第57話 永禄の変(3)

(永禄2年(1559年)10月某日)

俺は兄上(信長)が京に上がった日より3日ほど遅れて上洛した。

可能な限り情報を集めた。

旧尼子領の領地替えの総指揮を取っていた三好-長慶みよし-ながよしが京に上がり、交代して総指揮を取っていた武田-信豊たけだ-のぶとよも、副大将に任じられていた十河-一存そごう-かずまさも引き返して来た。

長慶ながよしの死が三好家中を揺るがしていた。


毛利-元就もうり-もとなりも兵は少数であるが、吉川-元春きっかわ-もとはるを伴って堺まで船で来ている。

土佐の一条-兼定いちじょう-かねさだと九州の大友-義鎮おおとも-よししげが連合していつでも兵を上洛させると連絡しているらしい。

関東は北条家が代表して宗哲そうてつが兵300人を船に乗せて熱田に到着し、俺と一緒に上洛する。

出発前に家督を譲り、出家して幻庵げんあんと名前を改めた。

関東・奥州が流動的なのでこれ以上の兵は送れない。

代わりに幻庵げんあんは1年でも2年でも付き合ってくれるそうだ。

今年の春に兵2,000人を連れて上洛した長尾-景虎ながお-かげとらが、鎌倉府に来たと思うとトンボ返りで越後に戻り、主だった武将を連れて再上洛する意志を示した。

越中、加賀、越前に通行許可を貰う使者が走った。

おそらく兵5,000人を引き連れて、雪中行軍してでも上洛を果たすつもりだ。

公方様を襲った暴僧を一人残らず刈り取ると鼻息を荒くしているらしい。

奥州の動向は不明だ。

武田-信玄たけだ-しんげん斎藤-高政さいとう-たかまさ改め義龍よしたつも上洛の通行許可を申し出ている。


すでに三好-長逸みよし-ながやす松永-久秀まつなが-ひさひでがあっさりと恭順したので、斯波-統雅しば-むねまさ六角-義賢ろっかく-よしかたが連名で上洛は不要、上洛するならば、兵は少数でお願いするという返事を出している。

