第40話 駿河侵攻(3)<六道地蔵の大祓い>

(永禄3年 (1560年)7月16日~18日)

7月16日 (8月17日)、駿河が動いた事を聞いて浜松を出陣する。

先発は沓掛から信広兄ぃにずっと付き従っている直属の兵達だ。

その後ろに女鎧を着こんだ井伊-直虎いい-なおとらが西遠江衆を引き連れて続く、俺はその後ろの本隊だ。

直虎なおとらは甲冑が似合っていた。

西遠江衆の武将らがそれを囲む。

後ろで小さくなっているのが井伊-直親いい-なおちかだ。

そう言えば、先日の軍議で直親なおちかが情けない顔で直虎なおとらの出陣を取り消して欲しいと嘆願してきた。


「浜松には早川殿が居られるのに、私がここに残る意味がございません」


直虎なおとらはそう言い返す。

それでも直親なおちかは井伊家の姫である直虎なおとらの出陣を井伊家の総意として反対したが、叔父の井伊-直平いい-なおひらら井伊一門衆が猛反対したので聞かなかった事にした。

そこに軋轢あつれきなんてモノは存在しない。

無かった事にした。

井伊領は直親なおちかに従って巧く回っているのだが、井伊一門衆だけは西遠江又代の妻の直虎なおとらを第一に扱うだけだ。

信広兄ぃの命令で直虎なおとらは井伊領に関して一切何も口を挟まないように言い付けてられており、直虎なおとらもそれを守っている。

直虎なおとらにまったく悪気はないのだ。

直親なおちかの感情は何となく判るが、個人的(プライベート)な感情でしかない。

面倒臭い事を起こすなよ。

井伊家に問題はない、ない事にしよう。


一方、領内の見回りも信広兄ぃに同行しておしどり夫婦を演じるので、領内で直虎なおとらに逆らう者はいない。

郷土愛に溢れた直虎なおとらは西遠江を少しでも良くしようと、俺の中小姓と協議を重ねて邁進し続けていた。

忙しい中、時間を作って現場に何度も足を運ぶ。

西遠江に配置した黒鍬衆らとも仲がいい。

巧く回っているので好きにさせていた。


ところで、

ちょっと前まで浜松と言えば、『鰻料理』が名産であった。

今では海岸沿いのトマト畑、台地の上の牧場で放牧されている牛達、開拓した農地から取れた小麦から作る『ピッツア』(ピザ)が名産に変わった。

俺がやっと大量にできるようになった嬉しさから『ピザ祭り』を開催し過ぎた所為せいだ。

俺が余程のピザ好きと勘違いされたらしく、村々が競ってご当村ピザを作って献上してくる。

浜松に戻ってくる度に各村の腕自慢が城に集まって、城内にずらりと並んだ窯からモクモクと煙を出して、出来立てピザを焼いた試食会で俺を迎えるのが定番となっていた。

今では、浜松と言えば『ピッツア』(ピザ)だ。

勘違いだ。

無いから欲しかっただけで、俺はそんな無類のピザ好きじゃない。

直虎なおとらが「今回も皆が工夫しております。どうか味わって下さい」と満面の笑みで出されるピザを前に、実は「それほどピザは好きでもない。普通に好きなだけだ」とは今更言えない。


ピザを作らせた仕掛け人は直虎なおとらだ。

俺や信広兄ぃが喜ぶ事に心を砕いている。

凄く甲斐甲斐かいがいしく献身的だけどもズレているのだ。

信広兄ぃの娘達の世話もしている。

自分はとうが立っていると言って、井伊家の若い侍女を信広兄ぃにあてがったりもする。

気を使い過ぎ、頑張り過ぎ、とにかく思い付くと全力疾走だ。

おそらく言っても治りそうもない。

信広兄ぃは気に入っているのでとやかく言うつもりもない。


天竜川を渡ると、今川-氏真いまがわ-うじざねを中心に旧今川家臣団である松井-宗信まつい-むねのぶ三浦-真俊みうら-さねとし関口-親永せきぐち-ちかながなどが出迎えてくれた。

