第6話 織田屋敷への逃亡。

(永禄3年 (1560年)3月初旬)

俺が今川-氏真いまがわ-うじざねを浜松城に出迎えていた頃、兄上(信長)は京に居り、上がってきた六角-義賢ろっかく-よしかたを出迎えて義昭よしあきの取り扱いの引き継ぎをしていた。

兄上(信長)と義賢よしかたは交代で義昭よしあきを監視する事になっていた。

まず12月から2月まで担当した兄上(信長)はもう疲れ果てた。

義賢よしかたも兄上(信長)の姿を見て、そのまま近江に引き返したいと思うほどであった。


「信長殿、顔色が優れませんな」

「判っておりましたが、中々に辛い役目でございます」

晴元はるもとを処分してから一ヶ月と少しでよくやってくれましたな」

「とても信じられない」

「よくもこれだけボンクラが揃っていたと呆れるだけですな」

「まったくでございます」


没落していた上野-信孝うえの-のぶたからが復活し、彼らが推薦した新たな奉公衆は間抜けしかいなかった。

飯川-信堅いがわ-のぶかた飯川-秋共いがわ-あきとも上野-輝加うえの-てるか曾我-助乗そが-すけのりと揃いも揃って、義昭よしあきの顔色しか見ない。

また、義昭よしあきも忠告をする忠臣を遠ざけた為に最悪の事態が起こっていた。


生まれが高貴な次男以下は寺に入れられる事が多い。

その子は門跡もんぜき(特定の寺院の住職)になる約束があるだけであり、厳しい修行が待っている。

僧侶として多くの経典を覚え、仏の教えを学ぶハズだ。

そんな制約の多い生活を嫌い、寺から逃げ出してどこかの大名に仕官して武士になった者もいる。

義昭よしあき一乗院いちじょういんでどんな修行をしていたのだろうか?

兄上(信長)は首を傾げる。


義輝よしてるは公方でありながら殺された。

だが、義昭よしあきは公方になる事が危険を背負う事だと思わなかったようで迷わなかった。

余程、うらやんでいたのか?

次男に生まれた事に含む所があったのか?

義輝よしてるの死を悲しんだ様子がない。


管領の細川-晴元ほそかわ-はるもとが暗殺され、その他の奉公衆も処分された。

その罪を被って副将軍武田-信豊たけだ-のぶとよが蟄居した事で、義昭よしあきは後ろ盾を失った。

確かに従来の奉公衆と奉公衆代官を持っている幕府はかなりの兵力を有する。

直轄地も増えた。

しかし、奉公衆の忠誠は義輝よしてるであって義昭よしあきではない。

皆、保身に走り、形だけの忠誠を誓う。

大名らも忠誠を誓う。

進士-晴舎しんじ-はるいえは喜んだが、無邪気に喜んでいるようでは後ろ盾になれるだけの才覚はない。

だが、義昭よしあきはその忠誠を疑わない。

その力を過信し、織田家に挑んでくる。

それが誤算と言えば、誤算だったのかもしれない。

この『鈍感力どんかんりょく』だけは大したモノだ。

と、兄上(信長)は思っていたという。


兄上(信長)は多くの奉公衆を晴元はるもとと一緒に処分するのに反対であった。

まるで『逆らう者に死を』と脅し、俺が魔王のように語られるのが嫌だと言ってくれた時は嬉しかった。

だが、義輝よしてるの意志なので最終的に折れて同意した。

自暴自棄じぼうじきにならぬように義昭よしあきの監視に二人が交代で京に上がる事になり、その二人が引き継ぎをする。

その会話がどんな内容だったか?

