第32話 真っ白に燃え尽きた。

(永禄3年 (1560年)5月21日~28日)

近江から報告が戻って来ると思わず唸ってしまった。

義昭よしあきを京に追い詰める作戦が台無しだ。

戦とは俺が思っているように動かない。

改めてそう感じた。

進藤-賢盛しんどう-かたもりが寝返った。

そのままあっさりと勝って観音寺城かんのんじじょうに入城できるとは思っていなかった。

観音寺城かんのんじじょう方面に逃げていた義昭よしあきがそれを知って転進し、小谷城方面に向かった。


進藤-賢盛しんどう-かたもりが寝返る可能性は考えていたが、疑われるのを恐れてか向こうから連絡はなかった。

甲賀の援軍に向かったので三雲-定持みくも-さだもちと共闘して、畠山-高政はたけやま-たかまさの幕府軍を挟撃するつもりかなのかとも考えた。

だが、甲賀の水口の手前である石部で駐留した儘で留まっていた。

そして、幕府軍が関ヶ原に入ったと聞くと観音寺城かんのんじじょうへ転進した。


「我々が勘ぐったように幕府方も疑っていたようです」

「あぁ、甲賀の動きを見れば判る」

「はい、落とせそうな山中氏の植城の包囲を解いて水口から兵を引きました」

「三雲城に兵を集結させたな」

進藤-賢盛しんどう-かたもりが寝返ると疑っていたのでしょう」


西近江勢が裏切ると幕府軍が用心していた証拠だ。

その証拠はもう1つある。

同じ幕府軍である細川-氏綱ほそかわ-うじつなの部隊を御世参街道と八風街道の合流地点である八日市から竜王に移動させた。

進藤-賢盛しんどう-かたもりに備えた動きにしか見えない。

西近江勢が東山道 (中山道)に戻って観音寺城かんのんじじょうを目指すと幕府軍も即座に対応した。

幕府軍は武佐に向かう途中の西近江勢に細川-氏綱ほそかわ-うじつなの部隊が横槍を入れる策を実行したのだ。

祖父川を越えて武佐を目指す西近江勢に対して、観音寺城かんのんじじょうに駐留していた一向宗の僧兵が出陣した。

観音寺城かんのんじじょうから討って出たのは大坂御坊の僧である下間-頼旦しもつま-らいたん頼廉らいれんらの兵だ。

正面から一向宗の僧兵、横から氏綱うじつなの部隊が襲い、背後から畠山-高政はたけやま-たかまさの部隊で三方から包囲殲滅するつもりだった。

どうやら指示を出したのは河内枚方の順興寺住持である実従じつじゅうだ。


氏綱うじつな実従じつじゅうからの書状を持っておりました」

「怖気づいて関ヶ原方面に出て来ないのかと思っていたが、進藤-賢盛しんどう-かたもりの動きを警戒して残っていたみたいだな」

「おそらく、そうかと」


5,000人程度の西近江勢を3万人以上の兵力で袋叩きにする。

彼らは決して無能ではなく、むしろ用心深かった。

だが、この作戦は巧く行かない。


まず、高政たかまさの幕府軍が三雲城を抑える兵力を残して西近江勢を追った。

追撃した高政たかまさらの部隊が調整地の辺りを通った所で、望月もちづき-出雲守いずものかみが火薬筒を使って土手を爆破した。

上流の貯水池の水門を最大まで開けて水を放流し、川の水の水嵩も増した状態で土手を破壊した。

川の水が土石流となって流れ出した。

調整地とは川が増水した時に水を逃がす為の低地であり、下流の被害を限定的に抑える為の場所だ。

鉄砲水に足を取られた高政たかまさの部隊の兵を水で押し流し、ぐちゃぐちゃにして、起き上がっても負傷者の手当てや装備の点検で再編に時間を掛けさせ、追撃を断念させるつもりだった。