国境の各城や砦に兵を残すので、氏真うじざねの先遣隊は2,000人に絞られる。

簡単な陣を作って情報を交換した。


「がははは、お世話になります」

信虎のぶとら殿、どうしてここに?」

「盟友である氏真うじざねが立つならば駆け付けるのは当然でありませんか」

「武田家を滅ぼす戦です。ご承知でございましょう」

「もちろんです」

「堂々と間者働きですか」

「がははは、そんな事をさせて貰えるほど、織田家は甘くないでしょう」

「では、俺の暗殺ですか?」

「それこそ無理でしょう」


爺さんになると、みんな胡散臭くなる。

武田-信虎たけだ-のぶとらの脇に8男の一条-信龍いちじょう-のぶたつもいる。

信龍のぶたつは鎌倉時代に断絶していた武田-信義たけだ-のぶよしの二男である一条-忠頼いちじょう-ただよりを祖とする一条氏を復興させて一条を名乗っており、京で一度あいさつを受けた記憶がある。

その他に信虎のぶとらの家臣に青木-満懸あおき-みつかた浅利-虎在あさり-とらありなど、信龍のぶたつの家臣に相沢-弥兵衛あいざわ-よへい浅見-清太夫あさみ-けいだいふなどなどと、総勢50人のミニ武田軍団の名が連ねていた。


「本音は何でございますか?」

「何もございません。前回、鬼神様の戦いぶりを見られなかったので、常々に次の機会があれば、同行したいと思っておりました」

「申し訳ございません。信虎のぶとら殿は信照のぶてる様の戦いを直に見たいだけでございます。私も何度となく、同じ話を聞かせろと頼まれました」

「がははは、家臣にしてくれなどと申しません。ただ、御同行させて頂きたい」

「俺の陣に近づくな。それでよければ、同行を許す」

「ありがたき幸せ」


軍議の時も氏真うじざねが面倒を見るという条件で、二人の参加を認めた。


さて、俺はそこで駿河陥落の報を聞いた。

無事に人質を取り戻した領主達が歓喜に沸いたらしい。

殺す事も、連れ去る事もできただろうに武田-義信たけだ-よしのぶはそれをしなかった。

信虎のぶとらは「甘い、甘い、甘過ぎる」と呟く。

駿河を得た東遠江衆と藤枝衆は、駿河の掌握する為に少数の兵を残し、残りは河東かとう方面に兵を進めた。

各城の城主らは武田家に義理を見せると早々と降伏し、進軍して富士川手前の蒲原城かんばらじょうを襲っているらしい。

予想以上に展開が早い。

特に先陣を切る穴山-信友あなやま-のぶとも山本-勘助やまもと-かんすけの活躍が目覚ましい。

俺は二人を褒めておいた。

軍議を終えると、氏真うじざねは駿河を目指して出発した。


「本当に寝返っておったのだな」

「信広兄ぃ、あれは偽装です」

「そうなのでございますか?」

直虎なおとら、黙っておれ」

「畏まりました」


信広兄ぃは猿使いのように直虎なおとらを黙らせた。

グッジョブ!