俺は知らない。


義賢よしかた様も言動には注意された方がよいと思います」

「儂が、何の為に?」

「余計な仕事を増やさぬ為でございます」

「それはもう廃嫡した方が早いな」

義輝よしてる様の事がなければ、同意したい気分でございます」

「まったく、面倒な事を押し付けられたな」

「幕府のうみを出す為にわざわざ過激な事もしたのに、次は自分だ…………と、何故、思えないのですか。只々不思議になりません」

「あははは、まったくですな。儂なら夜も碌に寝れず、信照のぶてる殿に頭を下げて許しを請うな」

「公方様を真人間にするのは苦労でございます」

「これほど人の話を聞かない御仁だとは思わなかった。信長殿、何か策はございますか?」

「こうなってはもう致し方ありません。尾張に戻って義輝よしてる様に義昭よしあき様を叱って貰うつもりでございます」

「それしかないか」

義賢よしかた様に置かれましては、これ以上は問題が大きくならぬように気を使って頂きたいと思います」

「では、少しでも早く義輝よしてる様を上洛させて欲しい」

「畏まりました」


兄上(信長)はもう万策ばんさく尽きたと言わんばかりに義輝よしてるを京に戻す事を義賢よしかたと一緒に決めた。

こうして、翌日には尾張に帰る事を決め、織田屋敷は帰り仕度が始まった。


 ◇◇◇


同日、長尾-景虎ながお-かげとらら越後勢は越前国へ通じる北国海道 (西近江路)を通って越後へ帰国の途に着いていた。

共に丹波で一緒に戦った惟任-咲庵これとう-しょうあんは堅田まで見送りに同行していた。

景虎かげとらは僧を巧く誘導して追い詰めた咲庵しょうあんの技量を高く評価し、それでいて先頭を切って戦う姿に共感を覚えていた。

また、兵糧の手配から宿舎の段取りでも世話になった。

遠征費用は咲庵しょうあんの努力もあってすべて幕府持ちとなり、褒美の金子を大量の兵糧に変えて越後に運んで貰えるように手配したのも咲庵しょうあんであった。

越後とその周辺の大名にとってかなりの朗報だった。

荷駄隊を含めて総勢一万人の食い扶持を幕府から出して貰い、秋まで食糧も確保できた。

各大名が苦労した分が余裕となる。

結果的に越後勢の遠征は大成功となった。


「世話になった」

「いいえ、援軍に来られた方を大切にするのは当然の事です」

「何かあれば、頼ってくれ。儂はそなたを高く評価しておる」

「ありがとうございます。次に会う時は上杉様でございますな」

「ははは、単なる肩書きだ」


義昭よしあきの褒美の1つだ。

景虎かげとらを関東管領上杉-憲勝うえすぎ-のりかつの養子にさせる。

これで景虎かげとらは上杉の姓を名乗る事になる。

その後で憲勝のりかつに隠居を言い渡せば、景虎かげとらを関東管領にする事ができる。

一度は元管領筆頭の斯波-統雅しば-むねまさに止められた案件だ。

北条家からすれば、空いた関東管領代に北条家の者が入れば文句もないだろうが、義昭よしあきが指名するとは思えない。

平地に波瀾はらんを越こすつもりだ。


これは室町第3代足利-義満あしかが-よしみつの政策を踏襲とうしゅうしている。

有力な大大名は対立する者を跡取りに指名して、内紛を起こさせて弱体化させる事を幕府の政策としていた。

つまり、六角家、織田家、北条家の中でも内乱を起こさせ、弱体化させるのが基本方針なのだ。


俺からすれば、阿呆な事をしていると思う。

俺は守護大名の力が弱体化するような政策を進めて来た。

それで幕府の力が増している。

最終的に絶対的な中央集権化を進めているのに、それを巻き戻して元の群雄割拠に戻そうする。

幕府の後ろ盾となる俺らを弱体化させてどうする?

