第7話 永禄争乱の前哨戦、小笠原長時の天竜川の戦い(1)

(永禄3年 (1560年)3月初旬)

近衛大将を越えると、朝議の作法、拝賀、直衣始などの十分な教養が必要となる。

非常に面倒だった。

余りの面倒さに室町将軍の初代尊氏たかうじや二代義詮よしあきらも近衛大将を辞退したと言われる。

参議から二階級特進して、近衛大将を飛ばして内大臣になった。

という訳で、

今年の冬まで覚えなければならない事が多かった。

俺の教師役を買って出たのが関白・左大臣を辞した近衛-晴嗣このえ-はるつぐだ。

来年までに公家の教養を教えるという建前で遅ればせながら俺に付いて来た。

フットワークの軽い公家様だ。

右に輝ノ介、左に晴嗣はるつぐって、どんな嫌がらせだ?

こうして昼食が終わった後の一刻 (2時間)のごろごろ時間が、俺にとって最も苦痛な時間となる。


信照のぶてる、はじめましょうか」

「お手柔らかに」

「手柔らかにしては来年の正月に間に合いません。ビシビシといくぞ」


昼寝の時間が削られた。

和歌や連歌、管弦といった教養を鍛える。

ある程度やってきた武家作法では駄目なのだ。

公家の作法をきっちりと仕込まれる。

妻や家臣らも同様に学ぶ。

俺が出来ていても家臣が出来ていなければ意味がない。

女子衆おなごしゅうでは氷高ひだかが張り切るが、こちらはお市の侍女に鍛えられているので大体はできるらしい。


「殿、そこはこうでございます」

「こうか?」

「違います。こうです」

「こうか?」

「こうでございます」


氷高ひだかはこの時間だけ3歳年上のお姉さんに戻る。

教養ではしょうが吹けるのは当然であり、雅楽の花形楽器である龍笛りゅうてきも吹けねばならない。

というか、俺には吹いて貰うそうだ。

それ以前の篠笛しのぶえさえ吹けていません。

帝におかれては、『源九郎みなもとのくろう-義経よしつね』が愛用した『薄墨うすずみの笛』を用意するとはりきっている。

お披露目は必要な行事らしい。

薄墨うすずみの笛は龍笛りゅうてきです。


「何でも慣れです」

「太鼓でもよいであろう」

「太鼓ですか?」

「太鼓の方が難しいですぞ。皆、耳が肥えておりますからな」


公家様なんて嫌いだ。

仮に太鼓をマスターしても龍笛りゅうてきから逃れられない。

連歌も和歌も苦手だ。

覚えるのは得意だが、即興で歌を構成するのが苦手な上に、本来の裏の裏の意味を理解しなければならなくなった。

まるでパズルだ。

でも、適当に繋ぎ合わせるとすぐにバレる。

さらに漢詩・万葉集の勉強も加わり、学生気分になった。

考えてみれば、俺はまだ学生の年だ。

のんびり行こう。


「駄目だ。あの正月の酷い有様を来年も繰り返させる訳がなかろう」

「多少、目を瞑ってもよいのではないか?」

「帝が恥を掛かれる」


とほほほ、来年の宮中行事で参加するモノだけでもマスターしなければならないらしい。


 ◇◇◇


朝は輝ノ介に叩き起こされて訓練を始め、朝食を取って『昨日の公方様』の報告をすると輝ノ介は出てゆく。

午前に妻達の勉強会を兼ねて西遠江方面の政務を終わらせると、昼食を取って晴嗣はるつぐと一緒にお勉強だ。

勉強が終わると3分のごろごろ時間があり、政務室で報告書の確認に入る。

後釜の右筆も育って来て、かなり楽になって来た。

変更や修正も減った。

この調子で夏までおおよその予定を決めておく。

政務をやっていると、予想より早く伊那から早馬がやってきた。


信照のぶてる様、伊那の小笠原-長時おがさわら-ながときが動きました」

「やはり動いたか」

「殿、伊那とは信濃の伊那ですか?」

「ああ、そうだ」

「南伊那を任せているのは、小笠原-信定おがさわら-のぶさだではなかったのですか?」

「そちらではない。伊那郡の奉公衆代官になった小笠原-長時おがさわら-ながときだ」

長時ながとき、確か元信濃守護で…………あっ、思い出しました。御柱大祭おんばしらさいの邪魔をして諏訪の宮司の不評を買った方ではありませんか?」

「それが長時ながときだ」


諏訪湖に建てられた諏訪神社では、六年に一度の『御柱大祭おんばしらさい』という祭りが行われる。

諏訪衆はこれに命を賭けていると言っても過言ではない。

天文16年の『上田原の戦い』で武田家が大敗したのを聞いて、長時ながときは諏訪に攻め入った。

だが、祭りを滅茶苦茶にされて怒りを買った諏訪衆にボコボコにされた。

それを契機に守護小笠原おがさわら家は没落して信濃を追われる。

いらぬ事で反感を買い、味方を減らす。

人心を掌握する守護の器ではない。

信濃を追われて上洛した長時ながときは俺に助力を求めたが、『惣無事令そうぶじれい』を破るような事はできないと、けんもほろろに帰って貰った。

長時ながときは行き場を失って三好家の客将として世話になっていたが、武田家の推薦で奉公衆代官に返り咲いたのだ。


「伊那にいるのですか?」

長時ながときの元々の居城は安曇郡の林城だが、安曇郡の領主はほとんど武田家の家臣に組み込まされている。しかも170村足らずで、1,200人しか手勢に置けない。対する伊那郡は280村を越え2,000人を徴集できる」

