江衆や藤枝衆と駿河衆らにも不興だった。
丘を駆け上がり、広く拡散して小さくなった敵の分隊を各個撃破する。
そして、中央突破で
鶴翼陣を逆手にとった中央突破作戦で、東遠江衆や藤枝衆と駿河衆が前衛に配置された。
もちろん、先陣を切るのは
俺の黒鍬衆と鍬衆、および、鉄砲隊の半分を
本陣は鉄砲隊を全面に出し、その後ろに花火(迫撃砲)衆を配置した。
脇に配置されるのは輝ノ介の重装騎馬隊と信広兄ぃの突撃隊だ。
軍議が終わると、
「策はそれで良い。全力を尽くせ」
「畏まりました」
「本音で言うと、俺はまだお主らを信用しておらん。裏切れば、後ろから槍で刺されると心得よ」
「承知しております」
「
「碁で言う『敵の急所は、我が急所』ですな」
「そうだ。だが、安心しろ。すでに策はなった。織田家の勝利は確定しておる。気を楽にして攻めてくるがよい」
「すでに策がなったとは?」
「知らぬが花よ」
「そうでございますか」
策謀と策謀は騙し合い、俺が敢えて策に乗ってやったぞと宣言した事に気付いた顔だ。
俺の挑発に面白いと笑みを隠しているのが判る。
「余計な事を言った。忘れよ」
「いいえ。忠告、肝に銘じます」
「なお、
三人が一斉に『はぁ』と答えて頭を下げていった。
だが、
知っているなら、武田軍はすでに引いている。
こちらはこちらで負けないように戦うだけだ。
軍議が終わると武将が去ってゆく、但し、
「軍議でも少し言ったが、
「偽装をお疑いですか?」
「そうだ。だが、敵同士で殺し合ってくれるのだ。もう少し様子を見る」
「畏まりました」
「寝返った瞬間に武田軍は全面攻勢に討ってくる。敵の狙いは東遠江と駿河の兵を肉の壁として、鉄砲と迫撃砲を封じるつもりだ」
「では、二部隊と距離を置いて…………」
「そうではない。敢えて策に乗る。距離を置かずに付いて行き、攻勢と同時に撤退を命じよ。丘を下った所で迫撃砲の目印とした旗の手前で左右に分かれて逃げさせるのがお主らの仕事だ。しくじるな。道を開いて武田軍を中央に引き摺りだせ」
「そのように巧く行くでしょうか?」
東遠江衆の久野城主である
彼は7年前に兄の
「確かに撤退しろと命じれば、兵は統率を失います。そのまま味方が
「申し訳ございませんが、某も自信がございません。撤退を命じた兵を乱れずに、左右に振り分けなど至難の技でございます」
確かに設置型の地雷群や味方でも鉄砲で撃つと脅した所で、動揺した兵が覚えている訳もない。
だが、俺は気にしない。
まっすぐに逃げてくる兵がまっすぐに逃げたくなくなるようにすればいい。
「安心しろ、嫌でも兵達が中央を避けて、左右に逃げたくなるようにしてやる」
「そのような事ができるのですか?」
「できる。道が開いた所に武田軍が本陣を目指してくるだろう。そを鉄砲の一斉射撃で怯ませる。敵が怯んだ所で我が重装騎馬隊を前に押し出す。そこから反撃に移る。そこでお主らは兵を反転させよ。よいか、機会を逃すな」
中央に密集してきた所に迫撃砲と鉄砲で狙い撃ち、敵が怯んだ所から逆撃を掛ける。
味方が勝ち始めれば、兵の動揺も収まる。
この作戦は他言無用だ。
翌朝、日の出と共に
正面、左右から鉄砲、矢が飛んでくるが、
確かに
こちらの足を止めるだけの威力がない。
後を追って、東遠江衆や藤枝衆と駿河衆も攻め上がった。
丘の頂上近くで、
あと一息。
まさに手に汗握る展開だ。
「見事な芝居でございます」
「あぁ、見事だ。
「左右に厚みができ、左右から挟撃できる形が生まれつつあります」
「俺ならば、ここで反転する」
「
「
予想通り、
素早く撤退を命じる。
他の武将も追随したので織田方が一斉に総崩れになった。
「よく引いた」
「見事な撤退です。しかし、見事過ぎて、違和感を覚えられるかもしれません」
「誤差の内だ。向こうも止まる訳にいくまい」
「そうでございますね」
左右に配置された部隊はそのまま引くだけでいいが、丘から下ってきた兵はそのまま正面の信照本隊に迫ってくる。
指揮官が左右に分かれよと怒鳴っているのが判る。
混乱した兵が秩序を乱すのも承知の上だ。
「迫撃砲、目印の旗に目掛けて一斉斉射。続けて、鉄砲隊は空砲を撃て」
ずごん、250門の迫撃が一斉に火を吐いた。
風の影響もあって適当に散らばって、ずごごごごんと地鳴りのような音を鳴らして辺り一面を吹き飛ばす。
土煙が撒き上がって、250発の爆炎はB29爆撃機の一トン爆弾が落ちたような衝撃となって広がった。
ずだだだだだん、ずだだだだだん、ずだだだだだん、鉄砲の音が絶え間なく鳴り響く。
武田戦と言えば、三段撃ちだ。
鉄砲衆4,000人を3つに分けて、連続撃ちを敢行する。