「土手を切った鉄砲水が蝮土を生産していた丘の一部を削ったようです」

「災難だな」

「低地に汚物が流れ出しました。汚物まみれになった土地を父(出雲守いずものかみ)はどうすればいいのか聞いておりますが…………」

「そうなる事を想定していなかったのか?」

「していなかったと思われます」

「そうか、特に手はない。地味に回収するだけだ」

「ですよね。では、父にはそう伝えておきます」


高政たかまさらは部隊を立て直して再編とか、そういうレベルの問題ではなくなった。

足元を取って流される程度の嫌がらせだったのだろう。

泥だらけになり、行軍を遅らせる。

だが、そこに汚物が入った事で強烈な臭いが兵の士気を削いで戦闘不能に陥った。

雨が降りはじめており、川は増水して武具を洗う為に入れない。

もちろん、雨で流れるほど簡単な悪臭ではない。

大量の兵士がいくつかの井戸の前で長い隊列を作った。

高政たかまさらが率いる部隊は崩壊したのと同じだった。


「偶然であったが、最小の労力で最大の戦果を生み出した訳だ」

「その後処理で父(出雲守いずものかみ)は頭を悩ませています。よかったのかどうかは疑問です」

「はっははは、笑うしかないな」

「そうですね」


一方、蒲生方面に展開していた細川-氏綱ほそかわ-うじつなの幕府軍を竜王に配置替えを命令すれば、日野城を包囲していた荒木-村重あらき-むらしげらに筒抜けとなる。

援軍を送る為に目付けの兵が消えた。

荒木-村重あらき-むらしげらは織田方に付かない奉公衆代官を誅殺すると、摂津衆と北河内衆を掌握する。

そして、密かに信実のぶざね叔父上らと和議を結ぶと、氏綱うじつなを追って背後から襲った。

味方の援軍と油断していた氏綱うじつなが簡単に捕えられた。

すると、奉公衆や代官衆も簡単に旗を覆したのだ。

公方義昭よしあきへの忠誠心が希薄だった。


「元々いた奉公衆も義昭よしあきのやり方に不満を持っていたのでしょう」

「媚びを売る腰巾着ばかりを重用するからだ」

「織田家の台頭を懸念していた連中です」

「懸念しているという事は織田家をそれだけ恐れている連中でもある。だから、関ヶ原に付いてゆくのを嫌がったのだろう」

「おそらく、そうだと思われます」


10万人以上の幕府軍が負けるとは考えていないのかもしれないが、織田家に簡単に勝てるとも思っていない。

屍の山を築くと考え、その屍になりたくないと思った連中だ。

命を大切にするのは当然だ。


「あの義昭よしあきの為に死ぬのが嫌だったのでしょう」

「そうかもしれん」

「ですが、命を惜しんだ者は簡単に寝返ります」

「そうだな。余り重用しないようにしよう」


三方から包囲殲滅するハズが目の前で合流されれば、僧兵を率いていた下間-頼旦しもつま-らいたん頼廉らいれんも撤退する。

こうなると観音寺城かんのんじじょう内でも造反者が現れた。

城内が混乱する。

実従じつじゅうは身の安全を考えて城を脱出すると頼旦らいたん頼廉らいれんと合流して、観音寺城かんのんじじょうに戻らずに義昭よしあきとの合流を急いだ。


その時点で、実従じつじゅうは関ヶ原の幕府軍が大敗しているなど知る由もない。

本隊と合流してから観音寺城かんのんじじょうを取り戻すつもりだったのだろう。

しかし、鳥居元で逃げて来た義昭よしあきと合流する事になる。

慌てて小谷城へ逃げて行った。


「千代、どうしたモノだと思う?」

「何をどうするのでしょうか?」

信実のぶざね叔父上だ」

「近江の差配を見る余裕はございません。信実のぶざね様に任せるしかないと考えます」

「そうだな」

観音寺城かんのんじじょうに入ると連絡を寄越しておりますから、すでに入っている頃でしょう。輝ノ介らは今日中に坂田郡を掌握すると思われます」


後藤-高治ごとう-たかはる蒲生-定秀がもう-さだひで観音寺城かんのんじじょうにすぐに入らず、周辺の掌握を先にしたようだ。

松尾城の藤堂-虎高とうどう-とらたからも主家が織田方に付いたので武装解除に応じた。


「後藤家を守護代に、進藤家を又代にという話でしたが、誅殺されたので後藤-賢豊ごとう-かたとよ殿はいません」

「後藤家を支えているのは蒲生-定秀がもう-さだひでだからな」

進藤-賢盛しんどう-かたもり殿が蒲生家の下に付くでしょうか?」

「次の近江再編が始まっている訳か」

「そうだと思われます」


蒲生-定秀がもう-さだひでが周辺の掌握を急いだのは、進藤-賢盛しんどう-かたもりへの牽制だったようだ。

すでに近江再編の第二ラウンドの戦いが始まっている。


「近江再編に若様が気を使う必要はないと思われます」

「そうだな。義賢よしかた殿はどうか?」

「意識は取戻しましたが、まだ話せる状態ではありません」

「一先ず、助かって何よりだ」

義賢よしかた様が復帰されれば、そちらは任せればよろしいかと存じます」


六角-義賢ろっかく-よしかたは何とか意識だけは取り戻した。

まだ朦朧もうろうとするのか、介護老人のような状態で補助がないとお粥も食べられない。

その息子の六角-義治ろっかく-よしはる義昭よしあきを追って観音寺城かんのんじじょうを目指したが、鳥居元に到着した頃には常備兵が500人まで激減した。

薄情な連中だ。

義治よしはる進藤-賢盛しんどう-かたもりと和議の使者を送って待っている間に周辺の兵に襲われて、命からがら小谷城方面に逃げた。

義治よしはるの首を持って来れば、褒美が貰えるとでも思ったのだろうか?