間違いなく、各地の大名や領主が集まってくる。


俺が京に入ると初雪がちらちらと降って来た。

どうりで冷える訳だ。

爆発炎上した花の御所が放置されている。

小柄な紅葉が戻って来て耳打ちする。


「誠か?」


紅葉が頷く。

俺は腕を組んで暗雲漂う黒々とした空を見上げて一刻 (2時間)ほど考え込んだ。

鼻も頬も赤くなり、千代女が風邪を引くと心配した。

俺は覚悟を決めて、武衛屋敷に向かった。

足利-義昭あしかが-よしあき細川-晴元ほそかわ-はるもととの初対面だ。

晴元はるもとなど、今まで会っていなかった事が不思議なくらいだ。


「お初にお目に掛かります織田-魯坊丸おだ-ろぼうまるでございます」

「聞いておる。織田の麒麟児であるな」

「言われているほど、大した事はございません。お隣に居られる方に何度も煮え湯を飲まされております」

「誠か?」

「いいえ、魯坊丸ろぼうまる様は聡明でいらしゃる。煮え湯ではなく、白湯ほどにも熱く感じておりません」

はらわたが煮えくり返る思いでした。もうお忘れでございますか」

「可笑しいですな。おそらく誰かと思い違いをされているのでしょう」


軽い牽制であいさつを終えると本題に入る。

斯波-統雅しば-むねまさ六角-義賢ろっかく-よしかたが推挙したので義昭よしあきが将軍になる事を反対する者はすぐに居なくなった。

三好-長逸みよし-ながやす松永-久秀まつなが-ひさひでも一戦する気概がない。

公方様の弟が生きておられたなら問題ないと言う。

但し、義昭よしあきの目は三好家に対して懐疑的だ。

三好の兵に襲われた事実は消えない。


進士-晴舎しんじ-はるいえの娘の小侍従こじじゅうが懐妊しているが、無事に生まれるか、男の子か、女の子かも判らない。

晴舎はるいえ以外は騒ぐ者は誰もいない。


だが、義昭よしあきは簡単に将軍になれない。

堺にいる義栄よしひでを将軍にするとしていたからだ。

一度発布したモノを取り消す事に帝が難色を示した。

というのは嘘で、俺が帝に頼んだ。

まだ正式に発した訳じゃないから取り消すも何もない。

だが帝が嫌だと言えば、義昭よしあきは将軍になる事ができないのだ。

そこで近衞-晴嗣このえ-はるつぐが言う。


「帝は魯坊丸ろぼうまるを気に入っておられる。先帝も困った事があれば、魯坊丸ろぼうまるに相談せよと言い残されておられる。なんと言っても皇女様の嫁ぎ先だ。魯坊丸ろぼうまるに頼めば、帝も首を縦に振って下さる」


晴元はるもとは俺抜きで進めて欲しいと、何度も晴嗣はるつぐに頼んだが良い返事が貰えない。

他の公家にも頼んだが、帝が納得してくれない。

俺が上洛したと聞くと、すぐに武衛屋敷に来るように伝えられた。


言い忘れていたが、花の御所が炎上して瓦礫になったので斯波-統雅しば-むねまさは武衛屋敷を空けて織田屋敷に移った。

武衛屋敷が仮の幕府御所になる。

あの変で政所執事である伊勢-貞孝いせ-さだたかが亡くなって、その代わりに惟任-咲庵これとう-しょうあんらを送った褒美に、進士-晴舎しんじ-はるいえが政所執事に内定している。

また、管領も細川-氏綱ほそかわ-うじつなが隠居して、晴元はるもとが引き継ぐ予定だが、予定は未定だ。

将軍ではない義昭よしあきが命じる事はできない。

将軍になる事が最優先事項なのだ。


「承知致しました。義昭よしあき様を将軍に推挙致しましょう」

「やってくれるか」

「お任せ下さい。但し、条件があります」


義昭よしあきが将軍に就任すると同時に、斯波-統雅しば-むねまさの烏帽子親で俺の元服を許して頂き、隠居する統雅むねまさに代わって、新たに管領となった義銀よしかねに合同の婚礼を取り仕切るように命じて貰う事だ。

つまり、将軍に就任した第一声の命令で、新公方がすべての慣例を破って幕府公認の合同婚礼を執り行う。

それが条件だった。


最初は渋っていたので、俺が「無理に織田家の条件を聞く必要などありません。帝の機嫌も半年も待てば良くなるでしょう」と囁いた。

晴元はるもとは半年も待てない。

今でも朝敵に認定され、幕府転覆の容疑者だ。

義昭よしあきには一刻も早く将軍になって貰って、すべてを取り消して貰わないと生きた心地がしないだろう。

義昭よしあきも『我が父』と呼んでいる晴元はるもとを断罪したくない。

情勢が変わる前に決着を付けたい。

俺の強引な条件を飲んでくれた。


「ありがとうございます。ささやかなお礼として花の御所の再建をさせて頂きます」

「再建をしてくれるのか?」

「この武衛屋敷より立派な屋敷を建てる事をお約束させて頂きます」

「織田家は豪気であるな」

「屋敷1つなど、織田家にとってはした金でございます」


俺はそう言って武衛屋敷を出て、その日の内に瓦礫の撤去を始めさせた。

天幕を引き、連れて来た黒鍬衆が総出で行う。

織田様のやる事は何でも早いと京の町の者らが呟いていた。


 ◇◇◇


義昭よしあきの将軍就任は10日後となった。

何事も電光石火だ。

まず、義栄よしひでを第14代将軍とし、就任当日に隠居すると養子に入った義昭よしあきが左馬頭の官位が与えられ、日を改めて将軍宣下の儀式が行われた。

室町幕府第15代将軍の誕生だ。

新公方は武衛屋敷に諸大名を集めて、将軍に就いた事を諸将に告げた。


『おめでとうございます』


新たな人事が発表された。

副将軍、武田-信豊たけだ-のぶとよ

管領筆頭、細川-晴元ほそかわ-はるもと

政所執事、進士-晴舎しんじ-はるいえ

これが皆を驚かせた人事だろう。


次に、織田家から上がった願いを受理して、幕府主催で織田家の合同婚礼を執り行うと言う。

諸大名が唖然とする。

幕府の方針や様々な役事を決める前に、幕府が織田家の為に婚礼の面倒を見ると宣言したのだ。

すべての議論の後に織田家が願い出て、新公方様が許可するのではない。


言って見れば、

国会開催の檀上に上がった総理大臣が所信表明をする前に、「東京ビッグサイトの夏コミを『政府主催』で行います」と発表したくらい異常な事だ。


皆、この新公方は何を言っているのだ?