中央集権化でそんな必要はないのだ。

そもそも中央集権国家が理解できていない。

そして、人は成功例に固執して時代に乗り遅れる。

変化を嫌い、前例にしがみ付く。

温故知新おんこちしんでかなり遠回りしながら、ゆっくりと変えて来たのにね。

彼らは昔のやり方に拘った。

最後は保身だけが目的となって国家を破壊してゆく。

まったく度し難い。


信勝兄ぃを奥州に追いやっていてよかった。

三河に居たら絶対に利用された。

偶然に起こった奥州の騒動で信勝兄ぃが奥州に行きたがったのを利用して追い出した俺の才覚を自分で褒めてやりたい。

後、織田家の不安は斯波-統雅しば-むねまさの後を継いだ義銀よしかねだ。

幕府から兄上(信長)に代わって、尾張・三河・西遠江で手腕を振うべきだとそそのかされている。

義銀よしかね本人もその気になっている。

何かあると兄上(信長)ではなく、管領義銀よしかねを呼んで命じる。

義銀よしかねが引き受け、兄上(信長)は丁寧に断る。

幕府に断りに行って義銀よしかねは面子を潰されて、兄上(信長)に不満を貯めている所だ。

義銀よしかねも何か勘違いをしている。

斯波家は織田家の主人ではあるが、尾張・三河・西遠江の支配者ではない事が判っていない。

もしも関与したいならば、評定で家老などを納得させるだけの話術を身に付けるべきだ。

その為の教養や知恵が欠かせない。

教師が欲しいならば、宛がってやると遠回しに言ってあげたが聞いていない。


義銀よしかねはどうやら俺や兄上(信長)が斯波-義統しば-よしむね統雅むねまさと二代続けて従ってきたので、無償で従ってくれると勘違いしたようだ。

お二人は織田家の為に動いてくれたから、こちらも協力していたのだ。

斯波家は『名』を取り、織田家は『実』を取っていた。

それが判っていない。

まぁ、下手な事をしない限り、兄上(信長)は斯波しば家を立てるつもりだ。


景虎かげとらを見送った咲庵しょうあんは日が暮れる前に屋敷に戻ってきた。

明日、幕府御所に上がれば、忙しくなる。

石山御坊と高野山に上がっている訴訟を精査して、幕府と寺が対立する構図を作る必要があった。

咲庵しょうあんも勝算のない戦いをするつもりはない。

ちょっとした嵌め手を考えていた。


偽の証拠をでっち上げ、幕府との関係に危機感を煽って石山御坊の僧らを煽る。

ここでの肝はでっち上げた証拠だ。

それをネタに噂を流す。

追い詰めるように互いを疑心暗鬼にさせる事件をいくつか起こす。

手に入れた証拠から石山御坊を追い詰めてゆく。

本来は意味のない事件であっても連続して起これば、意味があるように勘違いするモノだ。

火事がなければ、起こるようにすればいい。

煽られて怒った僧らが暴発してくれれば、しめたモノだ。


だが、1つだけ懸念があった。

正義感が強い景虎かげとらが突撃して解決して貰っては困るのだ。

咲庵しょうあん景虎かげとらが去るまで待っていた。

細工さいく流流りゅうりゅう仕上げを御覧ごろうじろ。

この謀略に自信を持っていた。

巧く引っ掛かった石山御坊が自ら危険な存在と証明してくれる。

石山御坊の対決姿勢を見せ付けてから義昭よしあきに訴えれば、裏切られたと思った義昭よしあきは激怒して対決を決める。

これで終わりだ。


咲庵しょうあん殿」


屋敷に戻ると、屋根裏から声が聞こえた。

咲庵しょうあんは落ち着いた様子で問い直した。


「これは屋根裏殿、何かございましたか?」

「本来、接触は信照のぶてる様から禁止されている。だが、熱田で共に酒を呑んだ仲として忠告してやろう」

「ありがとうございます。監視もご苦労様でございます。屋根裏殿は信照のぶてる様から何と言われているのでしょうか」

「織田家に敵対する行動を取ったならば、すぐに始末しろだ」

「流石、信照のぶてる様です」

「怒らぬのか?」

「為政者として当然でございましょう。やはり信照のぶてる様こそ、天下を治めるべきお方です。神の国を作る為に私がその露払いを致しましょう」

「相変わらずで嬉しく思う」


昔から変わらず、咲庵しょうあんは思い込みの激しい男だった。

俺がそんな事を考えていないなどと露ほどにも考えない。

咲庵しょうあんの監視役の人選を間違った。

だが、その報告は上がらない。


進士-晴舎しんじ-はるいえの屋敷で兵が集まっています。また、幕府組にも参集を掛けております」

「なるほど、失敗した。越後勢がいなくなるのを待っていたのは私だけではなかったのか」

「…………」

「助かった。感謝する」


監視役の忍びはそれ以上しゃべらなかった。

咲庵しょうあんは屋敷の者を集め、斎藤-利三さいとう-としみつもやってきた。


咲庵しょうあん様、如何致しました」

晴舎はるいえに先手を取られた。どうやら襲ってくるつもりらしい」

「バレていましたか?」

