第58話 永禄の変(4) 〔必殺怨霊人、恨み晴らします〕

(永禄3年(1560年)正月某日)

俺は暗殺が嫌いだ。

歴史を停滞させるだけで寄与する事がない。

怨念は何も生み出さない。

何人も殺された。

俺としてはやらずに済むハズの仕事に追われた。

迷惑もいい所だ。

仮に俺が暗殺されても尾張に灯した火は消えず、10年後か、20年後には再び飛躍の時を迎えるだろう。

暗殺如きで歴史は止められないのだ。


「主様、他の者を娶った目出度い日に、そんな不吉な話は止めて下さいませ」

「そうか、済まない。氷高ひだかを不快にしているとは考えなかった」

「主様に死なれては困ります」


氷高皇女ひだかのひめみこが頬を膨らませて怒っていた。

今日は目出度い側室の婚礼だ。

氷高皇女ひだかのひめみことは5日前に宮中で執り行われた。

この日、俺は側室らを一斉に娶った。

同時に信光叔父上が取り決めた養女らの婚礼も行う。

合同婚礼の儀だ。

前例がないのでヤリたい放題だ。

花道を通って入場すると、正面であいさつをするとひな壇に上る。

親族と招待客は集団ごとに丸い机を取り囲んで座っている。

俺と氷高皇女ひだかのひめみこは3月の『お雛様』のお内裏様のように最上段で座り、側室らはその下の段に座る。

帝に来て頂くという案は却下された。

帝の名代がやって来て、参列した客に祝ってくれた事に感謝の意を示した。

流石に来るのは憚られるらしい。

婚礼の祝詞を上げて神に祈ると、『三献さんこんの儀』と呼ばれる三三九度さんさんくどを執り行って夫婦となる。

夫婦となった者は親族の座っている場所にあいさつに向かう。

俺だけ、7人の側室を娶ったので何度も姫を変えて親族の席を往復した。

正室を入れて8人だ。

もうお腹一杯。

最後は祝いに来てくれた方々にお礼を言って終わった。


晴元はるもと、祝いに来てくれた事を感謝する」

「内大臣様のお披露目に参上するは当然でございます」

「そなたには特別な祝いの品を用意してある」

「過分なご配慮に感謝致します」


招いた客はここで退場する。

安全の為に順列に従って主催者である俺達にあいさつをしてから退場する。

招いた客の家臣に引き出物を渡した。

出費を埋めるほどの引き出物の豪華さに目を丸くしただろう。

特に管領筆頭の引き出物の多さは異常だった。

細川-晴元ほそかわ-はるもとは満足そうに帰って行った。


客を見送ると移動が待っている。

今度は親族達のみを宴会場へ移し、俺達は宴会場のひな壇に上った。

親族同士が酒を酌み交わして、話に花を咲かせた。

春を寿ぐ夜が続く。

そんな所で俺は『暗殺』という不吉な言葉を吐いたので氷高皇女ひだかのひめみこに怒られてしまったのだ。


 ◇◇◇


俺は将軍就任の宣戦布告が終わると、細川ほそかわ邸を訪れて頭を下げた。


「大変、恥をかかせて申し訳ございません」


罪人座りから頭を床に付けた土下座だ。

公式の場では偉ぶるが、晴元はるもととは仲良くしたいと小芝居を打った。

俺としては不本意だ。

滅茶苦茶に腹が立ったが、婚礼の儀に来て貰う為に成り振り構わずに媚びを売った。

銭を与えた。


俺としては、生きている事を後悔するくらい恐怖に落とし入れ、公私共に甚振いたぶり付けて追い詰めたかった。

例えば、毎朝の枕元にニワトリの首を切った死体をお届けするとか。

吸い物に微量の毒を入れて、体調不良を継続させるとか。

警護の者を次々に始末して丸裸にするとか。

衣服に馬糞の臭いを擦り付けるとか。

精神的に、肉体的に、対人的に追い詰めて行く。

晴元はるもとが毎日のように壊れてゆく様を楽しみたかった。

殺して楽にするなど、俺の趣味ではない。

しかし、あのお方が怨みを晴らすと言われたので仕方ない。


どこかの離宮を使うつもりだったが、余りにも大規模になって仕方なく織田屋敷で開催する。

俺らしくない陽気さで媚びを売って約束を取り付けた。

また不機嫌そうに帰ってゆくが、政策に『いな』と言わない。

裏で取引をする。

この一ヶ月半は忍耐の上限を超える我慢が強いられた。

怒り面を隠して笑顔を振り撒く。

御所や武衛屋敷でゴロゴロを極める振りをして、夜は寝る時間を惜しんで報告を精査した。

順列トリアージを明らかにして処分を決めていった。

婚礼の準備を装って、尾張から2,000人以上の忍びを呼び込んだ。

彼らは忍びであるが普通に尾張で暮らしている。