「信長様が京に上洛できたのが意外でした」

「まったくだ。しかも、そのまま北上したという」

「敦賀を攻められたと知った朝倉勢は撤退するでしょう」

「そこまでは予想できるが、兄上(信長)が何を狙っているのかが判らん」


豪雨の中で紀伊水道に入るとは思っていなかった。

上陸してからの行軍速度が異常だ。

行軍速度から考えて、一日5里 (20km)が普通だ。

7里 (28km)でも強行軍と言われる。

ウルトラマラソンで100kmを6時間半で走る事ができるから不可能ではないが、行軍はマラソンではない。

無茶苦茶だ。

京までの20里 (80km)を走った後に戦などできる訳がない。


「若様が用意された荷馬車を使われたのではないのですか?」

「用意した荷馬車は織田家で使うような奴ではない」

「確かに。使えなくはないでしょうが、道も織田家ほど良くないと思われます」

「乗せられた奴らは生きた心地がしないだろうな」


最新の馬車に懸架装置けんかそうち(サスペンション)を装備させた。

そこから荷馬車で兵を運ぶ事を思い付いたのだろうが、兄上(信長)が考え付く事を俺が考えていない訳がない。

だが、まだ懸架装置けんかそうち(サスペンション)は高価過ぎて荷馬車に付けられない。

荷馬車は板バネを公開して普及させている所だ。

船に積んだ何台かの荷馬車はマシだろうが、向こうで調達した荷馬車には板バネも付いていない。

脱落した兵を乗せて京まで上れたのだろうか?

時間的に休憩を多く挟んだみたいだが、夜明け前の真夜中から翌日の夜中までだ。

寝る間を惜しんで一日中掛けて上洛した。

ブートキャンプの長距離走よりハードだ。


「信長様は若様の長距離走の訓練を取り入れて、演習の帰りは装備一式を背負って清洲までの遠距離走を実施しておりました。常備兵はこの拷問のような上洛にも耐えたかもしれません」

「演習地は東美濃だったな」

「甲斐の武田家が木曽を越えてきた前提で東美濃衆との合同訓練を行われています」


随時、交代で演習をやっているので月の一度の割合で地獄の10里 (39km)走が行われてきた訳か。

兄上(信長)の無茶ぶりに呆れてしまった。


「この辺りはよく似たご兄弟だと、皆も諦めております」

「俺はそんな無茶はしないぞ」

「若様は無茶しませんが徹底的に追い込んで行きますので、どちらが楽かは判りません」

「まさか、千代も俺と兄上(信長)を一緒だと思っているのか?」

「いいえ、若様の方が徹底しており、残虐だと自負しております」

「褒めているつもりか」

「はい」


全然、褒められた気がしない。

播磨と但馬の兵を組み込んで小谷城を攻める準備をしているが急ぐ必要はない。

朝倉軍が撤退するのが確実なのだから、それを待てば確実に勝てる。

兄上(信長)が北上したのはいいが勝っているのか、負けているのか、判らない。

連絡が届いてから次の手を考えるとする。


「若様、予定通りに長島に行かれるのがどうでしょうか。追撃ならば、氏家-直元うじいえ-なおもと殿と輝ノ介に任せれば良いと思われます」

「そうだな。勝利は確定している」


千代女の言う通りに兄上(信長)の事は放置する事にするか。

俺は後処理とか、負傷者の治療とか、敗残兵の送還の手配だけで忙しい。

疫病など出さない為にも埋葬もしなければならない。

関ヶ原や坂田郡の復旧計画もある。

軍役衆が減るのは困らないが、百姓衆(惣百姓)が減ると復興も面倒になる。

しかも数は百姓の方が多い。

俺は坂田郡の百姓が強制徴兵されて盾代わりに使われるのを避ける為に一時避難させた。

坂田郡と関ヶ原の復興に銭が飛んで行く。

どこで回収しようか?

