第8話 永禄争乱の前哨戦、小笠原長時の天竜川の戦い(2)

(永禄3年 (1560年)3月初旬)

伊那郡奉公衆代官の小笠原-長時おがさわら-ながときが決断した。


「松尾城の小笠原-信定おがさわら-のぶさだは幕府の威光を無視して従わない。これ以上の猶予は必要ない。実力を持って排除する」


がらがらがらどが~ん。

その檄にまるで天空から落雷が落ちたような衝撃を受けたのは、伊那郡に派遣されていた目付役の保科-正俊ほしな-まさとし正直まさなお親子であった。

織田家に臣従している信定のぶさだに力で対抗しようと考える思考が理解できないでいた。

それができるくらいならば、武田家がすでにやっていた。

保科-正俊ほしな-まさとしは武田家では『槍弾正』と呼ばれるほど、槍使いで名を上げた豪の者である。

信玄公の命令があれば、一番に先陣を切る。


「偉い事になった。どうする?」

「父上、ともかく、工藤源左衛門大尉(内藤-昌豊ないとう-まさとよ)殿に連絡を入れ、信玄様にお知らせするべきです」

「そうだな、使者を送れ」

「畏まりました」


息子の正直まさなおがすぐに甲斐の信玄に知らせた。

しかし、南伊那から甲斐までも40里 (160km)は軽くあった。

信玄の返事が返ってくるまで6日は掛かる。

それも最速だった場合だ。

織田家の忍びが紛れていた場合、早馬が確実に届くか怪しい。

最悪も考慮して、正直まさなおは使者を6人も用意した。

早馬で向かわせる者、行商に化けて向かわせる者、険しい駒ヶ岳を越える者などだ。

伊那の情勢はそれほど不安定になっていた。


信玄から伊那を任せられたのは小笠原おがさわら-信貴のぶたかである。

信貴のぶたか小笠原-信定おがさわら-のぶさだに南伊那を追放された松尾小笠原おがさわら家の当主貞忠さだただの子であった。

元居城の松尾城奪還を悲願とする信貴のぶたかは信玄に攻め入る事を幾度も求めた。

しかし、遠江の『六道地蔵の合戦』の惨状を知る信玄が許可を出さない。

織田家とは友誼ゆうぎを結んで絡め取る方針を示した。

南伊那では調略以外の攻防を禁止した。

当初、南伊那の領主や家臣達が武田家に臣従する意向を示したが、信定のぶさだの領地が発展すると両属に変化し、織田家の代官を受け入れた事で、事実上の織田傘下に収まってしまった。

武田家の敵とは言えないが、味方とも呼べない。

それどころか、中伊那、上伊那から河川の改修に出稼ぎに赴いた者の中に織田贔屓が現れるようになった。

上伊那や中伊那に織田家の間者と思える闇の行商人が我が物顔で徘徊する。

織田家に内応する家、内応したと見せかけて織田家を探る家など、上伊那と中伊那は混沌としてした。

伊那の統治は益々難しくなっていた。

天文19年6月25日 (1550年8月7日)に貞忠さだただが亡くなると、信貴のぶたかはさらに焦りを覚え始めた。

さらに土曽川の改修が終わると、松尾城との中間にある飯沼城の坂西氏が寝返ったのだ。

これでは松尾城の奪還は夢のまた夢になる。

父の悲願を達成する為に小競り合いを繰り返したが、土豪らの反発を招いただけであった。


「土曽川の改修を許したのが失敗でした」

「信玄様から織田家の技術を盗めと言われた。松川と土曽川の河川改修は技術を盗む絶好の機会だ」

「父上の申す通り、土方に間者を多く入れた事でコンクリートと呼ばれる技術以外は盗む事ができました」

「うむ、甲斐の堤の完成にも貢献できた」

「しかし、織田家の財力には敵いません。織田家に内応すれば、色々と優遇してくれます。このままでは差が開く一方でございます」

「判っておる。しかし、武田家の財力では銭で人を集める訳にいかん」


それが一転した。

武田家が幕府に領地を返還した事で織田家と形式上であるが対等になった。

関税も引き下げられ、通行も自由になったと言っていい。

下伊那の商人が上伊那の商家を乗っ取って店を開ける。

織田家の間者が堂々と徘徊する。

一方、武田家も下伊那の領主への調略を再開した。

下伊那の者も幕府に逆らう訳にいかない。

この一ヶ月、闇で織田家の忍びと武田家の忍びが死闘を繰り返していた。

ここを乗り切れば、武田家は息を吹き返す。


「課役によって、その土地が良くなるのは判っていても村人らは簡単に納得できません。そういう意味で幕府に土地を返還し、奉公衆代官の兵に作業させるのは良い策と思えます」