後方装填式の鉄砲4,000丁に加えて、余りに余っている予備の前装式火縄銃8,000丁も投入した。
すぐに持ちかえさせて空砲を撃たせてみた。
少し性能の悪いマシンガンのように鉄砲の一斉射撃の連続音が鳴り響く。
正直な話。
三段撃ちには大きな欠点がある。
黒色火薬で一斉に撃つと、煙幕のような煙が舞い上がって、まったく前が見えない。
つまり、迫ってくる敵を狙い撃つ事ができない。
100丁くらいならば、打ち手を離して対応できるが、1,000丁を越えるとそうもいかない。
この視界が消えた状態で連続撃ちは難しい。
煙が晴れる程度の時間を置くと、三度撃つ間に敵は目の前まで迫ってしまう。
しかも旧来の種子島の性能だと、100間 (180m)くらいが有効射程だ。
三段撃ちは無理だ。
3,000丁の鉄砲があったなら三度に分けるより、三方から一度で打ち切った方が有効的だと思う。
今回は当てるつもりのない空砲だから連続撃ちができる。
もちろん、最悪にも備えている。
味方と一緒に敵が迫って来ても、前面に引き詰めた着火式の地雷帯で敵味方の関係なく一斉殲滅で始末する。
尼子の殲滅戦の再現をする。
そして、左右には普通の地雷を配置したので、武田軍は左右から迫ってくる事はできない。
敵は背後から迫るしかないのだ。
仮に背後に回ろうとすれば、左右を走っている間は鉄砲隊の餌食になる。
味方を囮にした完璧な策だ。
一昔前ならば東遠江、駿河、甲斐の兵が潰し合って人口が減れば労働力が減ると嘆いたかもしれないが、尾張を中心に人口爆発が起こっており、子供の数が非常に増えた。
あと5年もすれば、立派な労働力だ。
周辺で多少減ったくらいは問題なくなっている。
評判が落ちる虐殺なんてしないが、兵が擦り減るのは問題ない。
うん、問題ない。
問題ない?
・
・
・
問題ない…………ハズだった?
「おい、いつになったら出撃できるのだ?」
輝ノ介が持ち場を離れて本陣に戻って来た。
俺はたらりと冷や汗を流す。
可怪しい?
こんなハズではなかった。
予定ならば、迫撃砲に怯えて味方が左右に散り、追ってきた武田軍が本隊に迫ってくるハズだった。
そこで迫撃砲と鉄砲の一斉射撃で押し返し、輝ノ介の重装騎馬隊が突撃を行う。
後は迫撃砲の援護射撃を行って、輝ノ介は
世間で最強と呼ばれるのは、
織田家は最強ではなく、武士らしくないので最凶だ。
戦いたくないという意味は一緒だが…………潜在的に織田家に反発するモノは多い。
それはともかく。
輝ノ介はその一角と正面から戦う事を楽しみにしていた。
ここ数日はご機嫌だったのだ。
その武田軍団が迫って来ない。
味方の兵の
『
『
『引けば、
『地獄行きは嫌じゃ』
ホントにこんなハズではなかった。
正気を失った東遠江、駿河の兵が絶叫して反転して武田の兵に襲い掛かった。
まるで「死ねば、極楽」と殉教する一向一揆衆のような狂気が広がり、すべての兵が死兵と化して武田軍団に襲い掛かった。
どう動いていいのか判らなくなった
輝ノ介が怒って俺を責めているのを目撃する。
「どうしてくれる。どうしてくれる」
「すまん。見誤った」
「すまんですまん。余の、余の楽しみをどうしてくる」
俺はほっぺたを抓られながら涙目に謝罪した。
死兵と化した兵は腹を突き刺されてもひるまない。
味方を踏み越えて敵を襲う。
そんな死兵に襲い掛かられて、武田の兵もおよび腰になってゆく。
いくら強いと言っても武田の兵は人だ。
阿修羅と化した東遠江と駿河の兵を止める事ができない。
一度崩れた前線が持ち返し、逆に押し返して武田の兵を追い払ってゆく。
すでに武田軍は崩れている。
今更、輝ノ介が出て行っても意味がない。
本気で楽しみにしていたので、紫の頭巾の下でホントに泣いているかもしれない。
散開していたのが仇となり、ずたずたに引き裂かれて昼過ぎには武田軍は撤退を開始した。
武田軍団の惨敗であった。
「
輝ノ介が俺のほっぺたを抓っても時間は戻らない。
崩壊した武田軍団とは、おそらく再戦の機会はない。
どうしようもない。
「まぁ、まさか、この声は上様…………。ははは、これでは武田が勝てぬ。わずかな光明すらない訳だ」
何か気が付いた
「何をお気づきかは知りませんが、他言無用でお願いします。お命を大切にして下さい」
「わ、判った」
「織田家の目はどこにでもございます。よろしいですか」
「儂は何も気づいておらん。何も知らんし、誰にも言わん」
「よろしい」
その様子を見ていた
戦場では
全然、勝った気がしなかったよ。
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