第10話 永禄争乱の前哨戦、永禄争乱の前哨戦、小笠原長時の天竜川の戦い(4)<終結>

(永禄3年 (1560年)3月初旬)

信照のぶてる、このままでは戦に参加せずに帰る事になるぞ」

「そうなるかもしれません。しかし、好都合です」

「余に無駄足をさせるつもりか?」

「輝ノ…………」


絞まっている。絞まっている。

輝ノ介が襟を持って迫ると、首元がぎゅっと絞まった。

参った。参った。参った。

俺は腕を3回叩いて外すように抵抗するが気が付かない。


「輝ノ介様、若様がここで落ちれば、様子見で明日までここに留まらせて頂きます」

「それは困る」

「では、お手をお放し下さい。若様が持ちません」


千代女が輝ノ介にそう言うとやっと緩めてくれた。

相変わらずの危険人物だ。

俺は松尾城まで1日の宿営所までやってきた。

宿で風呂に入って疲れを落としていると長頼ながよりから報告書が届く、阿島城原あしまじょうばら城の救援に軍を向けたが、長時ながときの幕府軍が加々須川かかすがわの対岸に兵を配置していなかったと書かれていた。

阿島城原あしまじょうばら城を陥落させる事で織田家の出鼻をくじき、下伊那の各地の領主を寝返らせる。

そんな交渉を呼びかける調略戦をする気はないようだ。


「下伊那は山が多く、移動するだけでも時間が掛かります。代官を配置しましたが、心から織田家に臣従している訳ではございません。その領主が寝返れば、今度は我々も放置する訳にいきません」

「領主達は寝返る事に罪悪感がないからな」

「南北朝から続く確執や、大義名分さえあれば、陣営を変える事を常としておりました」

「終わらせるぞ」

「はい」

「その為の花火だ。大軍で押し寄せて攻め滅ぼすだけが戦略ではない」

「しかし、出費が大変な事になりそうです」


千代女が算盤を弾いて溜息を付いた。


「何を言っているのかよく判らんが、そんな事はどうでもよい。戦に間に合わぬ事が問題だ」

「そうですね」

加々須川かかすがわの対岸に兵を配置していないのは、信定のぶさだの下伊那衆を誘い込み、明日にでも決戦に出るつもりなのだろう」

「織田家から援軍が来る前に終わらせるつもりなのでしょう」

「夜通し駆ければ、まだ間に合う」

「疲弊した兵ではまともな戦はできません」


俺は「慌てない、慌てない」と言いながら食事を取った。

力加減を間違いもするが、本気の輝ノ介はこんなモノではない。

本気なら殺気を放ち、刀を抜いて刃を首元に晒している。

1つの失言で首が飛ぶ。

俺を殺せば、俺の周りの強者が輝ノ介を襲う。

そんな狂乱に身を任せたいと思わぬ程度に娯楽を与えねばならない。


「判りました。仮眠を取った後、日が出ない内から出立致しましょう」

「それで間に合うのか?」

「判りません。小笠原-長時おがさわら-ながときが天竜川でどう戦うか知りません。しかし、飯沼城を目指して迂回している別働隊の坂牧城小笠原-信貴おがさわら-のぶたかと戦うのでどうでしょうか?」

「小物だな」

長時ながときも小物です」

「まぁ、良いであろう」

「重騎兵の装備が間に合いませんので、今、着ている軽装で戦って貰います。それでよろしいのですか?」

「鎧など唯の飾りよ」


俺が伝令の忍びを呼ぶと、忍びが言葉を濁した。

背後からの連絡を絶ち、進軍の邪魔を止めるだけの簡単な伝言だ。

何故か、受諾しない?


「どうした。何を隠している?」

「別に隠している訳ではございません。進軍の邪魔をする分には何の問題がなかったのですが、重量式の落とし穴が各所に残されており、すぐに撤去は不可能でございます」


あっ、そういう事か。

四年前、俺は伊那街道の各所に重量式の落とし穴を用意した。

旅人が通行する分には何の問題もないが、大軍が通過するとその重量で支えの柱が崩壊して落とし穴として発動する。


「我らは落とし穴の前で奇襲を掛け、大挙して反撃してくる信貴のぶたかの兵を落とし穴に落としております」

「予定通りだな」

「落とし穴の中は雨水などが貯まり、毒々しい色の沼になっておりました。中は百足むかでまむしの巣になっており、敵の被害は甚大でございます」

「落とし池か?」

「沼に近いと思われます」


そんな地獄のような池に落ちた兵の士気はダダ下がりだという。

造ってから四年の歳月が過ぎ、土が被り、草木が生えて目印の地蔵が無ければ、忍びでも落とし穴の位置が把握できない。

しかも老朽化して足元がいつ崩れるのか?