「そんなハズはない。仕掛けは完璧だ」

「では、何故?」

「探るのは後だ。私は逃げる事にする」


最小の守りのみを残した。

門番には晴舎はるいえが来れば、門を開けるように命じておく。

家臣は家に戻し、それぞれの独断に任せる。

咲庵しょうあんはわずかな手勢のみを連れて行く。

外に出ると、隣の屋敷の主である和田-惟政わだ-これまさが待っていた。


咲庵しょうあん様はどこに行かれるのでしょうか」

「逃げる」

「どこにですか?」

「京で安全な場所は三つしかない。帝の居られる御所。六角様の宿営する寺。信長様が逗留されている織田屋敷」

「それで咲庵しょうあん様はどちらへ」

「面識のある信長様を頼って京から逃げるつもりだ。一先ず、尾張に避難している実家を頼る事にする」


家臣も付いてくると言ってが、咲庵しょうあんは止めた。

大勢で押し寄せれば、織田家の迷惑になる。

付いてくる者は各々が各自で尾張に来るように命じた。


咲庵しょうあん殿、できればご同行させて貰いたい」

惟政これまさ殿は何の為でしょうか?」

「おそらく、我が屋敷も襲われる」

「気づいていたならば、先に逃げればよろしかろう」

「それでは詰まらない」


惟政これまさ咲庵しょうあんが逃げ出すのを待っていた。

もう少し出て来ないならば、知らせるつもりだったらしい。

相も変わらず、惟政これまさの性格は悪かった。

義昭よしあきを助けて、同じように取次ぎ役になった惟政これまさであったが、晴舎はるいえから咲庵しょうあんの部下のように思われていた。

これは惟政これまさの中で不本意な評価だ。


咲庵しょうあんは元浪人であり、惟政これまさは処罰を受けたと言っても公方に仕えていた者だ。

入れ替わるように幕府に入った咲庵しょうあんからの支援で家臣の俸禄を賄っていたが、咲庵しょうあんの部下になったつもりはない。

惟政これまさ晴舎はるいえと同格という認識だ。

つまり、惟政これまさ晴舎はるいえは仲がよくない。

側用人になった事で益々険悪になっていた。

咲庵しょうあんの屋敷を襲う次いでに、惟政これまさの屋敷を襲うのは当然の流れに思えたと語る。


「何故、私と共に織田家に行こうなど…………」

「あははは、私も織田様からいい心証を貰っておらぬ。お市様を危ない目に遭わせたと怒りを買った事もある。行っても入れて貰える自信がない」

「冗談にしか聞こえませんな」


惟政これまさならば、織田家に取り入る交渉材料をいくつか持っているに違いない。

咲庵しょうあんはそう思ったが、敢えて口にしない。


「しかし、咲庵しょうあん殿は優秀な割に抜けておる」

「何の事でしょうか?」

「小心者の晴舎はるいえだ。丹波の暴動をこれほど早く治めると考えていなかった」

「暴動を起こしたのは僧のみです。越後勢も入れば、容易い事でしょう」

晴舎はるいえはそう考えない。越後勢に続き、丹波勢の内藤の倅とも結んだ。そうなると松永-長頼まつなが-ながよりとの縁も深くなる」

「当然でございましょう。内藤様の支援なしで丹波を動き回る事はできません」


惟政これまさは話を続けた。

松永-長頼まつなが-ながよりの兄は松永-久秀まつなが-ひさひでであり、久秀ひさひでは三好家と縁が深く、三好みよし家の当主である義興よしおき、阿波の実休じっきゅう、和泉の十河-一存そごう-かずまさに繋がる。

咲庵しょうあんは丹波、大和の一部、摂津、和泉を掌握したと、晴舎はるいえが考えたと言う。


「馬鹿な、被害妄想ですな。そこまで影響力があるならば、こちらも回り諄い事をせずに強硬手段を取っておりました」

「丹波の奉公衆代官と丹波守護代内藤家を掌握しただけでも十分に脅威なのでしょう」

「それも私兵として掌握した訳ではございません」

「今日はそうかもしれないが、一年後は違っていると思ったのでしょう」

「過分な評価、痛み入ります」


咲庵しょうあんはしくじったと後悔する。

思っていた以上に晴舎はるいえは小心の上に権力に固執していた。

京の町を騒がせるなどお構いなしだ。

お人好しの兄上(信長)は咲庵しょうあん惟政これまさかくまった。

晴舎はるいえの兵が引き渡しを要求したが、兄上(信長)は断った。

幕府は間違っても織田家に手を出す勇気はない。

こうして、咲庵しょうあん惟政これまさは織田兵と供に尾張に下った。

また、義昭よしあきの周りから苦言を言う者が消えた。


この報告が入った時、俺はとても忙しい状況になっていた。

因果因縁いんがいんねんというべきか?

悪因苦果あくいんくかと悟るべきか?

義昭よしあきは意図してやっていないが、俺から見れば謀略だ。

これが無意識というのだから、悪魔に取り憑かれている。

こうして事件は連鎖がはじまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る