第37話 甲斐の武田家。

(永禄3年 (1560年)7月10日)

甲斐の武田-晴信たけだ-はるのぶは家督を嫡男の義信よしのぶに譲り、自らは出家して信玄しんげんと名乗った。


武田-信玄たけだ-しんげんの誕生である。


晴信はるのぶは7歳で兄の竹松が夭折した為に嫡男となり、10歳で武蔵国川越城主である扇谷上杉家当主上杉-朝興うえすぎ-ともおきの娘を正室として迎え、13歳で元服して第12代将軍の足利義晴から「晴」の偏諱を賜り、名を晴信はるのぶと改めた。

さらに、継室として左大臣三条公頼の娘である三条夫人を迎える。


だが、晴信はるのぶが14歳の時に上杉-朝興うえすぎ-ともおきが病死し、その後を継いだ上杉-朝定うえすぎ-ともさだが天文15年 (1546年、義信よしのぶ14歳)の『河越城の戦い』で没落すると、正室であった上杉の方の姿が消えて、三条夫人が正室となっていた。


晴信はるのぶは13歳(天文5年、1536年)の11月に平賀源心の佐久郡海ノ口城を攻めて初陣を見事に飾ったと広めているがそんな話はない。

当時、青白いひょろひょろとした体格であり、いつも書庫に入って本を読み漁っていたと言う。


どこかの『書庫は地上の楽園』と叫ぶ魔女っ娘のようだ。


晴信はるのぶは本好きで判るように内政で国を良くしたい。

甲斐守護の信虎のぶとらは室町武将らしく侵略で国を富ましたい。

二人の方向性が違った。

信虎のぶとらは優秀過ぎると息子であっても殺しかねない。

それを避ける為の偽装だったのかもしれないが、俺が知る由もない。


ともかく、余りのひ弱さに信虎のぶとらは次男の信繁のぶしげに家督を譲ろうとした。

廃嫡の噂は晴信はるのぶ付きの重臣だった板垣-信方いたがき-のぶかた甘利-虎泰あまり-とらやす飯富-虎昌おぶ-とらまさらには看過かんかできない。

しかし、信虎のぶとらは戦に強く、外交にも長けており、板垣-信方いたがき-のぶかたらでは覆せない。

しばらくは黙って付いて行くしかない時期が続き、そして、風が変わった。

信虎のぶとらの同盟者であった上杉-朝定うえすぎ-ともさだが宿敵の山内上杉家の上杉憲政と和睦するくらいに弱体化し、新たに同盟国となった駿河の今川-義元いまがわ-よしもとは若輩者であり、信濃の諏訪-頼重すわ-よりしげは大勢力と呼べない。

信虎のぶとらの外交力に疑問が生じていた。

俺から見れば間違っていないが、脳筋な武将達には理解できない。

それでも信虎のぶとらの力は群を抜けており、逆らう者はいなかったのだ。


天文10年 (1541年)には武田・村上・諏訪三氏が共同して信濃佐久郡の海野-棟綱うんの-むねつなを襲った。

佐久郡侵攻は成功したように見えたが、海野-棟綱うんの-むねつな上杉-朝定うえすぎ-ともさだを頼って援軍が送られてくると、同盟破棄を恐れた信虎のぶとらは佐久郡から兵を引き上げた。