襲っている我が方の忍びもかなり気を使って奇襲を掛けているらしい。

信貴のぶたかは半日で通過するつもりだったのだろうが、まだ迂回できていない。


小笠原-信貴おがさわら-のぶたかは街道を進むのが危険と感じ、獣道を探らせました」


その瞬間、俺は悟った。

街道以外は罠を配置していた。

地元の村人も近づかない。


魯坊丸ろぼうまると言えば、落とし穴』


そう言われた時期もあったが、俺は落とし穴より罠の方がよく使っていた。

散々研究してきた。

毒などを駆使して、敵の兵の心を折る工夫に特化した罠が増えていた。

愚か者に正義の鉄槌を下す。

そんな工夫が多彩に散りばめている。


あそこには『ハーメルンの笛吹き男』が用意してあったな。

果心-居士かしん-こじと一緒に研究した気持ちのいい幻覚を見せる媚薬が漂ってくる。幻覚に落ちた敵兵が光の方に走って自ら谷間に向かってダイビングする。

巧く誘い込めば、大きな被害が出せる。

そうだ。

100人が幻覚に掛かれば、100人が谷間にダイビングし、200人が幻覚に掛かれば、200人が…………、300人が幻覚に掛かれば、300人が…………以下同文だ。

お、恐ろしいモノを作ってしまった。

信貴のぶたかの兵は初日だけで100人以上も負傷しており、これ以上の被害が出ると撤退するかもしれないと言う。


「このような事になるとは予想せず、申し訳ございません」

「責めるつもりはない。わずか忍び50人で別働隊の1,000人を追い返したならば、褒めるべきであろう」

「ありがとうございます」


信貴のぶたかが獣道を諦めてくれればいいが、どうなるか判らない。

最悪な事態になっていない事を祈りつつ、信貴のぶたかの邪魔を止めさせる指示を出した。

夜通し走り、明日の朝には届くハズだ。


信貴のぶたかも誤算だっただろう。

前々日から部隊を小隊に分けて、こちらに悟られぬように一度北上してから迂回して伊那街道に入った。

前日まで飯沼城の背後に迫り、決戦に先駆けて飯沼城を強襲する。

だが、それが脆くも崩れた。


「塩の道、伊那街道とも呼ばれておりました山道と代わりません。織田家と武田家が対峙してから旅人で使用する者はほとんどおりません」


そうだな。

街道を使うのは地元の村人か、間者くらいだ

伊那街道は東三河の吉田と諏訪湖を結ぶ街道であり、吉田、新城、根羽、設楽したら、飯田、伊那、諏訪と繋がっていた。

しかし、設楽したらへ武田家の間者を入れたくないので通行を禁止している。

一方、飯田から那古野まで続く飯田街道 (足助街道)は三河の岡崎に灰を運ぶ道として利用されていた。

木曽路の中津川から峠を越えてくる加賀の僧の道だ。

ともかく、飯田から諏訪の伊那街道は閉鎖されているに等しい。

織田家にとって下伊那は重要な地であった。


それは地図を見れば判る。

飯田街道を通れば、西遠江より三河が近いのだ。

下伊那を武田家に取られると、武田軍は遠江、東三河、西三河、東美濃のいずれにも兵が送れるようになる。

織田家の防衛を考えると絶対に手放せない。

だから、備えた。

進軍を遅らせる為に伊那街道に落とし穴を掘って、武田軍を警戒した。

信貴のぶたかも予想していなかっただろう。


「若様、落とし穴より山林に仕掛けられている罠の方が重要です。武田家の忍びも承知しているハズです」

「それはそうだな」

「武田家の忍びと織田家の忍びは幾度となく、あの辺りで死闘を繰り返しております。織田家の忍びが罠を使う事は熟知しております」

「なるほど、獣道などを無防備に進ませて被害を出しているのが可怪しいか?」

「はい、武田家の忍びが罠を警戒していないのは違和感しかございません」


読めて来た。

今回の戦には武田軍が関与しておらず、伊那郡奉公衆代官の小笠原-長時おがさわら-ながときの独断だ。

信貴のぶたかはその尻馬に乗った。

それどころか、この土地を熟知する片切座光寺政玄の協力も得られていない。

地元の村人がいれば、土曽川より南の森に入る事などしない。