小笠原-長時おがさわら-ながとき殿が素直に治水工事をやってくれれば問題なかったのだが…………それには公方様が頭を下げて、織田家から銭を取ってくる必要があった」

「公方様も酷い命令をされます。無い袖を振れと言われて困るのは長時ながとき殿でしょう」

長時ながとき殿は焦ったな」

「はい。そして、長時ながとき殿の甘い誘惑に信貴のぶたか殿も乗ってしまいました。これが松尾城を奪還できる唯一の機会と思ったのでしょう」

「何故、屋形様がお許しにならんのか。それが判らぬか」

信貴のぶたかも愚かなのです」


織田家は松川と土曽川の河川改修に周辺の村々から人を集めた。

土曽川は見事な扇状地であり、飯沼城と座光寺城の間に谷が広がっていた。

河川の底を掘って流れを確かなモノにすると両側に土手を造り、南側にほぼ直角の石垣が生まれた。

改修が終わると大雨による河の氾濫を心配する必要がなくなった。

上流には大きな貯め池が造られて、去年の旱魃かんばつでは役に立った。

そもそも伊那地方では天竜川が枯れなかったので他の地域に比べると被害が小さく、他の郡と比べると、収穫に天と地ほどの違いがあった。

しかし、土曽川の北側に当たる座光寺の周辺では水が枯れる事がなく、旱魃かんばつの影響をほとんど受けていない。

豊作と言ってもいい。

そして、土曽川の南側が荒地だった天竜川流域に水田が広がり、昨年の秋には稲穂が垂れて豊作となっていた。

山々にも段々畑が広がっている。

そんな肥えた土地が南に広がっていた。


「幕府が奪って良いと言えば、奪いたくなるのが人情か」

「織田家はその事に気が付いていなければ、絶好の得物でしょう」

「織田家が気づいていないと思うか?」

「まさか、守りは完璧です。土曽川を越えるには天竜川に近い船着き場を抜けるか、上流に造った溜め池の土手に沿って向こう側に行くしかありません」

「河の中腹から土曽川の石垣を越えてゆく手もあるだろう」

「父上、冗談はおよし下さい。少数ならともかく、織田がそれを見逃してくれますか?」

「無理だろうな」

いかだを組んで船着き場から攻めるのも難しく、溜め池の土手の先にも砦が待っております」

「なるほど、上流を迂回するしかない」

「山道ならば、少数でも大軍を足止めする事ができます」

「攻める手がないな」

「はい、長時ながとき殿と信貴のぶたか殿はどうやって南に下るつもりなのか、私には判りません」

「ふふふ、参ったな」


保科-正俊ほしな-まさとしが呆れながら笑った。

仮に土曽川を通過できても南伊那の領主達が土地を守ろうと必死に抵抗する。

勝てればいいが負ければ退路が狭く、袋の鼠だ。

織田はワザと負けて引き入れる手があるかもしれない。

また、代官を配置して領主の権限を奪う松尾城の小笠原-信定おがさわら-のぶさだを余りよく思っていない南伊那の領主達が、この危機に対して逆に結束してしまう。

今までの努力が泡となって消えてしまう。


「雨降って地固まらなければよいのだが…………」

「父上、その期待は難しいのではないでしょうか」

「判っておる」

「南に大きな餅が転がっております。取り放題と幕府に言われて大人しくする領主は少ないでしょう」

「愚か者め、地獄の釜が開くぞ」


保科-正俊ほしな-まさとし正直まさなお親子は上伊那・中伊那の領主に制止を求めたが、それに応じる者は少なかった。

大義名分は幕府にあったからだ。

そして、幕府は他国に攻め入るのを禁止しており、法の番人と称する織田家が西遠江から兵を送る事ができない。

我らは織田家と戦うのではない、幕府に逆らう下伊那を討伐するのだ?