その対応は戦略的に正しいと思う。


北条家と争っていた武田家にとって関東の両上杉氏を敵に回すのは自殺行為だ。

上杉氏と同盟関係を保って北条家と戦っているので有利に戦を進められるが、協力が得られないとなると北条家との死闘が待っている。

信虎のぶとらは北条家に負けるつもりはないだろうが、北条家との戦で疲弊した武田家が周辺国の餌食にされる事を恐れた。

つまり、上杉-朝定うえすぎ-ともさだとの同盟は切れない。

正しい外交判断で信虎のぶとらは佐久郡を一時的に放棄した。

だが、この行為が守護として致命的な失態となった。


信虎のぶとら、頼りなし』


甲斐の領主らが信虎のぶとらの弱腰を攻め、国内の武将の不満が爆発して『主君押込しゅくんおしこめ』(無理矢理に主君を交代させる事)が起こった。

晴信はるのぶの廃嫡を阻止する為に動いていた板垣-信方いたがき-のぶかたらの主導であった。

信虎のぶとらが外交の維持の為の駿河に行った隙に、街道を封鎖して『信虎のぶとら追放』をやって退けたのだ。

晴信はるのぶの謀略だったとか言われているが、おそらく単なる神輿だったと思う。

軽い神輿は板垣-信方いたがき-のぶかたらにとって都合のいい主君だった。

そこから晴信はるのぶの快進撃がはじまる。

孫子の兵法に乗っ取った負けぬ戦に徹した。

晴信はるのぶの軍才は本物だ。

情報を重視し、敵を分断し、勝てる戦のみ行う。

晴信はるのぶは徐々にカリスマを貯めていった。

だが、重臣らの存在は軽くない。

内政において晴信はるのぶが自由できる事は少なかったのだろう。


わざわい転じて、福となす』


晴信はるのぶが29歳になった天文19年 (1550年)9月に起こった小県郡攻めの『砥石崩といしくずれ』で多くの重臣が亡くなった。

武田家にとって痛い敗北であった。

多くの重臣を失って、新たに召し抱える必要が生じた。

だが、失った事で晴信はるのぶは談合政治で念願の主導権を得る事になった。

重石が取れたのだ。

内政で『信玄堤』などに手を付け始めた事でも明らかだ。

晴信はるのぶは北信濃侵攻を進めながら、内政を強化し始めた。


「若様がいらっしゃらなければ、信玄しんげん長尾-景虎ながお-かげとらに勝っていたのでしょうか?」

「どうだろうな、判らん」

「織田攻めをした今川-義元いまがわ-よしもとは熱田で大敗を喫し、三河、西遠江を取られて勢力を失いました」

義元よしもとには後が無くなった。信玄しんげんが寝返って、織田家と同盟を結ぶのは明らかだったからな」


義元よしもとは『甲相駿こうそうすん三国同盟』で地盤を固めるつもりが、逆に敗戦で織田、武田、北条の逆三国同盟で包囲される危険な状態になった。

助かる為には織田家に従属するか、織田家を破って勢力を取り戻すしかない。

義元よしもとは後者を取り、信玄しんげんに駿河・東遠江を奪われた。

信玄しんげんの誤算は東遠江を取れた事だ。

織田家が侵攻してくれば、織田家の援軍である事を強調して和議を結ぶハズだったに違いない。

俺は侵攻しなかったので武田家と和議を結ぶ必要もなく、戦後に北条家と一緒に駿河・東遠江の返還交渉が起こった。

武田家は織田家と北条家を相手に敵対関係になった。


「念願の海を手に入れて手放せなかったのですね」

「そういう事だ」


俺が武田家に産まれていれば、同じ事を考える。

甲斐は貧し過ぎて、チート知識で国を富ます事が難しい。

日照り、冷害、天災、洪水などで収穫が減れば、間引きしなければならない。

間引きするぐらいならば、隣から奪う。

食糧状態を改善しないと、争いが永久に終わらない。

無理ゲーだ。

おそらく贅沢品を作っても国内では売れず、相模の今川家や関東の上杉家に売る事になる。

国内を固めないと金山の開発も儘ならない。

信虎のぶとらは故父上(信秀のぶひで)より物分かりが良いとも思えない。

絶対に苦労する。

南信濃を奪うか、上野を取らない限り、余裕は生まれない。


「若様も甲斐に産まれれば、書庫の虫になったのですか?」

「おそらく、信虎のぶとらに媚びを売って内政に精を出しただろうな。あるいは三条家に預けて貰って京から銭を送るか。下手に戦に勝つと、寝首を搔かれると恐れられて殺されかねない」

「なるほど、信秀のぶひで様は大らかだったのですね」

「銭を産む『打出の小槌こづち』を失いたくなかっただけだ」


甲斐では『打出の小槌こづち』と呼ばれるほど銭を稼ぐ自信がない。

地味な戦いを続ける事になる。

おそらく信虎のぶとらの元では『蝮土』も進まなかっただろう。

鉄砲も買えないだろうし、石灰の掘り出しも銭にモノを言わせる事もできずに簡単じゃなかっただろう。

信虎のぶとらを追い出し、北信濃には手を出さず、家臣をワザと造反させて中央集権化を進めて内政を固めるだろう。

その点で織田家は楽だった。

成り上がりの織田弾正忠家は談合すべき相手を打倒せねば、のし上がる事ができない。

父上 (故信秀のぶひで)の代で半分を打倒していた。

残る半分の織田一門衆を兄上(信長)に従わせれば、中央集権の完成だ。


「信長様が若様に従えば、すでに完成しているように思えます」

「俺は棟梁になるつもりはない。あくまで代理だ」

「代理ですか」

「兄上(信長)に譲渡して押し付ける」

「信長様も同じ事を考えていらっしゃるように思えます。若様が自ら宣言しませんから、無理矢理に押し付けてきたように思えます」

「迷惑だ」


もし、生まれ代わっても甲斐から始めるのは苦しい。

勢力が拡大してもチート武将が周辺にいる。

北条家と組んで関東に出るか、意表を突いて長尾家と組むか、史実通りに東海に出るか、先に美濃を奪うか?