それぞれの職をまっとうする『くさ』達だ。

厳しい訓練をして戦闘能力を有しているが、普段は大工・奉公人・髪結い・猫の耳かき屋等々の職を持って働いている。

危険な任務に就いている訳ではない。

普通の彼らこそ、尾張中に張り巡らせている網の正体だ。


彼らを一時的に京に上げると京の町で網を張った。

こんなに大量の人が移動すれば、それだけで怪しまれるのだが今回に限ってその心配はない。

婚礼は何かと物入りなのだ。

そして、物が動けば人も動いた。

彼らは晴元はるもとの人間関係を洗い直し、部下や雇われている者、一連托生の晴元はるもと派を炙り出す。

人海戦術という数の暴力の前では、どんな隠ぺいも紙のように薄くなる。

一網打尽いちもうだじん

今夜は真っ赤な壱師いちしの花 (彼岸花ひがんはな)が咲く。


 ◇◇◇


ちゃらら~~、ちゃちゃちゃちゃらら~ちゃらら~~♪

宴会を見るのに飽きた俺の脳裏にそんな音楽が鳴る。

細川-晴元ほそかわ-はるもとの護衛は150人と大規模だ。

町の一角で二台の荷車が横から飛び出して行列を三つに分断する。

晴元はるもとを乗せた籠の周りが騒然とするが、横から現れた黒装束の男達がぐさぐさぐさと瞬殺で葬る。

150人の護衛の周囲には86人の忍びを抱えているのだが、荷車が横から飛び出す前に全員をこっそりと始末している。

実行部隊は手練れが500人もおり、その内の50人は超一流の者達だ。

さらに、50人の内の8人は花の御所を守っていた忍びの生き残りであり、借りた借り・・を返しに来ていた。

晴元はるもとの手の内の厄介なのは丹波村雲党の20人のみであり、それ以外はとび職に毛が生えた程度の下忍ばかりだ。

織田家と細川家が争っている。

つまり、晴元はるもとを守っている忍びは、甲賀・伊賀衆と争うのを躊躇ためらわない自信家か、情報を収集できない迂闊者だ。

我らの敵ではない。

彼らを襲って丸裸にした所で荷車が行列を遮る。

警護の者は何が起こったのか、判らないままに慌てて荷車を退ける。

そして、唖然とするのだ。

目の前に赤く血に染まった死体しか残っていない事に気付いて。


「何が起こった?」

「判りません。荷車が道を塞ぎ、その荷車を退けた時には皆が倒れておりました」

「どういう事だ?」

「一陣の黒き風、悪霊が通り過ぎたとしか申せません」

「それを信じろというのか?」

「信じる、信じないもございません。ここには死体しか残っておりません」

「誰がこのようなことを。管領様も…………」

「これは人の仕業ではございません。悪霊、悪鬼の類いでございます。悪霊の仕業としか思えません」


そんな事を叫んでいるだろう。

そして、残された血痕を追って刺客を追ってゆく。

そんな光景を俺は思い描く。


また、籠が止まって扉を開けた晴元はるもとは紫頭巾を見て驚くであろう。

それとも吠えただろうか?


「何者だ。管領筆頭の細川-晴元ほそかわ-はるもとの行列と知っての狼藉か?」

「当然であろう」

「この不埒者め!」


ははは、紫頭巾が前の止め金を外して顔を晒す。


「長く土倉の地下に隠れて、余の顔を見忘れたか?」

「まぁ…………さか」

「余を庇って、傷つき。あの世に先に行った長慶ながよしに詫びに行くるがよい」


ぐざぁ、肩筋から心の臓へ一突きに刺し殺し、紫頭巾は風のように去っていった。

俺はそんな夢を見た。

報告書には、詳しい情景は書かれていない。

敢えて聞こうとも思わなかった。


 ◇◇◇


翌日、俺は新公方に呼ばれた。

幕府管領の細川-晴元ほそかわ-はるもとが『合同婚礼の儀』の帰りに襲われたのだ。

襲われたついでに荷が少し盗まれた。

金粒の詰まった5つの千両箱がとある屋敷の倉に運ばれた。

道沿いにぽたぽたと返り血を残していた。

裏戸から倉の方へ血痕が続いた。

まるで見つけてくれと言わんばかり、その屋敷は天下の副将軍の武田-信豊たけだ-のぶとよの屋敷であった。

俺が到着する頃には幕府の主だった者が集まっており、俺は新公方の前に引き出された。


織田-信照おだ-のぶてる、何か申し開きする気はあるか?」


前に座った瞬間、新公方が俺を問い詰めた。


「管領筆頭となり、最初のお役目を控えた斯波-義統しば-よしむね様は誰かの手によって暗殺されました。さぞ無念でございましたでしょう。おそらく、義統よしむね様も草場の影で喜んでいるに違いありません」