そろばんを弾くと頭が痛くなって来た。


22日、三郎左衛門さぶろうさえもんから連絡が来て追撃の段取りを整えた。

兄上(信長)の動向が判れば、やる事は簡単だ。

密書を送って領地安堵をほのめかせば、浅井郡の領主や名主が簡単に寝返ってくれる。

問題は供出させる兵糧がない。

むしろ、幕府に取られ過ぎて援助を求める領主が続発した。

夕刻から幕府軍は小谷城に殿しんがりを置いて北上したが、その殿しんがりがあっさりと寝返った。

そこからドミノ倒しのように寝返りが続き、寝返った兵を処理する為に追撃の足が鈍るという珍現象が起こった。

日が変わっても追撃は続く、俺はひたすら桃配山で処理を続けていた。


23日早朝に『刀根峠の戦い』の戦いの第一報が入ってきた。

兄上(信長)の予定通りに朝倉軍がぶつかった。

朝倉の敗北は確定し、その後ろの幕府軍も敗走するだろうと書かれていた。

次々に報告が入ってくる。

織田家の大勝利だった。

塩津方面の幕府軍は降伏し、5万人以上の捕虜を抱える事になった。

しかも随時増えてゆく。


「兵糧の備蓄が余りにも少な過ぎます」

「幕府は何を考えている。現地で強奪するつもりだったのか?」

「仮に大垣城を幕府が取っても10万人を食わせる兵糧など手に入りません」

「清洲まで取れるとでも考えていたのか?」

「それは存じ上げませんが、どういたしますか?」


確か、中国の戦国時代に秦の白起将軍が趙に勝って、趙兵20万人を捕虜にした事があったな。


「長平の戦いですか」

「そうだ」

「穴を掘らせて、捕虜を生き埋めにした逸話ですね」

「面倒だから、いっそ埋めてしまうか」

「その後の戦で、敵が死にモノ狂いで抵抗しそうです」

「駄目か」


もちろん、そんな事をする気はない。

貴重な奴隷として売らせて貰うとしよう。

書い手は参軍している領主達だ。

本人ごと自分を買わせて領地に借状を持たせて送り返す。

期限に余裕を与えるが反故にすればどうなるか、しっかり釘を刺しておこう。

それに放置して野盗にでもなって貰っては迷惑だ。


「若様、林-秀貞はやし-ひでさだから捕虜を織田方に組み込んで越前攻めに使いたいので兵糧の段取りの願い状が来ております」

「どこにそんな兵糧がある?」

「尾張・三河・伊勢の倉を開ければ、十分に賄えます。さらに西国から兵糧が集まって来ておりますので、ないという訳ではございません」

「その輸送は誰がするのか?」

「帰蝶様は美濃平定で忙しいので当てにできそうもありません。断りますか?」


追い詰めた朝倉-義景あさくら-よしかげを放置して再起させるのもしゃくだ。

義景よしかげ義昭よしあきを越前に逃がした時点で越前攻めが付いてくる。

関ヶ原のおまけが越前取りか。

三郎左衛門さぶろうさえもんから長文の手紙が送られて来て、戦の全貌が見えてきた。

印象的なのは勝った織田の兵の方が憔悴しょうすいして敗残兵のようだったという話のくだりだ。

朝倉に勝ってときの声を上げて捕虜を縄で縛ると、そのまま座り込んでうな垂れたそうだ。

捕まった朝倉の兵より疲弊しており、槍や刀を杖代わりに支えていないと体が支えられない。

顔色だけを見れば、どちらが勝ったか判らないのは珍しい体験だったと綴られていた。

馬上の武将はまだ元気が残っているが、しばらく織田家の兵は使いモノにならないらしい。

兄上(信長)はどうするつもりだ?


「ともかく越前に5万もの兵は必要ない。中国地方の兵は予定通りに帰国させる」

「そのように手配します」

「残った奉公衆代官の兵の再教育を兄上(信長)に押し付けて、その兵で越前取りの兵とする」

「信長様の?」

「武将は元気なのだろう。武将を奉公衆代官の上に付けて動かせばよい。実際は兄上(信長)が決める事だが、こちらはそれで段取りをする」

「但馬と播磨の兵はどうしますか?」

「奉公衆代官の兵は残し、山名-祐豊やまな-すけとよ黒田-職隆くろだ-もとたからには、他の中国衆を見張らせて戻す」

「承知しました」


俺は兵の配置を指示してゆくと兵站の計画を練り直す。

連絡に時差がある上に問題は随時起こる。

鉄道でも引けていれば左程の苦労もないが、水路の船と陸路の荷馬車しか使えない。

船は段取りが付いても荷馬車が足りない。

人海戦術か。

本来は戦をはじめる前に念入りに段取りをする。

敵を組み込んで越前攻めとか想定外だ。

兄上(信長)の無茶と幕府のツケで忙しさは三倍増しだ。

事務処理の大安売りが付いて来た。

しかも兵を動かしながら兵站の計画を修正してゆくという高難度の処理を始まった。

寝る時間は確保されたが、ゴロゴロがさせて貰えない。

心が荒む。

俺の愚痴に千代女の口数が少なくなってきた。

マジでヤバい。

長島に向かう頃には俺も側近も連れて来た中小姓も燃え尽きていた。

真っ白に。


28日、後を任せて俺と千代女は長島に向かった。

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