「居城があった安曇郡ではなく、伊那郡を選んだのですか」

「そういう事だ」


野心すら隠せていない。

平時は地元がその駐留費用を負担し、有事は幕府が負担する。

1村当たり7人程度の負担をさせている。

奉公衆代官が率いる兵は2,000人を一つの単位にしている。

余剰人員の費用は幕府からの出費となるが、今回は武田領から徴集する事になっているので、安曇郡では指揮下に入る兵は1,200人に留まる。

しかも部下が武田家の家臣ばかり、兵も微妙な数を嫌がって、長時ながときの弟である信定のぶさだがいる伊那郡を選んだ。


『公方様、どうか某を伊那郡の奉公衆代官に指名して頂きたい。然すれば、弟の信定のぶさだをこちらの陣営に引き込み、成り上がり者に目にモノ見せてくれましょう』


俺に助力を断られた事を根に持っているとは思わなかった。

その事を愚痴ると義昭よしあきと気が合ったようで俺の悪口に花を咲かせたという。

しかし、伊那に就任すると信定のぶさだが従わない。


「どうして信定のぶさだが従うと思ったのでしょうか?」

「そりゃ、弟だからだろう」

「弟は無能な兄に従うとも思えません」

「そうだな、見張りの代官もいる。信定のぶさだの独断で決める事ではない」


幕府領になった信濃・甲斐・駿河・東遠江の援助を兄上(信長)が断った。

六角家も断った。

上洛しなかった美濃斎藤家や木曽木曽家、飛騨姉小路あねこうじに出費を求め、各家は少ないながらも了承した。

だが、最も大口の北条家が断った。

派遣された奉公衆代官達はどこも足りない費用を送って欲しいと幕府に頼み込みだ。

幕府にも余裕がない。

そこで最も裕福な伊那郡の長時ながときに命じた。

伊那郡は去年の旱魃かんばつでも天竜川が枯れる事がなく、被害が少ない郡であり、南伊那は豊作だった。

しかも南伊那では多くの倉を建てて、備蓄米を保管している事も知ったらしい。

放出するように言ってきたが信定のぶさだは断った。


頼りの信定のぶさだにも断られ、長時ながときは追い詰められる。

そこに義昭よしあきから長時ながときに「まだ、掌握できぬのか」と矢の催促が来る。

もう力に訴えるしかない。

弓が自慢の小笠原流弓馬術の名家である長時ながときらしい愚断だ。

北伊那と南伊那に動員を掛けた。


魯坊丸ろぼうまる、いや信照のぶてる、伊那から早馬が来たと聞いたぞ」


北の牧場で訓練をしていた輝ノ介が訓練を放置して、目をキラキラさせて飛び込んできた。


「はい、長時ながときが動いたそうです」

「ははは、余の重騎馬隊を披露する時が来たな。待ち遠しかったぞ」

「重騎馬隊50騎は過剰戦力ですが連れて行く事にしましょう」


別に輝ノ介の重騎馬隊ではない。

珍しい西洋式の鎧と大型馬の組み合わせが気に入って訓練を手伝ってくれただけだ。

集めた馬からサラブレットのように大きな馬ばかりを種付けさせて揃えた。

どれも体高150cm、体重500kgはある。

それらの馬は名馬と呼ぶ。

普通の日本馬は体高120cm、体重300kg程度でポニーのようだ。

その馬に比べると最良馬を揃えた。

もちろん、簡単な事ではない。


生まれてきた馬の中には小さい普通の馬もいる。

それは村や家臣に下げ渡す。

大きな最良馬を残し、種馬にして次世代の馬を育てた。

体ががっちりして一回り大きく見える馬達が揃った。

まだ、一トンを越える重種の馬は手に入っていないのは残念だ。

機会があれば、必ず手に入れるつもりだ。

ともかく、2代目からの大きな馬らが群れをなして走っている姿を見た輝ノ介はすっかり魅了されてしまった。

あっという間に騎馬隊の隊長になってしまう。


「俺は南伊那に移動する。兵は護衛のみで良い。輝ノ介の重騎馬隊の装備一式は後で送らせろ」

「殿、それでは余りにも手薄ではありませんか?」

「千代はどう思う」

「若様に護衛が付くならば、十分な兵力と存じ上げます」

「その通りだ。南伊那には黒鍬衆200人と鍬衆500人が作業場におり、西遠江衆500人が常駐しておる。俺の直属護衛を含めれば、千人に届く。伊那の民は織田家の千人が他家の一万人を軽く凌駕する事を知る事になるであろう」

「ならば、後学の為に随行をお許し下さい」


誰も負けるとは思っていない。

だが、過保護なのだ。

俺に何かあれば、大変だと気に掛けてくれている。


「相判った。名代を手配できるならば家臣二名までならば随行を許す。明朝一番に出立する。遅れた者は捨ててゆく、それでよいな」


氷高ひだか早川はやかわ豊良とよらが集まって俺を心配そうに見ていた。


「心配するな。負ける戦をするつもりはない」

「ですが、殿自ら出てゆく必要はないのではありませんか?」

「今後を考えれば、長時ながときを追い出し、伊那を掌握しておく必要がある」

「そうですか。無事にお帰り下さい」

早川はやかわは北条にこの事を知らせておいてくれ」

「承知しました」

豊良とよら、皆の事を任せる」

「はい、ご武運を」

氷高ひだか、他の嫁らをよろしく頼む」

「お任せ下さい」


先発隊がすぐに出発して街道を確認する。

護衛も先回りして街道を固める。

西遠江の浜松城から南伊那の松尾城まで40里 (160km)もあった。

随行を含めて300人ほどだ。

皆、馬を使うので急げば3日で到着できるが、街道が整備されたと言っても山道という事で4日掛けて移動する事にした。

皆に見送られて出発する。

到着した時には天竜川付近で戦が始まっていた。

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