「やはり、そなたか」

「はっきり申しましょう。晴元はるもとの死に織田家の者は関係ございません。死んだ怨霊がそうさせたのでしょう」

「戯言を申すな」

「ならば、証拠がございますか?」


誰が見ても俺以外に犯人は見当たらない。

念の為に言えば、護衛の忍び以外は手を出していない。

主犯は紫頭巾であり、その周りには花の御所の忍びと幻庵げんあんに付き従って来た風魔衆が手伝った。

織田家の者は手を貸していない。

敢えてと言うならば、護衛の外の忍びを排除したのが織田家の忍びだ。

忍びは闇から闇に葬られるので関係ない。

まぁ、どうでもいい些細な事だ。


新公方は晴元はるもとに気を取られているが、出仕してない奉公衆や顔色の悪い家臣を気に掛けるべきだと思う。

晴元はるもとに与した者は昨日の内にすべて始末した。

進士-晴舎しんじ-はるいえのように巧く利用されていた者には枕元に首を切ったニワトリを送っておいた。

新公方の周りに顔を青ざめている家臣が多くいる事に気が付かないのだろうか?

唯一、始末されていないのは怨霊様の御慈悲で生かされた武田-信豊たけだ-のぶとよのみだ。


「証拠と言えば、血の付いた金粒入りの1,000貫文箱が信豊のぶとよの倉から見つかったと聞いております」

「濡れ衣だ。あからさま過ぎるであろう」

「管領代の六角-義賢ろっかく-よしかたも同じ意見ですか?」

信豊のぶとよは自らの罪を詫びて、晴元はるもとの暗殺を企んだのでしょう」


信豊のぶとよは「違う」と呟いたが、義兄弟の義賢よしかたが制止した。

あの日、花の御所から興福寺に荷を運ばせるように命じたのは信豊のぶとよであった。

強訴ごうそまで訴える僧侶を押さえる為に寺から押収した一部を返し、戻って来た僧らを労って、これまで通りに幕府に忠義を持って欲しいと仲介に入っていた。

もちろん、本人は因幡にあって細かい事は家臣に任せていた。


信豊のぶとよ、そなたの忠義を疑う者はおらん。だが、花櫓が爆破された事を見れば、犯人は誰であるかは明白だ。そなたならば、思い当たる者がおろう。先々代の公方様を殺した者を許せる訳もない」

「しかし、某は…………」

「それ以上は言うな。信照のぶてる様の温情を無にするつもりか。若狭武田家の家臣らを巻き添えにするつもりか。そなたも判っておろう。花櫓を爆破して義輝様を亡き者にした謀反人をそなたが討った。そうであろう」


信豊のぶとよは花櫓の爆発が事故だったと信じたかった。

だから、目を瞑った。

心の中で『自責じせきの念』はあったが噛み殺した。

義賢よしかたに暴露された瞬間、信豊のぶとよはこれを受け入れなければ、公方様殺しの大罪を被ると…………悟らされた。


「その通りでございます。某が大罪人を討ちました」


信豊のぶとよは深く頭を下げると脇差を抜いて髷を切った。


「然れど、管領筆頭を殺めた罪は拭えません。これより鞍馬山に蟄居し、一生を掛けて亡くなられた方の菩提を弔いたいと思います。どうかお許し下さい」


新公方は言葉を失った。

何が起こっているのか、まったく理解できないのだ。

犯人は俺だろうと何度も信豊のぶとよと俺を見直して、掛ける言葉が浮かばないのか、口をぱくぱくと開いていた。

だが、誰も言葉を発してくれない。


「これにて一件落着でよろしいでしょうか?」

「すべてはそなたの企みか」

「何の事か存じ上げません。勘違いでございましょう」

「もう顔も見とうない。下がれ」

「では、用事もすみましたので自領に帰らせて頂きます」


俺はゆっくりと立ち上がるとくるりと体を回して退場していった。

京の町に春の風が吹いていた。

さくらを眺めながら帰るとするか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る