一刻 (2時間)もあれば、駆け抜ける道に丸一日以上も立ち往生させられている。


伊那街道を南下して、土曽川を越えるとしばらく落とし穴がない。

栃ヶ洞とちがらほら川に近づくと川の上流に曲がりおり、渡河できる場所まで川を遡る。

その逆の方向の獣道に入ると小さな池があり、その先が人工の崖になっていた。

土曽川と栃ヶ洞とちがらほら川に挟まれた三角地帯は罠エリアだ。

被害が酷い事になっていない事を祈った。


ホントに俺は祈るような気持ちで仮眠を取ると松明の灯を頼りに街道を進んだ。

昼前に松尾城に到着すると、そのまま飯沼城に移動する。

飯沼城に到着すると天竜川の戦いに勝ったという報告が入ってきた。


「やはり、間に合わなかったか?」


輝ノ介が俺を睨む。

知りませんよ。

こればかりはどうしようもない。

伊那と西遠江に鉄道でも結ばないと解決できない。


信貴のぶたかはどうなっている」

「昨夜に被害を増やしましたが、何とか士気を保って飯沼城を目指しております」


少数ならば、落とし穴を無視できる事に気付いたようだ。

部隊に分けると長蛇の列を作って進軍を再開した。

こちらの思惑通りであり、手薄になった本隊の信貴のぶたかを強襲すれば終わっていた。

伝言が間に合って良かった。

信貴のぶたかは山を抜けた所で合流し直すと進軍していると聞いた。

俺は飯沼城を出て田畑を越えて少し見晴らしのよい西に丘に陣取った。


信貴のぶたかの兵が街道を進み、森を出て来た。

そのまま飯沼城を目指すと横腹を晒す事になるので、こちらを無視はできない。

一戦する気になってくれて幸いだった。

当然だろう。

こちらは俺の護衛が20人、輝ノ介の騎馬隊が50人、2つの砦から100人ずつ借り、飯沼城の兵が100人参加しているだけの370人でしかない。

敵の半分以下だ。

信貴のぶたかの兵は減っているが、それでも800人は残っていた。

こちらは時間がなかったので柵も溝もない。

鉄砲隊200人が構えて合図を待つ。


『掛かれ』


信貴のぶたかの声で戦が始まった。

ダダダァ~ン!

近づいてくる敵に鉄砲を一斉発射して威嚇する。

少し厚めの盾に当たる。

戦と同時に後方に控えていた騎馬隊50騎が右に大きく迂回しながら敵の側面を狙って駆け出した。


ダダダァ~ン!

近づいてくると、盾を貫いて足軽を撃ち抜く。

鉄砲の連射でばたばたと倒れる。

鉄砲の威力に兵の足が緩む。


「突撃!」


見計らったように輝ノ介の軽装騎馬隊が敵の横から突撃を掛ける。

巨大な馬の群れが襲い掛かる。

兵は積み木のように倒されてゆく。

鉄砲隊の内、150人が槍に武器を持ちかえた。

残る50人は鉄砲の名手だ。

乱戦であっても敵だけを撃てる。

飯沼城の兵と供に敵に襲い掛かってゆき、敵の前衛が瓦解した。


「詰まらん、詰まらん」


輝ノ介がそんな風に呟いているように思えた。

一度の突撃でやる気を失って騎馬隊が足を止めた。

敵の本陣が揉めていた。


「ははは、やはり敵いませんでしたな」

「そなた、はじめから」

「当然ではないですか。街道を進むだけで200人の負傷者を出し、士気は最低です。これで勝てる方が可怪しいでしょう。幕府への義理も果たしました。もう良いでしょう」

「そなた、はじめから知っておったのか?」

「罠の事ですか? 攻める相手、信貴のぶたか殿が知らぬ方が不思議でなりません。落とし穴の事は知りませんでした。流石、織田殿ですな」

「裏切り者め」


大将の信貴のぶたかは「これは戦ではない」と言い残して、そんな風に逃げ出していったと言う。

下條兵部少輔信氏ははじめから降伏するつもりだったのだ。

良く見れば、信氏の兵の足が鈍かった。

敵の兵が武器を捨て信氏が降伏すると、飯沼城の兵らが絶叫する。

俺は戻ってきた輝ノ介にほっぺたを引っ張られた。


「何か言い残す事はあるか?」


俺は酒の肴に一晩中嫌味をずっと聞かされる事になったのだ。

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