川中島を回避するとどんな影響があるか判らないが、伊那と木曽を先に取っておく必要がある。

そして、飛騨…………を取ってしまいそうな気がする。

今なら白山の噴火が予測できるので救援と言って飛騨・越中・加賀を取る事も考えられるが、突然に起こった噴火イベントに対応できるかは疑問だ。

むしろ、奪った飛騨を救済する為に内政が停滞する可能性もある。

考えるだけ無駄か。


「考えるだけ無駄と思います。今は武田家の対策を考えて下さい」

信玄しんげんも頭を抱えているだろう。織田家と和睦する為に幕府に下ったのに、織田家と対決する事になった」

「武田家は織田家と一戦するしかございません」

「可哀想に思えるぞ」


伊那で幕府の奉公衆代官となった小笠原-長時おがさわら-ながときが織田家に戦いを挑んだ。

その影響力を排除する為に小笠原-信定おがさわら-のぶさだは織田家の援軍を得て、伊那の制圧を始め、こちらが関ヶ原の準備をしている間に伊那の制圧を完了した。

今は諏訪と伊那の国境で睨み合いを続けている。

幕府方の武田家がこのまま何もせずに傍観すれば、信虎のぶとらが佐久郡から兵を引いた時と同じ状況になる。


甲斐や南信濃の武将に『信玄しんげん、頼りにならず』と烙印が押される。

家臣が離反して下手をすれば、諏訪にいる14歳の四郎 (武田-勝頼たけだ-かつより)を担ぎ出して、甲斐・信濃で『主君押込しゅくんおしこめ』が起こる。

または、駿河・東遠江でも反乱が起こる。


「戦えば、寝返り。戦わなければ、離反だ。それでいて勝てる見込みは低く、逃げる算段も立たない。まさに四面楚歌だな」

「駿河を手に入れながら、海の孤島にした若様の手腕です」

信玄しんげんも予想外であったであろう」


信玄しんげんは念願の海を手に入れて喜んだ。

今川家も長尾家も石高の割に富んでいるのは、駿河湊や直江湊を持って財を稼いでいるからだ。

湊を持たない甲斐の武田家は貧しい。

信玄しんげんは単に塩を求めていただけではない。

銭があるならば、塩など買えばいい。

その銭が甲斐には乏しかった。

海を手に入れて、塩も銭も手に入ると思っていた。

だが、思惑が外れる。

信玄しんげんの前に駿河を通らない船が現れた。


「若様が造られた船は尾張と相模を直接に結びます。駿河に寄港する必要がありません。さぞ、面食らった事でしょう」

「な~に、武田家も駿河と堺を直接に結べば良いだけだ。道は残されている」

「ご冗談を」

「10年、いや、5年あれば模造もぞうできる。武田家に造船に銭を賭ける度胸があればの話だがな」

「駿河・東遠江の富を甲斐や信濃に配っております。そんな余裕はございません」


駿河や東遠江の民を特別に苦しめている訳ではない。

武田家は元々重税を課す。

今川家ほど緩くないので、民から不満が出るのは当然だった。

その不満を解消する為に戦を行って発散していた。

その戦が減って、民の不満は爆発寸前だ。

何が何でも信玄しんげんは兵を上げて、織田家に勝たないといけない。

信玄しんげんの戦い方はこうだ。

忍びを使って敵の足元を揺るがし、不穏な噂や寝返りせざる得ない状況を作り出して、敵を弱体化する。

あるいは、背後の敵を操って兵を拡散させ、援軍が出せない状況を作り出す。


真田-幸隆さなだ-ゆきたか秋山-信友あきやま-のぶとも穴山-信友あなやま-のぶとも、さらに山本-勘助やまもと-かんすけなどが寝返る工作をしているという噂を流しておきました」

幸隆ゆきたか辺りは焦っているだろうな」

「事実ですから、焦っているでしょう」


幸隆ゆきたかは織田家に間者を送っているという名目で二重スパイをやっており、完全に武田家を裏切っている。

秋山-信友あきやま-のぶともは無実だが、北伊那の守備を任されていながら戦わずに逃げ帰った。

穴山-信友あなやま-のぶともは駿河の藤枝、山本-勘助やまもと-かんすけは東遠江の監視役であり、通商の事もあって手紙を交わし、浜松城の完成祝いにも招待している。

懐柔は一度としてやった事はないが、過分な土産を用意した。

奇妙な噂も流した。

俺の狙いは信玄しんげんではなく、その土地の領主達だ。

東遠江でも戦仕度を始めたので、造反する領主達が炙り出されて来たハズだ。

そこに井伊-直親いい-なおちか松井-宗信まつい-むねのぶが俺に取り成すと書かせて、信玄しんげんの目をはばからずに寝返りの書状を東遠江と駿河の領主達に送っている。

一触即発いっしょくそくはつの危険な空気が流れる。


俺が中根南城を出発すると沓掛城、榎前城、岡崎城、吉田城に寄り、浜松城に戻ってきた。

随分とゆっくりとした行軍になっている。

新征夷大将軍にあいさつしたいという方々が山ほどいたからだ。

各城で1日ずつ足止めを食らい、浜松城に到着したのは10日になっていた。

信広兄ぃはいつでも戦ができる準備を終えていた。

さて、どうしたモノか?

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