そんな不思議な顔になる。

当事者である俺が呼ばれた。

公方様新公方の前に出ると即興で元服式が執り行われ、斯波-統雅しば-むねまさの烏帽子親で俺は元服した。


『一字を授ける織田-信昭おだ-のぶあきと名乗るがよい』

「謹んでお受けさせて頂きます。ありがとうございます」

「そなたの忠義に期待しておる」

「さっそくですが、公方様から頂いた『あき』では足りません。先々代様から『てる』の字を頂く事になっておりましたから、よりあまねく照らす為に火偏を足して『てる』と書き、『信照のぶてる』とさせて頂きます」

「勝手に改変するなど無礼であろう」

「何が無礼でございます」


声を上げた武田-信豊たけだ-のぶとよを一睨みする。


「俺を従二位内大臣と知っての意見か。内大臣が将軍を指導するのは当たり前ではないか」


参議から中納言、大納言を飛ばして三階級特進だ。

皇女を娶るには、少なくとも内大臣でないと不釣り合いと言われたのだ。

渋っていた人事だが、ここで効力を発揮する。


「そなたは西遠江守護代でもあろう。公方様の家臣であろう」

な事を申される。守護代如きが公方様を将軍に推挙できるのか? 都合よく立場を使い分けて貰っては困る。俺は帝より、此度のような事が起こらぬように、厳しく監視するように命じられておる」


そう言うと懐から新公方に『殿中御掟でんちゅうおんおきて』の21カ条を差し出した。

色々な小言だ。

先々代を踏襲して勝手に変えるな。

勝手な横領をするな。

おねだりもするな。

諸大名に御内書を出すときは信照のぶてるに報告して、そして、信照のぶてるの副状を添えて出せ。

天下は信照のぶてるに任せて、宮中の儀式などに力を入れろ。

簡単に言えば、全部、俺に相談しろと書かれている。


魯坊丸ろぼうまる、いや、信照のぶてる殿、それは余りにも不遜で御座ろう。幕府を蔑ろにして、越権行為も甚だしい。お考え直されたし」


意外な所で声が上がった。

晴元はるもと辺りから上がると思っていた?

声の主は少し後ろの長尾-景虎ながお-かげとらだ。

俺に敵対する意志もなく、世の道理を言っている。

正論だ。

俺だって、こんな面倒な事はしなくない。


「勘違いなさらず。新公方様はまだ幕府の事が判っておられない。3年ほどご指導するだけでございます。後は好きにやって頂きます」

「そうだとしても道理に合いません。お立ち場を考えて撤回なさいませ」


長尾-景虎ながお-かげとらの性格から想像すれば、俺が執権なり、管領になるべきだと言っているのだろう。

それを口に出すのも憚られると思っているに違いない。

少し予定が狂ったが、予定通りに幕府管領代の六角-義賢ろっかく-よしかたを指名する。


「内大臣様が御指導するのがよろしいと思われます」

「信長はどうだ」

義賢よしかた殿と同じでございます」


北条家の名代の幻庵げんあんは俺に「従う」と言葉を変えた。

俺に賛同する者が次々と頭を下げてゆく、三好勢も頭を下げる。

毛利-元就もうり-もとなり吉川-元春きっかわ-もとはるも頭を下げた。

意外なのが武田-信玄たけだ-しんげんだ。

頭を下げていた。

全然、信用できない。

一条-兼定いちじょう-かねさだ大友-義鎮おおとも-よししげは中立を宣言する。

俺を支持する者とそうでない者と中立が綺麗に分かれた。


事情に詳しい者は「晴元はるもと、お前の好きにさせん」という俺の宣戦布告と気づいていただろう。

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