『我らは幕府の命に従うのみ』


そんな楽観的な空気が伊那郡に覆っていた。


 ◇◇◇


小笠原-長時おがさわら-ながときが檄を飛ばした翌日、長時ながとき小笠原おがさわら-信貴のぶたかに呼ばれて坂牧城を訪れた。

信貴のぶたかは奉公衆代官様を出迎えねばならない。

来訪に信貴のぶたかは舌を打つ。

長時ながとき信定のぶさだに松尾を攻めろと言った張本人であり、この場に切り捨てたい。

だが、松尾城を攻める大義名分をくれる大切な客であった。


信貴のぶたかは坂牧城を接収して仮の居城としたが居城としない。

信貴のぶたかにとって居城は南西に二里 (7.8km)下った松尾城だけであった。

しかし、土曽川に造られた石垣がそれを阻んでいた。


「忌々しい壁め。あのとき信玄様が御許しを下されば、簡単に落とせたモノを」


あのときは流れが来ていた。

はっきりと武田家に敵対すると宣言したのは、神之峰城かんみねじょうの知久頼元・加康親子と松尾城の小笠原-信定おがさわら-のぶさだのみであった。

もちろん、信定のぶさだの重臣である溝口氏や小笠原坂西長重の一族である坂西兵庫介らも居たので簡単ではない。

坂西兵庫介の嫁は美濃斎藤利政の親族明知殿の妹であった。

東美濃からの支援が期待できた。

だが、他の下伊那の領主達は日和見を決めていた。

また、信定のぶさだの娘と織田-信勝おだ-のぶかつが婚約をしていたが、まだ嫁いでおらず、しかも織田家は今川家と睨みあっており、身動きが取れなかった。

攻めるには絶好の機会だった。

信貴のぶたかはそう判断していた。

5年が過ぎて情勢がガラリと変わったが攻める隙がなくなり、織田家に寝返る愚かな家を見つけては討伐し、残党を狩る日々になった。

だが、再び機会が巡ってきた。

客間の長時ながときを先に入れて上座に座らせると下座に腰かけて頭を下げた。


「わざわざのご足労ありがとうございます。お約束通りに長時ながとき様の要請に応じさせて頂きます」

「それで軍を分けたいとはどういう意味だ」

長時ながとき様はどのように兵を進めるおつもりでしょうか?」

「手勢が2,000人、上伊那から追加で2,000人、中伊那ならば3,000人は集められるであろう。信定のぶさだの兵は多く見積もって2,000人に届かない。堂々と攻めて行けば、問題なかろう」

「それは難しいと思われます」

「何だと?」

「あちらの物見台を上れば判りますが、土曽川の土手はまるで城の石垣のようになっており、大軍が越えられないようになっております」


信貴のぶたかの説明を聞いた後に長時ながときは偵察を出した。

かなり堅固である事が判った。

河を越えるだけで手間を掛けるのは得策ではない。

その後に城攻めが残っている。


「こうして呼び出したのだ。何か策があるのだろうな」

「当然でございます」

「言ってみよ」

「東をご覧下され。最近、阿島城原あしまじょうばら城の知久氏が信定のぶさだ方に寝返りました。まだ、南の伊久間いくま城のように堅固な城になっておりません」

「そんな城を落として何の意味がある」

「味方の城が襲われているのに援軍に行かねば、味方に見限られてしまいます。阿島城原あしまじょうばら城を襲えば、必ず信定のぶさだが出てきます。そこで決戦に及ぶのです」

「なるほど、野戦で決着をつけるのか、悪くない策だ」

「北に伴野城と南城があり、ここを拠点に攻める事ができます。某は土曽川の上流を迂回して背後から飯沼城、飯田城を襲えば、信定のぶさだは撤退せねばなりません。そこを背後から全軍で猛攻を掛けるのは如何でしょうか?」


信定のぶさだ阿島城原あしまじょうばら城に誘き出した所で、背後の城を襲って撤退させる。

敗走する敵を全軍で攻めれば、まず間違いなく勝てる。

しかも余力を残す事ができる。


「よかろう。その策を使ってやろう」

「ありがとうございます。奪った土地は頂いてよろしいのですな」

「構わん。与える。しかし、奪った財と食糧の半分はこちらに渡すのが条件だ」

「その条件で結構でございます」

「よき働きをすれば、松尾城もくれてやる」

「ありがとうございます」


信貴のぶたかは頭を下げながら鼻で笑った。

兄弟で殺し合え。

そして、松尾城さえ手に入れば、ドサクサに紛れて長時ながときも葬ってやると心に決めていた。

恨みを晴らさせて貰う。

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