武田-義信たけだ-よしのぶが駿河を放棄したのは、甲斐河内で穴山-信君あなやま-のぶただが父に同調して反旗を翻したからだと報告を受けていた。

それの反乱に同調したのが、信玄の従甥いとこおいに当たる小山田おやまだ-信茂のぶしげらだ。

甲斐は騒然となっている。


「俺は穴山-信友あなやま-のぶとも山本-勘助やまもと-かんすけを追い出すつもりで今川-氏真いまがわ-うじざねに手紙を書かせた」

「だが、一緒に寝返ってしまいました」

「それ自体が偽装です」

「儂も最初は偽装だと思った。だが、あれほど苛烈に同胞を襲えるものなのか?」

「できるのが武田の兵なのでしょう」

「そういうものか?」

「信玄も冷徹になれる男です」


穴山-信友あなやま-のぶともは元々今川寄りの家臣なので裏切る可能性は高い。

しかし、本領を甲斐河内に持っている。

息子の穴山-信君あなやま-のぶただが叛旗を翻したという報告を聞いて、俺はこの偽装に確信を持った。

信玄しんげんは武田軍団を甲斐と信濃に集めている。

この時期に反旗を翻せば、すぐに討伐される。

信玄しんげんが駿河に出陣した後ならば寝返りに価値も出るが、駿河から義信よしのぶを追い出す為に甲斐河内の領を捨てるのは代償が大き過ぎる。

信玄しんげんが本気ならば、信君のぶただは父と合流する前に全滅する。

逆を言えば、偽装だから信君のぶただは合流できるハズだ。


さて、小山田おやまだ-信茂のぶしげらの反旗も偽装なのだろうか?

風魔の報告では、すでに信茂のぶしげは武田家を見限って、北条家に付くと聞いている。

他の武田家の諸将が簡単に裏切るとは思えない。

そもそも織田家に伊那を攻められて憤慨しているのは、信玄しんげんより武田家の諸将らだ。

すぐに反撃にでない信玄しんげんに痺れを切らしている。

その怒りの矛先は裏切った信茂のぶしげらに襲い掛かるに違いない。


少し後になるが、信茂のぶしげらの兵らが無惨なまでも斬り殺され、信茂のぶしげは命からがら自領に戻ったと報告を聞く事になる。

そして、同じく敗れた信君のぶただは富士川を下って、父の信友のぶともと合流した。

信君のぶただの撤退は素早く、その被害は限定的だった。

俺はやはり偽装と確信を強めた。


18日、遠江国府を出発して掛川城を通り過ぎると、逆川に沿って進むと六道地蔵のあった場所に辿り着いた。

7年前、天文22年 (1553年)12月1日に起こった『六道地蔵の戦い』の地だ。

昔の俺は若かった。

よくあんな無茶をしたモノだ。

六道地蔵があった場所には、無人の熱田神社が建てられていた。


俺が一瞬で数万人の兵を殺したと噂された。

実際の直撃で死んだのは数千人であり、傷ついた者達は冬の寒さで凍え死んだのが原因だ。

他に傷が元で亡くなった者とか、放置した死体から疫病も発生して周辺の村人を襲った。

冬という事で被害も限定的であったが、祟りを恐れて村を捨てて逃げ出したと言う。

怒りを鎮めて貰おうと、死体を埋葬し、銭を出し合って熱田社を誘致した。

誰もいない神社だが、中々に立派な社が建っていた。

病魔や飢えや重税と課役の過労で亡くなる人や七つを迎えないで死んだ稚児の数は数えしれない。

すべて俺がやった事になっていた。

とにかく、祭壇を造らせ『大祓おおはらえ』の儀式を執り行う。


「かけまくもかしこき いざなぎのおほかみ…………まをすことをきこしめせと かしこみかしこみもまをす」


まさか、この地で神官に戻るとは思っていなかった。

この大祓いは寝返った朝比奈-泰朝あさひな-やすともらの懇願であった。

何でも地獄に落とされた今川-義元いまがわ-よしもとらが『無間地獄むげんじごく』の業火に焼かれ続けていると、事任八幡宮ことのままはちまんぐうの宮司が夢でお告げがあった。

数万人の亡者が今も焼かれ続けているらしい。

そんな眉唾な話を皆が信じている。

見届け人らが祭事を終えると涙を流して感謝していた。

芝居に見えない。

皆、信心深い?

恨まれて当然なのに?

マジで感謝しているので、どうも背中が痒かった。

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